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「馬車までぐらいは一人で行けるわ」
階段下すぐ近くに、父が用意しておいた馬車がとまっていた。簡素な馬車に伯爵家の印はない。
「かえして」
私がグレアムの持っている荷物に手を伸ばす。
私の手がかかる前に、彼は軽々と荷物を私の手が届かないほど、ひょいと離す。
「その足では持てませんよ」
彼のもう片方の腕が、私の腕をつかむ。
「馬車まで送りますので、ご安心を」
忌々しい親切。荷物を抱えて馬車まで行くのが困難なのに、私はあからさまに嫌そうな顔を作ってみせる。この人が店で私を見てたら、今の私は母の娘だ。どうせオリヴィアは別人だ。私が悪態をついても、オリヴィアの印象にはつながるまい。
表向き長女オリヴィアは義母の娘として通している。グレアムから見たら、目の前にいる私は、伯爵令嬢オリヴィアとは異母姉妹だろう。少々不遜な態度だって、わがままな歌う母の娘で通してやる。
普段の態度そっくりそのまま返してやるわ。
私は前を向く。
「そこまでよ」
礼は言わない。手伝わせてあげるわよぐらいに態度を悪く応じる。
荷物も持ち、私を支え、彼は歩く。
御者も気づき、急ぎグレアムに駆け寄ると、荷物を受け取り馬車に運び込んだ。
「もう十分よ」
ここまでしてもらっても、ありがとうと言う気になれなかった。ありがたいけど、ありがたい気になれない。
馬車の扉を御者があけたので、彼の腕を振り払い、痛い足を押して乗ろうとした。
グレアムの力が強い。つかんだ手を離さない。私は思うように一歩踏み出せず、半歩のところで止まらざる得なかった。
「もう、いいです」
振り向き、睨みつける。
「足、まだ痛いはずです」
「……そうね」
「一緒に乗りますよ」
「なっ!」
一緒に乗るですって。
「図々しいわね」
苦々しい目をむけても、グレアムは涼しい顔だ。
「私を誰かわかっているの」
「ええ。ステージで見てます。かの高名な歌手の愛娘ですね」
「そうよ。これから、帰るの。ついてこないでもらえる。こっそり帰りたいのよ」
「こんなところで、まごついていたら、人に見られます」
グレアムはそう言うなり、私の体を持ち上げ、そのまま、馬車の中へと押し込んだ。
どすんと尻もちをつくように、椅子に座らされた。
「何するの」
ぎっと睨んでやると、涼しい顔をして、私の隣に座り、馬車の扉に手をかける。
「出してください」
グレアムが御者に声をかけつつ、扉を閉めた。
ちらりと私を見て、前を向く。
「家まで送りますよ」
私はグレアムを睨み上げる。視線に気づいた大きな彼が私を冷ややかに見下してくる。
「なんなの、あなた。押しかけてきて」
「送ります」
「いいわよ、一人で行けるわ」
「玄関までです」
「はあ! あなた、私を誰だと思っているの」
「異名セイレーンと呼ばれる歌姫です」
「知っているんじゃない」
「ええ、私もファンですから……」
目が点になる。思わず、彼の横顔を凝視してしまう。無表情なまま、グレアムは前を見つめている。
もしかして、オリヴィアに婚約を申し込んだのも、セイレーンに似ていたからとか言わないわよね。だって、今の私とオリヴィアは別人として表向きはとらえられるようにしている。女は化粧と衣装で年齢が分からないはずよ。今の私はオリヴィアより年上に見えるようにつくっている。
なんか、どんどん腹が立ってきたわ。
婚約者がいて、こんな馬車に乗って、別の女と二人きりなのよ。おかしいわ。絶対変よ。
彼は婚約者がいて、他の女と一緒に二人きりで馬車に乗っているのよ。婚約者以外に手を出そうとしているようにもとらえられない? 実際に手を出すかどうか分からないし、出されても困るけど……。
私が別人のふりさえすれば、彼のとった行動は、不貞あたらないかしら。彼の不貞を理由に、婚約破棄まで進めて、私ははれて、自由の身になれるとか……。
間違いあったように見せかけて、それをたてに、婚約破棄をさせてやることもできるんじゃない。
どうかしら。やってみる価値はあるんじゃない。
異母姉から聞いたわ。みたいなこと言って、一か月後のお茶の席で、婚約破棄をお願いすれば、晴れて私は婚約から解放とか……。望み薄そうでも、ちょっと、頑張ってみようかしら。
今まで、高飛車にしてたぶん、ここで態度豹変させてもおかしいわよね。どうしよう。うまくやれるかしら……。
「あなた……」
私は決意する。
「……名前は……」
今さら、聞くのも気恥ずかしいけど。ここは知らないふりよね。
前を向いたまま彼は答える。
「グレアム。グレアム・ベイクウェルです」
「……グレアムね……」
まずは名前を確認して、次はどうしよう。
家まで送ると行っていて、玄関までなら……。家にあげちゃう。大丈夫かしら。お茶だけなら……。迎えの馬車が来るまでとか言って、馬車が到着したら追い出しちゃえない?
いや、男性を家にあげるなんて基本、危ないわ。
でも、グレアムでしょ。一応婚約者だし……。
いやいや、そもそも、あんな愛のなさそうな男性と婚約を続けることも嫌なわけよ。
しかもよ、ここで私に手を出そうものなら、私の代わりに、私に婚約を申し込んだかもしれないじゃない。それって、すっごく失礼なわけよ。
その時は、正体あかして、驚かせて……、とか……。
なんか、わかんなくなってきたわ。こんがらがってきたわ……。
馬車の速度が落ちていく。どうしよう、タイムリミットが近づく。
馬車がとまった。
私とグレアムは並んだまま、だんまりし、動かない。
御者が扉を開く。まずグレアムが出て、地面に足がついたところで、振り向き、私に手を差し伸べた。ここで、手を添えないのもおかしい。私は彼の手を取り、馬車から降り、地面に足をつけた。
扉を開けた御者が横に立っている。
「戻ったら、この方の馬車に迎えに来るように伝えてもらえないかしら」
御者が、驚くのを無視し、私はグレアムに目をむける。
「荷物を玄関まで運んでくださるのでしょう。迎えの馬車が来るまで、お茶でもいかが」
これにはグレアムも瞠目する。
「行くわよ」
そんな彼の反応を無視する。
歩き出そうとする私にあわせて、グレアムも歩き出す。
御者が私の荷物をもって、家に向かった。
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