10,
「すまない、オリヴィア。
私にとって、あなたは月の女神だ」
グレアムの言葉に私の目が点になる。
彼は私に駆け寄り、手を握って、覆いかぶさるように、言葉を紡ぐ。
「太陽の下で闇よりも深い黒髪が日の光を吸い込み輝けば、あなたの周囲は光の粒が真珠のように踊り狂うさまに私はいつも言葉を失ってしまっていたのです」
グレアムの言葉に、私はガツンと殴られる。思いもよらない美辞麗句が立て板に水のようにながれてくる。
「黒曜石のような瞳は深淵へ導くような吸引力をもって私を誘う。その魅惑的な輝きに、私の姿を映し出し、その姿を見つければ、恥ずかしさのあまり、直視できなくなってしまっていたのです」
これはあれだ。そうだ。いつも考えていなければ、出てこないのでは……。
ずっと無関心だから黙っていたと思っていたのに、小一時間という、あの茶席で、この人はいったい何を考えていたというの。予想もしない言葉の羅列に、私の背筋は凍り付く。
その時、すぐ横から熱い視線を感じ、私は我に返った。
「グレアム様、その前につまみ出さねばならない者がおります」
私は彼の手を振り払い、遠巻きに見つめる父を見据えた。
「父さん、もう用事はすみましてよね」
「いや、気にせず、若い者同士……。チューの一つでも見たら、母さんの元へと……」
「壁の花となるには存在感がありすぎです」
私たちがうまく行っている報告が母にできればいいはずなのに、何を言っているのでしょう、この父は!
「もういいですよね。
ハーブティー持っていてあげてくださいね、父さん。
頼まれたんですものね」
私は、つかつかと台所の棚にあるハーブティーの瓶を手に取り、父の前に突きつけた。
「そうか、邪魔、かな……?」
「もちろんです」
父はハーブティーの瓶を両手で受けとる。私は父の体をぐるんと回し、背中を向けさせて、ぎゅうぎゅうと押して、野外へと追い出した。
なんか色々、今度は腹が立ってきたわ。
「グレアム様も、私に黙っていたこと、洗いざらい話していただきますわ」
つかつか彼の元へと歩み寄り、小さい私が睨み上げると、彼の方がぽっと頬を赤らめたように見えた。
美形すぎて、感情も表情も分かりにくすぎよ。
私は涙で見る影もなくなった顔を洗い、衣装も脱ぎ、街娘風の動きやすい服に着替えた。スッキリして、髪を後ろに束ねる。グレアムは私が準備を整えるまで、じっとさっき淹れてあげた冷めきったハーブティーを堪能しているようであった。
今までであれば、黙って、嫌そうに飲んでいるとみえていたけど、あの美辞麗句を聞いてしまったら、私は彼のことを、そうとうあらぬ方に勘違いしていたかもしれない。
そもそも、彫刻のような美形が、無表情でいては、無関心と混同されてても仕方ないのでは?
もう一度、ハーブティーを淹れなおし、私は彼から諸事情を確認した。
母が私のことをグレアムにばらしたこと。父も事情を把握し、進展しない私たちを見て、彼をけしかけたこと。
そして、始めから彼が私のことを知っていたうえで、好き過ぎて、どうしていいかわからなかったなどなど……。
その後、彼は馬車にのり帰っていき、一日無駄な感情の起伏に疲れ切った私は、すべてを忘れて床についた。
翌日から、母の家に滞在中、グレアムは毎朝やってきて、夜に帰ることを繰り返し、私は彼がどんな人なのか少しばかり理解できた気がした。これさえも、母と父の罠にはまったかのようで、釈然としないけど……。
屋敷に戻れば、またいつもの日々に戻り、静かになった。
一か月後、私は再びグレアムとの約束の日になる。いつも通り、貴族の長女として彼の屋敷に行く。
出かける間際、異母妹が寄ってきた。
「いいわね、お姉様は、あんな素敵な人と婚約出来て!」
ぎゅっとすがってくる妹に、私は笑う。
「そうかしら。
良さそうに見えても、色々面倒だし、見た目ほどいい人ではないかもしれないわよ」
「ええ、どうして。あんなに完璧そうな男性なら、童話の王子様みたいな夢を見れそうよ」
私は苦笑する。
「蓋を開けてみると、そうでもないこともあるわよ」
異母妹はきょとんとする。人は見た目通りの人間とは限らない。と言っても、幼いこの娘には想像もできないかもしれない。
「しょうもなくて、どうしようもない。それが許容できるから、一緒にいれるのかもね」
異母妹は、さらによく分からないという顔をする。
「きっと、あなたにも、あなたにとっていい人があらわれるわよ」
可愛い額にキスをして、私は屋敷を出た。
さあ、これからは、我慢比べだ。
嫌われていると誤解していた頃が懐かしい。
今まで我慢していたのか、堰を切ったかのように私への賛美を繰り返し、朝から晩まで美辞麗句を紡ぎ続けることにグレアムは慣れてしまう。口にしようと思えばできるものですねと自己の成長に浸っていた。
比喩表現を駆使した面映ゆい言葉を、平然と聞けるほど私に耐性は十分に備わっていない。
こんなことになるなら、茶会の席で勇気を出して『グレアムは私のことを嫌いなのですか』ぐらい聞いて、『いいえ』の回答をもらっておけばよかった。『だまっていらっしゃるけど、私のことをお嫌いだから、沈黙されているんですか』とか、聞きようはあったのに……。
最初から、ちゃんと聞かなかった私が悪いのよね。
ため息をつきながら馬車に揺られ、グレアムの屋敷につく。晴れている日の定番、園庭の茶席へと招かれる。
背の高いグレアムを見上げて、私は笑む。
「お招きありがとうございます」
彼は私の手を取り、甲にキスを落とす。
「今日も一段と麗しい我が女神。紫の水晶をあしらった髪飾りが黒髪の持つミステリアスな雰囲気を引き立たせますね。
遠目から近づいてくる姿は、まるで妖精。あなたの流れる黒髪が風になびき、日の光を吸い込めば、まるで光と風のシルフがあなたの周囲に躍るようでした。
夜は妖姫のような艶を持ち、昼は花園の精の主のように悠然と歩む姿に、私はあなたが人であることさえ忘れてしまいそうになります」
「……ありがとう、グレアム……」
沈黙も痛かったけど、これはこれで、別の意味で、いたたまれない。
猛禽類にさらわれたリスは、その標高の高さにおののいて足がすくみ、逃げることができなくなってしまった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ブクマと評価いただけましたら、次作の励みになります。
明日から10万字作品投稿します。
『お家騒動を経て婚約破棄! 行き遅れになるかと思いきや、発端となる渦中の公爵様に突然求婚され、あれよあれよと婚約同居する運びとなりました』
になります。




