8話:師匠、置手紙を見つける
一日一話更新のつもりが、予約更新の日付を設定ミスしていました。
引き続き、毎日更新は続けます。
魔法が解けて、鏡の坂が消えた時には、もう辺りは夕日の赤に包まれていた。
「…………帰るか」
鏡を拾って、櫛を拾って、ブラシを拾う。
そうして戻った泉は、まだ白く濁っていた。
「そうか。無駄になるから、あいつ土産はいらないなんて言ったんだな」
俺は泉のほとりに置いて行った土産も拾い上げて、白濁した水に潜った。
底の砂が舞い上がって静まらない水の中、壊れた結界との境目に立つ。
破裂するように壊された結界の様子から、結界に穴を空けて、内側から大量の水で壊したことが想像できた。
「泳げないくせに、無茶をする」
結界を修復して水を抜き、家も乾かそうと手を翳して、魔法の気配に気づいた。
「これは、結界? 家への浸水を防ぐため、か。こんな大きな結界を張る魔法はまだ、教えてなかったのにな」
俺と会話をしない間、ヘンゼルが修得したのだろう。
泉の水で押し壊した俺の結界の余波に巻き込まれないよう、細かく調整されている。
「脆いが、柔い。これは、グレーテルと一緒に張った結界か。…………そうか、二人がかりなら俺の結界に穴を開けられたわけだ」
結界を撫でるように解いて中に入り、俺は土産や日用品をダイニングテーブルに放り出す。
自分以外の誰の気配もない、声もしない、足音もしない。
いつもグレーテルが動かしていた織り機も、動きを止めている。
ヘンゼルが薪割りに使っていた斧は、水に流されないよう室内に入れてあった。
「…………静かだな…………」
四年前までは当たり前だったはずが、どうしてこうも違和感を覚えるのか。
疲れた。
ただひたすらに疲れた。
そんな思いでロッキングチェアに腰を降ろそうとした時、手紙を見つけた。
『親愛なるクヴェル=ヴァッサーラント』
一度も名乗ったことのない俺の名前が、見知った文字で書かれていた。
「なんだ。名前を知っていたのはお互い様か」
手紙には、ヘンゼルの文字で泉にやって来た経緯が書かれていた。
そして、泉に行くよう指示した、母親の名前も。
「ナイア=ドルフ。そうか、君か」
俺がかつて名付けた水の精。それが、ヘンゼルとグレーテルの母親であり、魔女として処刑された者だった。
あのイケメン夫は、グレーテルが幼い時に戦争で帰らなかったと書いてある。知らなかった。いや、知ろうとはしなかった。王宮から泉に引き篭もって、誰にも会わず、誰にも言わずに生きていたんだ。
「そうか…………。ナイアが水の精を頼って捜してくれたのか」
手紙には、かつての恩人が泉にいると言われて来たことが書かれていた。
けれど泉の周囲に住む者はなく、世を儚んで入水した先で、俺と出会ったらしい。
最初は恩人だなんて信じられなかったと、ヘンゼルは書いている。それでも俺を信用しようと思ったのは、二人を罪人として捜しに来た兵を追い返した時らしい。
恩に着せることもなく、追い返したことを誇るでもなく、冷めた食事を残念がる俺を疑うだけ、馬鹿な気がしたと書いてあった。
「あぁ、なんだ。口の悪さは、変わってなかったか」
会話が減って、口の悪さも鳴りを潜めてると思っていたのに。
そんなヘンゼルの述懐の次には、グレーテルの告白が書かれていた。
俺は諦めにも似た思いで文字列を追う。
「あの焦げは、あわよくば俺を殺そうとしてのことだったのか…………」
今となってはただの思い出だ。
火を使って俺を怪我させるなり、重傷を負わせるなりして逃げようとグレーテルは考えていたらしい。手紙には、そんなことを考えていたのに、どんなに焦げた料理も食べられるだけ食べたことに感謝の言葉が綴られていた。
そうしてそんな俺の行動に、兄より早くグレーテルのほうが言うほど悪人ではないと気づいたらしい。
だからこそ、今のまま忘れてしまうのは嫌だと書いてあった。
せっかく、復讐のための力を手に入れたのに、と。
「幸せの中に埋没させるんじゃ、駄目だったのか? 俺は、お前たちと暮らす四年間、昔を思い出して瞑想することもなかったのに。心穏やかな、日々だったのに…………」
グレーテルは俺が本気で魔法を教える気があると見て、真面目に魔法を覚えようとしていた。
理由は、復讐するための力が欲しかったから。
その気持ちは、ヘンゼルも同じで、よく小火を起こしていたのも、より多くの敵を倒す方法を模索していたかららしい。
そして去年、ヘンゼルが成人した時、酔い潰れた俺から冤罪と国外追放の話を聞いて、やはり復讐を果たすべきだと二人は考えた。
俺を追い出した国と、ヘンゼルとグレーテルが逃げ出したのは、同じ国だったから。
あんな国、なくていい。
そんな王族、いなくていい。
そして魔女狩りを不満のはけ口として楽しむ国民など、滅べばいい。
「違う、違うんだよ…………。あぁ、なんて言えば良かったんだ?」
本当に、俺は復讐なんてしなくて良かったんだ。
いいと思えるようになったんだ。
お前たちに復讐するための力を与えたつもりなんてない。
俺は、生きるための力を与えたいと思ったのに。
「そんなつもりじゃ…………、なかったんだ」
二人は故郷へと戻った。
復讐を果たすために。
俺に言えば止められるとわかっていたから、今回の隙を狙ったと書いてある。
「止めるくらい、させてくれ」
いない相手に言ってもしょうがない。しょうがないのに、言わずにはいられない。
止めたかった。
復讐なんてやめろと。
そんなことのために出て行くなら、いくらでもいていいと言ったのに。
二人が人並みの幸せを得るためには、いずれこんな世捨て人の俺とは手を切ったほうがいいと思っていた。
「何が、違ったんだ? 何を、間違ったんだ?」
いや、俺といてもヘンゼルとグレーテルの復讐心は消えなかったんだ。
もしかしたら、俺が昔話したせいで、復讐心に火が付いたのかもしれない。
手紙は、感謝の言葉で締められていた。
助けてくれてありがとう。育ててくれてありがとう。魔法を教えてくれてありがとう。叱ってくれてありがとう。褒めてくれてありがとう。
「そういうことは、面と向かって言えよ」
必ず恩は返す。
そう、ヘンゼルは書いていた。
「復讐なんか、恩返しだなんて認めねぇからな」
俺は手紙を片手に握り締めて、痛いほどに熱い目をもう片方の手で覆った。
「帰って来いよ…………」
野宿が辛くなったでもいい。
家の飯が恋しくなったでもいい。
怪我が痛くては、少し心配だがそれでもいい。
病気になるようなら、迎えにもいく。
「一人に、するなよ…………」
まだ別れの準備をしていない。
心を決めてない、腹も括ってない。
どうしていつも、辛いことは俺の覚悟を待たずに訪れるのだろう。
国外追放の時より辛いかもしれない。
あの時は、自分が捨てるんだっていう強がりが効いた。
でも、今はヘンゼルとグレーテルに置いて行かれたと言う、失望感が堪らない。
「…………なら、ここも捨てるか?」
できるわけがない。
もしかしたら二人が翻意して戻ってくるかもしれないのに。
親も家も国も失くしたあの二人が、帰ってこれるのはここしかないんだ。
追い駆けたとして、また拒絶されるのは嫌だ。
すれ違いになるのも嫌だ。
「…………結局、俺は一人でいることしかできないのか」
落ち着けるはずだったロッキングチェアの上が、ひどく寒々しく感じた。
一月が経ち、未だにヘンゼルとグレーテルは帰ってこない。
俺も一月の間、泉から出ていない。
元から隠棲のために造った家だ。
食料の備蓄さえあれば、何不自由のない空間。
「なのに、今じゃ…………」
部屋が広すぎる気がする。
どんどん大きくなるヘンゼルと、少しずつ女らしくなるグレーテルと一緒にいた時には、部屋を一つ増やすべきかとも考えていたのに。
「ぐす…………」
最後に見た二人の姿を思い出し、鼻を啜る。
準備して、隙を作って、拒絶して逃げていくヘンゼルとグレーテル。
どんなに瞑想しても、二人のことを思い出すと居た堪れなくなる。この一月ずっとそうだ。居た堪れなくて、何もできない。じっと時が過ぎるのを一人で待ってる。
そうして一人ロッキングチェアの上でいじけていると、突然バキッと不穏な音が鳴った。
「は?」
窓から身を乗り出して、不穏な音がした上を見上げると、水滴が顔に降って来た。
「な!? 結界は!?」
水を拭ってもう一度見てみると、俺の真上ある結界には、ピキピキと音を立てながら、ひびが入っている。
そのひびの中心には、刃の厚いバトルアックスが突き刺さっていた。
「は、はー!? 誰だよ、泉に斧なんて落とした奴! 馬鹿じゃねぇの!」
俺は慌ててバトルアックスを抜くと、結界の修復にあたる。
そして触ってわかった。
これ、伝説級の武器じゃねぇか!
「頭来た! こんなもん落とす馬鹿に呪いかけてやる!」
俺は八つ当たりも兼ねて泉の水面へと浮かび上がった。
毎日更新、全九話予定
次回:天才魔術師、全裸の旧友と会う