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7話:師匠、慌てて帰る

 ヘンゼルが成人してから一年が経った。


「本当にこれ、買いに行かなきゃ駄目か?」

「お師匠さま、お一人が嫌なら、私も一緒に」

「そうじゃなくてな」


 ここ一年、ヘンゼルとグレーテルは俺のことを泉の精とは呼ばなくなった。

 俺はグレーテルに抱き込まれていないほうの手でメモを掲げる。

 書いてあるのは珍しい香辛料と香草の名前。港町まで行かなければ手に入らない食材だ。


「食道楽紀行なんて本、与えなきゃよかった」

「一緒に面白がって見てくれたじゃないですか。それに、書かれてる香辛料を知っていると言ったのはお師匠さまです」


 王宮にいた時に食ったことあったから言ったら、滅茶苦茶グレーテルが食いついたんだ。で、その場の勢いで今度買ってきてやるって約束して、このありさまだ。


「けどなぁ、港町まで行くと泊りがけになるんだぞ?」

「寂しいようでしたら、一緒に行くと言ってるじゃないですか」


 うーむ、この一年でグレーテルの押しが強くなった。

 代わりに、ヘンゼルが俺に噛みついてくることがなくなっている。

 魔法についても教えを請うことが少なくなり、自分なりに修練しているのは知っていた。


「兄さんが、心配ですか」


 俺が窓の外に目を向けると、苦笑しながら聞かれた。

 そう言えば、グレーテルもヘンゼルに対して呼び方が変わってる。


「心配ってほどじゃないが、二人とも急に大人びたなと思ってな」

「えぇ、いつまでも子供じゃいられませんから。でも、そうして私たちの変化を気にかけてくれていると思うと、嬉しいです」


 うーん、体も成長して自立心が芽生えたとか?

 俺は養子で、養い親は俺の才能と将来の出世に対する投資のような姿勢で養育していたから、最初から自立してた気がする。

 こうして徐々に、子供が大人へと変化していく姿のほうが、自然なことなのかもしれない。というか最近、自分の子供の頃を基準にしたらわからないことのほうが多い。


 今思うと、俺は色々割り切って、手に入らないものはさっさと忘れる主義だった。

 それでも自分の才能だけは自分のもので、それを認められることを目標にしてた。

 今は…………うん、どうでもいいな。


「おーい、ヘンゼル。俺は今から港町まで行くから、留守の間はしっかりグレーテルを見ておけよ。土産に珍しい酒を買ってきてやるから」

「言われなくても。あと、土産はいらない」

「…………そうか」


 ヘンゼルはこうだ。

 受け答えは素直というか、いっそ素っ気ない。以前は強い杖を作る素材を欲しがったりもしたが、最近は何か欲しいと言うこともなくなった。

 ちょっと寂しいとか、思っていたりするけど。うん、いつまでも騒がしい子供のままじゃな。成人したんだし、落ち着きがあるほうがいいはずだ。


 ということで、俺は一日かけて港町まで買い出しに行った。

 石畳で整備された街も、途切れることのない賑やかな活気も、静かな泉の中の生活に慣れていると落ち着かない。


「…………連れて来てやっても、良かったかな?」


 俺も初めて王都にのぼった時、建物の大きさや人の多さに興奮したものだ。

 思えばヘンゼルとグレーテルを四年も泉の中に閉じ込めて、外界からの刺激のない生活を強いている。

 魔女狩りの鎮静を待つためと、罪人として追っ手がかけられていた状況を考えてのことだったけど、ちょっと慎重になりすぎていたかもしれない。


「魔女狩り酷いの故郷のほうだしな。この国は港開いてるから異物には寛容だ」


 辻では吟遊詩人が他国で騎士王と呼ばれる男の業績を賛美する歌を奏でている。

 冒険譚に目を輝かせる子供の姿に、ヘンゼルが重なった。グレーテルならやっぱりお姫さまが出てくる物語を喜ぶんだろうか?

 賑やかな市場を歩き、香辛料と香草、魚介の燻製を買って、俺は雑貨屋で足を止めた。


「年頃だし、グレーテル専用の鏡があってもいいか。そう言えば、櫛も歯が折れてたな。ヘンゼルには…………酒好きなはずなんだけどな」


 断られた土産を結局買って、俺は港町に泊まることなく帰路に就く。


「やっぱりまだ子供だし…………、ヘンゼルとあまり会話できてないし…………、グレーテルが何作るか気になるし…………、枕変わると寝にくいし…………」


 いや、なんで俺、一人暮れていく道を歩きながら言い訳してんだ?

 天才魔術師だから、夜中の独り歩きなんか平気だ。休まなくても、一日くらい魔法で誤魔化しは効く。


「いや、だから言い訳!」


 思わず自分に突っ込んで、俺は自分の頭を殴った。


「…………たんに、帰りたいだけじゃねぇか。やっぱり、今度は二人連れて来てみよう。もう大人の自覚があるなら、魔女狩りに目をつけられるようなヘマしないだろ」


 というか魔法使いとして育てたのだから、何処かのお偉いさんに仕官するようにお膳立てすべきか? こっちにも王宮にいた時の顔見知りはいるけど、俺、国外追放されたような奴だからな。昔の伝手は使えないか。


 そんなことを考えながら朝日が昇るのを見て、歩いていた。

 変化は突然だが、静かだった。

 何せ感覚でしかない。

 それでも、俺は自分の張った結界が破られる感覚に足を止める。


「嘘、だろ…………!」


 魔法を総動員して、泉に向かった。

 泉の中の結界が何者かによって破られている。

 ヘンゼルとグレーテルを捜す追っ手は、二人が泉の中にいることを知らないはず。周辺住民の中に、あの結界を壊せるほどの奴はいない。

 魔女狩りの範疇に妖精や精霊も加えられたのか? 俺が気づかない内に結界が歪んでいたのか?


「ともかく、二人を助けるんだ!」


 結界は泉の水が家に侵入しないようにする役割もある。

 それなりに魔法を使えるよう仕込みはしたが、慌てると魔法の精度が落ちるのはよくあること。ヘンゼルとグレーテルが逃げ遅れている可能性もあった。


「あいつら、泳げないのに!」


 一夜かけて近くまで戻っていたのが良かった。

 俺はまだ濁った泉を覗き込む。


「中には誰もいない。二人は、岸に上がれたのか?」


 辺りを見回せば、踏まれて濡れた下草が目に入った。

 明らかに人が歩いた後だ。俺はすぐさま痕跡を追う。


「おい、ヘンゼル! グレーテル!」


 痕跡を追えなくなって叫ぶと、何かが頭上から降って来た。

 それは、見覚えのある掃除用のブラシ。魔法のかけられているブラシを避けた途端、柄のないブラシは山ほども大きくなって行く手を阻んだ。


「はあ!? これうちのだろう? なんでこんな…………あーもー、今はあいつら助けるのが先だ!」


 俺は硬いブラシの毛束の中を這うように進んで越える。

 あの泉に住み始めてから使っていたブラシなので、俺の魔力が染み込んでいて、魔法を解くには時間がかかるからだ。


「くそ、ブラシの毛って、案外痛いな! ヘンゼル、グレーテル! いたら返事しろ!」


 叫んで顔を上げると、点のように見える二人の人影が見えた。

 魔法で視力を強化すれば、それは捜すヘンゼルとグレーテルの姿だ。


 二人は、二人だけだった。


「なんで…………」


 俺と目が合った途端、ヘンゼルは手に持っていたものに魔法を使って投げる。

 それも見覚えのある、俺の櫛だ。


「なんでだ…………!? ヘンゼル、グレーテル!」


 叫ぶと同時に、櫛がまた山のように大きくなる。

 今度はブラシと違って掻き分けて進むことはできない。

 そしてまた、俺の魔力が染みているせいで、魔法への抵抗力があり、ただの櫛に戻すより、破壊するほうが楽だった。


「ヘンゼル! グレーテル!」


 櫛の歯を破壊するため魔法を放つ間、何度も呼びかける。

 振り返ろうとするグレーテルを、ヘンゼルが肩を押して止めた。

 俺が足止めされている間も、二人は着実に遠くなっている。


「くそ…………ヨハネス! マルガレーテ!」


 余りに反応がないため、昔一度だけ見た二人の本当の名を叫んだ。

 瞬間、ヘンゼルとグレーテルは、驚いた顔をして俺を振り返り、足を止める。


「なんで、その名前…………!?」

「最初から、偽名を名乗ったのはわかっていた! だから、魔法を使って本当の名を、調べた!」

「そんな魔法、今まで教えてくれなかっただろ!」

「お前には向かない魔法だ! グレーテルが成人する頃には、教えようと思っていたんだ!」


 櫛の歯を破壊して乗り越えながら、俺は少しでも近づこうと気持ちが逸る。


「どうしてこんなことをする!? なんで逃げるんだ!?」


 俺が近づくだけ足を引く二人とは、まだ叫ばなければ声の届かない距離だ。

 魔法で一足飛びに距離を縮めようとした時、グレーテルが叫んだ。


「お師匠さまが言ったじゃないですか! 結界を壊せたらいつでも出て行っていいと!」

「…………結界を壊したのは、お前たちか…………?」


 グレーテルの言葉に、思わず力が抜けた。


 いつの間にそこまで強くなっていた?

 目算ではあと一年は壊せないと思っていたのに。

 結界を力づくで破壊したから、消費した魔力を補うため、俺の魔力の籠った物品を使って足止めをしたのか?

 いつから結界を壊して出て行くつもりだったんだ?

 グレーテルが珍しく物をねだったのは、俺を遠ざけるためか?

 ヘンゼルが最近距離を置くようになったのは、出て行く計画を漏らさないため?


 聞きたいことは色々と浮かぶのに、口からは出てくれない。

 余りのことに、ヘンゼルとグレーテルを見つめることしかできなかった。


「グレーテ、行くぞ」

「兄さん!?」

「行くぞ! 足止めしろ!」


 マルガレーテの愛称を呼んで、ヘンゼルは俺に背を向けた。

 グレーテルは強く胸に抱いていた物を、泣きそうな顔で、俺に向けて投げる。

 二人の行動は、明確な拒絶だった。


 投げられたのは、俺の鏡。と言っても、グレーテルと共用していた物。それでも俺が泉に引き篭もってから使い続けていた物だ。

 魔法で大きくなった鏡は、取っ掛かりのない平らな坂を作って、誰にも越えられないよう聳える。


 俺は、惨めに立ち尽くす陰気な自分の姿を見つめたまま、そこから一歩も動けなくなっていた。


毎日更新、全九話予定

次回:師匠、置手紙を見つける

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