5話:泉の精、名付け親になる
日々の予定が決まっていると、一日一日が早く感じる。
ヘンゼルとグレーテルを拾って、もう三年の時が経っていた。
「町まで足を延ばして正解だったな。いい買い物ができた」
買った物品を腕に抱え、俺は一般人風な恰好で森を歩いていた。
適当に髪括って出かけようとしたら、グレーテルに止められ、髪を梳かれてお手製の服を着せられたんだ。
この三年でグレーテルの家事能力は上がり、魔法との併用も慣れて俺のほうが手伝いに回ることが多くなっていた。
「あら、そこの方、こんな所で迷ったの…………え? 泉の方?」
「誰だ? こんな所に赤子連れでって…………あ!」
泉を前に声をかけられたと思ったら、お前、犬野郎と不倫してた偽清楚娘!
おいおい、いつの間に母親になってんだ? それ、犬野郎の子供じゃないだろうな?
「こほん、ご心配のところ申し訳ないですけど、この子は私と夫の子ですから」
「おう、そうか。あの犬野郎とは別れたんだな?」
「えぇ、趣味は合ったんですが、既婚者でしたし。あの時、あなたに自分に正直に生きろと背を押してもらえて、手を切る決心がついて」
三年の間にいい人見つけて、無事出産したらしい。
赤子を見下ろして優しく笑ってる顔見ると、ちょっといいことした気になるな。
犬野郎を甚振ってた時より、ずっといい笑顔だと思うぞ。
「それで、わざわざ報告に来てくれたのか」
「はい、お礼を言いたくて。本当にありがとうございました」
「礼を言われるようなことはしてない。何言っても聞かない奴はいるし、忠告しても実行できない奴もいる。そうして幸せを手にできたのは、お前自身がそうなるよう努力した結果だ」
まぁ、あの特殊プレイするような性格で、村一番の清楚を押し通した豪胆さなら、別方向に努力すれば、全うな幸せ手にできて当たり前だろうけど。
なんて思って赤子から顔を上げると、偽清楚はすごく驚いた顔していた。
「なんだ?」
「いえ、なんだか、普通の人みたいで…………」
いや、うん。
普通に俺、人間だけどね。
お前らが勝手に泉の精とか言ってただけだからね。
「ずるずるの髪とか、陰気なローブがないと、なんて言うか、儚い感じのいい男だったんですね」
「お前、それ罵ってるのとあんまり変わらないからな? これは、町に行くために装っただけだ」
「買い物ですか? 何をお求めに?」
「酒」
包みからボトルを掴みだすと、偽清楚は苦笑いを浮かべた。
「別に普段から飲んでるわけじゃないからな。ちょっとした祝いがあるだけだ」
「まぁ、だったら良かった」
良かった? 祝いにお前関係ないだろ。
「お礼と、一つお願いがあって来たんです。どうか、お祝いのお裾分けをくれませんか?」
「その妙に物怖じしないところは変わってないな。願いを聞くかどうかは内容次第だ」
「ふふ、簡単なことです。どうか、この子に名前を付けていただけませんか? 泉の精であるあなたのお導きで生まれた子です」
う、そういう言い方されると、無碍にできないじゃないか。
偽清楚はしたり顔で笑ってる。こいつ、断りづらいことわかってて言ったな?
「変な名前でも文句言うなよ」
「いえ、響きが悪かったら言いますよ。あと、悪い意味でつけるとか、嫌がらせはやめてくださいね。私の子の一生に関わるんですから」
マジトーンで念押された。
「お、おう。俺も名付けなんて人間相手には初めてだからな。指摘があったら聞こう」
「人間相手には? では、人間以外に名付けたことがあるんですか?」
「あぁ。随分前になるが、人間と結婚するために名が欲しいと言った水の精がいてな」
そう言えば、この偽清楚と初めて会った日も、水の精のこと思い出したな。
「誘惑するはずの男に恋をして逃がしたら、逆に男のほうに押し切られて結婚することになってな。水の精からの求婚の試練なんかもあって、男に協力したら、水の精から人間としての名づけを頼まれた」
「あ、面倒見がいいのって、性分なんですね。その口の悪さと言葉のきつさをどうにかすれば、もっといい噂も流れるんじゃないですか?」
別になんと噂されようとどうでもいいって。
誰かに期待するなんて、後が怖いじゃねぇか。
「それで、なんと名付けたんです?」
「あまり捻りもないぞ? 水の精を表す古語から文字ってナイアとつけた」
「まぁ! でしたら、この子にもその名を授けてください。種を越えた運命の出会いができそう」
そう言えば性別聞いてなかったけど、反応からして女の子か?
てか、偽清楚。なんかロマンス的な話好きなのか? 趣味あれなのに?
「まぁ、待て。祝いのついでなんだ。どうせなら、この子だけのたった一つの名を贈ってやる。世界でたった一人の存在なんだからな」
「…………ありがとう、ございます。あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
そんな意外そうな顔して?
「どうして、こんな人の通わない場所に一人でいるんですか?」
「今は、一人じゃないさ」
「そう、ふふ、なるほど。そうですか」
すごく納得した顔で笑われたけど、お前と会った時はまだ一人だったんだぞ。
けど、今は一人じゃない。
偽清楚の娘に名づけをして、俺は泉の中へと帰った。
白い砂の上に足を降ろすと、手に斧を持ったヘンゼルが突っ立ってる。薪割り日課だし、別におかしなことではない。
ないけど、なんでそんな戸惑った顔してるんだ?
「どうした、ヘンゼル? あ、薪にする木の乾燥失敗でもしたのか?」
こいつは相変わらず火の魔法使おうとして小火を起こす。
木を乾燥させるには火の魔法より、水の魔法使えと言っていたのに。
身長は俺に追いついて来たし、筋肉のつきは正直こいつのほうがいい。けど、聞かん気の強い子供な部分は変わってないな。
「…………違う。さっきの、女のひと」
「あぁ、知らない奴がいて驚いたのか。安心しろ。別に危害を加えてくるような手合いじゃない」
三年前にヘンゼルとグレーテルを探しに兵がやって来た。
あの時の怯えようを思い出せば、ヘンゼルのぎこちなさもわかる。
「もし危害を加えに来ていたとしても、前に言ったとおり、俺が結界を解かない限りここには入れないんだ。怖がるな」
「べ、別に、怖がってるわけじゃ!」
「はいはい。この結界の強固さは、未だに結界壊せないお前が一番よくわかってるよな」
「はぁ!? 俺だって、魔法の腕は上がってるんだ! こんな結界くらい!」
言って、ヘンゼルは斧に魔力を流して自分の身長くらいの刃を生成する。
そのまま水との境目に斧を振り下ろした。
ピキッと結界が不穏な音を上げる。
うわ、思ったよりヤバいか?
と思ったけど、刃の形に傷がついただけで、そこから先に刃を押し込めはしなかった。
ふー、驚かせやがって。
ヘンゼルが斧を引くと、刃の形についた傷は自動修復で徐々に薄れていく。
「…………あと少し」
「ま、まだまだ早かったみたいだな」
内心ドキドキだけど、ここは年長者の見栄を張らせてもらおう。
最初から焦ったみたいに魔法修得してたけど、決して才能がないわけじゃないんだ。
というか才能で言えば、王宮で高給取ってた魔術師より、ずっと持ってる。ただ、俺みたいに抜きんでた天才じゃなきゃ、縁故以外で王宮に召し抱えられるなんてほぼないだけで。
「お兄ちゃん? 今の音は何?」
「グレーテル、ただいま」
「泉の精さま! お帰りなさい!」
グレーテルも三年で体は随分と成長した。
やせっぽちだったのが、十二歳になった今じゃ誰が見ても可愛い女の子だ。
愛想も良くて家事もしっかりやる働き者で。これなら何処に嫁に出しても恥ずかしくない。どころか、嫁に出すのがもったいないくらいの器量よしだ。
まぁ、十以上も歳が離れてるから、俺が囲い込むことなんてしないけどな。
「グレーテルも、いい母親になるんだろうな」
「え、え!? 泉の精さま、私をお嫁さんにしてくれるんですか!」
「違う違う! ヘンゼルがすっごい目して睨んで来てるから、そういうことを言うんじゃない! さっきちょっと赤ん坊を抱えた母親を見たから言っただけだ!」
全く、年頃の女の子が結婚に夢見るのは悪いことじゃないが、消去法で俺みたいなおっさん選んじゃ駄目だろ。
「おい、グレーテルに手を出すなら、まず俺に一言断れよ」
「するか! そして斧を構えながら言うな!」
妹さんをくださいとでも言った途端、斧を振り下ろす気満々じゃねぇか!
「ったく、なんで祝いの日にお前は…………」
「祝い? 今日、何か行事のある日か?」
「もう! 本当にお兄ちゃん気づかないんだから」
グレーテルに怒られ、ヘンゼルは頬を掻きながら考える。
が、何も思いつかない様子で、俺に答えを求めて視線を向けて来た。
なんだかんだ反発してきても、弟子の意識はあるみたいでこうして教えを求める仕草をする。ちょっと、懐かない猫にすり寄られる気分だ。
「今日は夏至の日。世間一般じゃ、十五歳の男子の成人の日だよ」
「十五歳、男子の…………あ!」
「そ、今日はお前の成人の日だ、ヘンゼル。町でお前のための酒を買って来た」
「泉の精さまに頼んで、昨日猪を取ってきてもらったでしょ? あれは今日のためにじっくりコトコト煮込んであるの!」
グレーテルが言うように、家の中からは美味そうな匂いが漂っていた。
斧の柄を両手で握り締めたヘンゼルは、返事もせずに俯いている。けど、その耳は笑えるほどに赤かった。
「良くここまで成長したもんだ。頑張ったな」
俺はヘンゼルの頭を軽く叩いて家に向かって歩き出す。
「ほら、斧は置いて中に入れ、ヘンゼル」
「お兄ちゃん、お酒以外にも甘い物買って来てくれてるのよ? 泉の精さま、お兄ちゃんがお酒合わなかったら口直しって言ってたの」
「そうそう、この果物冷やすと美味いらしいから、井戸水につけとこう」
「はーい」
俺から買った物を受け取ったグレーテルは、足取りも軽く井戸に向かう。
「ほら、ヘンゼル?」
「…………今、行く」
「いや、斧置いて行けよ」
「わ、わかってる! …………ちょっとだけ、待って」
吐き出すように言ったヘンゼルは、斧を握り締めたまま鼻を啜った。
柄に落ちた水滴を、俺は見ないふりをした。
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