2話:天才魔術師、泉の精を詐称する
泉に降って来た子供二人を抱えて、俺は動けなくなっていた。
どっちも苦しげに身を丸めて咳き込んでる。
たぶん、俺を敷いてることに気づいてない。そして地味に肘が俺の腹に刺さっていることも。
こんな状態じゃ喋りかけても聞ける余裕ないだろうしな。
俺は泉の水面を見上げて、覗き込む者がいないことを確認した。
どうやら子供たちは二人だけで来て、二人して落ちたらしい。
未だに、硬くお互いの手を握り合ったままだ。
ずぶ濡れの二人は、同じ髪の色によく似た輪郭をしている。きっと兄妹なんだろう。
じっとりと俺に染み込んでくる水。同時に、確かな体温も服の上から染み込んで来ていた。
子供体温って奴か?
熱いくらいだけど、熱とかあるわけじゃないよな?
じっと咳が収まるのを待っていると、兄だろうほうの子供が、妹の無事を確かめて安堵する。
そして支える俺の腕を辿って目が合った。
「な!? だ、誰だ!」
こっちが聞きたいんですがねー?
っていうか、ずいぶん綺麗な青い目をしてる。
顔立ちも整っていて、こういうのを将来有望って言うんだろうな。
兄は妹を守るように抱きかかえると、ようやく俺の上からどいてくれた。
妹も同じ青い目をしており、怯えも露わに俺を見ている。
そんな怖がるほど陰気かね?
王宮にいる間は身嗜みにも気を付けていたけど、今は一人だし、髪も服もずるずるじゃ、幼女からすれば不審者か。
「勝手に人の住まいに侵入しておいて、誰とはとんだ不遜さだな。躾のなっていない子供は嫌いだ」
ここは俺の家!
そこはしっかり主張させてもらうぞ。
と思ったら、兄のほうがすごい勢いで睨んで来た。
幼さの残る顔は十幾つかと言った年齢。
物事の分別がついていていい年齢だと思うが?
比べて妹は十歳に届いてないだろう。兄の胸に縋って俺に怯えた目を向けていた。
「あんたの住まいなんて知らない! 俺たちを何処に連れて来た!」
「状況把握もできない馬鹿か? 周りを見てみろ」
俺が横を指すと、警戒心満々で視線を離せずにいる兄より、妹のほうが先に声を上げた。
「なんで、水の中?」
「え? …………あ、ここ、は?」
「お前たちが俺の住む泉に勝手に落ちて来たんだ」
家の存在にも気づいたようで、兄は頭上で揺れる水面に半信半疑の目を向ける。
妹は素直なようで、乾いた砂を触り、濡れた自身の髪を確かめて、泉の中であることを受け入れたみたいだ。
「ど、どうして助けたんだ!」
「お前たちが勝手に落ちてきたと言っただろう。そっちこそ、どんな間抜けな理由でここに落ちてきたと言うんだ」
さっきからこの兄のほうは生意気だなぁ。
特殊プレイの犬野郎みたいに、泣きを見せる呪いでもかけて親の元に帰してやろうか。
なんて考えたら、兄妹から削ぎ落されたように表情が消えた。
あ…………これは、やばい。
「死のうとしたのに、なんでお前みたいなのがいるんだよ」
あー! 自殺志願だったよ!
若すぎる身空で何やってんだ!
おい、本当にこいつらの親何処だよ!?
「馬鹿なことを言うな。俺が何処を住処にしようと関係ないだろう。その時の勢いで死ぬにしても場所選びが最悪だ。そんな奴はどうせ死ねない。さっさと家に帰って寝ろ」
親元に帰れと言ったら、妹のほうの顔が無表情な中に悲壮感漂う空気を醸し出した。
そんな妹を腕に抱いて、兄のほうは俺に敵意に満ちた目を向けてくる。
「帰る場所なんて、もうない!」
「親は…………」
聞こうとしてやめた。
良く見れば、妹を抱く兄の腕は傷だらけだ。
兄に抱かれて投げ出した妹の足はほとんど肉がついていなかった。
あぁ、こいつらは親なしだ。
ただ言葉に拙さはない。親を亡くしたのはそう何年も前じゃないだろう。
「お母さん、魔女なんかじゃないよ」
ぽつりと零した妹の言葉で、何があったかは想像ができた。
周辺の国々では今、魔女狩りが起きている。男も捕まるんだが、最初にやり玉に挙げられたのが魔女だったために、魔女狩りと言われていた。
狩られるのは市井にいる権力者に与しない魔法使いたち。つまりは、権力者による魔法の囲い込みの一種だ。
もちろん、魔法使いも馬鹿じゃない。俺みたいに隠棲する奴もいる。追っ手をかけられても逃げ切る奴もいる。
ただ、この兄妹の母親は、子供二人を連れて逃げ切れなかったんだろう。
そして残された魔女の子供二人。
世を儚む理由、ばっちり揃ってんじゃねぇか。
「こんな世界、生きるなんて願い下げだ。魔女の子なんて言われて、見世物みたいに殺されるくらいなら、俺は、自分の死にざまくらい、自分で…………」
「無理だな」
「なんだと!? あんな残虐な人間たちの中でなんか!」
「少なくともお前らの母親は本物の魔女だ」
「お母さんは、いつも優しい普通のお母さんだったよ!」
「だったら、お前たちの命を繋ぐ加護は、誰の魔法だ?」
わからない顔で兄妹は顔を見合わせた。
ま、魔法使いじゃない奴じゃわからないか。
この兄妹、良く見ると生き残りを願う加護がついてる。これは、妖精や精霊と呼ばれる者たちへのメッセージだ。
どうかこの二人を守ってくれという、母親の愛によってかけられた魔法だった。
「お母さん…………」
「今さら、加護なんて!」
わからなくても思い当たることはあったのか、兄妹は加護の存在を否定しなかった。
綺麗な青い瞳をした兄妹だ。
なのに、兄の目は猜疑と憎悪で濁ってる。妹の目は悲嘆と諦観で曇ってる。
親も、こんな目をさせたくて生き残りを願ったわけじゃないだろうに。
そんなことを考えながら、俺は指を一つ鳴らして魔法を使った。
兄妹を受け止めた時に濡れたローブが不快で、乾かしただけ。ついでに濡れ鼠二人も乾かした。手間は変わんねぇからな。
「ふ、服が…………? 今の、魔法か?」
「他に何があるんだ?」
兄のほうが自分の体をまさぐると、妹は転がり落ちるように兄の腕から出て来た。
「どうして? 杖は、呪文は?」
「俺には必要ない」
他の魔法使いならそういう触媒が必要になるけど、俺は天才だからな。
昔からそういうのがいらない。頭の中で思い浮かべるだけでいい。
妖精や精霊なんかの魔法の使い方だ。俺は自然と身に着けたけど、他の魔法使いたちはやろうとしたら何十年か研鑽を積まなきゃいけないらしかった。
「まるで、お伽噺の妖精みたい…………」
「に、人間じゃ、ないのか?」
妹の感想に、兄のほうが警戒の種類を変えた。
人間相手なら強気に出られるの?
生きた人間のほうが加減知らないことあるから怖いもんよ?
ま、母親が魔女狩りにあったなら、人間が何処まで非道で残虐になれるかを目の当たりにしたのかもしれない。
既知の恐怖より、未知の恐怖のほうが対処もわからず腰が引けるってことか。
「さて、俺は近辺でも有名な意地の悪い泉の精のはずだがな」
まさか泉の中で人間が生きていられると思わなかった近隣住民たちが、泉の精だと言い始めたんだよな。
面白がって肝試しに来る若いの多くて困ったもんだ。色々やって近づかないようにしたんだが、その次は意地悪だ、陰気だと噂が流れた。
まったく、娯楽のない田舎はこれだから。
「泉の精…………? 水に関係する精霊は、女のはずだろ」
「お前、妙なこと知ってるな。だが、それは水から生まれた人型の精霊に限定だ。別に生まれた後、泉に住みついたなら女じゃなくてもいるぞ」
大抵が女だけどな。昔関わった水の精は、人間の男に惚れられるほどの美貌を持っていた。本当ならそのまま男を水の中に攫う習性の精霊だったけど、まぁ、男のほうもイケメンだったんだよ。
殺さずに男を帰したら、男のほうが水の精に猛アタックかけてた。
恋は盲目と言うが、あのイケメン人の話聞かないくらい猛進してたから、何度か魔法で爆破したな。あれも今じゃいい思い出だ。
「本当に、泉の精さん?」
「おい、こんな陰気で胡散臭い奴の言うこと信じるな」
「でも、触った時の冷たさ、人間じゃないよ」
悪かったな、人外疑うほど冷たくて!
昔から体温低いんだよ! その上今じゃ水中暮らしだから、体温も上がらないんだよ!
妹は泉の精という話を信じたみたいだが、兄のほうは半信半疑だろうな。
ま、さっきみたいに噛みついてこないだけましか。
人間相手には相当思うところがある兄も、人間じゃないかもしれない俺には強く出られないようだ。
「に、人間じゃないなら、もうどうでもいい。俺たちを泉から出してくれ」
「ふん、物を頼む態度じゃないな」
反射的に噛みつこうとした兄は、思い留まって黙った。
これくらいのほうがいいな。よし、泉の精のふりをしておこう。
となると、それらしいことでも言っておこうか。
「せっかく自分からやって来た生贄だ。なんの対価もなく返すわけがないだろう。さぁ、まずは名乗れ。お前たちの働き次第では、泉の外に出してやってもいい」
「おい、まさか! 俺たちをここに閉じ込めるつもりか!?」
「名を寄越さないなら、脱出の機会も与えないぞ」
それっぽく笑ってみせると、なんか思ったより怯えられた。
強気な兄のほうまで身を引き気味なんだけど。え、俺ってそんなに悪人面?
「お、お兄ちゃん…………」
「だ、大丈夫だ。お前は、俺が守るから」
一緒に入水自殺しようとしといて何言ってんだよ。
その気概はもっと早く発揮しとけ。
「それで? 名を寄越すなら、俺の召使として生かし、働きによっては泉から出してやるが?」
「…………わかった。俺の名は…………ヘンゼル。こっちはグレーテ、ルだ」
はい、偽名いただきましたー。
魔法使い舐めんなよ。
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