1話:天才魔術師、泉の中で引き篭もる
とある国に、十代にして天才の名をほしいままにする魔法使いがおりました。
その魔法使いは国王の覚えもめでたく、二十代になると国一番の魔術師として持て囃されました。
けれどその天才魔術師は名門の出でもなければ貴族でもないので、王宮という伏魔殿に出入りした途端、政争というばっかばかしい争いに巻き込まれ、冤罪をかけられてしまいました。
というのが俺、クヴェル=ヴァッサーラントの来歴だ。
いや本当、自分で言うのもなんだけど、魔法の才能だけは本物だったんだよ。
ただね、人間という社会的生き物の中で成り上がるには、如何せんコミュニケーション能力が足りなかった。
別に? 腹探り合って、言いたいことも遠回しに察せよなんて強制する奴らと仲良くなんかなりたかないさ。
けどな!
だからって冤罪着せて地位奪って、国外追放はねーだろ!
ごほん、と、まぁ…………今さら愚痴ってもね。
もう何年も前の話だ。
冤罪着せられたせいで再就職もままならず世捨て人になった俺には、関係ない話さ。
気に入りのロッキングチェアの上で身を揺らしていると、ポチャン、と音が響いた。
窓を開けて外を見れば、水の湧く白い砂の上に、靴が片方落ちている。
ここは俺が隠棲するために選んだ泉の中。
魔法で結界作って空気を供給し、泉の外からじゃここは見えないようにしてる。
けど、こっちから上を見れば、泉を覗き込む間抜けの顔が見えて声が聞こえるようにしてあった。
「もう! 何やってんだよ。靴片っぽ落ちたじゃねぇか!」
「はぁ? いきなり青姦に縺れ込もうとするケダモノに靴なんているのかしら?」
痴話喧嘩かよ!
他所でやれ!
いや、マジで。
「底が見えないな。ここって深いのか?」
「さぁ? 入ってみれば?」
「お前、他人ごとだと思って」
「他人ごとよ。いい雰囲気のまま大人しく家に帰ってれば良かったのに」
「いい雰囲気って、お前」
おい、顔を赤らめるな男。
女の顔は見えないけど、たぶんお前のお盛んさに引いてんだぞ。
でなけりゃ、靴水に落とした相手にここまで素っ気ない対応しないだろ。
俺は結界に覆われた家から出て、結界の外に落ちた靴を拾い上げる。
このまま魔法で靴の中に空気詰めてやれば、勝手に浮かぶんだが。
「ほら、取っておいで。私のワンちゃん」
「うぅ、でも、水は」
「あーら? 上手に持って来れたら、たくさん撫で回してあげようと思ったのに」
「な、撫で回す、だけ?」
「本当に欲しがりのケダモノ。駄目な子ね。そんな子はこうして足で」
「あひん!」
プレイかよ!
他所でやれ、他所でやってくれ!
俺は切実な思いと魔法を籠めて、片方の靴を振りかぶって投げた。
「うわ!」
「きゃ!」
上手く魔法で調整して、俺は狙いどおり男の後頭部に靴を命中させる。
「な、なんで、靴? え? 独りでに飛び出してきたよな?」
「もしかしてここ、意地悪な泉の精が住むっていう」
「あ、あー! 近くで騒いでると怒鳴るわ、物落としてもまともに返してくれないわ!」
「そうそう、素直に謝ってもグダグダ絡んでウザったいっていう」
「誰がウザいんだ、おりゃー!」
「「きゃー!?」」
俺が水柱を立てて現れると、男女は甲高い悲鳴を上げた。
「うわー! 聞きしに勝る陰気さ! なんだよ、その黒髪、水草か! 顔色悪いぜ、水につかりすぎだろ!」
「お前、余計なことしか言わねぇのか、この犬野郎!」
確かに俺は自分で髪切るの下手で伸ばしっぱなしだけどな、髭伸ばしっぱなしにはしてねーんだよ。少しだけ気を使ってんだ。
あと、顔色が悪いのは昔からだ。
ついでに暗い色のローブ着てるのは、魔法使いとして着慣れてるからだよ。
陰気とか言うな!
「え、ど、何処から聞いていたの!? お、お願い、このプレイのことは誰にも言わないで! あたし、村では一番の清楚でとおってるの!」
「無理しすぎだろ! 化けの皮が剥がれる前に、自分に合わないイメージ戦略はやめとけ! 破綻した時にダメージ食うのは自分だぞ!」
なんだ、こいつら!?
なんでこんなのに、俺の静かな隠遁生活邪魔されなくちゃいけないんだよ。
「おら、帰れ! でないと呪うぞ!」
「出刃亀した上に呪いだなんて、たちが悪すぎるんじゃない!?」
「うっせー! 人の家の近くで勝手に特殊プレイ始めたのはお前らだろうが!」
「ひー!? お、俺は犬が好きすぎて犬になりたい願望があるだけで、決して特殊プレイが好きなわけじゃ!」
「バカ野郎! 犬になりたいなんて言ってる時点で、どう足掻いても特殊プレイだわ! つき合ってくれるその子大事にしやがれ!」
「無理! 俺、既婚者!」
不倫でハッスルしすぎだろうが、馬鹿野郎ー!
「だったら、心置きなく呪ってやる! そして女のほうはさっさとこの変態と手を切って、自分に正直に生きやがれ!」
俺はローブの中に隠れていた手を出して、男のほうに向けた。
「お前はこの森を出るまでに三回転ぶ。そして転んだ先は全てドクダミに頭から突っ込むことになるだろう!」
「地味!?」
「けど、地味に嫌な呪いよ!」
「はーははは! 三回顔から転ぶって、案外精神に来るんだからな!」
よーく味わって猛省しやがれ!
「う、うわー! 呪われたー!」
戦いて走り出す男に、女は慌てた。
「待って! そっちは来る時にドクダミが!」
女の忠告も遅く、男は盛大に石に躓いて顔からドクダミに倒れ込んだ。
あまりに見事なこけっぷりに、俺もちょっとかける言葉が見つからない。
だって、頭から行って、今は尻だけ突き出してる状態で、痛みに震えてるんだぜ?
いやー、思いつきで送った呪いが、予想以上に憐れなことになってしまった。
「ふ…………馬鹿な子。犬のくせにまともに走れもしないなんて」
「いや、本当にプレイは他所でやってくれ」
「あ、つい」
ついってことは、今の素?
本当になんで村一番の清楚なんて無理なキャラ付けしたんだよ。
そんな二人は、結局泉の周りで三回こけて帰って行った。
なんでだよ! 他所でやってくれ!
「ふぅー…………。年に一回はあーいう変なの来るな」
食糧調達のため、ほどほどに人里に近い場所を選んだのがまずかったのか。
綺麗な水があるせいか、人目をはばかりたい奴らが引き寄せられてくる。
俺は白い石造りの家に入りながらもう一度溜め息を吐いた。
「殺人鬼が死体沈めようとしてた時とは、また違った衝撃があったな」
顔全体を覆う凹凸の少ない仮面をつけて、血に濡れた鉈を持っていた殺人鬼。
怪我人かと思って飛び出したらそんなのがいて。一昼夜に及ぶ追いかけっこの末、殺人鬼を捜して森に入った武装集団の下へと誘導できたから良かったものの。
「泉の精とか噂されてても、俺も生身だしなぁ」
ぶっちゃけ、国の依頼で倒したドラゴンや屍霊王より、生きた殺人鬼のほうが怖かった。
動物的な殺気や、死人の妄執より、生きた人間の生々しさが駄目だ。
「生きた人間が、一番怖いよな」
最たるものを俺は身を持って経験した。
いつものように招待された王宮の舞踏会。何故か俺を取り囲む人々。
冤罪を着せて断罪する奴らの醜悪さ。茶番とわかっていて傍観する奴らの冷酷さ。
生きた感情が、一番怖い。
俺はロッキングチェアに戻ると、目を閉じて嫌な記憶を奥底に沈める。
魔法を使うための初期技能、瞑想だ。
感情に左右されるようじゃ、魔術師としては三流。
だから俺も、あの冤罪劇では、見苦しく言い訳せず、速やかにあの国を後にした。
ま、冤罪着せて来たのが王子だったし、それが国の決定だったんだろ。
じくじくと胸の中に広がりそうになる感情を、瞑想で平らにならしていると、またも水を揺らす音がした。
「今度はなん…………?」
ボチャ、ボッチャンって、重い物が二つも落ちる音がした。
「不法投棄かこら!」
俺はすぐさま家を飛び出す。
不法投棄するような奴は後ろ暗いからすぐに姿を消すんだ。
逃がすか!
と思って上を見たら、盛大に泡が立っていた。
透明な水を遮る、白い泡の中から沈んで来たのは、二人の子供。
硬く手を握り合わせて、顔には苦悶の表情を浮かべていた。
「嘘だろ!?」
慌てて結界を開き、水と共に招き入れる。
下は砂とは言え、俺が踏み固めてしまっていた。
「やべ!」
自分の考えのなさに舌打ちしても遅い。
俺は慌てて子供二人の落下地点に飛び込んだ。
「ぐえ…………!」
「ぐっ!?」
「ぷは!」
俺の上に落ちた子供たち二人は、どちらも大きく息を吐いて咳き込む。
どうやらあまり水を飲む前だったようだ。
が、早くどいてくれ。
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