重なるセカイとシズカさん
「……これは驚いた。キミは"参加しない"んだね。一応どんな理由か聞いていい? 後学にはしないけど興味はあるからさ」
「へぇ、ふぅん、へえ。いや良いと思うよボクは。くひひ。それにしても自分の人生を賭けてまで戦いたくない、ねえ。そうそう、そうだよ。人を殺して生きるのが嫌なら仲良くハーレムごっこでもすればいいのさ。そうすれば誰しもがハッピーエンドで終わる事が出来るのにねえ」
「ボクはね、正直な所諸君ら全員キミみたいにしてほしいんだ。現実を否定して夢に浸る。官能的で魅惑的じゃないか。それを拒んでいいのは本人達だけなんだから。それにしても意外だなあ。キミが参加しなくてもこの戦い自体は起こるから、彼女らはいずれ人生を賭けることになるよ。さっき見たキミはそんな見捨てるみたいな真似出来そうな感じじゃなかったのに。人は変わるものだねえ。うんうん」
「くひひ、いい感じに濁った眼をしているねえ。曲がりながりにも人生自分が主人公ってやっていく物だけれど、今のキミは敵味方巻き込んで自滅する救いようのない雑魚敵キャラだ。それも何かを貫き通す訳でもなく、ただただ迷惑なだけの敵キャラ。このセカイで適度に腐って適度に死なないように生きていけばいいよ」
雲一つ無い満面の星がセカイを照らす時間に、私は煤野木さんの部屋を訪れていた。
「こんばんは、煤野木さん」
部屋の中は決して明るくなく、夜風は吹く筈がないのに少しだけ冷えていた。部屋を辛うじて照らしている窓から漏れた月光が更にそれを引き立てているのだろう。無機質で几帳面に整えられた家具はまるで彼の心を表しているようにも思える。
そんな中彼は決して小さくはない軋みが鳴るベッドに腰かけていた。声を掛けた私など興味が無い、というよりは無気力になっている風に見える。
「"カミカゼ"には参加なさらないそうですね」
彼は"カミカゼ"という言葉に耳を軽く動かす。碌な説明も聞かず彼女らと話さなかったから、これから起こるであろう戦いの名前を聞かされなかったのかもしれない。
正直、性格の悪い名前だとは思う。人生を賭けるから、神風だなんて。
「……放っておいてくれ」
「はいそうですか、と言われるほど付き合いが短くないです」
「……」
彼は鋭い目つきをこちらに向ける。――まるで、一年前に戻ったかのように。お互いが信用出来ず、敵だと信じて疑わなかった頃の。
彼だけじゃなかった。レーヴェさんもフィオちゃんも佐伯ちゃんも弥生ちゃんも一年前とは言わないけれど、どう接すればいいのか分からない。そんな疑惑とぎこちなさが会話と接し方に出ていた。
嫌な空気だと思う。
ただ、白石ちゃんだけは「特に気にすることですか」と規則正しくご飯を食べたりお風呂に入ったりしていた。逃げまくるフィオちゃんの首を掴みながら。その度にフィオちゃんの口からグェと間違っても女の子が出す声じゃないものが出ていた。
「俺の人生を、何に使おうと勝手だろ」
む。
「ふぅーーーーーーん。へえ。そうですか。そうなのですか。参加するしないは煤野木さんの自由だと思います。けれど煤野木さんにも元のセカイに戻るだけの理由があったのではないですか? 」
「はは。……あったのかもな。いや。あったんだ。やるべきこと、やらなきゃならない事が」
「それなら」
「もう、いいんだ。いいんだ……。疲れたんだよ……。―――分からない。努力もしていない。いや、努力はしたのかもしれない。けどさ、漫然と受け入れてもらえると思ってたんだ。俺は主人公なんだって」
彼はぼんやりとした薄暗い炎を宿していた。ただ座して死だけを待つ生きた屍のような。
「俺は、あんたらを知らない」
「………」
「記憶が無いんだよ。あんたらの言う一年ばっかりの記憶が。未だに夢でも見てるようにしか思えない。……けどさ、夢じゃないんだろ。これ。流石に今日一日過ごして分かったよ。夢だったらこんなに苦しい思いをしなくて済むもんな」
自虐気味に笑う。心の底から悲しそうに。
そんな彼に返す私の言葉は決まっている。……いや、分かってて私はこの瞬間を待っていた。何も覚えていない彼が傷つくのを。
私は、『白石静香』は待っていました。私だけを見てくれるかもしれない可能性を。
「――記憶が無い事は知っています。私の好きな煤野木さんの事ですから」
「……は? 」
呆けた。とはこのことを言うのだろう。あまりに意味が分からな過ぎて頭が理解していない顔だ。極端すぎることを同時に食らって片隅にすら入り込んでいない。
「ですから、私は煤野木さんが好きです。記憶があってもなくてもあなたの事をアイラブユーってぐらいには好きです」
「はあ………。はあ!? いや、ちょっと待ってくれ。好きとか嫌いとかはちょっっと置いておいて」
「置かないで下さい。大事な事です。初恋です」
「……っ」
あ、照れましたね。暗くて若干見え辛いですがきっと顔を赤らめているんでしょう。
「キャラが違いすぎるだろ」
「この好機を逃す訳がないです。だって、やっと諦めきれたんでしょう? 彼女の事を」
この言葉に彼は少しだけ言葉を詰まらせた。……知っています。分かっています。そういう反応するんだって。
「……俺を懐柔してどうするつもりなんだ。まだ静香さんの事を俺はよく知らない。なのにアンタは俺の知らない俺の事も、今の俺の事も知っている。正直俺の記憶を奪った本人って言った方が信用出来る。俺の事を好きだなんて記憶喪失の事を知っているなんてあまりにもキナ臭すぎるだろ」
「そうですね。でも、カミカゼが始まるならこんなこと話す余裕がなくなります。それに、このタイミングでもないと……きっと言えないですから。目的は負け犬から脱却する事です。二度もチャンスを逃したくないですので」
「本当の所は俺の所に何しに来たんだ……」
あ、ちょっと面倒臭そうな顔をしていますね。
「カミカゼにはそのまま参加しないでほしいんです」
「それはライバルが減るからか? 」
「恋のライバルは減ります」
「………………」
こいつ言葉通じてんのか? みたいな渋い顔をしていますね。
「失礼です。ちゃんと意味は伝わっていますよ」
「意味は伝わっていても言葉は通じない事ってあるもんな」
「もう! 」
私が怒ると、彼はようやく「ははっ」と小さく笑った。――ああ、良かった。また笑ってくれて。
「……わざとでも、ありがとう」
煤野木さんはもう部屋よりも暗い瞳をしていなかった。零れる星空の光が差し込んでいる。それは私の好きな色で、私の好きな人の色で。私の好きな人だ。
「俺も参加することにした」
「随分とチョロすぎませんか? 」
「静香さんよりはチョロくもあざとくも無い。……それに、彼女に聞きたいんだ。このまま会えなかったらきっと後悔する。俺の人生なんて今日始まったばかりだからな、あの揖宿とかいう悪魔みたいな奴に俺の人生の薄っぺらさを教えてやる」
薄っぺらくなんて、無い。私は覚えている。私は知っている。貴方に伝える事はきっと赦されないけれど。
……きっと、また貴方は彼女に"恋"をする。こんなに最初から好きな私がいるのに、目もくれずに。
悔しいので、最後に仕返しをしてやろう。
彼の瞳が間近に迫る。お互いの息が重なる。少しだけ歯がぶつかって、痛い。決して、綺麗な物じゃなかったけれど。素敵な物だった。
これで私の事を忘れさせませんからね。
置物みたいになってしまった彼を置いて、私はいそいそと部屋を出てしまった。
ああ。
夜なのに頬っぺたどころか、体が火照ってしまっていた。今夜は、外に出よう。朝になったら。覚悟しよう。幸せを噛みしめる為に。
「……キャラ違いすぎないか? なんか前と」
「そういう話は止しましょう! 何も生まれません! 」
「チョロインは生まれてるけどな」
理由あるチョロインも理由のないチョロインも好きです。
次回からはカミカゼの幕開けになります。