バトン
下りのホームから五メートルくらい向こうが、すぐもう崖になってる。これでもかってくらいに目一杯、そそり立ってる。こっち側と上りホームとのあいだにどでかい壁が立ちふさがってる、みたいな。
崖っていうか、岩壁。
ホームに沿ってつづいていて、ホームが切れた先もまだずっとその岩壁はつづいている。左を見ても、右を見ても同じ。
高さは、たぶん五、六十メートルある。
もちろん階段なんかどこにもついちゃいない。ただ荒々しいだけの岩肌。
「なんでこんなとこに崖できちゃってんの」
思わずクラスの男子と話すノリでわたしがそばのアラマキにきいてみると、
「知るわけねえだろ、俺が」
と、やさしさのかけらもない答えがかえってくる。
この辺りは概ね、住宅地が少しと、あとは田んぼとか畑ばっかの、のどかな平地なのだ。こんな切り立った崖とかありえない。そりゃ、何十キロも向こうのほうにいけば確か山とかもあったとは思うけど。
いや、ほんとこれマジでありえない。
しかも、問題はこの目の前の崖だけではないのだ。
「まあ、これはこれとして――」
完全にわたしの理解の範疇を超えてはいるが、とりあえず目の前の事実を現実だとは認識することにして。
今度は反対側、うしろを向く。
見慣れた駅舎がまずは見える。もういい加減、改築とか建て替えをしてもいいんじゃないだろうかと思えるくらいには年月を感じる、まあよくいえば味のでてるレトロな木造駅舎。
そしてその駅舎の背後に、また岩壁。
なんでだ。
なんで岩壁にはさまれちゃってんすか、わたしたち。
そっちの岩壁は一応、駅舎から二、三十メートルくらいは向こうに離れて立っている。
でも前後をはさまれちゃってることにはまったく変わりない。高さは同じくらいあるし。
上までよじのぼるとか絶対無理。ロッククライミングのスキルと装備でもあれば話は別だけど。そんなの、二次元の腹黒王子様好きの女子高生が持ってるはずがない。
前後の岩壁にはさまれた峡谷のような地形。
わたしがさっき窓から見て驚いたのは、その光景の断片だった。
ほんとにいったい、わたしたちが意識を失っていたあいだに、何が起きてしまったのだろう。
答えは、だれも教えてくれない。
つい見上げてばかりしまいがちになる視線を、ホームの下におろす。
下り側だけ、線路が走っている。
本来なら上りの線路があるはずのところに、岩壁がそそり立っている。
頭をのけぞらせるようにしてその岩壁を見上げていくと、そのてっぺん、崖の上からわずかに何か屋根のようなものがのぞいているのが見える。見覚えのある色とかたち。
「あれってさ――」
わたしはとなりのアラマキに声をかける。
「もしかして、向かい側のホームの屋根かな」
なにせかなりの高さがあるのではっきりとはよくわからないのだけど、なんとなくそんな感じに見えるので、そうきいてみると、
「みたいだな」
と、アラマキも同意する。
ここは小さな駅だから、屋根がかかってるのはホーム全体の半分くらいだけだった。あとは吹きさらし。
「視力いくつ?」
わたしがきくと、アラマキがこたえる。
「一・五」
わたしと同じだ。
「もっとバックしたら、もうちょい見えるんじゃない? 角度的に」
こんな崖の真下からじゃなくて、とちょっと思いついたことを提案してみると、
「じゃ、おまえ向こうまでダッシュして見てこい」
協力の姿勢のかけらも見せずにアラマキが言う。
「え、やだ」
なんでこいつに命令されにゃいかんのだ。
あれが向かいのホームの屋根なのかどうかは気になるけど、そんな言い草されたら見に行く気なくすわ。
と、そこはわたしも意地になってそんなふうに答えると、
「自分から言い出しといてなんだそれ」
なら最初から言うなや、とでもいうようにアラマキが文句をつける。
いやいや、あきらかにわたしが「いっしょに確かめにいきませんか」の態で提案してんのに、おまえひとりで行ってこい的なこと言ってきておいて、あんたのその間違えまくった人間性に同意しかねてちょっと反発してみせたら逆に愛想つかしてくるとか、まじでおかしいでしょ。
ありえないこと連発の、たぶん結構危機的な状況かと考えられるのに、それをこいつとふたりだけでこれからなんとかしていかなきゃいけないのかと思うと、めちゃくちゃ鬱になった。
だけど、とりあえずは気を取り直して言う。
「でもさ、あれがホームにしろそうでないにしろ、なんかの屋根っぽいんだから、だれかいるかもしんないよね」
なんかもうどんどんタメ口になってきているわたしの言葉に、
「まあ、そうだな」
と、そこはアラマキも崖の上を見上げてうなずいてみせて、それから言う。
「いっぺん大声で呼んでみろ」
また命令形。
なんでだよ。
反抗の意思を示すわたしの視線に、アラマキが言う。
「男がたすけてって言うより、女が言ったほうが効果あるだろ」
あ、それはちょっと一理ある。
出かかった抗議のことばを、わたしはいったんひっこめる。
ていうか、でもほんとはこいつ、自分で呼ぶのが面倒とか恥ずかしいだけなんじゃね?
今度はじろりと疑いの視線をアラマキにひとしきりくれてから、
「しょうがない、わたしが一肌脱ぐか」
しぶしぶといった様子はしっかりはっきり見せて、わたしは言う。
「じゃ、ちょっとJKボイス使ってみるかな」
アラマキの意見にひとまず妥協してみせる。
ていうか、早く助け呼んで、こいつと顔を合わせなくてもいい日常にもどりたい。
わたしはぐっとのどを反らせると、崖の上に向けて、「おーい」と大きな声で呼びかけてみる。
反応なし。
「おまえなあ、そんな小っせえ声であそこまで届くわけねえだろ」
アラマキから思いっきり駄目出しをくらう。
「もっと腹から声出せや」
だからなんでそんなエラそうなんだよ、おまえ。
と、そうは思いながら、わたしも自分の声がまったく上まで届いていないのはよくわかった。崖の真ん中あたりまでもいってるのかどうかって感じ。しかも声があたりに反響したりこだまするでもなく、中空で、すっと吸い込まれるように消えてしまう、そういう感じだった。なかなか手ごわい。
もっと本気で声を張らないと、とてもあの上までは届きそうもない。
でも本気で声を張りあげるなんて、もうそれなら男でも女でも大して変わりなくね?
ぜったいただの類人猿みたいな声になるし。
だけどまあ、もう一回くらいはやってみるか。
仕切り直してもう一度、今度はかなり本気の大きさで、「だれかいますかあああ」と声を張り上げる。
普段まず出さない大きさの声に、ちょっと息をついて呼吸を整えながら、反応を待つ。
わたしとアラマキふたりだけが立つホーム。
うしろの駅舎。
高い岩壁に前後を挟まれた峡谷。
――ものっすごい静寂。
鳥の声ひとつしない。
太陽はほぼ真上、高いところにある。
雲のない、ガラスを溶かしたみたいな、やたら青い空。
からっとした暑さ。でも真夏ってほどでもない。
目の前の崖の上にかすかにのぞいている、何かの屋根らしきもの。そこからの反応はまったくない。
なにかが起きる様子も、だれかが出てくる気配も、まったくない。
そもそも、上まで声が届いているんだろうか。それがまったくわからない。一回目とはちがって、結構上まで声が行った感触はあったけど、もしあの屋根のところにだれか人がいたとして、そのひとにも聞こえるくらいだったのかどうかは全然自信がない。
このホームから崖の上まで、風はまったく吹いてないように見えるから、そういったもので声がかき消されてるとかはないと思うけど。
ただとりあえず、今回も成果なし。
わたしにはこれ以上無理。いまここでのどをつぶすまでシャウトしたいとも思わないし。
「はい、交代」
アラマキにバトンを渡そうとすると、
「いや、もういいだろ。さっきので駄目だったんならおれがやっても無駄だわ」
実験終了、とばかりにそのバトンを受け取らないアラマキ。
おい。
ほんとこいつ腹立つな。
わたしだけ大声出し損ですか。
ただでもやっぱり、いまのわたしにとっては、アラマキの態度なんかよりも、崖の上からの答えや反応がまったくなかったことのほうが気にかかるのだった。