圏外
携帯は圏外の表示だった。
残ってる着信は、意識を失う直前のあのおかあさんからの電話が最後。新着のメールもなし。
あんな電話の切れ方をしたのに、あれから半日以上もおかあさんからの着信やメールが一件もないなんて、ありえない。
友達とかほかの誰からの着信やメールがないのもありえない。
そもそも、この駅で圏外になってるのもありえない。そんなこと、これまで一度もなかった。
ありえないことだらけ。
とりあえず家に電話をかけてみようとしたけど、だめだった。つながらないという自動音声どころか、発信音自体がしない。
メールは何度送っても、エラー表示。
無駄なのだ、どれだけやろうとも。
携帯がまったく用を為さなくなっているというその事実に徐々に気づかされはじめたころ、アラマキが言う。
「終わったか」
わたしが携帯と格闘していたあいだ、アラマキは特になにをするでもなく、机に軽くもたれるようにして立っていた。それはこちらが何度試しても失敗し、あきらめがつくのを待っているとでもいうようだった。
「無駄だって知ってたんなら最初に言ってくれたらいいのに」
わたしが言うと、アラマキがこたえる。
「言われても納得できねえだろ、自分の目で確かめるまでは」
ごもっとも。
アラマキはおそらくわたしが目を覚ますまでのあいだに、同じようなことをすでに散々試して失敗に終わっていたのだろう。
それに自分の携帯では駄目でも別の携帯なら、という望みもある。わずかながら。
でもそのわずかながらの望みもこれで打ち砕かれたことになる。
ただ、携帯を操作するわたしの様子をそばで見ていたアラマキから、そこに一縷の望みを託したりだとか、わずかな可能性に賭けるみたいな、そんな期待めいたものはほとんど感じられなかった。解ける問題はすべて解いて、あとは考えてもわからない問題だけになって悟りをひらいた状態でテストが終わるのを待っているような、そんな表情でわたしを眺めていた。
アラマキのこの様子からすると、じゃあ固定電話のほうも使えないってことか、とわたしはそばのスチール机の上に据えられた、結構古い型に見えるクリーム色の電話機を見た。
「駅って、非常用の電話とか連絡用回線とか、そういうのないんですか」
わたしが一応きいてみると、
「ある」
アラマキが即答する。とっくにそっちも試して無駄だったと、でもその表情が告げている。
そっか。
そりゃ、そうだな。
だって、非常用だもん。こんな超非常事態には対応してるわけがない。
「つか、おまえもさっき外みたろ。あれで電話回線がどっかにつながってると思うか」
「うん、まあ、それはそうだけど」
でも状況をひとつひとつ確認して、把握して、整理していかないと、わからないことだらけすぎる。それこそ、まだなにも知らない小さな子どものように、いまなにができて、なにができないのか、学習していく必要がある。とりあえずはこのアラマキとふたりで。
多少いらいらはしてるみたいだけど、こんな異常な状況でも憎いくらい落ち着きはらって、まったく動じた様子もないアラマキに、わたしはたずねる。
「なんかもう結構いろいろ確認済みたいだけど、わたしよりどれくらい早く目さましたんですか」
「十分」
アラマキが答える。
「最初呼んでも、おまえ目さまさなかったから、とりあえず後回しにしてホームとか見に行った」
ふうん、とその答えを聞いて、わたしは思った。
駅員として必要な緊急時の確認や対応をそれだけの時間でそれなりに迅速にやってのけたってことかな。わたしをもう一度起こそうとしたときにはそのあたり終わらせてたってことは。
そばで倒れてる女子あとまわしにしないでよって気もしないではないけど。
でもまあ、倒れてる人間が、死んではないけど呼びかけてもすぐ目をさまさないんだったら救急車とか呼ぶ必要があるし、電話が使えるかどうかとか、わたし以外に怪我人はいないかとか、ほかにもいろいろ確認しなきゃいけないし。
いまこいつがなにを急ぐでもなくこんなにゆっくりしてるってことは、わたしが目を覚ますまでにそのあたりをもう全部一通りは確認し終わってるってことだ。そして全部無駄だった、と。
「さて、と」
アラマキがもたれかかっていた机からおしりを浮かせる。
「おまえもなんか大丈夫そうだし、とりあえず怪我人・死人なしってことで、そろそろちゃんと見にいくか」
そう言って、駅務室を出ていく。だりぃけど仕方ねえし、といったやる気の感じられない足どりだった。
わたしもそのアラマキについて駅務室を出る。
一歩出た瞬間にもう、改札の先、ホームのほうへ歩いていくアラマキといっしょに、異様な、ありえない光景が視界に入ってくる。
簡単に屋根がさしかけられてるだけの通路。外トイレを横手に見ながらその短い通路を歩くとすぐ、下りホームへの上がり口にさしかかる。
ゆるやかな傾斜を、ホームまであがる。
そしてホームの中ほど、「電車が通過します。白線の内側までお下がりください」の白線を踏むように立って、眼前の光景を眺める。
駅務室を出たときからすでに目には入っていたけど、あらためて見て、
「うっそお」
と、のけぞるようにしてたまげる。あらためて、たまげてみせる。
「なにこれ」
そんなことばしか出てこない。
わたしのそんな反応が予想通りだったのか、
「笑えるだろ」
と、まったく笑っていない顔で、そばに立ったアラマキが言う。
いやいや、これは笑えないよ。
全然笑えない。
だって、目の前、崖ですもん。