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聖水

 駅務室で目をさましてからいままで、いろいろありすぎたせいで一旦わたしの身体もトイレだとかそういうことは忘れていたようだけど、なんか一段落ついて、それが急に活動はじめちゃったみたいだった。

 ていうか、もうだいぶ前から行きたくはなっていたんだけど、ごまかしてた。必死で自分をごまかしてた。

 一応まだがんばって堰き止めてはいるけれど。


「流れない状態なのに、トイレでしちゃっていいものなのか」

 水道が止まっているから流すことができない。

 駅舎とは独立した、ホームを下りたすぐそこに見えている外トイレのほうに視線をやって、わたしがアラマキの意見を聞こうとすると、

「いや、まずいだろ。生活拠点のすぐ近くにそんなもん溜めこんでくのは」

 と、ここはさすがにまじめな顔でアラマキが言う。

「そうだよね。まずいよね、やっぱ」

 わたしも大いにうなずく。


 きょう一日くらいの話だというのなら、べつに流せなくとも気にせずそこでしちゃって構わないんだろうけど、これからここでどれくらい暮らしていくことになるのかまだまったくわからないのだ。臭いや不衛生な環境のもとになるようなものをおいそれと撒き散らすことはできない。

 いや、そんな撒き散らしたりはしないけどね。常識的に排出するけどね、そりゃ。

 でもどんだけきれいに出しても総排出量は変わらないわけで。

 そして流れない以上、どんどん蓄積されていくわけで。

 トイレがカレーと聖水まみれの神殿になる日もそう遠くはない。


「虫とかわきだしたらまじでホラーだろ」

 おそろしいことを言いだすアラマキに、わたしは首をぶんぶん振った。

「無理無理無理無理」

 そんな下等生物と共存とか絶対むり。

 いや、でもマジでそのへんはちゃんとしとかないと、わたしたちふたりともそのうち、クリリンが最初の天下一武道会で対戦したバクテリアンみたいになっちゃうかもしんない。

「でもじゃあ、どうすんの」

 わたしはちょっともうイライラしはじめながらアラマキに聞いた。

 もうなんでもいいから早く決めて、さっさと今回分出したいんですけど、みたいな。


「やっぱ、外だろ」

 それしかないというようにアラマキが言う。

「外でしてこい。そのへんの岩陰とかで適当に」

 空気も乾燥してるし、このへんの岩場ならすぐに吸収されてって残らないだろ、と無責任にアラマキが言う。

 無責任だけど、一応理屈は通っている。

 小ならすぐに岩が吸い込んでってくれるだろうし、大のほうでもそのうち分解されて肥やしみたいな形で自然に還るんじゃないか、みたいな理論。

 流れないトイレの便器に出すよりは絶対いいだろう。


 でもこのホームからぱっと見た感じでは、そんなちょうどよさそうな岩陰とか見当たらない。

 駅舎の裏手とかだったら建物の陰になっていいかもしれないけど、でもやっぱり居住スペースからはできるだけ離れた場所でしたほうが無難だし精神衛生的にもいい。

 前後の岩壁はずっとまっすぐ並行につづいてるわけじゃなくて、先のほうで弓なりになっている。ここから見たかぎりの印象だと、この谷底は細い三日月形になっているみたいだった。たぶんそのちょうど真中あたりに駅舎とこのホームがある。


 だからかなり向こうのほうまで行けばこっちの視界からは隠れるけれど、でもいちいちそんな向こうのほうまで行くのも面倒くさい。なんかちょっと心細いし。

 岩壁はほとんど垂直にそそり立っているけど、表面はそれなりにごつごつしてるし、地面近くまできたところでわずかに張り出すようなかたちになっている箇所もある。人ひとりが隠れられるかどうかはかなり微妙なその張り出した部分の陰にどうにか隠れるようにして用を足すしかないのだろうか。


「つか、おまえ、いましたいの大か小どっちだよ」

 アラマキがわたしに聞く。

「いまはまだ小だけなんだけど、でももしかしたら状況次第で大もしたくなっちゃうかも――そういうときってあるよね?」

 わたしが同意を求めようとすると、

「やっぱ外でしてこい。五十メートル以上外でしてこい」

 と、同意もなにもなく、さらに突き放してくるアラマキ。


「こんな隠れる場所もほとんどないようなところで、いきなり野外でとか、女子にはハードル高すぎるんだけど」

「最初だけだ。慣れろ」

 抗議するわたしに、アラマキが言いきる。

「えー、無理ぃ」

 わたしは不満の声をあげる。

「小三の遠足のとき以来、外でなんかしたことないのに」

「あんのかよ」

 問題ねえじゃねえか、とアラマキ。

「あのときはちゃんと茂みがあったもん。ぐずぐずになったエロ本とか落ちてる茂みがちゃんとあったもん。かおりちゃんに誰も来ないかちゃんと見張っててもらえたもん」


 と、そこまで言って、ふとひらめいたアイディアをわたしは提案する。

「あ、ていうか、穴とか掘ればいいんじゃない? 穴掘って、そのまわりを布とかで囲って――」

 そうだ、簡単なことだ。

 簡易トイレを自分たちで作ればいいのだ。

 男手も一応あることだし。


 と、わたしがもう問題解決したような気分でいるところに、アラマキが冷静に指摘する。

「そのちょっとしたDIYが終わるまで、おまえの膀胱が保てばな」

 うああ、そうだ。

 まあまあ緊急事態なんだった。

 こんなこと話しているあいだにも、リミット近づいてきてる感が結構あるし。スクワットとかして気をまぎらわせたいくらいには。


「つか、こんな固そうなところに穴掘るとか、相当大変だろ」

 普通に岩場だぞ、とアラマキが言う。

「でもべつに人を埋める穴掘ろうっていうんじゃないし、おまる感覚くらいの穴ならなんとかなるんじゃない? まあ最悪、固すぎて全然穴掘れなくても、ちょっとした岩の窪みとか利用して、あとは周りを布で囲めば――」

 とにかく、出したものが辺りに流れていったりせずにちゃんと一定の場所に落とし込めて、その用を足してるあいだは周りから見えないようにして、用を足したあとはそこにふたとかしておければ、それでいい。


「ま、その簡易便所は作りたきゃいずれ作ればいいとして、いまはとりあえずそのへんでしてくるしかねえだろ」

 結局、でも結論としてはそうなった。

 自分のからだを騙し騙しでわたしも我慢しつづけてきたけど、そろそろそれも限界だった。

 いまはもうとりあえずアラマキの言うとおり、観念して外で普通にしてくるしかない。犬みたいに。


「じゃ、わたし行ってくるけど、でもわたしがもどってくるまであんたは休憩室で待ってて。休憩室から絶対出ないでね」

 休憩室の窓からは見えない側でするつもりでわたしがそう念を押すと、

「ああ、わかったからさっさと行ってこい。途中で漏らされたりしたらこっちにも被害及ぶだろが」

 そうやってまた憎まれ口をたたいてくる。

 言い返してやりたいのはやまやまだったが、もはやそんな余裕もなく、わたしはホームに置きっぱなしになっていたかばんを掴みあげると、もう駆けだしていた。


 ホームを下り、改札を抜ける。そして駅舎を出てすぐのところでいったん立ち止まり、うしろをふりかえる。

 一応言われた通り、アラマキがだらだらホームを下りてきて、改札脇から駅務室に入っていくのが見えた。

 そこまできちんと見届けてから、わたしはまた走った。

 この状況に放り込まれてからはじめて駅の外に出たわけだったけど、そんなことどうでもいいくらい、わたしは一刻も早く自分を解放してあげたかった。水門に厳重にかけられた鎖を引きちぎって、思う存分放水したかった。



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