メッセージ
いまにも視界から消えそうな気配を見せていた清十字さんが動きを止め、こちらに注意を向ける。
『わたし、毎日駅で挨拶してもらっていた女子高生です、覚えてくれてますか』
――YES。
「わたしを覚えてますかって、おまえ、YES/NO形式にはなってんけど、これまでしたなかでいちばんくだらん質問だな」
呆れ気味の顔でアラマキが横から茶々を入れてくる。
年頃の乙女が半分衝動的に発した、「覚えてくれてますか」のひとことにいろんな思いや感情がこめられていることなんか、こいつには考えも及ばないらしい。
でもいまはとりあえず、この無神経なバカについてとやかく言っている場合じゃない。無視。だってもうすぐ、清十字さんは行ってしまうのだ。
毎日のように改札で顔を合わせてはいたけれど、わたしが清十字さんに特に名前を名乗った記憶はなかったから、さっきアラマキがわたしのフルネームを伝えるまで清十字さんはわたしの名前はたぶん知らなかったと思う。
名前すら知らないような、その程度の関係。駅員と電車通学の女子高生。それがわたしと清十字さんの関係だ。
『清十字さん』
なにを言っていいか、全然考えがまとまらないのに、わたしは崖の上の清十字さんに向けて呼びかけていた。
もしかしたら清十字さんに言葉を伝えることができるのはこれが最後になるかもしれない。清十字さんがまたここにもどってこられる保障はどこにもない。清十字さんがもどってくるまでわたしたちが生きていられる保障もどこにもない。
『わたし、待ってます。清十字さんが助けを呼んでもどってきてくれるまで、ずっとここで待ってます。それまでは意地でも生き延びます。アラマキとふたりで。――だから、清十字さんも絶対死なないでください』
わたしはそこでひとつ、ためらう気持とともに息を継ぎ、それからつづけた。崖の上の人影は身じろぎもせず、耳を傾けているみたいだった。
『でも、でももし、清十字さんはなんとか助かりそうで、ただこっちに助けにもどってくるのは難しそうなときは、無理しないでください。わたしたちのことは気にせず、清十字さんだけでも生き延びてください。そのときはわたしたち、自分たちでなんとかしますから』
崖の上に向けてそんなことを言いながら、果たして自分たちでどうにかできるのだろうかと、わたしは自分でもそう疑問を抱いていた。待ってるって言いながら、自分たちでなんとかするっていうのは矛盾しているというのもわかっていた。
でもわたしはそう言わずにはいられなかった。自分たちのために清十字さんに無理に犠牲を強いるようなことは言えなかった。
となりのアラマキも、「おい、それは困るだろ。なんとしてでも助け呼んできてもらわねえと」なんてことは言わなかった。ふたりとも希望はまだ捨てていなかったけど、こんな状況に置かれている以上、ここで死ぬことになるかもしれないという覚悟はもうできはじめていた。そして仮に自分たちが死ぬことになったとしてもせめて清十字さんには助かってほしいっていう気持も、たぶん同じだった。
これ以上伝える言葉もないように思い、わたしは拡声器を持つ腕を下ろした。
すると、崖の上の清十字さんが、またメモを落とした。
線路に落ちた紙きれをわたしは拾いにいく。
拾って、それを読む。
それからアラマキのところに持っていって、見せる。
ふたりとも内容を確認したのを見届けると、別れの挨拶をするように最後に一度手を振って、崖の上の清十字さんは姿を消した。
行ってしまったのだ、ということがわかった。
どこにいるのかどころか、いるのかどうかすらもわからない助けを呼んでくるまでは、清十字さんはもどってこないだろう。
人影の消えた崖の上をわたしたちはしばらく無言でながめた。
そうやって、いくぶん傾きかけた午後の日ざしを浴びた崖の上をながめながら、
「ねえ、アラマキ」
わたしは声をかける。
「なんだ」
となりで同じように、なにかすこし思いを馳せるように崖の上を見あげながらアラマキがこたえる。
「清十字さん、助け呼んでもどってきてくれるよね」
わたしたちここで待ってればいいよね、とわたしはまるで自分に言い聞かせるようにアラマキに確認した。清十字さん死なないよね、とはこわくて聞けなかった。
すると、アラマキが言う。
「ま、いまはこれを信じるっきゃないだろ」
わたしの手に握られた小さな紙をアラマキは示す。
「そだね」
わたしはうなずく。
そうだ。清十字さんはわたしたちを見捨てて自分だけ助かろうとするようなひとじゃない。清十字さんのことをよく知っているわけじゃないけど、それはわかる。
わたしは清十字さんがわたしたちに最後に送ったその紙に記されたメッセージをもう一度見た。
『絶対助ける』
紙には力強い文字で、それだけ書かれていた。
その短いメッセージをわたしたちに届けたひとは、もう崖の上にはいない。行ったのだ、三人全員で助かるために。
そしてその日、その瞬間から、わたしとアラマキふたりだけのサバイバル生活がはじまった。