ダッシュ
「清十字さん!」
わたしは崖の上に向けて、声を限りに叫んだ。
同時に、両手を大きくふる。見えますか、わかりますか、というように。
すると、崖の上の人影も片手を崖から離してのばし、手をふりかえした。
間違いない。
清十字さんだ。
わたしは心底ほっとした。駅員の制服を着た清十字さんの姿を崖の上に認めたそのときのわたしの安堵感は、ちょっと言葉で表現するのが難しいくらいだった。それは崖の上にも誰かひとがいたこと、自分が助かる見通しが立ったことによる安堵感だった。
「清十字さん!」
わたしはもう一度呼びかけ、手をふった。もっとほかに言うべきことがあるだろうに、わたしは馬鹿みたいに、そうして清十字さんを呼び、大きく旗でも振るみたいに手をふるだけだった。
清十字さんも若干不自由な体勢で手をふりかえしてくる。
その清十字さんが、なにか言っているのはわかる。
声のようなものがかろうじてこの崖下まで届いてはくる。
でもなにを言っているのかまではよくわからない。かすかな反響、くらいにしか聞き取れない。
ていうか、清十字さん、危ない。そんな崖っぷちから、肩から上だけとはいえ身をのりだしたりしたら。
しかもいま、さらにもうすこし身をのりだそうとしていた。もっとこっちをよく確認するため、あと下に向けて声を出すためだろう。
ほんとに危ない。
手すりもなにもないところなのだ。
それに、いつ崩れたりするかもわからないような場所なのに。ビルの高層階から窓枠に手をかけて下をのぞきこんでいるのとはわけが違う。
ただ、そんなふうにしてちゃ危ないです、とばかりも言ってられない。
どうしても助けを求めなければいけない立場なのだ、わたしたちは。
わたしたち――。
そうだ。
アラマキ。
あいつを起こさなきゃ。
「アラマキぃぃぃぃぃ!」とわたしはうしろの駅舎に向かって大声で呼ばわった。「アラマキ起きてえええええ」と何度かくりかえす。
しかし反応なし。
返事もなければ、駅舎からあいつが出てくる気配もない。
起きてさえいれば、こんだけ大声だしてるんだし普通に聞こえる距離のはずなんだけど。寝てるやつにまで届くかどうかはわからない。
なんであいつこんな肝心なときに寝てんだ。
だからわたし、昼寝にちょっと反対したじゃないか。
うわあ。
どうしよう。
ホームに立ち尽くし、わたしは逡巡した。
もうすこしここで呼びつづけるか、それともダッシュで行ってあいつを叩き起こしてくるべきか。
叩き起こしに行ったほうが断然速いとは思うのだけど、その起こしに行ってくるあいだに、崖の上の清十字さんがいなくなってしまわないか、それが心配だった。アラマキを連れてもどってきたときにはもう清十字さんの姿は消えてしまっていて、あとはもう何度呼びかけても二度とあらわれない、そんなことになってしまうのではないだろうか。
でもわたしひとりでいまのこの状況をどうしていいのかわからないのも、情けない話だが事実だった。
やっぱり、呼びにいくしかない。
わたしはそう決心すると、崖の上に向けて大声で叫んだ。
「清十字さんっ、ちょっと待っててください! すぐもどってきますからっ」
だが崖の上の清十字さんから特に了解のサインのようなものは返ってこない。
こっちの声も届いていないのだ、おそらく。
「すぐもどってきますからっ、アラマキ呼んできます!」
届いていないとは思いながら、わたしはそう叫んでダッシュでホームを駆け下りた。
ほとんどホームを下りきったところでちょっとだけ崖の上をふりかえると、清十字さんがわたしの姿を目で追っているのがわかった。
制服のスカートのすそが乱れるのも構わず、全速力で駅舎まで走る。
改札から駅務室に駆けこむと、デスクを蹴飛ばすような勢いで部屋を突っ切り、そのまま廊下に飛び込む。
「アラマキいいいぃぃぃぃ!」
起きろコラァァァァァ、と叫びながら廊下を直進する。
そして一陣の風のごとく休憩室に飛び込む。
ちょっとびっくりした寝起きの顔で、ソファに上半身を起こした恰好のアラマキがそこにはいた。
「な、なんだ?」
なんだじゃねえええええ、とわたしは寝起きまるだしのアラマキを覚醒させるために一喝し、それから急いで言う。
「清十字さんが! 崖の上に!」
息を切らしながら、ほとんど説明になってない言葉で説明すると、しかし意味は十分伝わったらしく、
「マジか!」
一瞬で頭が覚めたらしいアラマキが、ばっと飛び起き、そのまま部屋を飛び出していく。わたしもすぐにそのあとを追った。