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アダムとイブ

 とまあ、そんなこんなでまた休憩室にもどってきた。

 アラマキはさっそく、両手を頭の下にしてソファにごろりと横になると、あくびまじりにわたしにきく。

「おまえどうする」

 どうしよっかな、とわたしはちょっと考えて、それから言う。

「あんまり眠くとかないし、ちょっと探検がてらそのへんぶらぶらしてくる」

 そう答えると、その途端、

「あほか。まだ何があるかもわかんねえのにふらふらすんな」

 と、またいきなり罵声がとんできた。


「駅から出んなよ」

 もう半分目を閉じた恰好でアラマキが言う。

 こういうときだけは大人の立場をふりかざして有無をいわせず命令してくるアラマキに、多少の反発はおぼえながら、でもしかしアラマキの言うことももっともなので、

「じゃ、ホームで日なたぼっこでもしてくる」

 わたしがそう予定を修正すると、「おう」と了解の意味の返事を小さく返しただけで、アラマキはあとはもうしゃべらなくなった。本当に寝てしまったのかどうかまではわからない。

 ソファの上で身体を長くのばして寝ている十九歳の駅員のその姿をわたしはしばらく黙ってながめてから、部屋を出た。


 廊下を歩いて、駅務室に入る。

 まだ午後の光が明るい、だれもいない駅務室。改札側の入口から、こちらも無人の改札が見える。あとは、窓から見える岩壁。

 かばんから携帯を出す。

 やっぱり、新着のメールも着信もなし。

 携帯をしまうと、わたしはかばんごと持って駅務室を出た。

 改札の脇を抜ける。

 途中、ホームまでの通路からすこし横に入ったところに立っている外トイレが目に入った。男性用、女性用、ふたつの入口。

 トイレにもだれもいないのは、とっくにアラマキが確認済だろう。

 そのままホームにあがる。


 改札からつづく上がり口と人がよく乗り降りするところだけ屋根がさしかけられたホーム。塗装のはげかけたベンチ。途中で岩壁にぶっつり遮られて切断されている線路。

 わたしは屋根のないところまで行くと、線路ぎわ、ホームから線路に落ちるすぐ手前のところに改札から適当に持ってきたパンフレットをひろげて敷いた。そして線路の上に足をぶらぶらさせる恰好でそこに腰を下ろした。

 普段だったら、昼間にこんなこと絶対できない。

 すぐに駅員に叱られる。

 ていうか、そのまえにほかのひとたちから白い目で見られるか注意される。


 でも、いまはだれもいない。

 静か。

 うしろの駅舎で寝てるアラマキまでいなくなってしまったみたい。

 この時間、この世界に生きているのが自分ひとりになってしまったような感覚。

 自分の前後に立ちはだかっているこの岩壁の崖の上に、以前と同じような、ひとやクルマがあふれかえっているさわがしい世界がひろがっているとはどうしても思えない、そんな静けさだった。


 もしかして、世界まるごと滅んでしまったのだろうか。

 わたしたちが寝ていた半日たらずのあいだに。

 いやいや、それはさすがに極端すぎる。

 わたしたちふたりが最後に残された人類とか、ウケる。

 さあ、アラマキ! わたしたちは神に選ばれしアダムとイヴ、ばんばん子づくりして子孫繁栄! この谷からまた人類の新たな歴史をはじめましょう!

 まじ勘弁。

 まずはお互いを良く知るとかそんな段階すっとばして、すでに熟年夫婦なみのちょっとした嫌味の応酬やりあってるわたしたちがそんな神話みたいな芸当とか無理。


 ていうか、相手がアラマキっていうのがまずやだ。

 見た目はともかく、人格が破綻しすぎ。

 これがこの駅にいたもうひとりの若い駅員さん、清十字(きよじゅうじ)さんというめずらしい名前のほうの駅員さんだったら、また話は別だけど。アラマキとは真逆、やさしい雰囲気のさわやかイケメンの清十字さん。


 わたしは脇に置いたかばんからもう一度携帯を出した。

 やっぱり、外に出ても電波は入らない。

 わたしは電源を切った。

 充電もできない状況で、このまま電源を入れつづけておくのは賢明とはいえないだろう。

 やがて充電が切れて、自分の手のなかのこの携帯が電源すら入らないただの金属のかたまりになってしまうのを想像すると、おそろしかった。わたしが知っているひとたちとの、わずかに残された最後のつながりまでも断ち切れてしまうような気がした。

 崖の上にさえ出られれば、携帯が使えるかもしれないのだ。電波がまったく入らない場所で電源を入れておく意味はない。


 携帯をナイロン地の通学かばんのなかにしまい、かわりにペットボトルのお茶を出す。

 きのう、学校を出たあたりで買ったやつ。まだ半分以上入っている。

 まる一日近く経ってるけど大丈夫だろと思い、飲む。

 ぬるい、お茶の味。まずい。微妙にすっぱくなってるし。

 でもこれも残りわずかな貴重な水分なんだよな、たぶん、とわたしは他人事みたいにそうぼんやり考えた。

 どうも緊迫感がわかない。

 生きるか死ぬかの瀬戸際って感じがしない。

 さっき台所で、とりあえずのぶんくらいは食糧あるの見たからだろうか。

 それとも、これからどんどん絶望感が深まっていくのだろうか。

 出口もなく、助けもなく、水も食糧もなくなって――。


「――やめやめ」

 わたしは口にだして言うと、立ちあがった。制服のスカートの汚れを払う。

 日なたぼっことか言って、七月なのに、こんなところに長居したらお肌に悪い。

 それに暗いことばっか考えてても仕方ない。

 できることや、やってみるべきこともまだたくさん残されてるんだし。

 なんとかなるだろ。

 一応、男手もあるにはあることだし。どこまで期待できるかはわかんないけど、あの調子じゃ。

 とりあえず駅舎にもどって、その男手のアラマキが起きるのを待つか。それか、わたしもちょっと昼寝してもいいかもしれない。 


 そう考え、ホームを下りるべく歩きだしたとき。

 だれかの声が聞こえたような気がした。

 アラマキ?

 もう起きたのだろうか、と思ってわたしが駅舎のほうを見たとき、ふたたび声がきこえた。

 かすかな、男のひとの声。――いや、駅舎のほうからじゃない。

 頭の上からだ。


 わたしは頭上を振り仰いだ。

 ホームから線路をはさんですぐそそり立つ岩壁。その崖の上に、人の影。

 誰か、いる。

 わたしの眼球が、その崖の上の人影に即座に焦点をあわせ、最大限のズームを試みる。

 でも距離がありすぎる。顔や服装がぎりぎり判別できるかどうかといったところだった。

 しかもこちらから姿が見えているということは、そのひとはかなり危ない体勢で崖際にいることになる。

 たぶん地面に腹ばいだか四つ這いになって、ぎりぎり危なくない程度にだけ身をのりだして下をのぞきこんでいるのだろうと思われた。


 それでもわたしは、頭から肩くらいまでをわずかに崖の端からのぞかせているだけのその人影を見分けた。

 間違いない。

 顔を最大限、上に向けてのけぞらせ、わたしは叫んだ。


 ――清十字さん!


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