人魚の歌 2
いつからだろうか。
マリス様を見守りたいと思い始めたのは。
あの方にはたくさん救って頂いた。
今の自分があるのは、あの方のおかげだろう。
その彼女はきっと今ごろ、本に夢中になっているはずだ。
ずっと、本を読んでいるマリス様を見つめていてもいいけど……本人は嫌がるだろう。
いつも明るくて強気でいるあの方は、でも影では人一倍、努力していて。
人一倍、繊細で。
”魔法使いは冷酷”
マリス様は、それをいつも自分に言い聞かせている。
けれどあの方は、根本的な部分で魔法使いには合っていない。
それでも、努力している彼女は尊敬に値する。
俺が使えるべき主だ。
それにしても、再び陸に戻ってくる事があるとは……
マリス様が行かれる様な事がなければ、一生戻る事はなかっただろう。
およそ思い出したいと思える良い思い出などはひとつもない。
……いや、正確にはひとつだけあった。
水平線の見渡せる、人気の全くない岬。
深い海は静かにさざなみを奏で、遥かな空は海の色と一緒に、そこにいる人間もまるごと吸い上げる。
潮風は頬を撫でて髪を揺らし、涙を誘う。
幻想的なあの感覚が好きで、昔は辛いことがあるといつもそこへ行っていた。
誰も知らない、俺だけの場所。
あそこには……少しだけ良い思い出がある。
マリス様が本を読んでいる間に、散歩をしようと思い……
考えながら歩いていると、いつの間にか思い出の岬まで来ていた。
「ここは変わっていないな……」
♪~♪~
あれは、歌?
これは……聞いたことがある。
懐かしさと嫌悪感が心臓を僅かに震わせて、相反する期待を胸にその歌声の主に声を掛けた。
「もしかして……君は、ララ?」
歌のするほう、岩陰のほうを見てみると、思った通りだった。
「っ!!あ、なた、は……」
彼女は、昔俺の事を助けてくれた、命の恩人。
あの時の人魚だった。
「お久しぶりです……あなたの歌は本当に綺麗ですね」
まさか会えるとは思わなかった。
けど、良かったかもしれない。
これで、けじめがつけられる。
「ぁ……ほ、本当に……本当に、あなたなのね?ああ、あぁ、無事でよかった……私、あなたに会いたくて」
ララは涙を浮かべながら微笑んだ。
「私も会いたかったですよ……あなたは、私の命の恩人ですから」
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(ララ視点)
やっと逢えた。
ずっとずっと、逢いたかった。
名前もわからない王子様。
いつも寂しそうな顔で笑っていた彼。
最後の日の、あの言葉と微笑が脳裏に焼きついて離れない。
私は今日で成人する。
日が沈めば国の一柱として、もううかつに地上へは来れなくなってしまう。
だから。
最後に願いをこめて、歌ったの。
あの日の歌、あの日の気持ち。期待、諦め、そして。
「お久しぶりです……あなたの歌は本当に綺麗ですね」
ありし日の面影もそのままに、幼い子供から青年へと成長した彼がそこにいた。
「ぁ……ほ、本当に……本当に、あなたなのね?無事でよかった……私、貴方に会いたくて」
夢見心地で彼の元へ近づく。
波に揺られる感覚は眩暈を引き起こして、視界が滲んでくる。
最後に会った時、彼は大変な怪我をしていた。
湿った体、腹から湧き出す真っ赤ないのち。
着ていた服に、触れた手に滲んだ鮮血がどうしようもなく怖かったのを、今でも覚えている。
……だから、心配していた。
同時に、どこかで諦めていた私もきっといた。
彼はどうして、岬に来なくなったのだろう。
忙しくなったのかしら。
どこかへ出かけていて来られないのかしら。
それとも……
その考えはだけは認めたくなくて、何度も頭を振って否定した。
そんなことを考えてしまった自分がどうしようもなく嫌で、涙を流して謝った。
その。
その、彼が。
「私も会いたかったんですよ……あなたは、私の命の恩人ですから」
その彼が自らの喉から発した、その言葉を聴いた時、瞳に溜まっていた涙が大粒の滴となって零れた。
あぁ、やっと逢えた。
あなたは無事だった。
「っあ、ぅう……っ」
涙が止まらない。
ずっと逢いたかった、愛する人に逢えたのに。
次々と溢れてくる涙で視界がぐちゃぐちゃになって、愛するあなたの顔が、ちゃんと見えないわ。
「……どうか、泣かないでください」
彼はハンカチで、涙を拭いてくれた。
「あの時は、命を救って頂いてありがとうございました」
すごく、優しい声。
あぁ、やっぱり私は彼が好き。
「……それが」
私は、彼が。
「それが私にとって余計なお世話だったとしても、貴方は良かれと思って助けて下さったのでしょうから」
冷たい声。
「……ぁ、え、」
「あなたを責めている訳ではありませんよ、誰でも目の前で人が死に掛けていれば助けようとするでしょう。結果的にはあなたのおかげで今の私があります」
針のような言葉が、心臓を抉る。
「私あの時、死ぬつもりだったんですよ……ですが、憎まれっ子世に……というやつですか。人間意外と、脆いようで頑丈ですよね」
誰……?
私の目に映るのは、確かにあの時と同じ彼の姿なのに。
「ぁ、わた、私……?」
状況が、理解できない。
「ですから、責めているつもりはありません、あなたには本当に感謝しているのですよ?ただ……忘れてほしいのです、私に関することを」
どうして、どういうこと?
彼に一体、何があったの?
忘れてほしいって、何……?
「状況が理解できていないみたいなので、率直に申し上げますと……昔の私に関する記憶を、消したいんですよ」
冷めた眼、鋭い瞳。人間じゃない。
暖かな色の眼と丸い瞳孔、好きだったあの眼差しはどこへいったの?
「……い、いや、嫌、私はあなたが好きなの……に、人間の、あなたに恋をするなんて変かも知れないけれど……好きなの……あなたのことが」
頭がおかしい。
それでも、私の気持ちは変わらない、変えたくない。
忘れたくない。
「あぁ、そうでしたか……申し訳ありませんが、私はあなたの事をなんとも思っていません。できれば、忘れたいのです」
ああ、嫌、嫌、嫌嫌嫌。
嘘よ……そんなの嘘!!
だって、だって彼、笑ってくれた、あの時。
すごく寂しそうにしてたのに。
私が歌を歌ったら、笑って褒めてくれたもの。
自分が怪我をしているのに、私のことを心配して、行けって、言って……
微笑んで、綺麗って。
「ちが、う……」
「違いませんよ。それに私は今、人間ではないのです。瞳を見て分かりませんか?私はもう魔女のものなんですよ」
魔女。魔法使い。
人の欲に漬け込んで生きる、呪わしい生き物。
「……あの人たちに、何かされたの?ならっ!!私が、私が交渉、するから……私があなたをを助けるから!だからお願い……忘れろだなんて、言わないで」
そう、きっと理由があるんだ。
私が助けてあげなくちゃいけない。
「助ける……?これ以上余計な事はしないでください」
だって。
あの時と同じ、ほら、彼辛そうな眼をしているもの。
「いいえ、助けるわ……私が助けてあげる!ね、心配しないで、きっと大丈夫よ」
このままではいけない。
きっとその体のみならず、心まで呪いに侵食されようとしている。
彼を助けるのは、他でもない、私しかいない。
私は彼を心から愛している。
だから
助けるの