第十八部「何が彼女を納得させたのか」
千鶴視点。第十六部の続きです。
夜中、私は物音で目を覚ました。
うーん、今、何時なんだろう…。
…四時半、か…。夜中っていうよりは、朝方っていう方が近いね…。
…あ、今見てるこれ、命ちゃんのスマホだった…。
…命ちゃんのスマホ?
「あっ!」
強いブルーライトのおかげで、私の頭は完全に覚醒した。
そうだ…昨日、命ちゃんのおうちに泊まらせてもらって、夜のイベントなんにも起こせなかったなぁって考えてたらそのまま寝て…!
…あれ?
命ちゃんが、いない…。
トイレにでも行ったのかな…。
…まだ早いし、もう一回寝ようかな。と思った私を突き動かしたのは、下の階からわずかに聞こえてきた扉の開閉音だった。
◆
…これじゃあ、まるでストーカーだよね…。
すぐに追いかけたおかげで、ほとんど見失わずに住宅街を歩く命ちゃんを見つけることができた。
命ちゃん、こんな早くにどこに行くんだろう…?
その目的がわからなくて、私は電柱の影に隠れながら命ちゃんのあとを追った。
◆
…え?
わ、私の家?
なんで…?
私が物陰で戸惑っているその最中、命ちゃんは我が家のチャイムに手を伸ばした。
ピンポーンという高い音が、周囲に響いた。
引き戸を開けて出てきたのは、お母さんだった。
「はい…。…!」
「朝早くにすみません。どうしても、千鶴…さんのお父さんとお母さんとお話がしたくて…」
「…少々、お待ちください…」
そう言って、お母さんは家の中に戻っていった。
しばらくして命ちゃんの前に現れたお父さんは、ホウキを持っていた。
「また来たのかこのドブネズミが! 今度は容赦しないぞ!」
お父さんが、命ちゃんを叩きつけ始めた。何度も、何度も、躊躇なく。
そんな目を背けたくなるような時間は、どのくらい続いたんだろう。
わからない。ただ、いくら助けたいと思っても、今私が飛び出したら、なにもかもダメになる。私は、命ちゃんのおかげで冷静になった頭で、そう悟っていた。
一通りお父さんのターンが終わり、玄関の引き戸が閉められようとしていた。
けれど、それが閉じることはかなわなかった。命ちゃんの手が、間に挟まっていたから。
…今度は、命ちゃんのターンだ。
「少しだけでもいいので…私の話を…聞いてもらえ…ますか?」
そう言って上げられたその顔には、確かな決意が込められているようだった。
◆
命ちゃんは、昨日私とお父さんがケンカした、あの大広間に連れられた。私は家の勝手口から物音をたてないように入り、ふすまを少しだけ開けて中を覗きながら会話を聞くことにした。
「話とはなんだ」
お父さんが、昨日と同じような文で、会話を切り出した。
「…娘さんと私の関係についてです」
「またそれか。もうお前と話すことは何もない」
「私達には…私には、話すことがあります」
「…」
「…娘さん…千鶴さんは、今まで『友達』というものを極力つくらないようにして過ごしてきました。そう本人から聞きました。どうしてだと思いますか?」
「…」
「…」
お父さんとお母さんは押し黙ったまま、何も答えない。その様子からペースを掴んだらしい命ちゃんが、続ける。
「それは、千鶴さんは『女の子しか愛せない体質』だったからだそうです。同性の友達を作ってしまえば、可能性は多かれ少なかれ、その人を好きになってしまう。自分の体質が知られたら、絶交されてしまうかもしれない。でも、異性には興味がない。たとえ友達だとしても、一緒にいること自体が苦痛になる。だから、お気に入りの子を陰から見ることしかできなかったと。以前、そう教えてくれました」
…そういえば、学校祭の配役決めで命ちゃんが王子様役に立候補したことに対してバッシングを受けて悲しそうな顔をしていた時に、なんとか元気づけようと思って打ち明けたんだっけ。私が友達を作ってこなかった理由を。どうして命ちゃんを知ったか、その訳を。
「私は、千鶴さんのそういうところを受け入れています。千鶴さんは私を必要としてくれて、そして私も、千鶴さんを必要としています。どうか末永く、私を千鶴さんのお側に置かせていただけませんか」
命ちゃん…!
「…側に置けばいいんだな?」
「…え?」
え?
私の背筋を、得たいのしれない悪寒が迸る。私の視線の先にあるお父さんの顔には、何かいいようのない悪意に満ち溢れているようだった。
「お前には、桐代家の使用人として働いてもらう。そして、娘と婿の世話をしろ。それで、退学の件は白紙にしてやる」
えぇ!?
み、命ちゃんが…私のお世話を…?
そ、その「お世話」っていうのは、お風呂で体を洗うのも含まれるのかなぁ?
…じゃなかった。
そんなの、ただの召し使いだよ…。
命ちゃんが、そんな要求受け入れるわけがないよ。
今に立ち上がって、激昂するに決まって…。
「…ありがとうございます!」
…。
…。
…え?
「このご厚意を無駄にしないよう、全身全霊を尽くして参ります!」
うそ、嘘だよね…?
「娘を近くで見ていられるだけ、ありがたいと思え。ここで働くまでは、お前の自由にさせてやる。これは、私達夫婦とお前との約束だ」
「はい!」
ダメだよ命ちゃん、そんな約束したら…。
ほら、お父さんに土下座なんてしないでよ。
喜ばないでよ。
涙声にならないでよ。
お父さんに、お礼なんて言わないでよ。
…ねぇ、私達の関係を認めさせることを諦めないでよっ!
そんな折衷案は要らないっ!
「…白百合丸、来て」
『…皆殺しか、将軍よ』
「うん…。変身」
もう、終わりにしよう。
ハッピーエンドにならない未来なんて、私は望まない。必要ない。
『ありがとうございます!』
…。
突然、さっきの命ちゃんの言葉が、頭の中で響いた。
「…」
『どうした』
「…戻ろう。部屋に私がいなかったら、命ちゃんびっくりしちゃうだろうし」
『そうか』
私は、命ちゃんが顔を上げるその前に、その場をあとにした。
朝日は既に見上げないといけないくらい高く昇っていて、一瞬でも自らの恋人に手をかけようとした私をあざ笑うかのように、私を見下ろしていた。
次回、『育みのエイチャー』。
無防備な少女を前に、無慈悲にも刀を降り下ろそうとする鎧武者。
その鎧武者に、かけられた言葉とは…。
さらに植薙命は、とある「想い出の場所」へと行き着く。
そして、彼女に迫る魔の手。
交錯する謀略の中、彼女の抱いていた「想い」とは…?
次回、第十九部「立ち上がるM/植え過ぎ、生え過ぎ、重た過ぎ。」。
Wake up ! 運命の鎖を解き放て!