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見えないんだ

作者: 矢口 陽次

 夕暮れ時の赤い太陽が向かいの建物をスクリーンにして反射している。ぼうっと眺めていると、赤は紫になり、紫は群青に変わっていく。部屋は電灯をつけていないので薄暗かったが、しばらくすると窓の外の街路灯が果てしないナイターレースの始まりを祝福するかのように一斉に灯った。外では車の盗難防止用のクラクションが幾度も鳴り響いた。

 ソファから飛び上がって乱雑に、要塞が籠城に備えて門を閉ざすかのように、窓とカーテンとを閉めた。それでも世界中を征服しようとする光と音とは侵入を止めず、目が慣れてくると、どこに何があるのか容易に認識できてしまう。棚を勢いよく開けてジュエルケースを取り出し、CDをプレイヤーにセットする。プレイヤーの表示板が青い光を放つ。

 ターンテーブルプレイヤーChristian Marclayのアルバム「records」の四曲目”smoker”だ。女性のセリフが繰り返し流れてくる。セリフが録音された時点で彼女はそこにいないのだが、この曲では彼女は惨殺されていて、もう原型をとどめてすらいない。


 先ほど買ったペーパーバッグを開いた。薄いJFKの伝記で、話が大雑把過ぎるので読んでもあまり得るものがないのはわかっていたが、アルファベットの羅列を読み進めるのを楽しむことにした。

 途中の駅で人がどっと乗ってきた。彼等は座席に座るなり、立ち位置を決めるなりすると、ポケットやカバンからスマートフォンを取り出した。形状こそ違えど同種の兵器を皆が取り出す姿はまるで多国籍軍の合同訓練のようだった。別段彼等に興味が有るわけではなかったが、モザイク画のように不明瞭なJFKに没頭することはもはや出来なくなっていた。兵器群の放つ光、夜の高速や大通りに並ぶブレーキランプよりも攻撃的な光に刺激され、世界は歪み、恍惚とした。夜に動く物体を捉えた写真のような空虚な空間が果てしなく広がり、彼自身まで世界に溶け出して流れ出してしまいそうだった。

 気付けば車内には誰もおらず、兵器群がどこにともなく浮遊し、その光線が体を貫いていた。JFKもどこかに行ってしまった。彼は床に膝をついて叫び声をあげ、兵器群に襲い掛かった。数台の光線兵器が床に転がったが、大半は画面がこちらを向いていた。残る半分の兵器の見せる背面で、爆弾が爆発したような小さな白い光が次々と点いていくのが見えた。引き金を引くようなシャッター音が鳴り響き、一瞬のうちに無数の彼が無数の爆撃機の格納庫に吸い取られていった。

 新種の爆弾製造技術が諜報システムによって世界中に出回ったころ、彼以外誰もおらず、車両に仕込まれた光線兵器群の残党、トレインビジョンのみが光る車両を降りた。ホームに天井からぶら下げられた電光掲示板が、日が変わったことを知らせていた。誰もいないのに動き続ける薄汚いエスカレーターを乗り降りした後、改札を出た。出口までびっしりと通路灯が灯っていた。外に出ると、水色の空に雲が浮かんでいた。縁石がタイヤのゴムやら煤やらで汚染された幹線道路では不可視の自動車を統制するべく信号機が仲良く揃って次々と色を変えていた。信号は赤だったがどこへ行くともなく彼は走り出した。交差点の真ん中に差し掛かったところで彼はつまずき、頭から転んだ。既に中身を失いかけた脳が骨を通じて揺さぶられた。誰か轢き殺してくれないかと期待したが、無駄だった。もう彼を轢いてくれる自動車は存在しない。これは彼にとって自動車が見えないということよりも数段重大な問題だった。路面から数十センチ浮いたところで空気椅子に座っている人々の姿が見えた。彼等は狂人にはまるで興味を示していないようで、自動車に取り付けられたカメラやレーダーに障害物として扱われただけだった。

 家に帰りつき、ドアを開けるとガラスをはめた扉の向こうから閃光が届いた。閃光の主はリビングで騒音をまき散らすテレビだった。液晶画面には外国のデモ行進の映像が外国語字幕で映っていた。デモの参加者たちが行進の外から声をかける人々に対して罵声を浴びせていた。


 発狂した男が人々からスマートフォンを叩き落としていった。シャッター音が各所で絶え間なく鳴り響き、まるでテクノロジーへの抵抗者への見せしめのようだった。男は暫くするとその場にうずくまって、それからは誰とも、誰のスマートフォンのカメラとも顔を合せなかった。

 赤信号なのに交差点に突っ込んでいく歩行者がいた。交差点に差し掛かっていた数台の自動車は歩行者の手前で急ブレーキをかけ、ボディを前後に揺れた。又急に進路を変えて左折した後に減速した自動車もあった。後続車が次々交差点にやってきてちょっとした渋滞を引き起こしたが、二つ編みのミサンガのように一台ずつ路肩側の一車線を使いだした。ちらと見えた外車の車内では、運転手を含むほぼ全て人々が終わりのない余所見を続けていた。

 無理やり円形に歪曲された空間で中央が拡大され、端が縮められた男が曲線の集合のように歪曲されたJFKの伝記を買っている。男は、男と同じように歪められた店員と極めて事務的なやりとりをしてから金銭を渡し、レシートとつり銭を受け取ってレジを出て行った。

 無理やり円形に歪曲された空間で中央が拡大され、端が縮められた男がアメリカの合成芸術家の、曲線の集合のように歪曲されたCDを買っている。男は、男と同じように歪められた店員と極めて事務的なやりとりをしてから金銭を渡し、レシートとつり銭を受け取ってレジを出て行った。


 Christian Marclay Christian John Marclay CM of JFK Ch…chchch…chri…chris fitz clay ma lay enne ian…tia…stia ken Chris…tian…a Mar…s…h…a…l…l lay lay la lalalala…rcl l…ard…o l…ard st…r(u)f…f…o la…r…d(u)m


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