046
「うぐ、う゛ぅ゛ぅぅ……」
座り込み、右手を押さえながら唸る。
痛い痛い熱い!
そう叫びつつのた打ち回りたいが、あまりの苦痛に奥歯を強く噛み締めたまま動けないでいた。
そうしている間にも、黒い霧は私の手首へと吸い込まれるかのようにどんどん集まってきており、それに比例するかの様に苦痛も増していた。
「っ、ふっ、ふっ」
呼吸が早まるのを感じながらも、必死に思考をめぐらせる。
先程から自己治癒をかけているのだが、全く効果は見られない。加えて、この感じる苦痛はおかしいっ!
こんな苦しみは以前に黒い塊を吸収して以来だったが、明らかにあの時の苦痛よりは劣っているように感じる。あの時は全身が苛まれ、何種類もの責め苦を同時に味わったのだ。同等な筈が無い。
今は、右腕の手首のみが焼かれている様に熱くとても痛い。
でもそれは右手首だけなのだ。苦痛の種類は違っているが、少し前に行った模擬戦で腕を折った時よりも痛い程度であり、あの時はここまで取り乱さなかった。
痛い、駄目だ。考えがあまり纏まらない。
今はとにかく、この痛みを何とかしなければ。
何か……そうだ、『完全再現』で!
「ふっ! はぁー……」
思い出してすぐ『完全再現』を使うと、一瞬にして霧が手から排出され痛みが和らいだ。
その安堵から、全身の力が緩やかに抜けていく――が、
「え? うそどうしてよ、なんで!?」
それも束の間、すぐにまた黒い霧は手に吸収されていく。
……耐え難い苦痛と共に!
「う、あぁああぁぁぁぁぁぁ!!」
安心感から弛緩した体や気持ちでは耐え切れず、耐まらず叫び声をあげてしまう。
何? 何で? 何なのよこれは!?
痛い、熱い、『完全再現』、痛い、『完全再現』、いたいいたいいたい! 『完全再現』、『完全再現』、『完全再現』! 熱い何で治らない!?
「ほへー凄いねぇ、それもキミの魔法なのかな?」
「はっ、はっ……ヘ、ル?」
気づけば涙でぼやけた視界に、私と目の高さを合わせる様にしゃがみこんだヘルが見えた。
それを認識すると、私は痛む右手を彼女に向かって差し出す。
「ヘル、ぐっ……今すぐこの手を、斬り落としなさい」
「へ?」
「はぁ、はっ、そのくら、いっ! 出来るのでしょう?」
「んー」
この痛みの元凶は、黒い霧が集まってきている右手首だ。だから一度この腕を斬りおとし、即座に『完全再現』を使えば治るはずだ。
本当なら一時であっても腕を斬りおとすのは嫌だ。もの凄くいやだ。けど苦痛で頭が回らない中で考えられる発想はこのくらいで、他に何とか出来る方法を思いつけない。
「は、はや、くっ!」
「良いんだけど……でもそんなんじゃ、意味が無いかな」
「なんでっ!?」
「だってそれ、宿り器みたいだし」
な、なによそれ。
ヘルは当然といった表情で言っているが、私にはさっぱり分からない。
「宿り器って何よ……っ!」
「うわぁ、痛そうだねぇ……えと、一般的には魂がこもった武器とか防具らしいかな。あっ、そうは言っても、職人が頑張って入魂した力作とか、そういう揶揄じゃないよ」
「意味、分からないわよ」
「ボクも見るのは初めてだけど、人によっては呪具って呼ばれる事もあるみたい。使った人の大半が精神を壊されちゃって、宿り器に体を乗っ取られちゃんだって。恐いねー」
私が必死に耐えているのをよそに、ヘルは楽しそうにそう言ってきた。
っく、『完全再現』……だめだ、こんなの一時凌ぎにしかならない!
「つまり、なに? アナタは私が乗っ取られるのを待つために、腕を切り離してくれないって事かしら?」
「あー違うよ? 誤解しないで欲しいんだけど、ボクとしても出来れば手助けしたいって思ってるんだ。仲間だしね!」
「だったら……」
「ほら、手首の部分を見てみてよ。何か模様が浮き出てるでしょ?」
言われるまで気づかなかったが、痛む手首を見てみると確かに模様が浮き出ていた。
円を交互につなぎ合わせ、無理矢理引っ張って伸ばしたような赤黒い線が、手首を一周している。
「それが出てるって事は、多分エリスの魔力を覚えられてしまっていると思う。そうなっちゃうと、いくらその部分だけ斬り落としても別のとこに移っちゃうだけかな」
「そんな……」
もしそうなのであれば、いくら自身の体から切り離した所で意味は無く、痛みから逃れる手段が無いのと同意義ではないか。
ヘルと喋っている間も『完全再現』を繰り返し使っており、今は何とか思考は出来るものの、このまま延々と使い続けるのは無理だ。魔力が先に尽きてしまう。
そうなれば私は……。
「……っふ、ふふっ、あははっ、あは……はっ!? うっ……」
それを想像した瞬間、私の中でまたもあの感覚が湧き上がって来そうになり、必死に堪える。
駄目だ駄目だ駄目だ!
それだけは絶対にいけない。こんな事でまた心蝕魔法を使ってしまえば、これまでの感情がまた消えてしまう。そんなのはもっと嫌だ。
何とか気持ちだけでも持ち直さなければ。
まずは落ち着くまで繰り返し『完全再現』で…………っ!
「はぁ、そんな……うそ、でしょう?」
残存魔力はまだまだある。
でも何故か、『完全再現』の効力が薄くなってきていた。
使ってすぐに黒い霧が排出されているのは同じなのだが、その量が少なく、苦痛もあまり和らいでいないのだ。
どうしてこのタイミングで? もしやゼクスが私との接続を切って……でもそれは不可能だ。接続の有無やその深さはこちらでしか操作が出来ない。
だったら何で?
いや、まずは落ち着け。
理由は分からないが、このままでいればやがて『完全再現』が使えなくなる。そうなる前に何とか対処をしなければ。
「でも、エリスって何だかあれだね、すごくちぐはぐな感じ。あんなに強いのに痛みには耐えられないの? それともそこまで苦しいものなのかな?」
「……」
「あぁ、だからボクのナイフもわざわざ全部避けてたのか。今の治す魔法があれば、少し被弾するだけで抜けられたでしょ? それをしなかったって事はやっぱり、痛いのが苦手なのかな」
……冷静な分析をありがとう。
もし今私が万全であったのならば、その憎たらしい笑みを歪めてあげていたのに……!
けど、言われてみればそうだ。私はヘルと戦った時も含め、極端に怪我を恐れていた。
そういえばあーちゃんと模擬戦をした時、以前の私は『完全再現』ありきで戦っていたとゼクスも言っていた。となれば、今以上にもっと酷い怪我や痛みを受けてもなお戦っていたのだろう。
……信じたくは無いが、これがあの時テスラの言っていた『精神干渉』なのだろうか。
テスラが言うには、痛みに対する恐怖や苦しみといった感情を、かなり引き上げられているのでは無いかと言っていた。
もしそれが本当だとしても、あーちゃんがどうしてこんな事をしたのか分からない。それにそんな事を考えている前に、このままでは苦痛に潰されてしまう。
そうだ、模擬戦について思い返して、もう一つ忘れていた事があった。
それを使うのにあまり自信は無いが、他に手段も見つからない。手詰まりになる前に対処をしなければ。
「ふぅー……」
「うん? どうしたの?」
効き目が薄くなってきた『完全再現』を使い、痛みが和らいだ所で深く息を吐き出す。
その様子にヘルは首を傾げるのが見えたが、今は一々反応を返す余裕は無いので意識から外した。
そしてそのまま集中すると、詠唱を始める。
「『炎よ燃えろ 燃え盛れ』」
ここまでは先日使ってしまった心蝕魔法と同じだ。
分かっていた事だが、たったこれだけの詠唱で私の中にある感情が昂ぶっていく。
練習の時はあーちゃんの『精神干渉』によって抑えて貰い、その間に制御する事で何とか成功していたのだが、今はそれも私自身で行わなければならない。
最悪の場合、制御に失敗して『心蝕魔法 フォルム・フレア』が発動する可能性もあるので、本来ならば近くに人がいる時使うべきでは無いのは分かっている。
しかし今は、そんなお願いしている間にも暴発してしまいそうなのだ。ヘル達には申し訳ないが、今は私の魔法の発表会に付き合って貰う外無い。
「あはっ、ふっ……ぐ……っ」
無意識にこぼれる笑いを我慢するため、下唇を嚙んで耐える。
そのまま『精神干渉』を自分に向けて使い、高揚した気分を無理矢理下げていく。
「ふー、ふー」
感情が魔力に変換されているのを感じ、まだ自分を見失わず思考が出来ているのを自覚する。
よし、これなら――
「――『擬似心蝕 クァイエット・フレイム』!」
詠唱を終えると、背に二対の火が灯るのを感じたと同時に、心が冷えていくのを感じた。
「ふぅ……」
不安はあったものの、どうやら成功したらしい。
何とか落ち着きを取り戻した私は、模様の浮き出ている手首を軽く擦ると、立ち上がって目元に残った水気を拭う。
「ねねっ、今のなに? 凄いねー!」
簡単に済ませる予定だったのに、大事になってしまった。
全く、どうして私はこうも慎重に動けないものなのか……これからは初めて見るものに対して、もう少し堪えるといった事を覚えないと。
「むぅ、エリス? おーい」
背にある炎を見てみれば、ボッボボッと音を立てて激しく燃え上がっている。
もしこの魔法を思い出していなければ、大変な事になってたかもしれない。使う機会に恵まれるのは歓迎出来ないが、それでも練習をしておいて良かったと思える。
「ねぇってば!!」
一人反省をしていると、急にヘルが私の手を掴んで耳元で声を上げたので、そちらへ顔を向ける。
表情からして少し不機嫌そうだが、一体どうしたのだろうか。
「……びっくりするじゃない、急にどうしたのよ」
私がそういうと、ヘルは半目で私を睨みながら口を開く。
「そういう割には、あんまり驚いてるようには見えないけど……じゃなくてっ、無視しないでよ!」
「あぁごめん、何か言っていた?」
ヘルはぷくっと頬を膨らませ、「今怒ってるよ!」というのを体全体から表現していたが、そのまま私の顔を見続けていると、途端に脱力した。
「はぁ、エリスってよくボクを無視するよね、もういいよ……それで? さっきまで死にそうな顔してたのに、今は平気なの?」
「えぇ、何とか我慢出来るほどになったわ」
「ふーん?」
痛みを感じている手を閉じたり開いたりして、感覚を確かめる。
動きに違和感は無いので、問題無さそうだ。ただ、手を動かすたびに背の炎の勢いが一瞬上がるのを見ると、やはりあのままでいたら不味かったようだ。
「いやー、傍からだともう駄目かなって思ったよ。何とか元気付けようと思って、笑顔で話しかけたのが良かったのかな?」
「え?」
……あれで元気付けようとしていたのか?
確かに笑顔だったが、言葉の内容が「もう何をしても無理だから諦めろ、最後には乗っ取られるぞ」としか聞こえなかったので、正直煽ってるのでは無いかと思っていたのだが……。
「えぇそうね、分かりにくかったけれども心配してくれたのね? ありがと」
「っ! う、うん……」
私が笑みの表情を作ってお礼を言うと、ヘルは少し顔を赤くして俯き、小さく返事を返してきた。
ふむ、何となくゼクスに似ている気がする。
照れているところは分かりやすいのに、その他の……特に本人が善意でやっている事が真逆の意味に見えてしまうあたり、そっくりだと思う。
「っと! それでその、後ろのはなにかな? さっきからすごく気になってて」
「あぁこれ? ……そうね、なんて言ったら良いのかしら」
その質問に対し、ヘルは固有魔法、心蝕魔法のどちらも知らなさそうなので、返答が少し難しい。
「うーん、心を穏やかにする魔法……というのはどう?」
「いや、どうって聞かれても……というかそれ、やっぱり魔法なんだ」
その言葉に首を傾げそうになったが、心蝕魔法も過程はどうあれ最終的に魔力で発動しているので、魔法というくくりで間違いないだろうと思い頷いておく。
その間もボボッと音を立てている背の炎を、ヘルは興味深そうに目を輝かせて見入っていた。
「でもこんな魔法見たことないんだよね、見た感じは背中から炎が出ているだけみたいだけど、この後どうなるのかな?」
「え? これで終わりよ?」
「へ?」
その答えが意外だったのか、ヘルはそれまで食い入るように見つめていた炎から視線を戻し、きょとんとした表情で私と顔を合わせる。
しかしすぐに何かの考えに至ったようで、ぴょんと飛び跳ねながら口を開いた。
「あぁ! もしかしてそれを使ってれば自己治癒の効果があるとか? それとも身体強化されてたりするのかな?」
彼女はこの魔法を、何らかの恩恵があるものだと考えているようだった。
確かにその考えは間違っていないのだが、そこまで前向きな能力ではないので、静かに首を横に振る。
「え? だったら、敵目掛けてそれが飛んでいくとか? じゃなければ、何か飛来してきた時に身を守ってくれるとか……」
「これ、私の後ろから動かないわよ? だから後ろの炎があるところなら防げるかもしれないけれど、遮蔽物としてはあまり期待出来ないわね」
「じゃあ――」
「あ、そうだ」
このままではヘルの対応に時間を取られそうだったので、楽しそうな所を邪魔するようで少し可哀想ではあるが、その言葉を遮った。
「ここに向かう前に渡してたの、返してくれないかしら」
「……むぅ、はい」
ヘルは少し面白く無さそうな表情で、懐から小石を出すと渡してくれた。
私は受け取った小石を耳へと当て、一度ヘルに視線を合わせると、苦笑を浮かべつつ謝罪する。
「連絡とるんでしょ? 良いよ……ふんっ!」
「悪いわね、すぐだから少しだけ待っていてちょうだい。……"聞こえる? こっちは終わったわ"」
「"ご無事で何よりです。こちらも今は特に動き無く順調に進んでおりますが、間も無く魔物と遭遇しそうです"」
私が呼びかけると、すぐに返事が返ってきた。
よかった。予定に無かった行動に少し時間を取られていたが、間に合ったようだ。
「"そう……ならそこで何もなければ、アナタも信じてくれるのかしら?"」
「"信じるも何も、私はエリス様の従者です。主様の意思に恭順させて頂くだけです"」
「"そうは言うけれど、あーちゃんの事を疑っているのでしょう? ……正直、私は今でもあまり気乗りしないのよね"」
「"では止めましょうか?"」
「"いいえ、私はあーちゃんだけで無くアナタも信じているの。事実アナタの言った事は否定出来ていないのだし、今回ので証明出来れば皆が納得出来るのでしょう?"」
「"はい"」
「"だったら続けるわ……けれど、何も無ければ一緒に謝るのよ?"」
「"心得ております"」
「"じゃあまた後で、道中は気をつけるのよ"」
「"かしこまりました、では出口でお待ちしております"」
別れる前に既に打ち合わせはしてあったので、簡単に意思確認を済ませ会話を終える。
これで後は、このまま外へと出るだけとなった。
「あ、終わった?」
「えぇ、何度も待たせてしまって悪かったわね。じゃあこの魔法についてだけれど」
「うんっ!」
「……」
そこで数瞬、考える。
……いや、今更なのだが、心蝕魔法についてヘルに話してしまっても良いのだろうか?
本来であれば固有魔法についても黙っておくべきことなのだが、既にヘルには話をしてしまっている上に、色々な種類の固有魔法を見せている。
最初は恐がられたくない一心だったのだが、ヘルの様子を見る限りとても楽しそうなので、もはやその不安は無い。
だが外では使わないように振舞うよう言われていた事を、積極的に教えるのは少し躊躇いがあり……って、考えたらそれ自体がもう今更か。もう見せてしまっている以上は隠し通す事など土台無理だろう。
ならばまた後でテスラに聞いてみて、もし何かあってもその事をヘルに言い聞かせておけばきっと大丈夫。
さて気を取り直して、まずは前提の確認からしていこう。
「そうね、ヘルは心蝕魔法について知っているのかしら?」
「うぅん、全然知らないかな」
これは予想できていた事だが、やはり知らないようだ。
一般的には基本魔法と適正魔法だけ、という考えは間違っていないらしい。……とは言え、あんまりヘルを一般人として当てはめるのも間違っている気がするので、そこは気をつけておこう。
「心蝕魔法は、主に感情を魔力へと変換して使う魔法なの。私の場合は、今までの感情を全部魔力に変える代わり、強力な紅の魔法が使えるわ」
「え? でもその魔法、全然強そうじゃないんだけど……」
ヘルはそう言って、私の背にある炎を指差す。
「えぇ、だってこれ、心蝕魔法ではないもの。これは心蝕魔法を発動させる、準備みたいな状態ね」
「ふ、ふーん?」
「だからまだこの状態だと、触れば当然熱いのだけれども、これだけで攻撃したりは出来ないわ」
「んん? じゃなんでそんな意味のないの使ってるのかな?」
もっともな疑問だと思う。
攻撃や防御に恩恵が無いとなれば、わざわざこんな魔法を使う必要は無い。言ってしまえば魔力の無駄だ。
そう言われればその通りなのだが、さきほどまでの私にはどうしても必要だったのだ。
なぜなら……。
「この魔法を使っている間、私の一定以上の感情が魔力に変換されるようになっているわ」
「へぇ……だったら怒ったりすれば、いくらでも魔法使えるのかな!」
「いいえ、それは無理ね。だってほら、見てみなさいよ……この炎、勢いを増したり減ったりしているでしょう?」
「うん」
「これは一定以上の感情が魔力に変換されている結果なの。つまり変換された魔力は、この後ろの炎で全部使い切っちゃっているのよね」
「んー……見た目はきれいだけど、結局あんまり意味はないのかな」
「ふふっ」
まぁ心蝕魔法を持っていない人にとっては、ヘルの言う通り意味は無いなのだろう。
だが私にはとても重要な意味がある。
それは、心蝕魔法を使わないようにする。という事だ。
あんな魔法が暴発してしまえば、私はまた感情を失ってしまう。それどころか、最悪の場合は仲間まで巻き込んでしまうので、一人ぼっちになってしまう可能性だってある。
今だって痛みで相当な苦痛を肩代わりしてもらっているのだが、それが解ければ多分この場で心蝕魔法を発動してしまうだろう。どれだけ私が使いたくなくても、この魔法は時も場所を選ばない。そうなればヘル達ではどうしようも無く、消し炭になってしまうだろう。
「……本当は、苦痛とかを快楽に変えられれば良かったのだけれどね」
「いや、それだとただの危ない人かな」
「へ?」
意図せず願望を口に出すると、予想外な返答が返ってきた。
なぜだろう? 痛かったり苦しかったするのが気持ちよければ、とても良いことだと思ったのだが……。
「それで、この後はどうするの?」
「ん? あぁそうね、とりあえず魔物の討伐は終わったのだから、もうここに用は無いわね……と、そういえばマルギットは?」
「あー、あっちで小さくなってるよ」
ヘルの言葉に逸れていた思考が戻り、同時にもう一人の存在を思い出した。
強烈な体験のせいで完全に忘れていたが、ここにはもう一人いたのだった。
……少しまずいかもしれない。固有魔法をこれでもかというほど使ってしまっていたし、心蝕魔法についても話してしまった。
そう思いつつ、ヘルの指差したほうを見てみると、マルギットは私たちからだいぶ離れた入り口付近で蹲っていた。
後はここから出るだけなので、話をしておこう。
私とヘルは共に駆け寄り、蹲っているマルギットへと声を掛ける。
「えと、大丈夫?」
「ひっ……!」
彼女の反応を見た途端、背にある炎が勢いを増したのが分かった。
「……」
「えっと、エリス……?」
私の反応に、ヘルが覗うような声音で話しかけてきた。
今の私は感情が見えにくくなっている筈なのだが、それでもヘルは気がついた様だ。
私は気分を切り替えようと小さく息を吐いて目を閉じる。そしてすぐに笑みを作ると、彼女へと小さく一歩近づいてみた。
「……っ」
「大丈夫よ、安心して? ほら、さっきだって守ったじゃない」
だが私の表情とは対照的に、マルギットは引きつった顔で首を横に振る。
「ふぅ……」
……えぇ、理解しているわ。
彼女の目を見た瞬間、私の事をどう見ているのかわかった。
助けた時はまだ普通だったのだが、『ファイアボール』が決め手となったのだろう。もしくは、固有魔法を見られたか?
どちらでも関係無いか。
今の彼女の反応、そしてその怯えた瞳をみれば大体わかる。
城を出る前に見た兵士たちと同じだ。
これはそう――
――化物を見る目。
「……こ、来ないでくれ」
「む……?」
彼女は私が近づいてきたのを見ると、先の魔物の攻撃で足腰に力がはいらないのに、必死に後ろへ下がろうとしていた。
魔物に捕らえられたときのような半狂乱にはなっていないものの、それでも明確な拒絶が見て取れた。
「……そう、わかったわ」
「え? エリス?」
私がそういうと、ヘルは驚いたように声を上げ、逆にマルギットは安堵した表情を見せる。
そんな彼女達の反応を見て、またもや背中の炎が勢いを増す。
あぁ、これを使ったあとで良かった。
でなければ私は、今のように平静を保っていられなかっただろう。
「……ねぇ、キミはそれで良いの?」
「何を言っているんだ、お前もさっきのを見ただろう? あんなのは異常だっ! しかもそいつ……殺した魔物の死骸を、喰らっていたのだぞ?」
「だけど魔物なら、食用だっているよね」
「あれは人型だった……だからその、ひ、人を食べているようなものだぞ?」
「けど」
「っ! ヘル」
「でもっ!」
私が止めると、ヘルは納得がいかないのかその場で地団駄を踏む。
気持ちは嬉しいのだが、無理矢理引き込む事に意味はない。残念だという気持ちはあるが、こうなってしまえばもう不毛なのだ。
……それに、あちら側では今しがた状況が動いたらしい。
小石を通して聞いていると、とても信じられない事だが、どうやらあーちゃんが動き出したようだ。
「ありがと、でも良いのよ」
「むぅ……ボク、こういうの好きじゃないかな」
口を尖らせながら寄って来たヘルを、頭を撫でて宥める。
何だろう? こころなしか、さっきのヘルの行動で少し炎の勢いが弱まった気がする。
そうしてふわふわの髪質を感じながらも、もう片方の手で耳に寄せている小石から聞こえてくる内容に意識を傾ける。
その瞬間――
「"……あぁ"」
感情の乗らない、とても冷えたような声が聞こえた。




