038
固有魔法の新たな使い方を理解してからは、一気に形成逆転とまではいかないものの、徐々にヘルを追い詰め始める事は出来始めていた。
防がなくとも簡単に避ける事が出来る様になったため、必要無くなった重たいアメジストブレイドは『情報伝達』で収納し、そのまま向かいくる刃物の雨を避けながら前進して距離を詰めていく。
「あ、あれ? 何で?」
「さぁ? なんでかしらね」
「……ふっ、あは、あははっ! なら! 『緋の力よ 我が魔力に集いて形を成せ』」
流石に一筋縄でいかないであろうとは思っていたが、なんてヤツだ。ヘルは先程よりもさらに顔を輝かせて詠唱を始めた。
「何がそんなに楽しいのかしら……だけど、おかしいわね」
私は呟きながら魔法について思い返し、眉根を寄せる。
ヘルは何てこと無いように詠唱を始めているのだが、その間もナイフはそこかしこに飛び回っている。つまりこのナイフを操っているのも魔法であれば、二つの魔法を同時行使する事になる。
しかし、以前私が検証として身体強化、自己治癒を使おうとした時には、先に発動している魔法へ魔力が送られるだけであり、後から詠唱しようがその魔法は発動しなかったのだ。
それを考えると、ヘルの詠唱は見え見えな囮で、本命は別にあるのか?
(さてさて、これはどう避けるのかな?)
……と言うわけでも無いようだ。
流れてくる思考からは冗談の様子が無く、読み取った感情にも違和感を感じられない。それに何より、足元から発動前の魔力を感じてしまっているので、この状態で見せかけだけと考えるのは危険すぎる。
だめだ、魔法に対しての知識がグレッグから貰った基礎中の基礎程度しかない為、判断が付かない。
「あぁもうっ!」
「『第一節 サンドステーク』」
私が対応を迷っている間にもヘルの詠唱が進み、やがて終わると案の定魔法が発動してしまった。
私は悪態をつきながら慌ててその場を離脱しようとすると、足元の地面や天井から細長い円柱状の石が急激に盛り上がってきた。どうやら最初に不意打ちで使ってきた魔法と同じものみたいだ。
だが同じ魔法でも規模が違う。洞窟になっているこの場所では土魔法との相性が良いようで、上下から迫る石柱はまるで、竜の顎が閉じられるみたいな光景だ。同じ魔法でも篭める魔力量によってはここまで違うものなのか。
発生した石柱は天井と地面に勢い良くぶつかり、尖っていた先端が大きな音をたてながら砕け、大小様々な弾丸となり周りへ弾け飛ぶ。さらには土埃も舞い上がり視界が塞がれてしまった。これでは直接刺さる石柱を避ける事が出来ても、視界を塞がれた状態では岩の弾丸を避けきれずに大きな怪我を負ってしまうだろう。
「あ、やりすぎちゃった!? 生きてるかな……?」
「……」
ヘルは心配そうな声色で呟くと、周囲に配置していたナイフを収納しながらキョロキョロと私の姿を確認しようと首を動かす。
そして全てのナイフを仕舞い終えると、やっと土埃も少しづつ晴れてきたようで、魔法を打ったほうへと足を進めながら声を掛けてきた。
「おーい、大丈夫?」
「……」
「ワンちゃーん? ……まさか死んじゃったりしてないよね?」
「……見えてないのにこんなに近づいて、気を抜きすぎじゃないかしら?」
「っ!? え、なっ!?」
視界が開ける瞬間、私はヘルに向かって勢い良く飛び出し、あれだけ近づけなかったヘルとの距離をゼロにする。そしてそのままヘルの胸へと目掛け、拳を打ちつけた。
対して予想外の反撃を受けたヘルだが、身体強化だけは受ける間際に使っていたようで、打撃として私の拳を受けられてしまった。生身であればその胸を貫けていたのだが、なかなかしぶとい。
ヘルは受けた打撃の威力により、結構な距離を転がって仰向けで止まったので、すぐさま駆け寄り彼女の上へ馬乗りとなる。
そして私は収納していたアメジストブレイドを手元に転移させると、ヘルの刃を首へと沿えた。
「かはっ……うっ」
「これで終りよ」
「……はぁ」
ヘルはチラリと首筋に当てられた刃を見て小さく息を吐き、にこやかな表情で私に視線を戻す。
「負けちゃったか、悔しいなぁ」
「何故私を襲ったのかしら?」
私はヘルの感想には付き合わず、そっと彼女の胸の上へと空いている方の手を置いた。
手の平からはささやかながら柔らかな弾力と鼓動を感じつつ、彼女へ気づかれないようにして再び『情報伝達』を発動させる。そしてもう一つ、『精神干渉』も併用して発動させた。
実は先程からヘルの思考を読むことが出来たのは、この二つの固有魔法によるものだ。
本当に偶然であったが、『情報伝達』により転移しようとした先でヘルが陣に被ってしまい、さらにそこへ常時発動させていた『精神干渉』も偶々掛け合わさり、この能力が生まれた。
この固有魔法……いや、二つの固有魔法を掛け合わせているから二重魔法か。この二重魔法『精神伝達』を利用し、先程からヘルの表層の思考を読み取ってナイフの軌道、魔法の発動箇所を全て把握していた。
そしてどの様な攻撃が来るのかさえ分かってしまえば、私の身体能力で避けられない攻撃は無い。先のヘルが発動させたサンドステークに対しても、発動直後に事前に把握していた安全地帯に移動して、隙を覗っていたのだ。
しかし、この『精神伝達』だが、一つだけ弱点もあった。
それは私が転移する陣の移動が出来ないので、相手が陣のある場所から動いてしまえばすぐに接続が切れてしまう。今回の様に固定砲台の如くじっとしている相手か、または今みたいに取り押さえていないと使う事が出来ない点だが、これは『情報伝達』の能力を練習すれば、追々無くなる弱点だろう。
「うーん、戦ってみたかったから?」
「……それだけ?」
(何でって言われてもなぁ……確かに冒険者ギルドから依頼はされてたけど、ボク自身も強い人と戦いたかってみたかったのだし……ってあれれ? 睨まれてる?)
何をふざけた解答を……と思ったのだが、『精神伝達』で彼女の思考を読み取ってもほぼ同じ解答だったので、少しの呆れを混じらせつつ視線をヘルへと向ける。
それにしてもギルドが依頼を? 一応国の戦力として換算されている私達に対して武器を向けるというのは、いくら事情を把握していない私でも穏やかでない事がわかる。
「誰から依頼されたの?」
「え? えっと、名前は忘れたけど、ここに来る前に集合場所にいた職員だよ」
ヘルは思考を読んだ質問の内容について、気にした素振りなく答えていく。聞かれた事で話しては不味い事もあるだろうに、ペラペラ喋っている。……なんというか、戦闘以外ではあまり深くは考えない子の様だ。
まぁやり易いことに越した事はないので良いが、えぇと、確かギルド職員の名前は……アドルフだったか。彼が単体で依頼したのか、またはギルドとして依頼していたのかで対応が変わりそうだし、とりあえずは保留で良いか。
「依頼された理由は知ってるのかしら?」
「うぅん、知らない。ただ助っ人が来るので、その人達をやっつけてーって言われたんだよ」
「……その割には、仕掛けてきた時からずっと殺意を感じなかったのだけれど」
「うん? そりゃそーだよ。ボク闘うのは大好きだけど、人を殺す事はそんなに好きじゃないしね」
嬉々として致死性の攻撃を仕掛けてきた相手とは思えない返事に、私は目を丸くしてしまう。
「え? いやだって、さっき私と同じ見た目の子に、随分と酷い事してなかった?」
「んー? けど手足斬り落としたって死なないでしょ? お金持ってれば、高いけど治癒液で欠損箇所も元に戻るよ」
「……毎回誰かとやりあう度に、同じ目に遭わせてるのかしら?」
「うんっ!」
ヘルは今の状況が頭に入っていないのか、満面の笑みで頷く。
それなら先程の私の偽者が言った、四肢落としという名前も頷ける。それにこいつは仲間であっても面白そうなら仕掛けそうだ。当の本人には自覚が無さそうだが、私は彼女が皆から爪弾きにされている理由が分かったような気がする。
敵意や悪意が無かったとしても、そりゃ背中から襲われる心配がある人と一緒に探索やら討伐はしたく無いわよね……。
そうなると、多分このままヘルの上からどいて開放すれば、この子の性格から考えて恐らくまたすぐにでも襲ってくるだろう。
ここは邪魔になると考えて、この場で始末した方が良さそうか? だけど実験区画の人間と違って悪意も無いのだし、そこまでするのは可哀想でもある。
うーん、悩むわね。何かしらこの子の力に制限を掛けられたらいいのだけれど……そんな都合の良い能力を私は持っていないし……。
「ねぇ、そういえばあのナイフ、どうやって操っていたの?」
「どうやってって……基本魔法だよ?」
何を当たり前な事を……とでも言いたげな表情でヘルが言い出したので、一般的に知られている魔法の様だ。
ふむ? そうなると先程の魔法同時行使は、基本魔法と適正魔法で行ったものだったのか。
そういえば私が以前検証したのは、どちらも基本魔法だった気がする。もしかして、私は勘違いしていた?
ふぅ、ちょっと落ち着こう。
少し纏めてみると、基本魔法については二つの同時行使は出来ないが、基本魔法と適正魔法であれば同時行使が出来る。そしてこれは今更だが、固有魔法については同じ固有魔法や他の魔法とも併せて発動が出来る。
なら適正魔法の同時行使は……無理か。まず詠唱を二重に行うという所から想像が出来ない。仮に口が二つあれば確認出来たであろうが、それはもう気持ちの悪い化物だろう。
「それは森人特有の基本魔法なのかしら?」
「えー、そんな事はないと思うけど……だけど魔力の調節が難しいから、他だと魔人族くらいしか使えないかなぁ。魔力の出力を少しでも誤るとすぐに失敗しちゃうから、ボクみたいにあんな数を使える人はいないと思うよ!」
なかなか繊細な魔法らしい。グレッグの知識で見えなかったのは、彼自身が使う事は無いだろうと、あまり重要視していなかったからかもしれない。引き継いだ記憶や知識も不完全であったし、しょうがないか。
だがそれで一つ閃いた。この方法ならばヘルに枷を付ける事が出来るかもしれない。
「ねー、もう良いでしょ? そろそろどいてよー! 重いよー!」
「私は軽いわよ! ……まぁわかったわ。最後に一つだけしてから、どいてあげる」
「ほんと? やたっ!」
私はそう言うと、喜んでいるヘルの顔に向かって、ゆっくりと自分の顔を近づる。
(えっ!? 何? ちょ、ちょっと待って!)
ヘルは声には出さないが、内心かなり焦っているようだ。戦闘中や刃物を首へと添えられた時でもここまで焦ってはいなかったのに、変な子だ。
「ね、待って、何しようとしてるの? ねぇ?」
私はヘルの質問を黙って無視し、そのまま目尻に涙を滲ませているヘルの顔へと近づけ続けていく。
そしてなおも言い募ろうとするヘルの唇へ、自分の唇を重ねた。
「あ、う、だからちょっとま……んぅむ!? んーー! んっ……んんー!」
「ちゅっ、はむ、ちゅっ、んっ」
「むー! んむむぅ!? みゅぅ……」
ヘルの胸の上に置いた手に自然と力が入り、そのささやかな丘を包むように揉みしだきつつ、私は容赦の無い口付けを繰り返す。
調度私が最初にあーちゃんにされたように、地面を背にして逃げられないヘルの口に自らのを押し当て、さらにはその唇を押し開いて舌を入れる。
「ひゃぅ、んちゅ……」
舌が触れ合った瞬間、ヘルは体を震わせたかと思うと、一気に脱力し、なすがままになった。
これ幸いにヘルの口内をかき回しつつ、深い口付けを続ける。
そのまま数分間ヘルを襲い続け、十分唾液が交換出来たと判断した私は、そっと銀糸を引きながら唇を離す。
密着状態で反撃されるのは恐いので、改めてヘルの首へとアメジストブレイドを添えて体を起こし、ヘルの様子を確認する。
「はぁ、はぁ、んっ……ふぅ」
だが、私が心配していた反撃は特に無い。
肩透かしを受けた私は訝しみつつもその表情を覗いてみると、彼女の顔は紅潮しており、焦点の定まらない目をしながら、荒い息を繰り返しているだけだった。
一応念のため『精神伝達』でヘルの内容を探ってみると……。
(ふわぁぁー、ふわふわ……ふふっ、ふっわふわー)
「……」
何というか、ダメそうだ。
思考が定まっておらず、脈絡の無い単語が思考に浮かんでは消えているみたいなので、もはやすぐに襲われるという危険はなさそうだろう。
現状すぐには危険がないと判断した私は、彼女が意識を取り戻すまでまだ時間があるだろうと思い、その間どうしようかと考えてみる。
そして自分の偽者が切り刻まれた事を思い出し、ヘルが放心している間にそっちの様子を見てみることにした。
ヘルを殴って吹っ飛ばした分の距離しか離れていなかったので、すぐに現場へと来ることは出来たのだが、そこには重症を負っている私の姿は無かった。
「おかしいわね、確かこの辺りだったと思うのだけれど……あっ、腕はあったわ」
ヘルとの戦闘で存在自体を少し忘れていたので、その後どうなったのかまでは分からなかったのだが、それでもあの怪我で遠くにまで行けている筈も無く、すぐに見つかるだろうと思っていた。
しかしその予想に反して、瀕死の私の姿は見つからず、斬り落とされた腕しか見つからなかった。もっとも、自分の痛々しい姿を客観的に見たいとも思わないのだが、それでもいないと気になってしまう。
とりあえず落ちていた腕を拾ってみると、すぐに自分の腕と似つかわしくない事に気がつき、じっと見つめつつ考える。
「うーん、これはどうしたものかしらね」
そう呟きながら、拾った腕を眺める。
一瞬の記憶でしかなかったが、攻撃を受けていた人は確かに私と同じ見た目だった筈だ。しかしこの腕はどう見ても自分の腕とは違って、太くて筋肉質だ。
そこでふと、グレッグが使ったという幻影の魔法について思い返し、もしかするとこの腕の所有者も、グレッグ同様に幻影の魔法を使って私に化けていた可能性も考えられる。そして切羽詰った表情でこちらへ走ってきたのは、恐らく敵か何かに追われていたと思うのだが……。
と、まぁ色々と考えるフリをしてみたが、恐らくあーちゃんかテスラと敵対したのだろうとは予想が付いている。
その上で姿が見えないという事は……。
「既に逃げたのか、あるいは……はむっ」
久々に人の肉を口にした私は、思わず眉を顰めてしまう。既に美味しい料理の味を知ってしまった私には、ただの臭くて固くて食べ難いものとしか感じられなかった。
「贅沢な悩みかもしれないわね……五口目、あむ」
能力発動の条件である五口目を口に含むと、すぐに持っている腕をその場に捨て、ヘルの元へと歩き出す。もしこの時点で腕の所有者が生きていれば意味は無いが、息絶えていれば最期の状況がわかる。
「んむ……この力も久々ね。さて、生きているのかしらね? ごくんっ」
そうして咀嚼を終えた肉を飲み下すと、すぐに力、魔力、記憶が流れ込んできたのを感じた。
「……あらら」
私は流れ込む記憶を読み解きながら、ヘルが倒れている元へと緩やかな足取りで戻っていった。




