003
私はグレッグから貰った記憶を整理し、これからの事について検討していた。
今までの私ではそもそも考えなかったことだが、エリスになった事により記憶や思考能力、知識が増えて理解できるようになった。
ここが隔離された理由について、この国に来て現地に入る前に国の情報ごと調べていたグレッグの記憶を、先程よりも詳細に読み取り、順序よく整理していく。
私がいるここはベルン国と呼ばれる国であり、人間、亜人が七対三の割合で暮らしている。
種族の違いによる軋轢はほほ無く、適材適所で仕事を分担し合って住んでいる為、この区画を除いて治安は良い国の様だった。
亜人というのは人間に似た種族の総称であり、獣や海の生物などの一部特徴を持った者を、各国共通して亜人と呼んでいる。それとは別に森人や魔人などもいる様だが、グレッグ自身が出会った事が無いのか、またはその記憶を私が受け取れていないかで、特徴以外の詳しいことはわからない。
私は少し逸れた思考を修正し、まずは自分の今居る場所について考える。
元々この場所も治安の良い平和な区画であったが、今から二十年前、とある大規模な実験を行う為、街の一部を実験施設にすると現国王フィードリヒ王が勅令を出し、王自らが整備を指揮して作られたのがこの場所だ。
施設での主な実験内容は、魔物の生態を調査し、有事に備えて弱点や対処方法を確立することだと発表。国の人たちはここへの立ち入りを禁止されていたので、具体的な内容までは知らされていないみたいだ。
グレッグ達が受けた依頼では、実験途中に暴れる魔物がいて手が付けられない為、その魔物の調査結果を持ち帰り、国でその魔物に対処を行いたい。というものであった。
依頼達成時の報酬は旨みが多く、より多くの情報を集められれば、その分の追加報酬も多く渡すと言われ、調査だけならば危険も少ないと、グレッグは妻や娘も連れて受けることにしたのであった。
グレッグの記憶を想い出している内にその作業にも慣れてきたので、ここからは客観的に見ることにする。
引き受けたグレッグ達は、同じ依頼を引き受けたという冒険者二人や、国から派遣された観察員五人と合流をして、グレッグ含めた十人で調査することになる。合流当日は準備を済ませるために解散し、その翌日に観察員達の先導で区画へと入り、調査を開始する。
グレッグは初めて足を踏み入れた区画に対して、捨てられた街という印象を感じた。稀に襤褸布を纏っている人が視界に入り、ここで研究している人たちなのか? と疑問を浮かべつつも、調査対象を探して廃墟を見回る。
探し始めて二日後、グレッグは妙なものを見つけた。植物の様な蔓が、複数本まとまって地面から突き出し、蠢いていたのだ。
その周辺を確認すると、少し離れた場所でも同じような蔓が地面から延びており、恐らく調査対象の魔物だろうと、他の冒険者や観察員へ声を掛けて調査に乗り出した。
グレッグは冒険者や観察者も呼び終え、早速調査をしようと近づいてみる。
するといきなり、無数の蔓が周辺の地面を突破り、周りを包囲されてしまった。
突然の包囲でグレッグ含む冒険者が行動をとめてしまったが、グレッグ達が驚いている間、観察員達は化物に対しては目もくれず、冒険者達に向けて刃を抜き放った。
いきなりの観察員の暴挙に、グレッグは後ろから切りかかられたことを感知して咄嗟に避けたが、左腕を深く斬りつけられてしまう。
グレッグは観察員の行動に混乱しつつも、向けてくる害意への対処を優先し、とりあえずは無力化をしようと、浅めに蹴りを放ち観察員を吹き飛ばした。
対処を終え余裕が出来たグレッグは、すぐに周りを確認してみると、襲われたのは自分だけでない事を知った。
冒険者二人は諸に背中から切りつけられており重症。妻のケリーはしっかりと避け、グレッグ同様に観察員を無力化出来ていたが、娘のエリスは危機察知に疎かったのか、刃をそのまま受け入れてしまい、背中から胸にかけて貫かれていた。
襲われた当初は観察員達に理由を聞こうと考え、浅い打撃による無力化を選択したグレッグであったが、娘の姿を見た途端、意識は燃え立つように真っ赤に染まる。
殺意を持って莫大な魔力で風の刃を構築、観察員と化物に対して同時に放った。
観察員は魔法の障壁を張ったものの、障壁ごと不可視の刃に両断され真っ二つになり、化物は蔓を数百本と切断される。
しかし化物本体へのダメージは無かったのだろう、その間に化物は、観察員に切りつけられ転がっている冒険者を無事な蔓で突き刺し、そのまま引き寄せて消化液の溜まっている口へと放り込んでいた。
そこで初めて、グレッグは化物の本体を目視で確認する。その化物はウツボカズラを連想させる様相をしており、その周りには化物のものだと思われる蔓がひしめき合っていた。そして娘の状態を見て時間の猶予が無い事を思い返し、本体が出てきた化物へと、突進する勢いで駆ける。
しかし冷静になれていないグレッグは周りが見えていなかった。周辺の地面を突き破って出てきていた蔓はグレッグを囲むように張り巡らされており、物凄い勢いで向かってきている事に気が付いた時、軽い衝撃を受けて吹き飛んだ。
グレッグは混乱する思考のまま、吹き飛びつつ先程までいた場所へ視線をやると、グレッグの代わりに数十という蔓に貫かれていた妻ケリーの姿があった。
グレッグは何が起こったのかわからず、必死にケリーの名を叫ぶ。そんなグレッグの様子を見送るケリーは、眉をハの字にして困った様な笑みを浮かべていたが、すぐに身体中に突き刺さった蔓に引き寄せられていった。
グレッグの喉が潰れる程に叫び声を上げるが、蔓は無慈悲にケリーを本体まで寄せ、機械的に消化液へ落とした。その光景を見たグレッグは、溢れた感情をぶつけるように叫び、化物へ向けて魔法を連発で放つ。
魔法の連撃を受けた化物だったが、そのほとんどを周辺の蔓で受けていた為、本体へのダメージは微量であった。グレッグの魔法に脅威を感じない化物は、魔法を蔓で受けつつも残った冒険者や観察者、エリスを蔓で掴んでいた。
グレッグもやっとそれに気が付き、泣き叫びながら静止を促すが化物に言葉は通じず、動きを止める事無く消化液のプールへとエリスもろとも落とした。
グレッグはもはや感情の制御が全く出来ず、自殺行動に近い極限までの身体強化を施し、身体中の筋肉や皮膚が裂けるのを厭わず、雄たけびを上げながら俊足で突進する。
平行して自身の周りに持てる魔力を注ぎ込み、巨大な火の塊を作り出すと同時に放ちつつ、グレッグ諸共化物へ突っ込んだ。
化物は蔓で防御姿勢をとったが、グレッグ自身が砲弾と化した突進の威力は易々と蔓の壁を突き破り、本体すらも突き破った。
化物は体を突き破られ怯み、そしてグレッグの後を追いすがる様に来ていた巨大な炎に呑み込まれ、そのまま為すすべなく燃やされる。その間グレッグは悲鳴を上げている身体を意図的に無視して振り返り、自らが創った炎の中へと突っ込む。
燃え盛る炎の中化物の本体を確認したグレッグは、身体強化の力を頼って化物の身体を引き裂いて、妻娘の姿を探す。
消化液が自身に掛かるのも構わず必死にケリーとエリスを探したが、見つかった時にはどちらも衣服ごと所々皮膚の表面が溶かされており、四肢など骨が見えている所まであった。
すぐに二人を炎の外へ退避させ地面に寝かせると、口内から消化液を飲んでしまっており、体内の溶けた部位が、口元から赤い固形物となって零れ落ちる。その様子からは既に命は感じられなかった。
グレッグは泣き喚くが、既に事切れている妻子は戻ってこない。グレッグはまだ燃え続けている化物に向きなおり、感情のままにいくつもの火球を構築し、叫びながら化物を燃やし尽くす。まだ少し息のあった化物であったが、行動不能な所でさらに燃やし尽くされ、黒い塊のみを残して焼け消えていった。
化物を完全に処理すると、やっとグレッグにも冷静な思考が戻ってくる。
今回の依頼は調査だけであったはず。しかし化物に包囲された時点で、切り抜けるためには討伐する必要があった。
力を合わせて立ち向かっていれば、おそらく被害もここまで大きくならずとも勝てていたと思われる。それをあろうことか観察員達は、自らが逃げるための時間稼ぎとしてこちらに負傷を負わせ、初めから戦うことを選択にいれずに行動をしていた。
国が派遣した観察員達の暴挙が無ければ、と考えずにはいられないグレッグは、妻娘を亡くした激しい怒りや恨みと共に、喪失感に押しつぶされそうになる。
塞ぎこみたくなる思考に蓋をして、まずは妻子の死体を連れて帰り、身体を万全の状態に戻したとき、独りででもこの国を潰すと心に決める。
何かの役に立つかもしれないと、化物を焼け落として残った黒い塊を拾い、妻子をつれて帰るため近づこうとしたとき、見知らぬ人影が見え、足を止めた。
そこには人間、亜人の襤褸布を纏っている集団がおり、皆それぞれの手に刃物を持って近づいてきた。
グレッグは既に無理な身体強化により、身体中が裂傷だらけな上に力があまり入れられず、化物を燃やし尽くすのに魔力のほとんど費やしてしまっており、満身創痍の状態であった。
妻子の死体をそのままにする事は憚られたが、自分が死んでしまえばこの国への復讐も果たせず、何も無かったかの様に処理されてしまうだろうと想像が付いたので、断腸の思いで妻子の死体をそのままにして逃亡した。
「そして、逃げ回った先に私がいた、と。なるほどね、奪われたくないって言うのはここの人達ではなくて、外の研究員や観察員に対してだったのね」
一つの物語を読んだ私は、疲れた気持ちでそう呟き、瞼を閉じて数秒考える。
記憶を掘り起こしていた間に結構な時間が経過していたらしく、お昼より少し前から始めた筈であったが、既に日も暮れて窓辺からは月明かりが差していた。
私はしばらく考えると、ゆっくりと目を開けグレッグを見つめる。
「これがアナタの、……いいえ、お父さんの思い残しね。わかったわ、全て私が引き継いであげる」
私は長い記憶の整理の末、お父さんが抱いていた思い残しを受け取り、言葉にする。
記憶で見た光景は、当然だが愉快になれるものではない。
私の中で陰鬱とした気持ちがじわじわと広がりそうになるのを感じたので、その気持ちを振り切るよう、わざと明るめの声を張って計画を立て始めた。
「さてっ! そうと決まればいつまでもこんな壁の中にいても仕方が無いわね。となると、どうやって出るか、だけれども」
うーん、と腕を組みつつ考えていると、建物の付近で小さな音を捉えた。
人の足音に聞こえたその音は、そのままこの建物に入ってくるみたいだ。
恐らくもう少しすれば、この部屋まで足音の主はやってくると予想はつくので、私はどの様な対応をするかを考える。
記憶や知識を得たといっても、まだまだ不十分。これから計画を立てる身としては、更なる情報が欲しいところ。幸い相手の足音は一人分だけの様なので、どこまで得た力が通用するかも試しておきたい。
私が対応を決めて少しすると、一人の男が部屋の入り口に立つのが見えた。
「なんだぁ、てめぇがその男を匿ってたのか? ははっ、だが残念だったな」
どうやらお父さんを追っていた集団の一人の様だった。
私はしゃがんだ状態で顔だけを上げ、怯えた表情を作って男へ向ける。
「ゃ、来ないで。助けて……」
私はか弱い少女を演じて、男の様子を探る。この行動には男の油断を誘う事もあるが、この付近に仲間が待機しているとも限らない。もし仲間を呼ばれて相対する人数が増えれば苦慮する可能性もあるので、出来るだけこの場では無害を演じる。
「あぁ!? 抵抗するなよ? 動いたら殺すからな」
「ひっ、ぅ、はい……」
男が声をあげて近づいてくるのを感じ、私は顔を伏せる。男との距離は足音で判断できるので、近づいてくる間に建物周辺へも意識を広げて音を拾い、近場に誰もいない事を確認した。
仲間がいない事を確認が出来たので、次は男への対応だ。
男は無遠慮に粘ついた視線を向けてきており、私は気持ちの悪さに堪えながら、どうやって情報を引き出そうかと思案していると、男から声がかかる。
「静かにしていれば、俺が飼ってやるよ」
飼う? 私はペットか何かかしら?
ふふっ、うふふふふ。
丁度いいわ。私の能力についても確認出来そうだし。
人を人扱いをしないなら、自分がそうなっても文句ないわよね?
男の言葉で私の中にあった、会話をして情報を得るという選択肢が消えた。
今は夜であり、部屋の中は薄暗い。
唯一の光源は、この部屋にある小さな窓から入る僅かな月明かり程度なので、男はまだお父さんの様子がしっかりと見えていないのだろう。
「お、お父さんっ」
「あ? そこにいるやつも動くんじゃ……っひぃ!?」
私の行動で男も注意をお父さんに向け、言葉の途中で恐怖の混じった悲鳴を上げた。
……私が言うのもなんだが、お父さんの状態は結構酷い。
刃物で切りつけられた傷もあるが、それよりも一際に目立つのが、体中の肉を小さく引き千切っているかの様な跡であった。その姿はここに逃げ込んで力尽き、そのまま息を引き取った様には見えない。
予想通り男の注意はそちらに向き、私から意識が離れる。それを感じた私は、引きあがった身体能力を駆使して男の後ろへ回りこみ、お父さんのナイフを取り出して背中へ突きつけた。
「ふふっ、抵抗するなよ? 動いたら殺すからな。なぁんてね?」
「ッ!?」
男は驚いた様子振り返り、私の手元のナイフに気が付くと、すぐに口を開いて声を上げる。
「ま、まて! 俺には仲間がいるんだぞ!」
「……はぁ。あなたが無事であれば、お仲間が私に手を出さないでくれるのかしら? それにここの近くには誰もいないわよ?」
私の言葉に、男は言い返せない。男は単独行動でここに乗り込んでいるので当然だ。
「静かにしていれば、俺が飼ってやるよ。だったかしら? ふふっ」
「わ、わかった。俺の負けだ! ゆるしっ、ぐぁっ!?」
男の言葉へ意趣返しをしてみると、男からあっさりと了承を得た為、すぐに男の首目掛けてナイフを深々と突き立てた。
「な、んで……?」
「大丈夫よ安心して、アナタが死んだ後、しっかり私の中で飼ってあげるから」
男の返り血を浴びながら、能力について考えてみる。
私のこの思考や力は、塊を吸収してお父さんを食べてから身に付いた。
塊を吸収した私は、お父さんの肉を食べたことによって、記憶と力を手に入れたと予想している。そうでなくては、お父さんの記憶を持つことに説明が付かないからだ。そしてその考えが正しければ、この男を食べると男の記憶や力も引き継げるはず。
私は能力の検証材料として男を見ながら、事切れるのをまった。