024
「ん……あぁ、そうだったわね」
目が覚めると、そこはふかふかなベッドであり、隣であーちゃんはまだ眠っていた。
ここに来てまだ二日目だが、寝心地の良いベッドが原因で深い睡眠を取ってしまっていた。本当ならばもう少し浅く眠りながら周りを警戒出来るくらいが丁度良いのだが……どうも心蝕魔法を使ってから、そういった習慣まで燃え尽きてしまっているみたいだ。
「んんっー! さてと」
大きく伸びをして眠気を飛ばし、私はゆっくりとベッドから降りる。
着替えは……このエルナに作ってもらったワンピース以外の替えは無いので必要無いか。自室には他の服もあるのだろうが、部屋ごと氷付けなので取る事は物理的に不可能だ。
このまま部屋にいてもあーちゃんが起きない限りする事が無い。あーちゃんが起きれば何かしら出来るのだろうが、無理矢理起こすのは少し可哀想だ。
今から寝なおすのも勿体無いし、少し考えていた魔法でも試してみようか。確か訓練室は地下四階だったはずだ。
そう思って部屋から出てみると、広間にはゼクスが既に起きて本を読んでいた。
うん、静かに佇む姿だけを見ていると、本当に絵になるほどの美しさがある。なのに口を開くとアレなので、彼女はとても残念な気がする。
「おはよう」
「おや? 早いっすね、はよっすー」
声も決して悪くはないのに、なぜこの様な喋り方なのか。
まぁ森人はほぼ例外なく見目が麗しいと聞くので、彼女も綺麗な見た目でそれなりに苦労して、わざとこの口調に落ち着いたのかもしれない。あまり深くは突っ込まないでおこう。
「粘着虫さんはまだ夢の中っすかね?」
「あーちゃんはまだ眠っているわ。……前から思っていたけれども、アナタのその名づけは独特よね。しかも少し悪意を感じる気がするわ」
「やだな気のせいっすよ。それはそうと、爆弾狐さんはこれから何か用事があるんすか?」
「特に無かったから魔法の練習でもしようと思っていたところよ」
「あーじゃ、ちょっと今時間あるっすかね? ほら、昨日行けなかった牢の方を案内するっすよ」
「確かあのときは時間が良くないって言っていたわね……まぁ練習は後ですれば良いし、お願いするわ」
「了解っす……『完全再現』」
ゼクスは本の中から一枚破り取ってパタンと本を閉じ、そのまま本の方へ固有魔法をかける。すると本は跡形も無く消え去り、残ったページを小さく畳んで胸元へ大事に仕舞った。
私が驚いてみている事に気がつき、ニヤリと笑う。
「ねぇ、今のって?」
「ふふっ、ちょっとした便利な使い方もあるんすよ。今のは元々本の中から一枚抜いた紙を復元して、元の本に戻したのを読んでたっす。けど持ち運びが不便なんで、また一枚の紙に再復元してみせたとこっすね」
「へぇー……中々に面白い使い方ね。私も参考にするわ」
「固有魔法の使い方を参考にされるって言うのも、何かおかしな気分っすね。本来ならその本人しか使えないはずなんで、そんな事言えるのは爆弾狐さんくらいっすよ」
「そこは我慢して貰うわ。私が接続を切らない限りは、その分の見返りもあるのだからお互い良いじゃない」
平然と返事を返しつつも、同じ固有魔法を使える人がいない事を初めて知る。
以前は固有魔法を実験で調整して使えるようにしていると聞いていたので、似通った能力をそれぞれに与えているのかもと考えていたが、そうでもないようだった。
「そういえば接続してわかったんすけど、魔力量や身体能力のどちらともかなり上がってるっすよね。以前共有していたときの十倍くらいは流れ込んできているっすよ」
「へぇ、そんなに」
となると以前の私は今の私の十分の一か。んん? 与えている量が多くなったのであれば、固有魔法を借りられる恩恵も上がっているのだろうか?
……気になるところではあるが、今は比較する方法が無い。次に私の力が上がったときにでも確認してみよう。
「じゃ、行くとするっすか。場所は覚えてるっす?」
「二階よね、流石に地下とは言え五階層しかない作りの場所だし、その程度は把握出来るわよ」
「あはは、気分を害したのなら悪かったっす……粘着虫さんはそれでも迷うんで、一応確認してみただけっすよ」
「……あーちゃん」
階段を登り降りするだけなのに、迷う要素などあるのだろうか。確かにあーちゃんはどこか抜けている所があるのだが、まさかそれほどとは……
ゼクスの残念さを確認してすぐにこの話であったので、ここにいる人は皆そうなのではないかと少し心配になりつつ、案内してくれるというゼクスに続いた。
そうして四階、三階と上っていき、牢のある二階に辿り着く。ここに足を踏み入れるのは初めてなので、立ち止まって部屋の様子をしっかりと見渡しておく。
この階層だけは薄暗く見通しが悪かったが、見える範囲で確認していく。広さの間取りはやはり他の階層と同じのようで、訓練室だけは天井が高く作られているが横の広さは変わらないみたいだ。
ただここには広間のような開けた場所が無く、通路の両脇に所狭く鉄格子の嵌められた牢が並んでいる。その数は八つ。
奥には何か事務をするような少し広めの部屋と、恐らく上の地下一階に上る階段があるだけだった。
「来てみたのは良いけれども、あまり気分の良い場所では無いわね。下の階よりマシって所かしら」
薄暗くて視界が悪く周りも灰色一色であり、この様な所で閉じ込められては気分も滅入ってしまうだろう。現に今ここに人が閉じ込められているという話であったので、相手に対しては少し気の毒に感じてしまう。
と、ずっと立ち止まっているわけにはいかない。先に行ったと思われるゼクスを探してみると、まだ隣で待っていてくれていたみたいで、目があうと苦笑され案内するように歩き出した。
昨日の食事のときから思っていたが、ゼクスは何かをするときには律儀に必ず皆を待ってくれている。
それに今は私の面倒を見てくれることから、喋り方はアレなのだが結構良い人なのかもしれない。
そんな風に考えながらゼクスの後を歩いていると、奥から二つ目の右手の牢の前で足を止めた。
「ここっすね。昨日話した通り今は二人いるっすよ」
ゼクスの言葉で牢の中へと視線をやると、そこには二人の子供が入っていた。
一人は人間の男の子のようで、年齢は私よりも二つか三つくらい上に見える。もう一人の女の子は猫の耳があるので亜人だと思う。こちらは私よりも五つくらい下に見えるので、かなり幼い子だ。
そして私が二人を見ているように、牢の中の二人はゼクスよりも私に興味がある様子で、視線を私の頭から足まで何度も往復させていた。しかし二人の表情は対照的であり、人間の子は怯えた表情で、亜人の子は不思議そうな表情であった。
「……ねぇ、ここで実験される人って子供ばかりなのかしら?」
「うーん、自分はここの人達の考えを知っているわけではないから勝手な予想になるんすけど、恐らく心蝕魔法を使えるよう調整するには、精神が未熟な子供相手の方がやりやすいのかもしれないっすね」
「どういう事?」
「ほら、爆弾狐さんは心蝕魔法を使えるからわかると思うんすけど、あれって心からの渇望を無理やり魔法でなんとかしようとする魔法じゃないっすか。なんで理性的に考える人より、感情で行動する子供の方が良いって事なんじゃないんすかね」
「だからまだ物事のわからない子供の方が適しているということなの?」
「予想っすよ? 自分が何かをしているわけではないんで、あんまり恐い顔しないで欲しいっす」
「……そうね、悪かったわ」
そういえばゼクスはただ丁寧に案内をしてくれているだけであった事を思い出す。
気分の良くない光景に対して気分が負の方向に傾きそうだったからだろう。ゼクスを責めるように言ってしまった事は良くないと反省して、改めて中の二人を見てみた。
どちらも食事はしっかりと与えられているようで、血色は悪くない。
男の子は部屋の隅に小さく座ってこちらを見ている。逆に女の子は恐る恐るといった様子で近寄ってくると、片手で格子を掴み、もう片方の手をこちらに伸ばしてきた。
「……わぅ? うー」
意味不明な発声なのでよくわからないが、恐らく私に触れようとしているのだと思う。
しかしその手は私には届かず、格子の間から体を通そうと必死に半身になって手を伸ばそうとしている。
「ぁうっ、うぅ……!」
女の子は届かない手をそれでも届かせようと、表情を少し歪ませながらも手を伸ばし続けてくる。何だか挟まっている体が痛そうで、少し困ってしまう。
私が近づけばその手が届くのだが、どうしようか。
「この子は言葉がわからないのかしら?」
「そうっすね。何回か見てるっすけど、言葉を喋った事は無いっすよ。あっちの人間の人は喋る事が出来るみたいっすけど」
「そう……手、握ってあげても良いかしら?」
「構わないっすよ。基本的に牢を開けたり危害を加えなければ、その他は自分らの自由っす」
「わかったわ」
ゼクスの許可も得たので、私は格子に近寄って彼女の手を両手で包み込むようにして取ると、その子は自分の手と私を交互に見つめ、そして笑った。
「わぅっ!」
「ふふっ、アナタは見た目が猫の亜人に見えるのだけれど、どことなく子犬みたいね」
「う?」
やはり私の言葉を理解していないのか、話しかけても首を傾げてくるだけで答えてはくれない。
なぜか少し前の私自身を見ているような気持ちになる。まぁ私の場合はここまで無防備に近寄ったりはしなかったのだが。
そう思いながら、今度は私の方から近寄りって片手を格子の中に入れ、彼女の頭を撫でてみる。清潔は保っているようで、髪質は悪くなくさらさらとして手触りが気持ち良い。
今は肩までも無く長くはないが、もう少し髪が伸びたら結ってあげたりするともっと可愛くなりそうだ。
「はふぅー……」
「ふふっ、中々に可愛いわね」
撫で続けていると、女の子の方も気持ち良さそうに表情を緩めていた。お尻にある尻尾もふりふりとゆったり揺れている。
「ねぇ、この子の名前は?」
「まだ無いっすね。実験に成功すれば、爆弾狐さんの次の番号……十番の名前が彼女に付けられるっす」
「そう……」
そうであった。ここは実験する為の施設でもあり、彼女達はその実験素体だ。
何とかならないものかと考えてみるが、現状では自分自身だけでもここから抜けるのは難しいだろう。それに抜け出した後どうするかも決まっていない。
まずは自分がこれからどうするかを考えてみるべきか。
私は撫でていた手を止め、そっと彼女から離れた。
「さて、そろそろ行くわ」
「わぅ……」
「そんな顔しないでくれないかしら……私が何か悪い事をしているみたいじゃないの」
私が離れると彼女は露骨に悲しそうな顔を向けきたので、居た堪れない気持ちになる。
「あはっ、気に入られたみたいっすね。この二人、なぜか自分には近づいて来ないんすよね」
「そんなことを言っていないで、何とかしなさいよ」
「何とかと言われても、ここから出すわけには行かないんすよ……そうっすねぇ、爆弾狐さんがまた来てあげれば良いんじゃないっすか? 今日みたいに朝早くなら来ても大丈夫っすから」
「わぅ? ぅわぅっ! うぅ!」
私達が話をしている間も彼女はずっと悲しそうな顔をしており、しまいにはまた私に向けて手を伸ばし始めたので、無意識にその手を取ってしまった。
「もう、わかったわ。また明日も来てあげるから、そんな泣きそうな目で見ないで」
「わんっ!」
「わんって……もう完全にわんちゃんね」
彼女は私の言葉を理解出来たのか、嬉しそうに大きく頷きながら返事を返してくれたので私はそっと手を離して離れると、今度は笑顔のままだった。良かった、わかってくれているみたいだ。
内心でほっと安堵しつつ小さく手を振って別れを告げ、ゼクスと共に地下五階へ向けて歩き出す。
二人と別れたあと、そのまま階段を下って地下四階の訓練室まで来ると、私は一旦足を止めてゼクスを呼び止めた。
「ねぇゼクス、あの子達は一体何をされているの? それでいて、いつあそこから出られるの?」
「自分らも通った道なんすけど、爆弾狐さんは記憶が無いんすもんね……確かにあれでは可愛そうっすけど、それが終れば自分らと同じ扱われ方をされる筈なんで、今だけは我慢して貰う他に無いっすよ」
「それじゃわからないわ。ちゃんと詳しく教えなさい」
「身体能力と魔力の底上げをするんすよ。まぁそれが結構痛かったり苦しかったりするんすけど、終れば一気に強化されるんで悪い事では無いっすね」
そう締めくくったゼクスをじっと見つめるが、それ以上は説明する気がないようだ。
「はぁ、わかったわよ」
……具体的な説明をする気が無いのであれば仕方が無い、他の人に聞いてみるまでだ。後にでもあーちゃんに聞いてみよう。
そう考えながら、一度部屋に戻ろうと思って地下五階への階段を下りていくと、足元からひんやりとした冷気を感じた。
「ん、何かしら? なんだかやけに冷えるわね」
「冷気? ……っ!」
ゼクスは何かに気づいたようで、表情が徐々に険しくなっていくが私にはさっぱりわからない。
しかし地下五階にはまだあーちゃんがいた筈であり、ゼクスの尋常で無い様子からはあまり良くない事が起こっているのでは無いかと胸中不安になってくる。
「何? 急にどうしたのよ?」
「これは、マズいかもしれないっす。すぐに戻るっすよ!」
私は何がなにやらわからないまま不安を抱えて、ゼクスと共に急いで階段を下りていった。




