022
私は目の前の光景に理解が追いつかず、一度目を擦ってからよく見直してみたが、見た通りとても寒そうな部屋だった。
「……あーちゃん」
「だ、大丈夫だよ! ほら、あーちゃんの部屋で一緒に住めば良いよ……?」
そういう問題ではない。というより物理的に人の住める環境では無いだろう。もしここに住まわなければならなくなった場合、数時間で凍死するのでは無いかと思う。
何をどうすれば私の部屋だった所が、こんな冷凍部屋になるものなのか……とりあえずあーちゃんからの説明は期待出来そうにないので、矛先を変える。
「ねぇ、ゼクス……」
「察しの通り、そこの粘着虫さんの仕業っす。この人、爆弾狐さんが失踪してからずっとこの部屋に篭ってたんすけど、自分も最初に見たときは驚いたっすよ」
とりあえず最初の疑問は解けた。確かにこんな部屋で放置すれば死んでしまうので、あまり使われていないあーちゃんの部屋に私を寝かせたのだろう。それで私に気づいたあーちゃんが、部屋に戻ってベッドに潜り込んだ、と。
部屋を開ける扉のノブをもったまま中を見ていたが、いい加減寒いので扉を閉める。そしてあーちゃんへ向き直った。
あーちゃんは明らかにしょぼくれており、下を向いて目にも少し涙を溜めていた。
「のいんちゃん、ごめんね。怒ってる……?」
恐る恐る伏せていた目を上げ、私を見上げながらあーちゃんが確認する。
別に私には、責めようなどという気持ちは無い。元々自分の部屋という認識自体無かったのだし、私を害そうとしてやったことでないのは、今のあーちゃんの表情からわかる。
「いいえ、別に怒っていないわ。『精神干渉』でわかるでしょう?」
「うぅん、のいんちゃんには魔法使わないよ。……目が合えば勝手に気持ちが流れ込んできちゃうけど、そうじゃなくてものいんちゃんが綺麗なのは知ってるもん」
後半小声になっていたのだが、私の聴覚ではしっかりと声を拾えた。恐らく私の知らない私をあーちゃんは知っており、何か思うところがあるのだろうと考え、特に言及はしない。
「まぁそういうわけなんで、粘着虫さんの部屋に寝かせてたんすよ。んじゃそろそろ上にもいってみるっすか?」
「そうね、ではあーちゃんには悪いけれども、これからは一緒の部屋で休ませてもらうわ」
「……うんっ!」
そして私達は階段に向かい、地下四階、三階と上って見ていく。
地下四階は訓練室という名の通りだだ広い部屋が広がっている。天井も高いところにあるので、結構自由に動き回れそうな空間だった。
そのまま一旦は四階を素通りして地下三階まで上がってみると、地下五階の広間と同じような広さのあるところに出た。
「……臭いわね」
「実験過程で血が染みてるんで、あまり良い空間じゃあないかもしれないっすね」
言葉の通り、血の臭いがする。発生源を辿ってみると、広間から見える六つの小部屋それぞれから同様に漂ってきているようだった。部屋には扉が無く、鉄格子が嵌められており中が露出しているが、幸いにも誰もいないみたいだった。
実験過程で血が流れるのか、一体どんな実験をしているのか想像も体験もしたくは無い。場合によっては様子見をせず、早々にここから脱出する必要があるのかもしれない。
「でも自分らがここを利用する事はないっすよ。もう強化は終ってるんで、そんな警戒する必要は無いっす」
「あまり気持ちの良い所ではないわね……もうここは良いわ。早く次へいきましょ」
そう言って私は先に階段を上ろうとするが、ふいに手を掴まれた。あーちゃんかなと思い振り返ると、予想に反してゼクスが掴んでいた。
「あー、今はその、やめておいた方が良いっすよ……この上って牢しか無いっすから」
「……? だから?」
この上に牢屋があることは最初のゼクスの説明で聞いているので知っているが、なぜ止められるのかはわからない。
「いやー、ここ三年くらいはご存知の通り実験区が使えなかったんで、牢には誰も入れられていなかったんすけど……関所を直したらまた実験が出来るって言うんで、人が二人ほど入っているんすよ。んで今は恐らく休んでいる時間なんで、あまり騒がしくするのも悪いっすからね」
「へぇ、アナタでもそういった気を使うのね」
ここまで他に人がいなかったので失念していたが、どうやら他の人もいるらしい。
ゼクスがそういった気を回せる人だった事には驚いたが、そういった理由であれば強行しようとも思わない。
納得した私はそのまま下へと続く階段を降りて行き、訓練室に戻った。とくに階層の間に仕切りなど無いのに、ここまで来れば不思議と血の臭いも感じなくなったので、ふぅ、と大きく息を吐く。
「これからしばらくはゆっくり出来ると思うんで、まぁ四階、五階で適当に過ごしてみると良いっす」
「そうするわ、ただ牢の方にはまた機会を改めて行ってみたいわ」
「了解っす。じゃあまた適当なときに案内させて貰うっすよ。……さてせっかくなんで、もし良かったらちょっと戦闘訓練してみるっすか?」
戦闘訓練か、恐らく何か処理に借り出されるときに戦闘能力が必要になる。そういった意図で、この様な部屋が一階まるまる使って作られているのだろう。
ただ、私にとっての戦闘と言っても……思い返しても実力に差がありすぎて殺すか避けるかしかしていない気がする。それを思うと、成功体同士であれば戦闘になるかもしれない。
「そうね、まだしっかりと自分の能力について把握が出来ていないのだし、丁度良いかもしれないわね」
「自分は肉弾戦はあまり得意じゃないんで、粘着虫さんに任せるっすよ」
「久しぶりにのいんちゃんと練習出来る!」
あーちゃんは張り切りながら、私から少し距離を取った。これからする事を本当に理解しているのか? というくらいに楽しそうだ。
戦闘訓練なので、当然だが相手を殴ったりすることになる。ゼクスであれば何となく殴りやすく感じたのだが、あーちゃんが相手だとちょっとやり辛いかもしれない。
見た目が細く華奢で、手加減しないと壊してしまいそうな気さえするので、私は身体強化を一割程度で止めておいた。
「良いわよ、来なさい」
「……」
私が構えて声を掛けるが、あーちゃんは動かない。なぜか不思議そうな表情で首を傾げていた。
「……どうしたの? 来ないのかしら?」
「あっ、うん! じゃあ行くよ!」
その言葉通りにあーちゃんは地を蹴って私に向かってくる――って早い!?
目で追えない速度では無いが、身体強化一割程度では反応が出来ない速度だ。
「えいっ!」
「っく……!」
あーちゃんの突き出した拳に対し、上げた腕がギリギリで防御に間に合ったのだが、足の強化が足り無く簡単に吹き飛ばされてしまった。
なるほど、不思議そうにしてたのは、私の身体強化を待っていたのに来いと言われたからか。
吹き飛ばされつつも、私は身体強化を肉体の痛まない三割まで高めて行い、くるりと空中で回転して足から着地をした。
「……人は見かけで判断してはいけないって事ね」
「あ、そうそう。さっき説明漏れていたんすけど、『技能共有』を少し調節しないと、本当に怪我するっすよー?」
「どういうこと?」
私は構えながらゼクスの方へ視線を送る。
「爆弾狐さんの固有魔法は、双方に効果があるんすよ。爆弾狐さんの方は説明した通り、恐らく最大で本物の効力の半分程度の力で固有魔法が発動出来るっす」
「相手の効果は?」
「爆弾狐さんの魔力、身体能力を借りられるっす」
ゼクスへ質問をしている間、あーちゃんは構えを解いて待ってくれるみたいなので、私も構えを解く。
そういう事か。だからゼクスも再接続しないと言われて、残念という感想だったのだろう。
自身の魔力量を感じてみると、大凡一割程度が無くなっている気がする。『技能共有』を最大限まで発揮すると、恐らく一割は相手に使われるのだろう。
調節という表現をしていたので、『技能共有』によって出来ているあーちゃんとの繋がりを意図して小さくしてみると、その分だけ魔力量が戻った感覚があった。
接続している能力が切れそうなくらいまで低くすると、『精神干渉』がほぼ使えない代わりに、身体能力、魔力量ともに元の値に戻った気がする。このまま調節すれば共有の切断も出来そうだ。
「……先に言ってほしかったわ」
「うぅ、あーちゃんの中ののいんちゃんが、ちっちゃくなっちゃった……」
「大丈夫よ、後でまた戻すから安心して頂戴」
「絶対だよ!」
試合再開とばかりに改めてあーちゃんが構えを取ったので、私も構えを取る。
もはや先程まで抱いていた壊してしまいそうな印象は全く無く、全力で行かなければこちらが簡単にやられてしまうと意識を改める。
お互い無手だが、強化している身体はそれだけで武器となり、気を抜けば簡単に大きな怪我を負ってしまうだろう。
「じゃ、いっくよー!」
私の準備が出来た事がわかると、あーちゃんは再び突っ込んできた。
やはり早い、以前戦った四級冒険者のカールが獣化したときと比べてみても、断然あーちゃんの方が身体能力が上だろう。
あーちゃんは私の目の前までくると、手がぎりぎり届かないくらいの位置で半回転し、回し蹴りを放ってきた。
だけど先程とは違い、初見ではあーちゃんの身体能力に驚かされたが、しっかりと準備出来ている今であれば完全に捉える事が出来る。
回し蹴りを膝を少し曲げて屈んで避け、追いかけるように放たれた裏拳は後ろに下がりやり過ごす。
そのままあーちゃんがやや前傾になって突き出した拳を首を振って避け、倒れこむよう前宙転しながら踵が上から襲ってきたので、半身になって避けると同時に構える。そしてあーちゃんの踵落としが目標を失い地面につく刹那の間に、今度は私からあーちゃんの脇腹へと掌底を繰り出すと、あーちゃんは片手で受け止めつつ威力を吸収して、その勢いで後ろに下がり距離を取った。
驚いた。まさか片手で止められるとは思わなかった。あんな細腕なのに、筋力面はあーちゃんの方が上のようだ。
今の一瞬で大凡だがお互いの身体能力の差がわかったのだが、信じられない気分だ。
素早さと技術は私の方が上みたいだが、私の場合は二級冒険者やその他を吸収した上でやっと今の強さを持っているのだ。しかしあーちゃんは、私の『技能共有』による恩恵が無い中でこの身体能力があるのは異常だろう。
「……これは予想外の展開っすねぇ。爆弾狐さん、見ない間に何かあったんすか?」
「のいんちゃん、強くなってる」
「自覚は無いけど、アナタ達がそう思うのなら、そうなのかもしれないわね」
先程あーちゃんは「久々」と言っていたが、このあーちゃんに対して以前の私はどうやって訓練をしていたのだろうか。
「前の爆弾狐さんは、自分の『完全再現』を使ってなんとか訓練しようとしてたんすけど、今は完全に見切ってるっすもんね」
「凄いよのいんちゃん! じゃ、あーちゃんも本気だすよ!」
「……え?」
以前の私は痛みを感じ無かったのだろうか。黒い塊を吸収する前の身体能力では、良いとこ殴られる時に殴り返せれば上々だろう。そう考えると、殴られるたびに『完全再現』を使って練習していたと予想する出来る。……私は馬鹿なんじゃないだろうか。
いや、それよりも聞き逃せない言葉があった。あーちゃんが本気を出すと言ったように聞こえたが、あれで上限ではなかったのか? 先程の動きは見切れていたが、さらに身体能力が上がれば反応すらも難しいだろう。
「いくよ!」
「ッ!?」
宣言しながら肉薄してくるあーちゃんは、先程よりも目で追いにくくなっている。こうなると私よりも少しだけだが早く動けるようだ。
私に有利な点がもう技術しか残っていないのだが、身体能力が完全に劣っている状態では対応が格段に難しくなる。
あーちゃんが加速を乗せた拳を顔目掛けて放ってきたので、一発目は何とか体ごと避ける。しかし二発、三発とすぐに腕を引き戻して連続して繰り出されると、もはや拳を突き出す方向から勘を頼りに避けるしか出来なくなってしまった。
「……ふっ、ふっ!」
あーちゃんは拳を繰り出す度に小さく息を吐いてリズムを取っているようだった。そのリズムに合わせて私も避けようとするが、段々速度が上がって来ており、少しずつ繰り出される拳が掠り始めてきている。
「……っ!」
このままでは防戦一方になってしまうので、一時的にでも身体強化を五割ほど行うべきか一瞬迷う。一度でも反撃に出られればそのままのペースで圧倒できるかもしれないが、使用すると消耗が激しいので上手くいかなければやられてしまうだろう。
しかし、その迷いが避ける判断を遅らせてしまった。
気づけば目の前にあーちゃんの拳が迫っており、既に避けれない状況だだったので咄嗟に腕を十字にして受けた。腕での防御は間に合ったものの、衝撃を逃がす為に後ろへ飛ぶことまでは出来ず、純粋な威力で体ごと吹き飛ばされてしまい、瞬く間に後方にあった壁と激突して激しい痛みを感じた。
何とか足から着地するが、腕を上げようとしても力が入らない。三割で全身強化をしていたはずなのだが、受けた腕は両腕とも折れているみたいだ。……うん、とても痛い。
「ご、ごめんねのいんちゃん、大丈夫?」
「……ねぇ、提案なんだけれども」
心配そうな顔をしてあーちゃんが駆け寄ってきたので、涙の滲みそうな視界の中、私はなんとかあーちゃんを見据えて言った。
「戦闘訓練、しばらくはお休みしたいのだけれども」
「あ、うん……」
その言葉に、あーちゃんは申し訳なさそうに頷いた。
 




