021
目の前にあーちゃんの顔がある。
「んっ、んふ……ん」
やっと固まった思考が働いてきた。
状況を整理すると……いや、するまでも無いが、あーちゃんに口付けをされている。
それも唇同士が触れ合うような可愛らしいものでは無く、もうお互いどちらのものなのかもわからないほどに混ざり合った唾液を、それでも掻き混ぜようとする程に貪欲なキスだった。
「んちゅ、はむ……ちゅっ」
「ん……」
あ、不味い。せっかく働いた思考が、何故だかふわふわとした気分になってきて纏まらなくなってきた。
これも『精神干渉』の能力の一端なのだろうか、ってそんな事考えていたらまた意識が……
「ん、んーっ! っぷは」
「あう」
なんとか残った理性を総動員して引き離す事に成功した私は、垂れそうになった唾液を慌てて拭う。そしてあーちゃんに視線をやると、少し上気した顔で小さな舌をチロリと覗かせ、触れ合っていた唇を舐めていた。
私は呼吸を落ち着かせながら、ゼクスへ確認の意味を篭めて視線を向ける。
「ふぅ……私の能力の話だったはずよね?」
「間違ってないっすよ。爆弾狐さんの能力は『技能共有』っす」
「どういう能力よ、今のキ、キスとは何か関係があったのかしら」
「簡単に説明すると、体液を交換した相手と色々共有出来る能力っすね」
体液交換……つまり今の接吻は、お互いの体液を交換する為の行為だったらしい。……思い出すと恥ずかしくなるが、確かにその、し、舌まで入れられていたので、充分に交換は行えただろう。
「こほんっ。なるほど、私だけはそういった前準備が必要な能力という事は理解したわ。それで肝心の能力は?」
「名前の通り、技能や固有魔法を相手から借りられる能力っす。つまり今ので、粘着虫さんの『精神干渉』を使う事が出来る様になったっすよ」
「……そうなの?」
それは何というか、強力すぎる能力ではないだろうか。裏返せば先程脅威に感じていた能力を、全て自分の能力として使う事が出来る様になるという事だ。
あれ、でも私のもう一つの力……死体を食べて身体能力と魔力、記憶を引き継ぐ能力では適正魔法が扱えなかったのだが、固有魔法はまた違うのだろうか。
「それって適正魔法は扱えないの?」
「それは無理っすね。固有魔法は魔力で扱える魔法っすけど、適正魔法はその適正があって初めて使える魔法っすからね。先天的にそっちの才能が無い人には無縁な話っすね」
それは少し残念だ。今の私は炎……もとい紅の力を借りる魔法が扱えるが、その他も使ってみたいという気持ちもあったのだ。
だけどそれは不可能という話なので、諦めざるを得ないか。
「それでも正直な話、自分らの中では一番強力な能力なんじゃないっすかね。少し気をつける事を挙げるとしたら、この能力は能力元よりもやや劣る事と、時間経過で劣化する事っすかね」
「気をつける点を詳しくお願い」
「まぁこれは以前の爆弾狐さんを見て思ったことなんで、正確なところはわかんないっすけど……恐らく本物の半分くらいは扱えると思うっすよ。時間経過での劣化の方は……もうほとんど自分と共有出来ていない事からの予想っすね」
「なるほど、まぁ半分でも扱えれば充分よね。……ん? え、ゼクスとも繋がってたの?」
「爆弾狐さんがいなくなる少し前に再接続したんすけど、もう三年も経過するんで残滓しか無いみたいっす。ちなみに共有している間は互いの位置が何となくわかるんすけど……今この距離で集中しないとわからないほどに、薄っすらとしか残ってないっすね」
言われたとおりに意識を集中してみると、あーちゃんの位置は目を閉じてもハッキリとわかるのだが、ゼクスの位置はわからない。
え? では以前、ゼクスともしたのだろうか……? 確かに見た目は綺麗だし、しても嫌な気分にならないとは思うのだが……うぅ、クラクラしてきた。あまり考えない方が良いかもしれない。
「自分とも改めて再接続しとくっすか?」
「ちなみに今の私の状態だと、どのくらいの力が発揮出来るのかしら」
「んー、『完全再現』で自分の体を復元出来るんで、恐らく本当にマズくなったら、ギリギリ生きてられる程度に戻すくらいじゃないすかね」
「……」
それを聞いてあることを思い出した。
私がきちんと思考出来る様になったのは、あの黒い塊を吸収してからであった。だが黒い塊を吸収するとき、信じられないほどの苦痛が全身を襲っていたのだが、もしかすると『完全再現』を使って復元し、なんとか生き長らえる事が出来たのではないのだろうか。
さらに考えると、マリーの態度が急変したのも何かしら魔法が使われた後のことだった。それもあーちゃんの『精神干渉』によるものだとしたら……?
「どうしたんすか? 急に黙って」
「……別に何でもないわ。そういえばあーちゃんも、以前の私と共有してたのかしら?」
「うん、ちゅっちゅしてたよ」
「ちゅっ!? そ、そうなの?」
そうなると、やはりこの能力を知らずの内に色々と使っていたらしい。加えてあーちゃんが躊躇無く唇を重ねてきたのもわかった。多分慣れているのだろう。
「とりあえずまだ再接続しないで良いわ。今の能力でも充分よ」
「そうっすか? 残念っすね」
残念って、そんなに私とキスをしたかったのだろうか? ただ能力についてまだ扱いきれる自信も無いので、今のところは一つずつで良いだろう。……まぁ本当は、立て続けにキスをする事に少し抵抗があったからなのだが。
とりあえず固有魔法については追々確認していこうと考え、他にないか聞いてみる。
「それで、能力については以上かしら?」
「もう一つ……自分らの一番大きな能力は、心蝕魔法が扱える事っすね」
「その言い方だと、全員が使えるみたいに聞こえるのだけれども?」
「そう言ってるんすよ」
固有魔法については説明を受けた今でも完全には把握しきれていないが、心蝕魔法においては一つだけ言える事がある。それは、与えられて扱える魔法で無いと言う事だ。
この魔法は、行使する当事者が心の底から願って初めて発動する魔法なのだ。それもただ願うだけでは無く、狂おしいほどに願い、どんな代償でも厭わないほどに渇望しなければ届かない。
「実験とやらで、心蝕魔法を使えるようにしたって事なの?」
「逆っすね。心蝕魔法が使えるからここに集めて、固有魔法を扱えるよう調整した、というのが正しいっす」
「……その話が本当だとすれば、いつ暴発するかわからない爆弾を複数で抱えてる事になるのだけれど?」
心蝕魔法は場所を選ばない……つまり、きっかけがあればいつでも暴走する魔法なのだ。私だと感情が急激に傾き、許容を越えると自分の意思を無視して発動してしまうのだが、他の人でも恐らくは同じであろう。
そんな危険物達を集めて、管理など出来るわけがないと思う。
「そんな事は無いっすよ。考えてもみて欲しいんすけど、爆弾狐さんは日々を何事も無く過ごしているだけで、心蝕魔法が発動すると思うんすか?」
「確かに多少の事では発動しないかもしれないけれども……」
言われた通り、何かしら大きな感情の変化が無ければ意図せず暴発する事はないだろう。
だけど、いつなにがあるかなんてわからないし、それだけで安心するのは楽観視し過ぎているように思える。
そう私が納得出来ないでいると、ゼクスもそれがわかっているようで説明を加える。
「それともう一つ、もし発動しそうな素振りがある人には――」
そこで一旦言葉を止め、片手を上げて自らの頭を人差し指でトントンと軽く叩きながら、続きの言葉を話した。
「――ココにあるものを封印されるっす。今の爆弾狐さんと同じみたいに」
頭にあるもの……記憶、か。
同時に少し納得も出来た。感情や意思などは、それまでの記憶があるからこそ持てるものなのだろう。対して少し前の私は、黒い塊を吸収するまでは言葉すらも忘れていたのだ。
つまり原動力となる感情が無ければ、管理も出来るということだろう。不愉快ではあるが、理解は出来るし効率的だろう。
不愉快……?
そういえば今更なのだが、心蝕魔法を使った直後に感じた……いや、正確には何も感じなかったのが、今では少しずつ感情を持って思考が出来ている気がする。
とはいっても、改めて実験区画での生活を思い返しても特に思うことはないので、恐らく一度焼失した感情についてはもう取り戻せないのだろう。取り戻したいという気持ちも湧かないのは、完全に燃やし尽くしてしまったからなのか。
「……ねぇねぇ」
「何かしら?」
自分の感情について考えていると、あーちゃんが私を見上げながら不安気な表情をしていた。
「あーちゃんの事、覚えてないの?」
「……えぇ、悪いわね」
「そっか」
少し迷った末にそう答えると、あーちゃんは顔を伏せてしまった。
最初から初対面である態度を取っていたつもりだったが、あーちゃんは以前の私を知っているのだから、複雑な気持ちなのだろう。
だけどそれでもしがみ付いて離れないので、悪く思われてはいないと考えたい。
「でもどうやって記憶を奪われたのかしら……それも実験で?」
「いや、恐らくは一番の人が使える固有魔法っすね。ただ自分も詳しくは知らないんすよ」
「そう、わかったわ」
これで一つ目標が出来た。いつか必ず記憶を奪った人に対しては、何かしらの報復をした上で記憶も返して貰おう。
それはそうと、私の体感だとこの場所に来たのは初めてとなるので湧いた疑問なのだが、なぜ成功体の人達はここに住まう事を納得しているのだろうか。
聞いている限りでは勝手に記憶を奪われたり、処理が大変な仕事を押し付けられたりと、良いように使われている風にしか聞こえない。
私ならばすぐに出て行こうと考えるのだが、他の人達は違うのだろうか。
……まぁ今はまだ自分を取り巻く環境についても把握しきれていないので、もうしばらく様子を見てから判断しても遅くは無いか。
「まぁこんなところっすかね。他に質問は何かあるっすか?」
「そうね、一度に全部聞いてもわからなくなるだろうし、気になったらまた聞くことにするわ」
「その方が良いかもしれないっすね。それじゃそろそろ、部屋の外も案内するっすよ」
「確かに自分の生活環境くらいは知っておきたいわね。お願いするわ」
「……あーちゃんも行く」
私がベッドから降りるとあーちゃんもすぐ後に続き、私のスカートの裾を掴んで一緒に立ち上がる。その横顔を盗み見ると、まだ俯いて泣きそうな顔をしていた。さっきの件を引きずっているのだろう。
さっきまで笑顔で抱きついてきていたあーちゃんの沈んでいる姿を見ると、好意を向けられただけにいたたまれない気持ちになりそうだ。
私はスカートの裾を掴むあーちゃんの手を取ると、そのまま手を繋いで歩き出す。
あーちゃんは一瞬驚いた顔で私の顔を見ると、目があった途端に笑顔になった。
目があったからだろうか、おそらくあーちゃんの固有魔法『精神干渉』の影響で、あーちゃんの表層にある感情がわかる。
嬉しい、好き、そういった気持ちがわかって一瞬驚いたが、すぐに恥ずかしくなりそうになり、それを我慢しようとして良くわからない気持ちになりつつ素早く目を逸らした。
……私があーちゃんの気持ちがわかるということは、私以上の精度で私の気持ちがあーちゃんに伝わっているのだろう。それを考えると凄くその……気恥ずかしくなる。
そのまま部屋から出ると、部屋よりもだいぶ広い所に出た。周りにぐるっと目をやると、最初のゼクスの説明通り広間を挟むように左右に二つずつの部屋と、上の階層に行くための階段、奥には調理場とお手洗い場がある。
そこでふと、今しがた出てきた部屋について気になり、自然に言葉が口をついた。
「あっ、そういえばなんで私はあーちゃんの部屋で寝ていたのかしら?」
「っ!」
「あー……それはっすねぇ」
ゼクスは少し言い辛そうにして、私の少し後ろの方に目を向けていた。
「ここに私も以前住んでいたのでしょう? だったら私の部屋もあると思うのだけれども」
視線が気になり、私もゼクスの目線を追ってみると、そこにはさっきまで笑顔だった……そして今は何かをごまかそうとして、視線をあさっての方向に向けているあーちゃんがいた。
せっかくなので試しに『精神干渉』を使ってみる。目を合わせないと使えないとも思ったのだが、先程再接続した『技能共有』により強化されたみたいで、相手を認識していれば使えるようだ。
そしてあーちゃんの今の気持ちは……焦りと気まずさと、少しの恐怖。
とりあえず何かしらの要因はあーちゃんにある事はわかったが、それでも理由まではわからなかったので、確認してみる事にした。
「ねぇあーちゃん、私の部屋はどこなのかしら?」
「……のいんちゃんは、あーちゃんと一緒の部屋だよ?」
「そうなの?」
「んなわけないっすから……ほら、こっちっす」
「あっ! だ、だめだよ!」
私の質問にも目を逸らしながら答えたあーちゃんだったが、ゼクスが案内しようとすると繋いでいた手を離して隣の部屋の扉の前に張り付き、「ここは通さないよ!」と言った意思を感じさせる表情で立ちはだかった。
あ、そこが私の部屋なのね。
うーん、どうしようか。まだこの娘について詳しくわかっていないので、上手い説得方法がわからない。
「あーちゃん、ちょっとそのお部屋を見せて欲しいのだけれど」
「うぅ、のいんちゃん……この部屋には何も無いから、見ても楽しくないよ? あーちゃんの部屋で一緒にいた方が楽しいよ!」
……もしかして自分の部屋でずっと一緒にいたいから、私の部屋は無かった事にしたいのだろうか。
自意識過剰かもしれないが、もしそうであればそこまでの気持ちを向けられている事に嬉しく思うし、なんだか一所懸命な所も可愛く見える気がする。
「ねぇあーちゃん。私は自分の部屋があっても、あーちゃんの部屋で一緒にいるわよ?」
「え? 本当? のいんちゃん大好きー!」
私がそう言うと、あーちゃんは私に向かって飛び込んできたので優しく抱きとめた。もうあーちゃんの中では部屋への関心はないみたいで、不自然の無いように立ち位置を入れ替えても気づかれなかった。
さてと、それでは気を取り直して。
「ありがとう、私も好きよ。じゃ、開けるわね」
「うん! ……うん? えあ、ちょっとま――」
一瞬あーちゃんから制止の声が聞こえた気がしたが、私は気にせず一気に扉を開く。
するとそこは――
――雪と氷に埋め尽くされた、白銀の小さな世界があった。




