020
「ん……」
目を覚ますと、見慣れない場所にいた。
白を基調とした明るい部屋で、綺麗で清潔な部屋だ。
とても少し前の記憶にある区画内の廃墟や関所には見えない。
「……? ここは?」
えぇと、確か関所で魔法を使って、それで倒れて……
あぁそうか。ゼクスがここまで私を運んできたのだろう。それにしてもここはどこなのだろうか。
今横になっているところはベッドの様であり、ふかふかで気持ちが良い。廃墟に備え付けてあった寝具とは比べ物にならない程の柔らかさを感じる。
……だめだ。現状がさっぱり把握出来ない。
とりあえずこのままこうしていてもしょうがないので、起き上がろうとする。
が……あれ? 動けない。
「……何? 重たいわね」
もしや魔力枯渇の後遺症で体の動きが鈍くなっているのではないかと危惧したが、すぐに違う事がわかった。
なんだか妙に生暖かく、具体的に言えば右腕側から締め付けを感じたのだ。
私は違和感の原因を探る為に、すぐさま掛かっていた布団を剥ぎ取る。
するとそこには……
「んっ……」
知らない人が私に抱きついていた。
漆黒の腰くらいまではありそうな長髪、長いまつ毛が乗っている瞳は閉ざされており、安心しきったあどけない表情で眠っている。
私が半ばパニックになり布団を剥ぎ取れば、寒そうに眉根を寄せて小さく身動ぎをした後に、私の胸に頭を押し付けてきた。
……さて、さっぱり状況が全然わからない。
まず一つ目の疑問は、ここがどこなのか。恐らくそれはゼクスに聞けば疑問は解消されると思うのだが、そのゼクスがいないので追々調べるしかないだろう。
そして二つ目がこの場所の安全性。まぁこれは今まで無防備に寝ていたので大丈夫だと思う。念の為に耳を澄まして周りを確認するが、近くには動くものはないみたいだ。
最後に三つ目、これが一番重要なのだが。
この子、誰?
「んん、ん……?」
そうやって思考を巡らせていると、少女が小さく声をあげた。どうやら考えている内に、目を覚ましたようだ。
その少女は起き上がると、半分ほど開いた瞳で目の前にいる私を見ているが、まだ意識は覚醒できていないみたいで、ぼーっとしながら見つめてきている。
「おはよう……?」
「……ぅ?」
意思疎通が出来るか不明であったので、今の状況に適した挨拶をしてみた。
すると少女の半分しか開かれていなかった目が徐々に開いていき――
「――のいんちゃんだ! 本物だー! のいんちゃんのいんちゃんのいんちゃーん!」
「……えぇと」
さらに抱きつかれた。
今度は首の後ろに手を回され、頬を擦りつけながら大きな声で名前を連呼してきたので、とにかく耳が痛い。
私は少女の両肩をもってグイっと引き離し、一番の疑問を聞いてみる。
「少し落ち着きなさい、アナタは一体誰なのよ?」
「? あーちゃんだよ!」
なるほど、あーちゃんらしい。
何もかもわからない状況なのだが、見た目や行動からは害意は無さそうだったので、とりあえず名前だけわかればいいだろう。
そのあーちゃんと名乗った少女は何が楽しいのか、ニコニコと私の顔を眺めていた。
「そう、わかったわあーちゃん。それで教えて欲しいのだけれど、ここはどこなのかしら?」
「あーちゃんの部屋だよ!」
「え? あ、あぁそう……ふむ」
そんな事を聞きたいわけではなかったが、これはもしかしたら聞き方が悪かったかもしれない。
年齢は私よりも少し上に見えるのだが、言葉が幼い。もしかすると精神年齢にあわせて話す内容を変えるべきなのかもしれない。大人相手での意思疎通もままならない私には、中々にハードルが高そうだ。
さて、どうしたものかと言う言葉を考えていると、部屋の入り口から物音がしたので、咄嗟にあーちゃんという少女を背に庇うよう体勢を変えながら視線を向ける。
「おや? 目が覚めたっすか……ってなんで粘着虫さんまでここにいるんすか?」
「……なんだ、アナタだったのね」
「ここ、あーちゃんの部屋だもん!」
入ってきた相手がゼクスだとわかり、雰囲気から敵意がない事を読み取ると警戒を解く。
対して声を掛けられたあーちゃんはぷいっと顔を背けながらそう返すと、私の背中にもたれ掛かってきた。
「ゼクス、ここはどこなのかしら? あとこの娘は?」
「んー、覚えてないっすか」
ゼクスは開いた扉を閉めながらそう言うと、ツカツカと歩み寄ってきて私に背を向けベットの端に座った。恐らく私に対して警戒されないよう背中を見せているのだろう。
それと同時に後ろからグイっと引っ張られ、あーちゃんと名乗った少女に背から体重を姿勢になる。ゼクスから離そうとしているのだろうか。
「まずは誤解されていたら困るんで言っておくっすけど、自分は爆弾狐さんの仲間っす」
「へー、そう」
「反応薄いっすね……」
そう言われても、そもそもゼクスに信用出来る要素なんてあったのだろうか。
心蝕魔法を使った今だからこそ思うところはないのだが、そもそものきっかけや要因はゼクスにあったと思う。
そんな状態で仲間ですと言われても、話半分で聞き流すしかないだろう。
「それで、説明はしてくれるのでしょうね?」
「そっすねぇ……一番手っ取り早いのは、爆弾狐さんが思い出してくれれば良いんすけど……それは無理っすもんねぇ」
うーん、と腕を組み右手の人差し指を顎の少し右側に当てつつ、話す内容を整理しているみたいだ。
だがそのまま考え続けて唸っているだけなので、こっちから質問した方が早く回答を得られそうだ。
「そうね、じゃあこの場所の事から説明しなさい」
「なぜに命令口調っすか、いやまぁ良いんすけど……」
ゼクスはこちらに顔だけ向けて苦笑し、そのまま続けた。
「ここはベルン国の王城の中っす。とは言っても完全に城の中って訳ではなくて、敷地内にある離れの、さらに地下なんすけどね」
これには少し驚いた。
まさか少し前に潰そうと考えていた敵陣ど真ん中にいたとは。
「なんでそんなところに私を……?」
「覚えてないとは思うんすけど、元々ここが自分らの住んでた場所なんすよ。ここの部屋とは別に個室がもう三部屋あって、部屋から出れば広間もあるっす。当然台所やお手洗いもあるっすよ」
言葉をそのまま信じれば、私は以前ここに住んでいたらしい。記憶には全く無いが。
「基本的に自分らはこの場所で生活するっす。さっき地下って言ったんすけど、ここは地下五階っす。下から今の居住区、訓練室、実験室、牢屋、会議室となってて、自分らが自由に行けるのは地下二階の牢屋までっすね」
色々と気になる単語が出てきた。
それぞれの名称から大体どのような場所なのかは予想が付く。しかし実験室や牢屋が上にあるのか。そんな場所の下に住むと思うと、あまり気分が良くないと思うのだが……ゼクス達は気にならないのだろうか。
「ん? でもゼクスとはあっちで出会ったわよね? 二階までしか行けないのなら、アナタが外にいるのはおかしいんじゃないかしら」
「まぁ、働かないで衣食住の保障はして貰えないって事っすよ。自分らは実験で常人以上に強化されて、さらには強力な能力もあるんで、通常で処理出来ない事案が発生した場合にだけ、自分らが駆り出されるって訳っす」
「なるほどね、都合の良いときに使われて、それ以外はここで大人しくしておけって事ね」
「ありていに言えば、そっすね」
そうなると、すぐに危機的状況にはならないだろう。
しばらくここで過ごす事になりそうだ。今の所したい事や目標などもないので、それはそれで特に不都合が無く良いかもしれない。
「とりあえず場所についてはわかったわ。次に……この娘、えーと……あーちゃんについて教えてくれないかしら」
「そんなの本人に聞いてみたら良いじゃないっすか」
「聞いてみたらあーちゃんだよって返ってきたから、アナタに聞いているのよ……」
「あーちゃんは、あーちゃんだよ!」
「あー……そうだったっすね」
ゼクスはあーちゃんという娘の性格なども知っているのだろう。納得した表情で頷き、説明を続ける。
「その人は自分らと同じ成功体っす。識別番号八番っすね」
「八番だからあーちゃんって事ね」
「あーちゃんって呼んでね!」
本人の強い希望もあるので、とりあえずこの娘はこのままあーちゃんと呼ぶ事にしよう。
それと考えていた通り、あーちゃんも成功体であったようだ。しかし、識別の番号を聞いていると疑問が沸く。
「ところで成功体って、何人いるのかしら? ここには四部屋しかないのだから、四人かしら?」
「全員で十人っすね、零から九までっす。だから爆弾狐さんがラストナンバーっすね。それとここみたいな離れは他にも複数個所あるんで、五番までは別の所で住んでるんすよ」
他の場所にもあるのか。
となるとここには、部屋数から言って六番から九番までって事なのだろう。
「ちなみに、七番は今いないっすよ。自分と入れ違いに仕事が入ったみたいなんで、出張中っす」
「あら、そうなの」
一応全員の顔だけ見ておきたいと思ったのだが、今は会えないらしい。
いないならそれは仕方が無い。気になることは他にもまだまだたくさんあるので、質問を続ける。
「じゃあ次は、アナタがさっき言っていた強化と強力な能力について確認しておきたいわ」
「まず強化は、後で実際に見て貰った方が早そうっすね。というわけで能力から説明するっす。……ところで爆弾狐さん、固有魔法って知ってるっすか?」
「? 魔法は基本魔法と適正魔法、それと心蝕魔法の三つだけじゃなかったかしら」
思い出した知識の中でも私が知っている魔法は、今言った三つの魔法くらいだ。
固有魔法という言葉自体初めて聞いたので、恐らくゼクスが三つの内どれかと間違えたのだろうと考え答えた。
「違うっす。少々特殊な魔法なんで、心蝕魔法と同様にあまり知られていないんすよね」
ゼクスはそう言うと突然立ち上がって私に向き直り、胸元からナイフを取り出した。
当然私は警戒を露にして身体強化を施し、加えて自分の周辺を魔力で覆ってすぐに発動出来る準備をする。
なぜか後ろにいるあーちゃんも、ゼクスに対して手を伸ばし掌を開いて向けていた。
「『第一節――』」
「ちょ、ちょっと二人とも待つっす! 特に粘着虫さんは何詠唱始めてるんすか!? 能力説明に必要なんで、見やすいようにそっち向いただけっすよ」
「……紛らわしーよ?」
私達の様子に気づいたゼクスは一歩下がり、慌てた様子で手を振って弁解をする。
それを見たあーちゃんは文句を言いつつも手を下げ、私の背に頭を押し付けてきた。もう興味が無いみたいだ。
そんな中で私は、周りに展開した魔力を引っ込めながらも警戒は解かず、ゼクスの動きを見張る。
「やっぱ信じて貰えてないっすねぇ……はぁ、良いっすよ。その内信じてくれれば……」
「で、それをどうするの?」
いじけている素振りを見せるが、私は無視して先を促す。
いつまでも目の前で武器を持たれているのは、あまり精神衛生上よろしくないのだ。
「相変わらず冷たいっすね……それでこれなんすけど、こうするっす」
「え?」
ゼクスは一切躊躇わずに、自分の腕にナイフを突き刺した。
その行動に私の理解は追いつかず、ただゼクスを見つめる。
「うっ、やっぱ痛いっすね……んで、これが自分の魔法『完全再現』っす」
次の行動で、やっと私にも理解が追いついた。
ゼクスの使った魔法で、今しがた出来た傷口が急速に塞がり、流れていた血も瞬く間に綺麗さっぱり消えてしまった。
そういえばと思い返すと、私の心蝕魔法で煤だらけになっていた体や服も同じように元通りに戻っていたので、恐らくあのときもこの魔法を使ったのだろう。
今更気づいたが、自分の着ているワンピースも血まみれだったのが綺麗になっており、綺麗な状態になっている。これもゼクスがやってくれていたのだろう。
「と、ご覧の通りに元の状態に復元する事が出来るのが、自分の『完全再現』っす」
「便利ね……それがあれば怪我人が出ても一瞬で元通りってわけなのかしら」
「いやーそれが、人の体や生きているものだと、自分の体以外は能力適用外なんすよね……命無いものであれば、今みたいに一瞬で元に戻せるんすけど」
「なるほどね、まぁそうであっても便利な魔法ね」
便利という言葉で表したが、正直な感想では強力すぎる力だと思う。
彼女に対しては傷を負わせる事に意味がなく、一瞬で息の根を止めないと、魔力のある限り完全復活し続ける。それだけで無敵に近いだろう。
他にもあえて説明はしないみたいだが、色々と応用は利くと考えられる。幸い今は敵意を向けられていないが、もし彼女が心変わりして戦う事になった場合、かなり厳しいだろう。
「いや、そこは警戒を一段上げるんじゃなくて、心強いと思って欲しいとこなんすけど……はぁ、粘着虫さんはどうするっすか?」
「? なにが?」
「話、少しは聞いたほうが良いと思うっすよー……爆弾狐さんに能力見せて説明するっすか?」
「うんっ! いいよー」
ゼクスは疲れた表情で話を振ると、あーちゃんは笑顔で了承を返した。最初は仲が悪いのかなとも思っていたが、そうでもないみたいだ。
さて、固有魔法というのは中々に強力だということがわかったので、あーちゃんの能力も見逃さないようにしなければ。
そんな私の気持ちを知ってかは知らないが、私の目の前に回りこむと、「じーっ」っと言葉を口に出しながら見つめられた。
え、なに?
「のいんちゃんはあーちゃんの事、どう思う? 見た目でも思ってることでも、何でもいいよ」
「いきなりね……えぇと、見た目は可愛いと思うわ」
「あはっ、嬉しいな!」
藪から棒な質問に対し、咄嗟に見たままの感想を言うと、とても嬉しそうに笑った。
うん、確かに見ているだけで暖かくなると言うか、私と同じくらいの年齢だと思うのに庇護欲をそそられるというか……ぎゅーっと抱きしめていたいと思わせる可愛らしさを秘めている。特に彼女の腰くらいまである、流れるような黒髪はとても艶やかで綺麗に映るのでいつまでも見ていたいと思うし、さっき感じた頬の感触なんか、ふにふにで柔らかくてとっても気持ちが良く……って、あれ? なんで私は急に、こんな事を考えてるのだろうか。
「どうだった?」
「? 何がよ?」
我に返った私が心の中で首を傾げていると、なぜか笑顔で感想を求められた。
しまった、もしかして今何かをしていたのか?
見逃すまいと意識してすぐにこの体たらくとは……我ながら情けなさ過ぎる。
「あーちゃんのこと、もっと可愛く見えたでしょ?」
「っ!? 今のがアナタの!?」
「アナタじゃないもん、あーちゃんだもん……そうだよ、『精神干渉』があーちゃんの固有魔法なの」
これはとてつもない能力だ。一瞬にして思考までもが誘導させられていた。
そして真に恐ろしいのは、今私は何かされたなんて全く思わなかった事だ。つまり種を明かされなければ干渉されたかすらわからない。今思考を取り戻して不自然に感じたのは、多分あーちゃんがすぐに魔法を解いてくれたからだろう。
これが毎日……いや、短期間でも会うたびに掛け続けられれば、それが自然な思考として定着してしまう可能性もあると思われる。
現在満面の笑顔で抱きついてくるこの少女については、ゼクス以上に早急に対策を取らなければならないのかもしれない。
……それにしても、なぜこんなにも好意を向けられているのか。
本当に嬉しそうにしているので、早く対策をとらないといけないとは考えつつも、何となく無碍にし辛い。
まぁうん、危険を感じたときでも遅くはないか。今は状況把握の方が大切なので、好意を抱かれている間は、後回しにしておいても良いだろう。
「確かに強力な力ね、また詳しく見せてくれたら嬉しいわ」
「いやいや、その必要は無いっすよ」
「必要ない? どういう事かしら?」
「忘れたんすか? 爆弾狐さんも成功体っす。だからちゃんと固有魔法も持ってるっすよ」
固有魔法……あぁ、死体を食べる能力の事だろうか。
あれ? でも食べてる姿を見てゼクスも驚いていたし、あーちゃんの能力を見る必要がないと言われたのとは関係ない気がする。
とりあえず聞いてみるのが早いか。
「私にどんな固有魔法があるっていうの?」
「んー、それもやってみせた方が良いっすね」
「あーちゃんにまかせて!」
正面から抱きついていたあーちゃんは一旦離れ膝立ちになると、私の頭に腕を回して固定する。
そして何を思ったのか、どんどん私に顔が近づけていき――
「え? 何を……」
「……んっ」
――ちゅっ
私の続く疑問の声は、そのまま彼女の整った唇ででふさがれてしまった。




