017
「……マリー?」
吐息が私達を通り抜け、視界が白から元に戻っていく。
マリーが私の前で壁になってくれたからか、それとも私の身体能力によって助かったのか。
それはわからなかったが、今はそのどちらかなど考えている余裕はない。
「マリー?」
マリーは私に向けて、微笑んだ表情を張り付けたまま、動かない。
いつもならその顔を見て安心できた。でも今は、その表情のまま変化が無い事に、不安が掻き立てられてしまう。
私はそんな不安を覆い隠すように、マリーへと言葉を掛け続ける。
「外へ出るわよ? そしたら一緒に、暮らして……ご飯とか、お買い物を……」
体に絡み付いていた糸は既に完全に凍っていて、粘膜による拘束が解けている。私はそれを力任せに砕いて抜け出すと、即座にマリーの元へと駆け寄った。
「ほ、ほらっ! 何か言いなさいよ……いくらマリーでも、あまりふざけるのなら私も怒るわよ?」
それでもマリーは表情を変えない。
私の大好きな笑顔を向けたまま、マリーは動かない。
嫌だ、ありえない。
理解出来ないし、したく無い。
私が化物だって事を受け入れても良い。だけどこれだけは受け入れられない。
「あー、マリーって言ったっすかね? その子」
「……やめ、て」
ゼクスが何か言ってきている。
きっとゼクスは言う気なのだろう。私が絶対に聞きたくない言葉を。
「いやー、格好良かったっすね! 颯爽と前に出てきて、守って! ……だけど」
「いや……やだ、やめて。お願い、やめて……」
私はゼクスに泣いて懇願する。
それだけは、ダメだ。絶対に耐えられない。
だけど、きっとコイツは言ってしまうだろう。
短い間の付き合いだったが、ずっとそうだった。
「死んじゃったっすねぇ」
「――ッ!?」
あぁ……
マリーが、死んだ……?
「自分は言ったっすよね? 化物は普通の人とは生きられないって」
「……ぁあ」
私はマリーと一緒にはいられない?
私が化物だから?
「それとも、これでもまだ、大丈夫なんすかねぇ?」
「あぁぁ……」
大丈夫……? そんなわけがない。
私はマリーがいたから、まだ大丈夫だった。
じゃあマリーがいなくなったら? もしまた、誰も見てくれなくなったら?
また? またって何が……?
「あーあー、これで独りぼっちっすねぇ」
「……ぁあぁ」
そうだ、その通りだ。
マリーがいなくなれば、もう誰にも見て貰えなくなる。
私を、私自身を見てくれる人は、もう誰も……
あぁもうだめだ、全然大丈夫なんかじゃなかった。
もう私は……――
「でもでも、問題無いっすよ? 自分らなら……」
「――あ、あぁあ……ぁはっ!」
「へ?」
マリーはいなくなっちゃったんだ。
「あはっ、あはははっ! あはははははははははははははハハハハハー!!」
「あ、これやばっ」
ゼクスが目に見えてうろたえるのが見えたが、なんだろうか。
それに私自身はちっとも楽しくないのに、際限なく笑いが込み上げてくる。いや、違う。楽しくないわけでは無い。
楽しいし苦しいし悲しい、不思議な気分だ。こんなに笑ってるし可笑しいのに、涙が溢れて苛々もしている。
「はははっ! あはっあははー!! あはははハハハ!」
色々な感情が、堰を切ったように溢れ出して止まらない。
制御出来る許容量を超えて、気持ちが氾濫してしまったみたいだ。
私の視界は徐々に真っ赤に染まっていき、意識も熱に浮かされたようにふわふわしてきた。もう思考もあやふやだ。
チラリとマリーの姿が見えた気がしたが、正直判別出来ている自信は無い。そんな事にかまけていられるほど、気持ちの余裕も無かった。
これは、何? 意味がわからない。何もかもわからないけど……
「あはっ! ははは、あはははっ! あはははハハハハハハハー!」
なんだろう、前にもこんな事があった気がする。
えぇと、何だったっけ……?
あぁそうだ。確か私が化物になる前の、普通の子供だったときに――
「エリス……ちゃん?」
無意識に言葉が漏れ出た。
何が起こっている?
エリスちゃんの笑い声が響き渡っている中、私は目を覚ました。
周りに目をやると、化物たちはまだ健在のようだ。蜘蛛型は動かず、白い狼型はエリスちゃんの様子を覗っている。
改めてエリスちゃんの方を見ると、身動きしない女性の前で、明らかに冷静さを失ったエリスちゃんがいた。
私は焦る気持ちを抑えようと軽く唇を噛みながら、すぐに記憶を辿る。
えぇと、確か私はアリーセさん達が化物を出そうとして、それを止めようとしたけど止められなくて、聖魔法で結界を張って……気が付いたら、今の状況。うぅ、全然わからない。
でもこのままだと、エリスちゃんが化物たちにやられてしまう事だけはわかる。それは嫌だ!
私は泣きそうになりながらも、とにかくエリスちゃんの元へ向かおうと決めたとき、ゼクスさんが走ってこちらに向かってくるのが見えた。
「前髪さん! ちょっとコレまずいんで、聖魔法を頼みたいっす!」
「え? あ、ゼクス、さん?」
とても焦った表情と声で、ゼクスさんが叫ぶように言って駆け寄ると、私の横に並び立つ。そこでようやく我に返り、他の人が居た事を思い出す。
そういえば、アリーセさん達の姿が見えない。
「アリーセさん達はっ!?」
「え? あー、その人達はもうダメっす。そんな事より早くっ」
「ダメってなに? それに化物がまだいるし、エリスちゃんの様子もおかしいしっ!」
「あーもうっ! 今は本気で時間が無いんすよ! 冒険者の皆さんは化物にやられたっす、んで、爆弾狐さんは間も無く爆発するっす!」
ゼクスさんが苛立たし気に答えるが、内容が抽象的でわかり辛い。
アリーセさん達が死んでしまった? いきなりそんな事を言われても……それに、エリスちゃんについては……爆発? 意味がわからない!
「エリスちゃんが爆発って、どういうことなの!?」
「この辺り一帯が炎上するっす。けど爆弾狐さんは安全なので、そこは心配しなくて良いっすよ。……そろそろ本当にマズいんで、質問の回答にはもうこれで満足して、早く魔法を使って欲しいっす!」
ゼクスさんの表情から、本当に余裕がなさそうなのがわかったので、湧き出る疑問と感情を飲み込み、すぐに結界を張ろうと行動を始める。
……本当はエリスちゃんが心配だけど、ゼクスさんは私より事情を知っているみたいだから、まずは言われた通りにすればちゃんと教えてくれるかもしれない。
残りの魔力を確認すると、アリーセさん達を止めるときに魔力量の大半を使ったためにほとんど失っていたようだ。私は残った魔力を搾り出すようにして、詠唱を始める。
「くぅっ……『我の周りを囲み 一切の害意を弾け』」
「……一節破棄? 前髪さんも自分らと同じ……いや、今はそれどころじゃないっすね、『道を示して 軌道を変えろ』」
「『第二節 アジール』!」
「『第二節 ウィンドロード』」
聖魔法を発動させると、私達の周りに不可視の結界が張られていき、ゼクスさんの風魔法により風が周囲を取り巻いた。
言われたとおりに結界を張ったものの、何も起こらない。
「ゼ、ゼクスさん……? ここは安全かもだけど、エリスちゃんがっ!」
「良いからこのままっす! 間も無く来るっすよ」
そう言ったゼクスさんは、何かを待つようにエリスちゃんから視線を外さずに答える。対して私は、不安になりながらも同じようにエリスちゃんへと目を向けた。
「あははっ! ははっ、あはっははははは! あははははー!!」
少し状況が掴めてきた。
恐らくエリスちゃんの前で動かない女性の方は、エリスちゃんにとって大切な人だったのだろう。
微動だにしない事から、何らかの影響を受けてしまって動けないか、もしかしたら……死んでいるのかもしれない。
って、それじゃあエリスちゃんがあんな様子なのも、それが原因なんじゃ!?
狼型の魔物は未だに健在で、今はなぜか動く様子は無いけど、このままだとエリスちゃんが危ない!
「まだ化物が! エリスちゃんを守らないとっ!」
「待つっす、その必要はないんすよ! そもそもあんな犬っころ相手に、こんなに過剰防御はしないっす!」
「じゃあ何で?」
「そのエリスちゃんの方が、かなりヤバいからっすよ!!」
ゼクスさんはさっきから一体何を言っているのか。
明らかに平静を失っているエリスちゃんに、未だ健在な化物。
誰が一番危ないかなんて、今の状況であれば明らかだ。
自分だけ安全圏にいるなんて、私には出来ない。やっぱり早く助けないと!
「何いっているのかわからないよ! 私だけでもエリスちゃんを助けに――づっ!?」
私はエリスちゃんを助けに行こうと、自分で張った結界の外へ出ようとした瞬間、踏み出した足に火傷を負う。
予期せぬ痛みにバランスを崩し、前のめりに倒れそうになったが、ゼクスさんに腕を掴まれて結界の中へと引っ張り込まれた。
「な、なななにしてるっすか!? 馬鹿なんすかアホなんすか? 危ないって言ってるじゃないっすか! 前髪さんがやられたら、誰が結界を維持するんすか!?」
「痛ぅ……なんで……?」
「周りをもっとよく見てみると良いっす」
ゼクスさんの言葉に従って周りを見渡すが、特に火傷を負いそうな炎などは上がっていない。
が、区画からやってきたと思われる男達は、なぜか揃って蹲っていた。あれは……苦しんでいる?
「何が起こっているの?」
「爆弾狐さんの魔法っすね。まだ爆発しては無いっすけど、既にこの一帯は高温になってる筈っす」
これが、エリスちゃんの魔法……?
いや、だけど亜人はあまり魔法は得意ではないはずだ。
「あははっ! はははっあははっ! 『炎よ燃えろ 燃え盛れ』あははっ!」
しかし、現に目の前で詠唱を始めているエリスちゃんがいる。しかも聞いた事の無い詠唱だ。
ゼクスさんが何度も言葉にしている通り、エリスちゃんが狐族であれば、確かに火魔法が扱えるのはわかる。
だが、普通の亜人であれば一節程度の魔法が限界であり、ここまで大規模に展開される魔法は聞いた事が無い。
「亜人族は魔法が使えないんじゃ……」
「寝ぼけてんすか? 前髪さんも一節破棄しているのに、心当たりが無いとは言わせないっすよ?」
「……まさか」
「そのまさかっす」
魔法には四つの種類がある。
一般的に使われる魔法は、魔力が扱えれば誰でも使える『基本魔法』や、アリーセや私達が使っている様に、適正が無いと使えない『適正魔法』。
さらに私が扱っていた『空間把握』みたいな、その人にしか使えない特別な魔法として『固有魔法』があり、そして最後に最も危険な魔法――
「はぁ、はぁ……あはっ、あははっ『さぁ火にくべよう 喜怒哀楽を薪にして 大きく大きく燃え上がれ』はぁ……はぁっ、あはは、ははっ」
エリスちゃんの詠唱が進むに連れて、結界内の温度も上がってきたように感じる。
ここで初めて『空間把握』を思い出して周りの状態を確認していくと、結界の中とは比べられないほど高温になっていた。
そんな地獄とも言える空間にいる化物へと目を向けてみれば、蜘蛛の化物は足が使えなくなって動けず、もろに熱を浴びて表面から煙を出している。恐らくもう生きてはいないだろう。
一方白狼型は、吐息で身の回りの温度を下げようとしているのが見えた。たまに熱源となっているエリスちゃんへ向けて吐息を吐いているが、エリスちゃんに届く前に吐息は白色から無色になり、届く頃にはただのそよ風になっている。
「あははっ! 『いくら燃やしたって構わない さぁこの輝きを 皆の心に焼き付けろ』」
「グルルルァアアアアアア!!」
狼の化物は、上がっていく温度を下げようと必死に白い吐息を吐きだすが、何一つ効果は無い。化物がいくら吐息を吐いても、私の把握できている空間範囲でも、温度が下がるどころか逆に上がっており、人が生きていられないような高温となっている。
「グルルゥ……」
狼の化物もこのままでは危ないと思ったのか、ゆっくりと後退りを始める。
どうやらエリスちゃんに近づくほど温度が上がっている様子であり、よく見れば化物の毛先が、頭身部の方から焦げ始めていた。
「来るっすよ!」
「っ!!」
やはりエリスちゃんのこの魔法は……
「『心蝕魔法 フォルム・フレア』」
そしてエリスちゃんの詠唱が終わると、私は結界ごと、真っ赤に燃え盛る炎に包まれた。




