第四章 時間軸を超えて⑦
「南和典?ってあの、心音にそっくりな、あの子の親父さん?」
明日の朝に、隼人に電話がくることになっている。
顔は見たことはないが、どんな人物だろうと、隼人は頭の中に思い浮かべようとした。
「ううん。隼人の空間じゃあ、小説家で、奥さんがいて、詩音ちゃんっていう子どもがいるんでしょう。でも、私の空間では、南さんは小説家を目指している、私たちよりちょっと年上で、会社員の人。それにまだ独身」
頭の中で、真っ白なキャンパスを真っ二つに切ってみる。
片方が自分のいる空間。もう片方は心音が今いる空間。
そこに、心音が話す状況をパズルのように埋め込んでいった。
「じゃあそっちの空間での俺は、どんな奴?」
隼人は、気になったことを、心にとめず聞いた。
「わからないの」
「えっ?」
話が矛盾してきているのではないかと、隼人は頭をかいた。それでも心音は冷静だった。
「死んじゃった時、南さんの声を聞いて、気がついたら、隼人がいるそっちの空間での私は、こっちの空間の南さんの脳の中にだけ存在していたの」
「えっ、えっ?どういうこと」
理解力は悪い方ではないが、隼人は今の状況も非現実で、心音が話す言葉も、なにかの呪文のように感じた。まるで理解ができない。
「本当は存在したらいけないし、するはずないのに、私が今いる空間には、二人の私がいるの。今、隼人の目の前にいる私でしょ。それから、隼人と出会ってない私。今ここにいる私は、精神だけの人間なんだけど。もう一人は精神と肉体が一緒になって、ちゃんと空間に存在している正しい私」
「じゃあ、こっちに戻ってこいよ。肉体がないんなら、俺の脳の中に」
詳しくは理解できないが、つもりになって呟く。
「できないの。今ここにいることも不思議なくらいで。それに、隼人をまた悲しませちゃうんだけど、私こっちの南さんの脳にも、数分しかいられないの」
「ちょっと待てよ、なんで!」
隼人は思わず大きな声をだした。それが、脳に直接響いたというように、頭に手をやり、心音は激しい痛みに耐える表情になった。動揺するなといわれたことがよみがえる。だが、こんな状況におかれて同様しない人間がいるのだろうか。ましてや最愛の人物の前だ。
「自分の時間軸、たくさんの空間を頭の中で移動する。想像するっていう方がわかりやすいかな。想像するのは、みんなやってるでしょ?それは大丈夫で、負荷もかからないんだけど、他人の時間軸に入り込んで、こんな風に話をしたり、変えてしまおうなんてことをすると、その相手の人にある時間軸の核が、その歪みをすぐに修正しようとして、入り込んだ私を消去しようとするの」
「でも他人の人生を勝手に想像して、そこに入り込んで、話をしたりするっていうのなんか誰でもやってるだろう。なんで心音だけ消えるんだよ」
「隼人には、戻されるべき体がちゃんとそこにあるから。私には、その戻るべき体がないの。みんな、他人の人生をうらやましがったりするけど、結局長くいれずに、自分に戻るでしょう。私、隼人の時間軸に入り込んじゃったでしょ。今、隼人のいる空間にちゃんと私の肉体が存在してたら、私もそこに戻されるだけ。でも、さっきも言ったけど、もう私の肉体はそこにはないの。だから、隼人の時間軸がその歪みを修正しようとして、追い出されちゃうと、行き場がなくなるの」
「そっちの南って人の脳に戻ることは?歪みを修正しようとするのを止める方法は?」
隼人が質問を投げかけたが、心音は力なく首を横に振り、悲しそうな表情を浮かべた。
隼人は、そんな心音を見て、肩を落とした。
何を言っているのかはよくわからない。理解もできたようでできない。
それなのに、最愛の人が“また”自分の前から消えるという残酷をつきつけられた。




