第四章 時間軸を超えて⑥
その日の晩、隼人は強烈な睡魔に襲われた。
今まではりつめていたものや、肩の荷がいっきに降りたような気持ちになっていた。
後は、南和典という人物から、なにもかも聞けば解決する。
そこまで辿り着いたことで、言いようのない安堵感が訪れた。
「今日はなんか眠れそうだな」
そんな独り言を呟きながら、隼人は深い眠りについた。
・・・・・
以前から、心のどこかで、思い出すように心音の声を聞いていたが、今日は、頭の片隅の方で、心音が自分を呼ぶ声を聞いた。
そして、その声が、だんだんと大きくなり、はっきりと聞き取れるようになると、隼人はゆっくりと目を覚ました。視線の先には、自分の部屋の白い天井が映っていた。
隼人は、時計を確認して、ほんの少ししか時間がたっていないことを確認した。
やはりほとんど眠れなかったのだろうと、寝返りをうとうとした次の瞬間、
何度も夢で見た心音の姿が現れた。
「!!!!!」
隼人は声が出ず、驚きから、その場に飛び起き、立ち尽くした。
はじめは幻覚でも見ているだけなのだろうと思ったが、頭は妙にすっきりしている。
「隼人」
心音の口元が開き、自分の名前を呼んでいる。
隼人は、ついさきほどまで感じていた安堵感が嘘のように、また動揺が走った。
「心音・・・、夢?、ひょっとして詩音、ちゃん」
おどおどして隼人が名前を呼ぶと、心音は少し顔を歪めた。
「ごめん。驚かせちゃって。でもこれは夢じゃないの。それに落ち着いて聞いて欲しいの。隼人が動揺したり、疑ったりすると、この空間がどんどん壊れちゃうから」
「この空間?」
隼人は、わけがわからず、やはりさらに動揺した。
そうすると、目の前の景色が、陽炎を見るよりも強く、歪んだ。
まるで、視線の焦点をでたらめに狂わし、眼球を動かした時のように。
その景色を見て、隼人は心音の言葉を理解し、できるだけ冷静になろうと努めた。
「ありがとう」
隼人の目の前で、歪みが少しずつおさまっていった。異次元という言葉が、隼人の頭に浮かんだ。
「・・・・・」
そしてそのまま、驚きと脱力感から、あっけにとられて、隼人は沈黙した。
「突然ごめんね。でも会えてすごくうれしい。あのね」
心音は、まるで何かに急かされているように、猛スピードで会話を始めようとした。
「ちょっと待って。これ何?・・・・」
隼人は、自分の頬を軽く叩いてみたり、思い切り顔を左右に振ってみた。
感触はあるが、おもいきり強くつねっても、痛さを感じない。
「ごめんね。いろんなこと説明したいんだけど、あまり時間がないの。詳しい説明は省かせて。すごく簡単に言うと、ここは、隼人の時間軸と私の時間軸が交わった場所」
「時間軸・・」
心音の口から、隼人が理解できる言葉がやっと出てきた。
時間軸なら、隼人にも、少しは理解できる。今までの一連の出来事の中で、ずっと頭にひっかかっていたキーワードだったからだ。
「うん。隼人は、私が死んじゃった空間にいる隼人。私は、隼人と知り合っていない空間から来た私」
隼人は、南和典という小説家が描いた、無数の自己の存在のことだと理解できた。
「なら、なんで俺を知って」
当然の質問を、隼人は心音にぶつけた。そうすると心音は、さびしそうな笑みを浮かべ、まっすぐに隼人を見た。
「こんな話信じてもらえないと思うし、信じられないと思うけど。私ね、死んじゃった後、すぐにある人の声を聞いたの」
心音の表情が猫のように移り変わる。まるで生きているように。
いや、確かに生きていると、隼人は思った。
隼人は、ほんの少し落ち着きを取り戻すと、心音のその華奢な体をただ懐かしく見ていた。
昔とどれだけ違っているのだろう。何も変わっていない。
「南和典っていう人」
隼人は、懐かしむ気持ちをぐっと押さえ込まれたように、心音の顔を改めて凝視した。




