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第四章 時間軸を超えて②

「隼人さんには敵わないかもしれないけど」

部屋の中に入り、髪を一つに縛りながら、桜は言った。

隼人は、汚れてもいない部屋を無造作に片付けながら、桜の方を見て微笑んだ。

「なんか手伝うことあったら手伝おうか?あっ、ご飯はまだちょっとあったかな」

隼人はまるで、人の家に来たように落ち着かなかった。今度は桜がそれを見て微笑んだ。


「大丈夫。隼人さんはゆっくりしてて。朝から来てごめんね」

その言葉を受けて、隼人はやっと椅子に座った。パソコンの電源をつけて、小説の続きでも書こうと思った。タバコを吸わない隼人は、間のもたせかたが下手だった。

それに、じっとしていると、桜の方ばかり見てしまう。


桜は隼人の横顔を少しだけ眺めてから、料理を始めた。

隼人が、毎日料理をしていることが、桜には一目でわかるほど、蛇口から調理器具までぴかぴかだった。桜は昨日から入念に揃えた食材を、一つ一つ確かめるようにとりだした。

生まれて初めて、れっきとした料理を作る相手が、生まれて始めて本気で好きになった相手という設定がたまらなくうれしかった。

また、切なくもなった。本当の恋人同士ならもっと楽しかっただろうと。


ここ何日間で母親から、簡単でおいしい料理をいくつか教わった。

心音に負けたくないという気持ちから、熱心に質問を繰り返した。

器用な心音は、どんな料理を作っても、うまかった。

料理好きの母親でさえ、作り方を問うほどに。

好きな人に食べてもらいたいと思う気持ちが、料理の腕をあげると、桜と二人でいる時に話したことがあった。それに、隼人も料理を作る。

和食だけでなく、洋食も中華も、何を作らせてもかなり美味しい。

いろんなことを思い浮かべながら、桜は野菜を切る手に、緊張が入っていた。


隼人も、ときどき桜の方を振り返った。常に料理をする隼人にとって、手つきを見れば、即席で習ってきたことぐらいはすぐにわかった。

そんな桜を見ていると、どうして自分のためにそこまでと思った。

加えて、申し訳なさもこみ上げた。隼人は交錯する思いを抑えきれず、小説を書くことに意識がいかなかった。


「どうしたの?あっ、ごめんね。ばたばたして気が散ったでしょう?」

ぼぉっと眺める隼人を見て、桜は呟いた。

「ううん。そうじゃない」

「私の手つきがあぶなっかしくて見てられない?」

「うん」

笑顔で、隼人は茶化した。

「出来上がる料理は美味しいんだから。過程は見なくていいの。ほら」

桜もそれに併せた。そして、身振りで、小説を書くように隼人に促した。


隼人はパソコンに向き直ってからも、何度も桜の方を振り返った。

あやふやなまま書いた文章を消去し、書き始めた部分をぼぉっと眺めていると、桜が台所から部屋に入ってきた。

「出来たよ。器どこ?あっ、あった」

当然のことながら、すべてペアで、食器が揃ってあるのを見つけた。

桜は、姉の存在をまた身近に感じた。それでもさびしい表情を見せまいと努めた。

隼人はその一瞬の表情が頭から離れなかった。気が利かない自分を詫びた。


運ばれてきたのは、まわりにレタスなど野菜がトッピングされたベーコンと玉葱が入ったオムレツ、大根の千切りとシーチキンをマヨネーズで和えた小鉢、それと玉葱と豆腐とワカメの入った味噌汁。

「へぇー。美味しそう」

桜の家庭の食生活が見えてきた。驚きが隠せなかったのは、心音が一番最初に隼人に作った料理と、よく似た献立だった。桜には当然言えないが。

「食べたらもっとびっくりするよ」

 隼人が一口食べるのを桜は待った。

「うん。おいしい」

「本当に?よかった!」

その言葉を聞いて、桜も安心したのか、用意していた自分の分を食べ始めた。

そんな桜を見て、隼人は強くなったと感じた。


誰がそうさせたのかわからないし、自分でそうなったのかもしれないが、内面の強さが備わった気がした。二人は大学の講義のことなどたわいもない話から、隼人が今書いている小説の話などをした。

桜が時折見せるさびしそうな表情を隼人は見逃すことができなかった。

その時、人はそんなにすぐに自分を変えられないのだと思った。

精一杯虚勢を張って、それでも、自分を変えようと必死になっている桜を、心の底からすごいなと思った。


食事が終わり、食器を洗う無言の時間が、桜にはきつかった。

「ねぇ、隼人さん」

切り出しにくそうに桜は言った。隼人はできるだけ明るく振舞おうとした。言葉にはださなかったが、子どもをあやすような視線を桜に向けた。

「時々、本当に時々でいいんだけど、またこうやって家に遊びに来てもいい?」

桜は断られるかもしれない、だがそれでもそうしないといられない感情から弱い声で呟いた。

それは、何かをしなければならないといった自分への脅迫観念に似ていた。


「桜ちゃんさえよければ、俺は全然いいけど」

隼人は無碍に断ることもできなかった。またそんな理由もなかった。

桜に新しい男性の方を向いてもらうのであれば、冷酷かもしれないが、もう来ない方がいいと言えばよかった。だがそうすることができない自分の弱さを、自分が一番よく知っている。

桜が傷つかなければいいのではないかと思う。

 

「ありがとう」

桜はうれしそうに笑った。今までで一番いい笑顔だなと、隼人は思った。

悩みが晴れて、透き通った、心から出る笑顔だと隼人は思った。

 

その笑顔を作りだした自分に、少しだけ罪の意識を感じた

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