第三章 Time travel times⑯
昼休みと同時に、詩音は近くの公園へ急いだ。
朝、虎二の店で、桜がそこで待っていて欲しいと言ってきた。話したいことがあると思いつめたような表情をしていた。
詩音も聞いておきたいことがあったので、快諾した。
間をとりもつ女性も来るかもしれないと、桜は言っていた。
この前、自分を見てその場にたちすくんでいた女性だろうと詩音は直感的に思った。公園に着くと、桜と瞳がいた。詩音は自分の予感があたったという表情で二人を見た。二人も、すぐに詩音の方に気づいた。
「ごめんなさい。呼び出したりして」
「ううん。どうも」
詩音は、自分をまじまじと眺める瞳にあいさつをした。はっと我に返ると、瞳はまた、少しの罪悪感を持った。
「あっ、どうも」
ぎこちないあいさつ。親友の心音となら、もっとごく自然に交わせただろうと瞳は思った。目の前の人物はまったく違う。だが、そう考えるのは困難なほど、やはりそっくりだった。
「私に話したいことって」
詩音は桜に向き直った。以前会った時も感じたが、これほどの美人が本当にいるのかと思うほど、整ったきれいな顔立ちをしている。
女性をずっと眺めていたいと思ったのは初めてだった。
「この人を見て欲しいんです」
桜が差し出したのは、隼人の写真だった。詩音は一瞬ドキッとした。桜が、隼人の恋人であった心音の妹であることは理解していた。
だが、何も言わずにいきなり写真を差し出されるとは思わなかった。
「小説とか出版して、結構有名だから顔とかは見たことあると思うんですけど?」
隼人は、桜に自分と会ったことは告げていないのだと、詩音は桜のその言葉と話し方で理解した。それを前提で話を進めていけばいいと構えた。
「うん。雑誌で見たことはあるけど。この人がどうかしたの?」
「私の姉の恋人だった人です?」
「・・・、へぇー。そうなんだ」
もっと極端に驚いた方がいいかどうか迷ったが、それも変だと思い、簡単に頷いた。事実を知っていて嘘をつくというのは難しいなと思った。
小学生の頃、卒業アルバムに女優になりたいと書いた。それを思い出した。
とうてい無理だという気持ちと一緒に。
「私、この人のことがすごく好きなんです」
「えっ!」
これは初めて聞くことだったので、素直に驚いた。もとより嘘をつくことがあまりうまくなかった。二人は詩音をじっと見た。
「どうしてそんなに驚くんですか?」
瞳も、桜のその言葉に頷いた。
「いや、あの、どうして私にそんなこと言うのかなって?」
詩音はなんとかうまくごまかそうとした。二人にはそれが返って不自然に映った。しかし、会ってもいないのだから、と思い直した。
「この人、隼人さんって呼びます。隼人さん、まだお姉ちゃんのことすごく好きで、あなたを見ると、きっとびっくりして、お姉ちゃんだと思って追いかけると思うんです」
詩音は、桜が言いたいことはなんとなしに理解できた。隼人に前もって話を聞いていてよかったと思う。なんの前提もなければ、所々もっとパニックになっていたのではないかと思う。
「そうかな?いくら容姿はそっくりでも、中身は違うから。それにあなたは美人だし。気持ちを打ち明けたらきっと」
「打ち明けました。でも駄目でした」
知っていることと、知らないことが交差に頭に入ってくるので、詩音は整理するのに少し戸惑った。
パズルを前後左右にまわすように、桜の言葉を一番合う場所に入れ込んだ。同時に隼人の恋愛感が少しわかってきたような気がした。桜ほどの美人を振る。よほど一途な恋愛をする人物なのだろうと、詩音は思った。
「私いやな女性だと思うんですけど、あなたにはどうしてもかなわないと思って。それで、あなたが隼人さんのことタイプかどうか聞いておこうと思って」
「そんな。聞いてどうするの?」
「どっちでも、私は隼人さんのことを好きでいると思います。けど、あなたと出会ってしまった時のことを考えて、少しでもその時の心の準備をしたいと思って」
瞳は黙って二人のやりとりを聞いていた。姉妹が話しているようにしか見えない。姉の恋人を好きになってしまい、それを奪いたいと告げている妹という設定にしか思えなかった。
「すごくあいまいな答えかもしれないけど、私、外見だけで人を判断したりしないから。だからわからない。ひょっとしたら好きになるかもしれないし、なんとも思わないかもしれない。だけど、あなたがいうみたいに、お姉さんの影を見て好きになってもらっても全然うれしくないと思う。女として」
用意された模範的な答えだと、瞳は思った。だが、そう言い切る誠実さに、瞳は好感を覚えた。
心音とは違う部分を見つけたかったが、おそらく同じように言ったかもしれない。桜はほっとしたようにため息を着いた。求めていた答え通りなので、安心したという感じだった。
「相当好きなんだね、その人のこと。どうして?」
今度は詩音の方から質問した。自分にとっても、より強大なライバルだ。小説のこと以外ほとんど知らない隼人のことを聞くことにもなった。
「お姉ちゃんに負けたくないっていう気持ちからだと思うんです。でも、そばにいてくれると、自分がすごく強くなっていくような気がするんです」
「強く、か」
自分とは違って、好きになった理由を持っていることがうらやましかった。
自分が隼人を好きになった理由は、強いてあげるなら、会社の席から毎日眺めていたからだということだろう。人を好きになるのに理由がいるのなら、それしか言えないと思った。
「そうなんだ」
桜は黙って頷いた。実は自分も隼人のことが好きだと告げれば、桜はパニックになってしまうと、詩音は感じた。堂々と自分の気持ちを明かした桜の前で、嘘はつきたくなかったが、必要な嘘もあると思った。
「心配しないで、この人と会うことなんてないと思うし。もし、そんな気持ちで会っても、私にはいい迷惑。お姉さんじゃなくて、一人の女性として見てくれるのなら、普通に会うかもしれないけど」
詩音はそう言い切った。だが、言ったあとで後悔した。断言などしてよかったのかと。心音の影を見てもいい、それでも自分を愛して欲しいという気持ちでいることを隠してまで。
「わかりました。ありがとうございました」
桜は軽く頭を下げた。詩音は自分に、卑怯者のレッテルが貼られた気がした。
誰からというわけでもなく、強いてあげるなら自分の中に存在する他の自分から。目の前の桜を、純真だと思った。ありのまま、ぶつかっていける、そんな桜がうらやましかった。
「それじゃあ失礼します」
桜はそう言って、瞳とともに公園を後にした。
詩音は持ってきた昼食を公園のベンチで食べた。いつもはおいしい虎二のサンドイッチだが、その味さえよくわからなかった。胸のあたりのざわめきで、目に映るすべてが悲しく見えた。自分がついたちっぽけな嘘。それをずっと気にしていた。
「あーあ、どうしてあんな嘘ついたんだろう。もし、あの人が私に会ったって言ったら」
隼人が桜に話すのであれば、もうとっくに話していると思い、それに同調させるように嘘をついた。それが正当な理由だったが、正直なところは、桜の訴えかけてくるような表情に負けてしまった。
面と向かって立てないほど、桜の、ライバルの容姿端麗さにひけをとった。
隠し玉なくして勝てる相手ではないと、意識と無意識の中間の意識が、詩音の脳に働きかけた。
公園から少し離れても、桜は、見えなくなった詩音がいる公園を振り返った。
自分のことをどう思ったかを考えた。同じことをされていたらどうだっただろうと。きっと何を言ってるかわからなかったと思う。少し腹がたっていたとそう思う。
だが詩音は言葉を選びながら、自分の思いをちゃんと聞いてくれ、答えを返してくれた。心音と、姉と同じ魅力、温かさを持つ女性だと思った。この女性に触れれば、隼人はきっと好きになっていくだろうと思った。桜は胸が締め付けられる思いがして、ぎゅっと手で掴んだ。
「瞳さん、私やっぱりずるいですよね」
桜は、少し先を歩く瞳の背中を見ながら呟いた。瞳は振り返らず、立ち止まった。
「いいんじゃないかな。人を好きになって、それが本気だったら本気なほど、ズルしても、自分の方を向いて欲しいって思うのは当然だよ」
振り返らなかったのは、視線を合わせて慰めることができなかったからだ。瞳は、桜の隼人に対する恋に責任を感じていた。
「ほら、桜。すんだことは後悔しない」
瞳は、自分にそう言い聞かすように少し大きな声を出した。
瞳は、やっと桜の方を振り向いた。桜は驚いたように瞳を見た。瞳も、その表情を見て、後悔をするのはやめようと思った。自分で決めてやったことだ。せめて自分だけは正しいと思っていなければならないと思った。
「桜の行動が間違ってるんだったら、私がちゃんと止めてたよ。だから大丈夫」
桜はその言葉に安心した。心音と同じで、頼りになる姉のような存在だと思った。
「ありがとうございます」
「早く食堂に行こう。講義始まるまでまだ少し時間あるし」
「はい」
瞳は小走りになりながら、巧と隼人は今何をしているのだろうとふと考えた。




