第三章 Time travel times⑮
「俺、よく我慢してるって思う」
暇そうにシャープペンをゴロゴロと転がして講義を聞く巧に、隼人はそう呟いた。詩音に会った日から、日増しにもう一度会いたいという気持ちが高まっていた。
確かなことは、恋から来る気持ちではなかった。ベールに包まれた謎を解き明かそうといった好奇心の方が強かった。
「そんなに惚れた」
巧は、ある程度予測はしていた。恋愛に関してだけは、隼人は周りを見ようとしない。
方向が定まってしまえば、どんな障害があっても隼人はただまっすぐに突き進む。
巧が相談を受けるのはいつも、目標が定まり、半分くらい進んだあとだった。
つまり、引き返せないところまできた時に相談を受けた。
それでも、隼人が相談する一番最初の人物は、いつも巧だった。
「正直言うと、あの子がどうしても心音に見える。会えないって考えれば考えるほど」
「気休めにもならないし、何回も言ったけど瞳の小説のあの部分は」
今日、瞳は、桜と何か用事があると言って、講義を休むと言った。
講義にはほとんど出ていたので、巧は少し驚いたが、隼人と二人で話したいこともあったので、返ってよかったと思った。
聞かれるとまずいこともある。小説のことが、まず最初のことだ。
瞳にもう負担はかけたくなかった。
「ああ。けど、あの子の存在がどうしても気になってさ。どんな物の考え方をするとか、仕草とか、癖とか。勝手に想像して。それがパズルみたいに、心音のそれに当てはまっていく」
「擬似恋愛する時ってたいていの場合がそうじゃないかな。怖いのは、心音ちゃんと全然違う態度とか、行動とった時に、それでもあの子のことを好きでおれるかどうか」
恋愛経験の多い巧でも、隼人の今の状況のような恋愛はさすがにしたことがなかった。
しかし、一つだけゆるぎない自信があった。一番最初に関係を持った女性は、その後の恋愛に必ず影を残す。どこかで比べてしまう。外見は全く違っていても結果的にその女性に似た女性に惹かれる。
男はそういうものだと、巧は考えている。巧は、初めて関係を持った女性の顔と優しさ、仕草まですべて覚えていた。他の女性は、普段思い浮かぶことなどない。
「都合いいと思うんだけどさ、もしあの子に彼氏がいなくて、それでもし俺とつきあってくれるようになって、そんな態度とったら絶対傷つくだろうな。俺ひどい男やろうな」
「隼人はもっと自分の恋愛に横着でいいと思うけどな」
「横着?」
「傷つけたり傷つくのが恋愛だし。あの子だってつきあうってなったら、いやいやつきあうわけじゃないし。それで振られたとしても受け入れるさ。傲慢かもしらないけど、傷つくのが怖いとか傷つけるのが怖いとか、そんな恋愛なら、本当の恋愛なんかできないって思う」
「俺にはできん。恋愛はお互いを高めていくもんだから」
水掛け論だと、巧は思った。恋愛に関して、巧と隼人は考え方のベクトルがもともと違っている。
「まぁ考えても仕方ないし、とりあえずあの子に彼氏がおるかどうか聞いてみれば。いなかったら、あの子も言ってくれてるんだからさ、デートしてみるとか」
「ああ。でもいいのかな?好きになった理由が、心音にそっくりだったから。そんなんでいいのかよ?」
隼人は救いを求めるような目で、巧の顔を見た。
「あの子の前でそれを言えば、卑怯でもなんでもない。理由があって好きになれるだけいいと思うけど。俺は瞳を好きになった理由を聞かれても何も言えないんだからさ。ただ好きっていう気持ちがあったからってことぐらいだし」最初の女性にうんぬんという話はここでは敢えて避けた。
「わからないけど、瞳ちゃんにとってはそれが一番うれしいんじゃないかな。君のどことどこに惚れたって言われるよりよっぽど」
二人が長くつきあっているのは、それがあるからだと隼人は言ってやりたかった。以前の巧はよく、性格や仕草の一部分やパーツを見て好きになっていた。人が人を好きになることに理由などない方が自然だと、隼人は考える。巧はそれを、無責任だと否定する。
「おまえが聞きづらかったら、俺があの子に聞いとこうか?」
「いや。俺が直接言う。ほかにも話したいことあるし」
「そっか。まぁ頑張れ。これから恋愛するかもっていうのに余計だと思うんだけど、俺はあの子を好きになるよりも、桜ちゃんを好きになる方がいいって思う。客観的な意見としてな」
「ああ。サンキュー」
その方が早く幸せになれるという点で、巧は言った。
隼人もそう思うところもあった。
巧にはうまく言えないが、詩音に対してある気持ちが恋愛かどうかは、まだはっきりとはわからなかった。
だからこそ、惹かれていくのかもしれない。




