第三章 Time travel times⑬
巧は久しぶりに隼人の家を訪れていた。隼人から呼ばれたわけでも、何か用事があったわけでもなかった。ただふらっと足を運んだ。
「珍しいな。巧の方から来るなんか」
自分の家に来ても、何をするわけでもなくぼぉっとしている巧を見て、隼人は呟いた。
「たまにはな。飯でも食べにいこうかと思ったけど、こうやって出来上がってるし」
食事をしにきたわけでもないが、自炊をしていた隼人の食事を食べていくことにした。隼人の味つけは、いつもながら自分の好みにあった。野菜炒めとみそ汁と白いご飯。料理はシンプルさだが、スパイスなどに工夫がされてある。
「巧も知ってると思うけどさ、今日心音にそっくりな女の子と会った」
食器に手を伸ばそうとした巧の手が止まった。瞳には口止めをしておいた。誰がひきあわせたのだろうと、脳裏に一瞬、梅子や虎二、桜が浮かんだ。虎二と梅子はそんなことをするはずがない。桜も、自分の恋愛敵になるような相手をみすみす隼人に会わせるとは考えることができなかった。
「道で、その子の会社の社長って人の財布拾って。その会社に渡しに行った時に」
巧の表情を見て、すぐに隼人は呟いた。
「ああ、俺はこの前、虎さんの店で」
下手に隠すよりも、事実を述べる方がいいと思った。
「とにかく心音にそっくりだった」
「似てたな。まさかあれほどとは思わなかったけど」
巧は虎二の店にいた詩音を思い浮かべた。そして、また隼人の表情を見た。
そこまで動揺しているとは感じ取れない。瞳たちとしていた危惧は、取り越し苦労なのかとさえ感じた。
「俺も夢でも見てるのかなって思ってさ、名前は違うんだけど」
隼人は、俯きながら話した。
「そうだよな」
「瞳ちゃんがいないから言うけど、その子と会い終わった後の方が気になってな」
「後の方?」
巧はまだ何か続きがあるのかと思った。隼人の表情に少しの動揺が見えた。どうやら、そちらに比べれば、出会うぐらいはましだったのだと理解した。だが、巧には、隼人がこれから話そうとする内容を想像することができなかった。
「その子が去っていった後、通りすがりの自転車に激しくベル鳴らされてさ」
「ぼぉっと立ってたからだろう。道の真ん中にでもいたんだろう?」
「ああ、まあそうだけどさ、この前瞳ちゃんが言ってたこと思いだしてさ」
巧はまだ何を言っているのかほとんどわからなかった。瞳とは半同棲をしているので、瞳の言葉といわれても、何から何まで出てくる。
「ほら、心音が夢の中に出てきて、鐘の音を聞くっていったこと」
隼人は言いにくそうに呟いた。巧はそういわれてやっと思い出し理解した。もうだいぶ前のことに感じた。巧はおかしくなって一笑した。隼人がいたってまじめに話すのがまたおかしかった。
「考えすぎだろ。そりゃその子に会ったことは偶然かもしれないけど、道の真ん中にたってたら、俺でも鳴らすって」
隼人も最初はそう考えた。隼人は、あまりに邪魔だったら鳴らす。
今おもえば、鳴らした初老の男性は、気が極端に短かったのだろうとも思う。
「鐘の方はそう。でも、あの子と会ったことは偶然なわけだし、同時っていうのがさ」
「まあな。でもなんか強引に結びつけてる気がするぞ。ってか強引。夢でもないわけだし」
巧は、隼人の考えはあまりにも飛躍しすぎていると思った。
これなら、道端に落ちた石を拾っても、心音とのことに結びつけてしまいそうだ。
詩音との出会いはあまりいいものではなかったと思った。
巧は自分たちの危惧は直接的にではないにしても的を得ていたと、改めて思い直した。
「あの子とどうこうなりたいっていう気持ちはない。たぶん迷惑かけるだけだからさ」
「そういう話まで?」
「ちゃんとした。俺が思わず心音って名前を言ってさ、そしたら気になって追いかけてきて。桜ちゃんからその名前を聞いてたみたいでさ。だから、自分の彼女の名前だって」
隼人は状況を思い浮かべながら途切れ途切れに話した。その時の詩音の表情や仕草を思いだすことはできなかったが、心音にそっくりな姿だけは出てきた。社員服を着ていたせいか、心音が少し大人っぽくなった姿が浮かんだ。
「そっか。本のこととか瞳の夢の話とかは?」
隼人なら言いかねないと、巧はあせった。おそるおそる聞いた。その表情を見て、隼人は軽くため息をついた。
「まさか。そこまで言えるわけない。まぁ、そんな時間もなかったし。何にせよ、もうあの子には会わない方がいいと思う。あの子のためにも、自分のためにも」
隼人は確認し、自分に問いかけるように、巧は呟いた。
「確かに。ひどい言い方かもしらないけど、おまえがあの子好きになっても、向こうの気持ちがあるし」
「心音に似てるからな。そういう意味では好きになる可能性は十分あるかも。けど、いやだよな、そんな男に好きになられるの。向こうには向こうの恋愛があるだろうし。邪魔する結果にはなりたくない」
正直なところ、隼人はもう一度会いたいと思っていた。一人の女性として見られるかどうかはわからない。だが、これは自分が変われるかどうかのいい機会かもしれないからだ。
いくら容姿や声が似ているといっても、心音と違うところがたくさんあるはずだ。内面までそっくりなはずはない。それを見つけていけば、心音と切り離して考えられるようになって、一人の女性としてみることもできるのではないかとさえ考えた。
「そうそう。向こうにはもう彼氏だっておるかもしらんわけやし」
巧には、隼人が思いつきそうなことは理解できた。それを払拭させようとでもいうように、軽く言いのけた。隼人が一番気になっていたことだ。あの時、時間がもっとたくさんあって、いろんなことを話せていたら、きっと聞いていたことかもしれない。
あの時、時間がなかったのはかえってよかったのかもしれないと隼人は思った。
だが、今はそれが後悔に変わっている。
「いろんなことで迷惑かけることになるから。会わないならその方がいいと思う」
「大丈夫。普通なら会わないさ。同じ大学っていうわけでもないし。虎さんの店も、来るの、ずいぶん早い時間だし」
「虎さんには会ったって言ってない。梅子さんにも。」
「ああ。瞳にも言わないさ。もちろん桜ちゃんにも」
「サンキュー」
桜のことが気になっていた。あれからどうしているだろうと、隼人はよく頭の中にその姿を浮かべた。普段から電話したりメールしたりはしない。告白されてからまだ、時間もそうたっていない。元気にしていればいいとまでは言わないが、それでもどうしているか心配だった。
「巧、一つだけ頼み聞いてくれないか」
隼人は言いにくそうな声で言った。頼みづらいことを頼まれるのかと巧は改まった。
「何?」
「気にしてるって思われるの嫌なんだけどさ、瞳ちゃんの小説の消えてたフレーズがどうなってるか確認してくれないか」
巧にはその意味がすぐに理解できた。確かに頼みづらいことだろうと思った。何か言おうと思ったが、やめた。巧にとっては別に難しいことではない。
「わかった。瞳に気づかれないように見とくよ」
戻っていたら確かに驚きだと巧は考え込んだ。
しかし、それがどれほどの影響をおよぼすかを考えた。
心音が生き返るという有り得ない考えを持つ隼人の気持ちを増幅させる以外の何ものでもないのかもしれない。どんな結果にせよ、隼人には教えないでおく方がいいのではないかとさえ思った。
「サンキュー」
隼人は安心したように、額の前に開いた手をやった。




