第一章 発端⑪
「もしもし」
あまり長くは話せないと思ったが、とりあえず出た。
「隼人君、ごめん。今バイト中だよね?大丈夫?」
瞳は、かなりあせっている様子だった。
巧がそばにいるのだろう。
聞き覚えのあるゲーム音が聞こえる。
最近購入した、新しいソフトをプレーしているのだろう。
そして、それに夢中な姿が浮かぶ。
「少しなら。今さっきまで休憩やったから」
「あのね今さっき本を見たの、心音が言ったっていうセリフの部分、そこが白紙になってたの」
瞳は呼吸をおかず言い切った。何を言っているか、隼人にはすぐ理解できなかった。
「えっ?どういうこと?」
「『ラポール』をぱらぱらとめくってたの。夢の中で心音が言った部分を探してみようと思って。そしたらそこのとこだけ白紙になってるの」
有得ない事実をつきつけられ困り果て、訴えかけるような声だ。
「見間違いじゃない?」
苦しまぎれだと思ったが、隼人はそう聞き返した。
「ううん。絶対違う。何回も確認したし、不自然すぎるもん。セリフはその部分だって断言できるし」
瞳は軽はずみな嘘をつく女性では決してないことを、隼人は知っている。
そういうのなら真実なのだろう。
ただどうだろう。見間違いでないのであればなんだ。
もともとなかったのか。
いや、それならその部分のセリフを瞳が覚えているはずがない。
自分の小説を貸した覚えもない。
そのセリフだけをとって話したのも今日が初めてだ。
自分の持っている小説はどうか。今この場所にないことが悔しい。
「帰ったら、隼人君の小説も確認してくれないかな」
探るような言い方だった。
そして少し怖がっているような声でもあった。巧がそばにいることはなによりだ。
巧は何事にも動じない強さを持っている。
「わかった。すぐ確認して連絡するよ。直接行ってもいいけど」
「そうしてくれるとうれしい。信じられなくて。巧のアパートにいるから」
巧の住むアパートは、隼人のアパートからそう遠くない。
電話を切り、アルバイトが終わるまでの間、直樹とその話ばかりをした。
さすがの直樹も不思議がり、興味を持ったようだった。そんなことが本当にあるのかと。
会場には、子どもたちの笑顔が見えてきそうな飾り付けや、おもちゃなどの配置がされた。
さんざん馬鹿にしていたが、様になる仕上がりになった。
隼人は、自分の子どもが生まれていたらと頭をよぎった後、深く目をつぶった。
心音を責めるような考えになると思ったからだ。
「もし何かあったら電話をくれ」
好奇心からか、直樹は協力的だった。
「まっ、何かの勘違いだと思うけど。何かあったらよろしく」
隼人もなぜか、直樹に協力を頼みそうなことになるかもしれないと思い頷いた。
外に出ると、より一層冬の寒さが身にしみた。
夜の空気の匂いが、隼人を懐かしくそして切なくさせた。
隼人は決心したように、車に乗り込んだ。




