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第一章 発端⑩

 日雇いバイトでいつものように知り合はいないと思っていた。

 だが、いざ行くと、大学で何度か顔を合わす、吉澤直樹(22)がいた。

 隼人と同じで、大学にある求人の掲示板を見て応募したのだろう。

 コンピューター関係に詳しいせいか、理知的な顔立ちをしている。


 アルバイトは思った以上に楽だった。

 イベント会社の要領悪く、休憩の合間に仕事という有様だった。

 翌日に市の文化会館で行うイベントの準備だった。

 小学校区ごとに実施される、就園前の子どもを持つ親たちが交流する子育てサロンの全体会。

 子ども向けの、手作りのおもちゃや、フリーマーケットの品が並べられている。

 隼人たちアルバイトは、機材や道具が運ばれてきた時だけ、あてつけのように働いた。

 隼人は、館内にある自動販売機で、缶コーヒーを飲んでいた。

 そこに偶然か、直樹が現れた。


「楽な仕事で参るな。忙しい方が、時間が早くたっていいんだけど。日給だから、延長されるのは迷惑だしさ」

「確かに」

 口数の少ない隼人に対して、直樹は物怖じせず語りかけてくる。

 不快感を持たせない話し方だ。人が寄り付くのも頷けると隼人は感じた。

 しばらく話していると、瞳が見た夢の話までした。

 直樹とは大学ですれ違って立ち話をする程度の仲だ。

 人と話すことにあまり積極的でない隼人にしては、珍しいことだった。

 直樹が当然、『夢の中の訪問者』や『ラポール』は読んでいないことを前提に話しを進めた。

 どうして直樹に話したのか、隼人にもわからない。時間を持て余していたからだろう。

「小説を読んでないから、よくわからないな。けど、人が見る夢について権威ある研究者のフロイト。内容を聞いてるとさ、フロイトの思想や考え方にずいぶん入れこんでるって思う。それを小説に自分なりに引用した感じかな」

 直樹には、心音のことも当然話した。


「小説の中に何回かでてきたな。他にもいろいろな心理学者や哲学者の名前がでてきたよ」

「名前を羅列しても意味ないから言わないけど、なんとなく想像つくよ」

 小説を書くこと以外、あまり特徴を持たない隼人に比べ、直樹は生き字引という愛称がよく似合う。

 隼人と同じ、経済学部にはあまり必要のない、心理学から工学系の本まで、かなりの数の専門書を読みあさっているという。


 「小説にはあまり魅力を感じないと」申し訳なさそうに呟いた。

 だが、小説を理論的に批評することには長けているようだ。

「時間軸か。作者の使う言葉だろうけど。空間の中に、いく通りも存在する自分の人生か。何かで読んだことあるような。でも、その作者自身の世界観で、肉体が感じる自分が現実じゃないかな」

 そのとおりだ。精神的な世界では、自分は何通り作ってもいい。

 それは夢や理想でしかないのだから。

 しかし、肉体は一つなのだ。幾通りの人生を同じ時間に体験することなど不可能だ。

 タイムマシンよりも難しい原理かもしれない。


「それより、片桐がそこまで惚れた相手っていう方が、見てみたかったな。おまえが書いた小説のヒロインのモデルなんだろう」

「いや、あれは心音の理想の女性像なんだ」

「なるほど」

 直樹は突然話題を変えた。興味が心音に変わった。

 話の主体は時間軸だが、心音の方が現実的だ。隼人は笑ってごまかそうとした。

「まあ、普段は絶対信じないことでも、そこにすがりたくなると、人間なら誰もが持ってる狂気的な部分を表すって。詐欺の時とかによく話題になるけど、実は気づいていないだけで、恋愛依存の時の方が起こりやすいって。脅かすわけじゃないけど」

「サンキュー。だけど、俺はそんなことにはならないよ。小説の題材にでもできたらと思って」


 缶コーヒーを飲み終え、そろそろ合間の仕事が始まるころだと二人は笑いながら、現場に戻ろうとした。

 直前で隼人の携帯が鳴った。直樹は無言で頷き、先に仕事場に戻った。

 チノパンの前ポケットに入れていた携帯をとりだすと、瞳からの着信だった。

 今は携帯を開かなくてもわかる。

 あらかじめとっておいた画像も、呼び出しの音と一緒に出る。

 便利な時代になったと隼人は感じた。

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