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三章 訪れたのは幸か不幸か


 ランプの明かりがサッと揺れると、それに合わせて部屋中の影がうごめいた。

 分厚い本のページを一枚、また一枚とめくっていけば、微かな音が暗闇の中へと消えてゆく。

 フェネルはそのページをさっと目を通すと、ハァっと大きなため息をついた。別の著者、別の観点からの本を読んでみたのだが、アランフェスティーナに関しての結論はたいして変わらないらしい。

 これじゃあ、立ち止まるばかりじゃないか。

 それともこれが、真実だというのか……?

 唇を噛み締めたフェネルは前髪をガッと掻き上げると、その考えを振り払うように首を横に振った。

 そんなこと……あってたまるか。だとしたら僕たちは、何のために働きかけようとしているんだ。こんなことが真実だなんて、絶対に認めない。

 再度本に視線を落とすと、フェネルは縋るような思いで文字の一つひとつをおいかけていった。と、

「ずいぶんと勉強熱心なことで」

 背後からかけられた声に、思わず振り返る。

「……驚かさないで下さいよ」

「そりゃあ悪かったな」

 そこには脱いだ上着を無造作に担いだキョージの姿があった。黒のインナー姿に首にかけられたタオルから、先程まで身体を動かしていたであろうことが窺える。

「何調べてんの?」

「キョージさんと同じことですよ。それより、こんな時間まで演習でもしていたんですか?」

 フェネルの記憶では、キョージが演習に赴いたのは、昼休みが終わってすぐのことだ。それからだいぶ時間も経ち、今は夕食まで半刻もない頃だ。

 疑いと驚きの眼をキョージに向けると、彼は呆れたように力ない笑みを浮かべた。

「おう。あの炎天下で休憩もろくにもらえず、むっさい男と日が沈むまで取っ組み合いだぜ? マジ勘弁してもらいたいよな」

「そりゃあ、男ばかりな部隊ですし」

 そもそも実践の多い第二部隊の、その上南の牢を監視しているA班だ。第二部隊だけで考えるのならまだしも、このA班に女性隊員なんているわけがない。

 苦笑を浮かべながらそう言うと、キョージは大げさにため息をついた。

「あーあ。俺もフェネルちゃんみたいに、室内で書類整理の方が良かったなぁー」

「面倒くさいからって演習に逃げたのは、どこのどなたでしたっけ?」

「……いや、その……俺、だけど……」

 だが、じとーっとした視線を注がれると、キョージはどもりながら明後日の方向に視線をさっと逸らす。

 しばらくキョージを見つめていたフェネルは、やがてふっと目を瞑ると、

「でしたら、次は書類整理に当たることですね」

 と、呆れ半分に言いかえした。のろのろと近寄ってきたキョージは、「ごもっともなことで」と上げた口の端をひきつらせながら、フェネルの首に手を回す。

「そんで? お前の方は、何か収穫でも?」

「あったら、こんな不景気な顔をするわけないですよ」

「そりゃあそうか」

 嘆息混じりに答えたフェネルは眉根に刻まれた皺をなぞると、そのまま片手のひらで顔を覆った。

 アランフェスティーナとは、邪の象徴。悪の申し子。すなわち神の生んだ、ただ一つの過ちだ。その存在は不幸を齎し、後にも不幸しか残すことはないと言われており、そしてそれは、覆すことのできない真実だと言われている。

 それが経典に書かれていることだから、誰もがそう信じ込んでいるのか。それとも悪の子は、本当の悪でしかないのか。

 そう考えれば考えるほど、そんなことあるわけがないと、本能が叫びを上げる。

 だが、現に全ての者が不幸の連鎖を繰り返していったという事実があった。信じ込む、思い込むだけで片づけてしまうには、あまりに不気味で不可解にもほどがあるだろう。

 それならば何故、本能が違うと叫んでいるのか。どうしてこれほどまで、邪の象徴とされる者を擁護するような――世の中に逆らうような真似をしようとしているのか。それも、その存在を捕らえている者が、何故こんなにも必死になってアランフェスティーナの少女を守ろうとしているのか。

 自分のやっていることが、しようとしていることがまるで解らずに、フェネルはきゅっと目を瞑った。

 すると彼のあまりの落胆っぷりに回していた手を解き、キョージはフェネルの小麦色の髪を掻き撫でる。

「まあ、なんだ? そう切羽詰まっても、ほいほい解決できるような問題でもないしさ。とりあえず夕飯でも食って、元気だせよ」

 な? と言うと、キョージはそのままポンとフェネルの頭を叩いた。

「ただ、これだけは理解しとけ。お前の見たものが、この国での捉え方だ。ある種の常識といっても、過言じゃないかもしれない。俺たちが刃向かおうとしているのは、そういうヤツなんだよ」

 悲しみを帯びた笑みを口元に浮かべたキョージに、フェネルは思わず息をのんだ。その言葉の意味するものは、一体何だというのか……。

 緊張した空気の蔓延る室内では、室外の喧騒が遠く聞こえる。背筋を伝う何とも言えない気配に、フェネルは薄く開いた口から震えるように細く息を吐き出した。だが、言葉にしたいことは何一つとして紡がれない。

 やがてキョージはぱっと纏う空気を変えると、「さーて、飯行くぞ、飯!」と言うなり、くるっと踵を返してしまった。あまりの変わりようにフェネルは慌てて本を閉じると、キョージの背を必死になって追いかける。

「ちょっと、待ってくださいよ!」

「知っているかぁー、フェネル。残酷だがなぁ、飯は俺たちを待ってくれないんだよー」

 キシシと笑うキョージに「そういう話じゃありません」とフェネルはズバッという。

 それにしても、彼の先の言葉がやけに深いところをついているように聞こえたのはどうしてだろう。

 無邪気に笑っているキョージを見ながら、フェネルは胸奥でそう呟いた。



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