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二章 羽を折られた鳥は……(4)


   *・*


 幾つもの牢が立ち並ぶ丘陵の奥から、二つの影が現れた。

 一つはここに見回りに来る、第二部隊A班を治める者――キョージに間違いない。

 スズネは複雑な心境で彼の姿を確認すると、目に浮かんだ涙を拭った。キョージの明るい髪色が、荒涼とした大地の中でやけに映えている。

 だがそれと同時に、もう一つの姿が嫌というほどはっきりとスズネの視界に飛び込んできた。

 目にした瞬間、すべての血が滾るような、それと同時に冷えていくような、奇怪な感覚に苛まれる。

 それもそのはずで、そこにいたのはまさしく、昨日スズネと言葉を交わした少年そのものであったのだ。

 二人の軍人は視界の中でやや歩調を速めると、突然ぴたりと立ち止まる。

 しかし彼らの姿を見ていたスズネは、急に頭がくらくらするような不快な気持ちに耐えられなかった。と同時、かつて味わったものと同じ痛みを心の奥底に感じることとなる。

 ああ、やっぱりそうだったのか。

 鈍く重い痛みが、身体から冷静さを奪っていく。

 頭の中が、真っ白になっていく。

 けれどその中でさえ、一つだけ解ったことがあった。

 私は、私の心は――。

 スズネちゃんというカキョウのか細い声が、隣でぽつりとこぼれてゆく。

 ひゅうと駆けていった風が頬に触れ、また涙が流れているということに気づかされた。冷たい感触と共に、細かい砂塵の当たる不快な感触もまた頬の上にある。

 スズネはまた乱暴に涙を拭うと、ぎゅっと奥歯をかみしめた。小さな砂塵が肌とこすれて、頬が、目の下が思いのほかひりひりする。

 細やかな砂を巻き上げながらまた歩みを再開させると、二人の軍人は徐々にその姿を大きくしていった。

 鼓動がそれに合わせるように速まっていく。苦しい。

「……スズネ」

 ザッという音を皮切りに歩みを止めると、キョージは苦しそうな笑みをその顔に浮かべた。オレンジ色の髪は風に吹かれると小さく揺れ、その寂しそうな色を含む瞳を見え隠れさせている。

 どうして、お前がそんな顔をするんだ。

 きゅっと拳を握ると、スズネは露骨に視線をそらした。酷く汚れた自らの足が、どうしてか小刻みに揺れている。

 いつもなら、キョージが来たところでこんなことにはならないのに。

 こんなに不安な思いをすることはないのに。

「スズネ、調子はどうだ?」

 どうしてこんなに不安で仕方がないんだろう。

 どうして、こんな……。

「……さ、い……」

「またダイガ大佐に失礼をしたらしいな」

「うる……さい」

 頭が、咽が、胸が痛い。

 声さえも震えて、身体もどんどん冷たくなっていって。

 背後でカキョウが心配そうにしているのが感じられた。足元にある影が、どんどん揺らいでいく。

「俺、お前が――」

「うるさいって言ってんでしょッ!!」

 いい加減にしてよ。

 乱された心が、悲鳴を上げている。

 怒鳴り飛ばした勢いでクワッと顔を上げると、スズネは大きな音を立てて鉄格子を叩いた。今までと違う物理的な痛みが、両腕を蝕んでゆく。

 しかし喰らいついたがために、更に強く胸は痛みを発した。

 目を見開いたキョージの、その一歩後ろに立っている少年の傷ついた表情が、どうしてか頭から離れない。

 ひどい仕打ちを受けているのは、私の方だっていうのに。何で……?

 スズネは軋むように痛む手で鉄格子を握りしめると、再び俯いた。乾いた風が、牢の前を走り抜けてゆく。

 キョージが足を一歩踏み出してきた。何かを言おうとしたのかもしれない。けれど、

「早く、消えてよ」

 それを止める一言が、いつの間にか紡がれていたのだった。

 時間が嫌に、ゆっくりと流れていく。


 真っ赤な太陽が、地平線に沈もうとしていた。

 砂色の大地は茜色に染まっており、肌寒い夜が訪れるのをどことなく感じる。

 もうすぐ、カキョウが来るかな……。

 牢屋の隅で膝を抱えていたスズネは、腫れぼったい目で外を見ながらそんなことを思った。カキョウは心配して、寒くないようにいつも夜になる頃に毛布を持ってきてくれる。

 でも、今は誰にも会いたくないな。

 膝を抱えていた手にきゅっと力を込めると、スズネは膝頭に顔をうずめた。

 結局のところ、あの後キョージは何も言わずに身を翻していった。キョージの後ろにいた少年もまた、何も口に出すことはなかった。

 昨日とは明らかに何かが違った。もしかしたらそんな状況を、スズネ自ら作り出してしまったのかもしれない。でも、感情は止めることなんてできなかった。

 現実を突きつけられた気がしたから。

 いや。裏切られた気がしたから。

 そんなのはただの被害妄想だって、スズネには勿論解っていた。

 昨日の自分は、彼について何も知らなかっただけ。

 彼が軍人かもしれないだなんて、砂の粒ほども思っていなかっただけ。

 ただ、彼が優しかった。そんな事実で、軍人かもしれないという選択肢を、自ら消していただけだ。

 ここには軍人くらいしか来ない。

 解っていたはずなのに、彼の優しさがそれを忘れさせた。

 本気で彼のことを軍人じゃないって信じていた。

 だから、こんなに胸が痛いんだ。自分から家族を奪った奴らと同じ場所に立っているんだって、それが解ったから……。

 膝頭が、また濡れていく。

 まったく成長していないな。

 そう思ったものの、今のスズネに涙を止めることはできなかった。

 声に出さないように、懸命に唇をかみしめる。

 ほんの少し鉄の味がしたのは、どうしてだろう。

 悔しさか、苛立ちか、それとも――。



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