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二章 羽を折られた鳥は……(3)

   *・*


 真新しい軍服に腕を通すと、何ともいえない感覚がわき上がってきた。

 歓喜とも言えるし、そうでないとも言える。

 喜びや悲しみ、緊張や恐れなど、およそこの世にある全感覚が混ざりあったかのようだった。

 これで、新たな起点に立ったわけ……か。

 フェネルは自らの姿に可笑しく思うも、鏡の前で服装を整えた。

 つい昨日まで着ていた軍服とは本当に違う。

 使い古されてもいないし、土のにおいも戦のにおいもしない。

 そして何より、見慣れた軍服とデザインも少々異なっている。

 しかしこれが、ここの――リッシリア司令部のスタイルなのだろう。

 国境、辺境の地に建つ牢獄の……。

 吐いた一息が、やけに重たいと感じられる。

 フェネルは左の目を押さえると、小さく何かを呟いた。


 長い廊下を抜けると、所属する部隊の部屋へと辿り着いた。

 ……が、扉を開ける寸前、開いた扉から出てきたキョージに、

「おー、丁度いいところにいた。ちょっとこれから仕事付き合え」

 と、強制退去をさせられてしまう。

 目を白黒させるフェネルだったがそれに気付かれることもなく、元来た道をたどることとなった。

「ちょっと、キョージさん。一体何なんですか」

 思わずそう声を上げると、フェネルの腕を引っ張っていたキョージは口の端をニッとあげる。

 幾人かの軍人が歩いたり駆けていったりする中、つかつかと歩みを進めつつキョージは口を開いた。

「だから仕事だって、仕事」

「仕事?」

「そう。まあ、ようは見回りだ」

 そう笑みを向けて言うと、キョージはフェネルの手をやっと離した。

 思いの外強く引っ張られていただけに、腕は少しばかり痛い。

「見回り……ですか」

「そうそう。それにどうせ、今行っても隊員には会えなかっただろうし」

 丁度いいだろ?

 きょとんとするフェネルにそう答えると、それにとキョージは付け加えた。

「辛い仕事は、早めにやった方がいい」

 後で暗くなるのも、なんだし。

 深い息を一つついて、キョージはうんと腕を伸ばす。

 彼が一体何を差して言っているのかがわかって、フェネルは「そうですね」とだけ頷いた。

 ここで悲しんだとしても、何かが変わるわけでもない。

 日の光でぬるくなった風が、窓の外から入り込んでくる。

 冷たい印象を与えるコンクリ造りの建物だというのに、そればかりは熱く感じてならなかった。

 また数人の軍人が、急ぎ足で過ぎ去ってゆく。

 前をゆくキョージに視線をやると、フェネルは小さく口を開いた。

「キョージさん。これから……行くんですか?」

 その声は小さいはずなのに、どうしてか大きく響いたように頭の中へと入ってくる。

 ほんの少しだけ空気が凍り付くのが感じられた。

 生温い風が頬を撫で、背筋に嫌な汗を生まれさせてゆく。だが――、

「そうだねぇ。仕事だもん、行かなきゃだろうね」

 悲しそうな、寂しそうな表情をその顔に浮かべると、キョージは薄く小さく笑った。

 見えてきた階段を、一段一段下りてゆく。


 一歩建物から出ると、焼け付くような灼熱に襲われた。

 それは何故だろう。昨日歩んできた時よりも、ずっと強い力を持っているかのように思えてしまう。

 フェネルは手を翳し天を仰ぐと、あまりの眩しさにそっと目を細めた。

 翳した手は赤く、血潮が流れているのが目に見えるかのよう。

「あー、こりゃあ今日も焼けるな」

 そして隣ではキョージがそう一人ごちると、眉根をきゅっと寄せていた。

 はぁっと息を吐き、熱を帯びた瞼を一度抑える。

 それからもう一息つくと、キョージは髪を掻きあげた。

「そうそう。ダイガ大佐に言われたかもしれないけど、ここには南と西に牢がある」

 聞いた?

 そう視線を向けてくるキョージに、いいえとフェネルは首を振った。

 すると「そうかそうか」と頷き、キョージは数歩歩みを進める。

「見ればすぐに解るんだけど、ここからまっすぐに行った方が西の牢。そんで、昨日お前が通ってきたのが南の牢だ」

 西の牢には比較的軽い罪を犯した者が収容されており、第一部隊が監視しているという。

 そして南の牢には、数多くの凶悪犯罪者が収容されているのだ。

 日々そこからは罵倒が絶えず響き渡り、平穏などという生ぬるい言葉は存在しない。

 憎しみや怒り、憎悪がひしめき合い、混濁とした空気を作り出している。

 そこをキョージ率いる第二部隊A班が監視しているのだ。

「正直な、最初の監視で大抵の奴が脱落するんだ。そういう奴は、B班へ異動させられる」

 あそこはこことは違い、室内専門だからな。

 だがそう言ってくるキョージの言葉に、だから人が少なく感じたのかとフェネルは一人納得した。

 おおよその隊は三十から五十、多くて百人ほどの人員で構成されている。

 隊内で班分けがあったとしても隊員を均等に配置しているはずであるのだが、この第二部隊にはA・Bの二班しか存在しない。

 そのため薄々違和感を感じていたのだが、フェネルはようやくその違和感の原因が理解できた。

 と同時に、一抹の不安が胸中をよぎってゆく。

 そのような環境下で、果たして……。

「まあ、あそこを一人で歩いてきたようなヤツだから、フェネルは心配ないだろうけどさ」

 しかしボソッとそう付け加えられると、フェネルは頬を赤く染めた。

「なッ、何ですかそれ。まるで普通じゃないみたいじゃないですか」

「いや、普通じゃないだろう。俺だってあんな所を一人で歩くの、未だに度胸いるもん」

 絶対食われそうだし。

 気まずそうに視線を横にそらすキョージに、本格的に自分は普通ではないのかと思い始める。

 だがそれを易々と認めたくもなくて、フェネルは首をふるふると振った。

「僕だって、あそこを歩くのには度胸がいりましたよ!」

「とかいって、本当は迷ったから変な度胸が必要だったんじゃないのか?」

「そ……それはないと言えば嘘になりますけど」

 けれど、それとこれとはまた別問題と言うか……。

 ごにょごにょと口ごもってさらに頬を赤く染めると「あ、いえ。別問題と言うよりも、別問題には変わりないんですけれども、そういうではなくて」と、訳の解らないことを言い出し始める。

 段々自身でも訳が解らなくなってきたのか、フェネルは頭を抱えると、ちょっと時間を下さいと後ろを向いてしまった。

 足元を見つめながら、小さな声で何かを呟き続けては首を横に振っている。

「ははっ、フェネルをからかうのは楽しいのな」

 だが悩みに悩んでいるフェネルを見ていたキョージは、腹を抱えてけらけらと笑いだす始末だ。

 真剣に悩んでいたフェネルはハッと我を取り戻すと、抱えていた頭から手を離してキョージの方へと視線をやった。

「え、……うそ」

「本当」

 魂が抜けたような声で、どうにかそれだけの言葉をフェネルは吐き出す。

 とはいえ眼尻に涙を浮かべているキョージにそう言われると、今度は羞恥心で頬が熱くなるのを感じてしまった。

 キョージさんは、どこまでが本気なのか解らない。

「まあまあ。からかった俺が言うのもなんだけど、そんなに落ち込むなって」

 何て言うの? 癖なんだよね、からかいたくなるの。

 キョージは苦笑気味にそう言うと、フェネルの肩をぽんぽんと叩いてくる。

「ともかく環境はこんな感じだ。あとは歩きながら説明するよ」

 すると「さあ、行くぞー!」と肩を組みながら、キョージは歩みを進めていく。

 ほんの少しよろけながら、フェネルはキョージの半歩後を追って行った。

 砂塵がゆるりと吹き抜けてゆく。


 囚人の歓迎は、想像以上のものだった。

 昨日来た際には今までの軍服を着ていたために、歓迎と言うよりも冷やかしのような対応を受けたのだが、今日はもう手加減というものがない。

 罵声は勿論のこと、それと共に飛んでくる唾や砂にも、憎しみや苛立ちが溢れるほどに篭められている。

 その度に厳しい対応を取っているのだが、そんなことなど無意味に等しい。

 近寄れば鉄格子の間から腕が伸び、胸倉を掴まれ、更に苛立ちの篭った罵声を浴びせられるといった具合だ。埒が明かない。

 真新しいはずの軍服はあっという間に砂にまみれてしまっており、フェネルはふっと小さく息を漏らした。と同時に、キョージの方へと視線を向ける。

 彼はさすが班長といえようか。

 あれだけの囚人を相手にしているものの、その対応は的確で、フェネルのようなくたびれた様が窺えない。

 キョージさんみたいになれれば別なんだろうけど、確かに一人では歩けないな。

 ただそう思う傍らで「昨日は本当に運がよかった」と強く感じつつ、フェネルはキョージの一歩後をついていった。

 四方八方から聞こえてくる怒声に、足音さえ紛れてしまう。

 熱に犯された風が吹き抜けてゆくと、汗が一層滲むかのようだった。額の汗を拭うと同時、砂塵が額と腕の間で擦れ合う。

 まったく。これでは環境にもからかわれそうだな。

 感づかれないほど小さくため息をつくと、キョージの歩幅が大きくなった。急に早くなった彼の歩みに話されないよう、表情を引き締めてフェネルはついて行く。

「キョージさん、どうしたんですか?」

 見れば左右に建ち並んでいた牢はなくなり、赤茶けた大地が広がっていた。だが、

「さあ……見覚えがあるだろう?」

 そう言いながら立ち止まったキョージのその奥には、一つの牢があった。

 そしてその中には、昨日会った少女と軍に配属された少女の二つの姿がある。

 確かにフェネルにはこの光景に、見覚えがあった。

 しかしただ違うことといえば、あの少女が昨日とはまったく違う――言うなれば敵意と悲しみに溢れた視線を向けてきていたということ。

 そう。たったそれだけのことだった。

 陽射しが先ほどにも増して、熱く感じられる。



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