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二章 羽を折られた鳥は……(2)


    *・*


「ねぇ、眠たい……」

「まーだ起きたばっかりだよ?」

 二つに結わってもらった髪をふるふると揺らしながら、スズネは目を擦った。

 そんなスズネを微笑ましそうに見ていたカキョウだったが、あまりに目を擦り続けるのでストップをかける。

 目が腫れちゃうよ? と言うと、カキョウはスズネの頭を優しく撫でた。

「んー、ダイガ大佐と話している時は、威勢がいいのにねぇ」

「だってアイツ、うるさいんだもん」

 黙らせるには、ぎゃふんと言わせなきゃ。

 しかし次には胸の前に硬い拳が作られており、スズネは何度もうんうんと頷いている。

「アイツに負けたら、女が廃るでしょ?」

 すればもう眠気はどこへやら。輝きに満ちた双眸をカキョウに向けると、困ったような笑顔を向けられた。

「ダイガ大佐、きっとこんなことを言われているなんて気づいてないよね」

「気づいていたとしても、負ける気しないし。ほっとけばいいじゃん」

「さすがスズネちゃん。言葉に確信じみたものがあるんね」

「当たり前でしょ」

 だって私、あんな奴より遥かに強いもん。

 そういうスズネの言葉に、二人は声を潜めて笑いあった。

 強い陽射しが照らしつける中、荒野の乾いた風が砂塵を引き連れて吹き抜けてゆく。

 今もどこかから、囚人達の怒鳴りあう声が聞こえてくる。

 それはどれも物騒なもので、警備に当たる軍人達をなじっているようだ。

 そんなことをしても出られない。そんなこと、とうに知っているだろうに、毎日毎日。

「そういえば明日、みんなと買出しに町に行くんだけど。……スズネちゃんの服、内緒で買ってこようか?」

「え、いいの!?」

「だって汚れも目立ってきたし、何よりもう小さいでしょ?」

 だから、ね。

 そう小声で言うと口元に人差し指をあて、カキョウは小さく首をかしげた。

 一方スズネはというと、カキョウの言葉に嬉しさがこみ上げてきて、双眸をキラキラと輝かせている。

 バッとカキョウに抱きつくと、スズネは満面の笑みをその顔に浮かべた。

「ありがと、カキョウ! 大好き!」

「おおぅ、では頑張って出陣してきますね」

 どんな服がいいかねぇ?

 カキョウがそう切り出すと、互に笑い合いながらまだ見ぬ服について語り合う。

 やっぱりワンピースかな?

 色はどんなのがいいだろう。

 その嬉しそうな表情は、囚人と世話係との間に生まれるものとは到底思えない。

 まるで花のような雰囲気が辺りを包み込み、照らす陽光までもが柔らかに感じられた。

「んー。やっぱ色は白がいいな」

 小さな両膝に乗せた手をピンと伸ばすと、スズネはカキョウの顔を覗きこんだ。

「白? また白でいいの?」

「うん。水色も好きだけどね、着ていたら気に入っちゃった」

 それに、白だったらあんまり服変えたってバレないでしょ?

 ウインクしながら言ってくるスズネに、そっかそっかとカキョウは頷く。

「確かにそうだね。それじゃ、頭の中にメモっておかなきゃ。『白のワンピース』って」

「忘れないでよー?」

「んー、大丈夫かなー」

 冗談めかしく言うと、カキョウは片頬に手を当てた。

 それを見ていたスズネは、「なんだそれー」と笑いながらカキョウの肩を叩く。

 今は、何をやっていても楽しい。

 こうして冗談言い合うのも。

 年頃の女の子みたいに、おめかしの話をするのも。

 友達といるのが、途轍もなく楽しくて、そして嬉しかった。

 こう思うと、いつも胸の奥が少し痛むけれど。それでも。

 カキョウが笑いすぎて眦に涙を浮かべているのが窺える。

 少女達の声が、ここが荒野だと忘れさせるよう流れ去っていった。


 どれほどの時を巡ったか。

 カキョウと他愛のない話を交わしていたスズネだったが、その胸中にじんわりと浮かんでくるものがあった。

 それは他でもない。昨日会った、あの少年のことである。

 どう見ても二十代に満たない優しげな風貌と、そのとおりの性格の持ち主。

 片方だけ覗いていた柔らかな瞳をした彼は軍人とも流浪の者とも言い難く、一体何者だったのかが気になって気になって……。

 ふわりと動いた空気が頬を撫でてゆく。

 スズネは笑みの浮かんだ顔に、ほんの少しだけ疑問の色を見せた。

 思えば昨晩からそうだ。

 少しでも考えるのを止めると、すぐに彼のことが思い浮かんでしまう。

 そして何より、今朝方ダイガに言われたあの言葉も気にかかった。

 彼は全く軍人になど思えない。

 あれほど優しそうで、腰が低くて、純粋な色をした彼が、穢れた軍人であるはずがない。

 そう思っていても、新人だとかいうダイガの言葉に引っ掛かりを覚える。

 ここ最近で見知らぬものといったら、彼しか見ていないのだ。

『きっと他にむかつく軍人がいるはず』

 何回言い聞かせても、どうしても拭いきれない気持ちがあって……。

 こんなことは今までになかった。

 誰か一人のことがこんなにも気にかかるなんて、そしてそのことを案じているなんて。

 そんなこと、どうして思ってしまうんだろう。

 何か、まるで自分じゃないみたいだ。自分がわけ解らない。

 どっちみち自分はここから出られるはずもないっていうのに。

 こんなことを気にしていても、何の足しにもならないっていうのに。

 本当、変だ。

 自然と俯いてしまう視線。

 先刻まで楽しかったはずの時間が、このもどかしさで苛々に変わってゆく。

 すると突然、スズネの額を温かな掌が覆ってきてくれた。

 ふわりとしたその感覚に俯いていた視線を上げると、微笑んだカキョウの姿が見て取れる。

「どうしたの? スズネちゃん」

「へ?」

「眉間。皺寄ってるよ」

 スズネちゃんが考え込むなんて、熱がないか心配だもん。

 でも熱はないみたいだねとカキョウは言うと、そっとその掌を離した。

 ふわりとした感覚がまたふわりと消え、それにスズネはきょとんとした表情を見せる。

「で、何を考えていたのかな?」

 だがその眼前でカキョウは首を傾げると、笑みを浮かべたまま聞いてきた。

 それはどこか陽光のような温かさを湛えている。

 もどかしさに苛々していたスズネは軽く首を振ると、別にと呟いた。

「何でもないって。でも、あえて言うなら変なこと」

「変なこと?」

「そう。変なこと」

 だってこんなに個人が気になることなんてなかった。

 しかも昨日初めて知り合った、赤の他人。

 そんな奴が気にかかるなんて、変なこと以外に言いようがない。

 さらさらと砂塵を巻き上げた風が、格子の外を走っていった。

 苦笑を浮かべるスズネに今度はカキョウの方がきょとんとしてしまう。

「なぁに。その変なことって」

「えー、言うの?」

 やだよ、変なんだもん。

 そう言うとスズネの頬は微かに赤らみ、それを目にしたカキョウはより一層好奇心を駆り立てられる。

「ふふふー、安心して。わたしは秘密主義者だから」

 絶対に言わない。だから、ね?

 そうカキョウが言うと、スズネは赤くなった顔をそろりそろりと上げてきた。

「本当?」

「本当に本当」

「絶対に?」

「神に誓います」

 ただそれでも、そのようなことを言うのは少々憚れる。

 スズネはうーんと悩むと、上目使いにカキョウの顔を覗きこんだ。だが、

「笑わないでよ」

 カキョウは唯一信じられる人だ。

 きっと彼女なら、そのとおりにしてくれるだろう。

 心中のみでの決心。それをつけると、スズネは初々しくも真剣な表情でカキョウを見てきた。

「ねぇ……昨日さ、男の子来なかった?」

「男の子?」

 だが彼女の言葉にきょとんとし、それからカキョウは虚空へと視線を移した。

 視線は彷徨いながら、記憶の切れ端を繋いでゆく。

 小さく「うーん」と言う声が、荒野を駆ける風に消されていった。

「男の子ねぇ。……来たっていえば、来たけど。でも……」

「ねえ。それどんな子だった?」

 するとスズネは食いつかんばかりに、カキョウの方へと身を乗り出してくる。

 昨日の少年は、やっぱり軍部を尋ねていたのだろうか。

 けれど……だとしたら何のために?

 期待と不安が、スズネの中を駆け巡っていった。

 すぅっと息を呑むと、僅かに空気が張り詰めるような気がする。

 しかしそのことだけがスズネの頭をいっぱいにさせていて、カキョウの表情が僅かに曇ったのを見つけることができなかった。

 カキョウはそうだねと言うと、視線を格子の外へと移す。

 そこには鮮やかなまでの蒼い空と、そこに浮かぶ薄い一片の雲が映っていた。

 他には何も、映っていない。

「一人は背の高い人だったな。短い赤い髪をしていて……けれどどこか優しそうな目をした人」

 その人、照れ屋っていうか、結構純なんだよね。

 ポツリポツリと紡がれてゆく、その人に対する記憶。

 カキョウは口元に薄っすらと笑みを浮かべると「こっちも照れちゃうよね」と、肩を竦めて見せた。

 だが、それはスズネが昨日会った少年とは違う。

 やっぱり訪ねたのは別の場所だったのだろうか……。

 そんな疑問が湧き始めたが、刹那カキョウはもう一度口を開いた。

 生温い風が、ひゅうっと格子の間から入ってくる。

「もう一人は、わたしよりもちょっと背が高いくらいの人で、男の人にしては長い髪をしていてさ。あと綺麗な紫色の目をしていた」

 左の目は眼帯で隠れていたけどね。

 そう、優しくもはっきりとした声音が空気を揺らしてゆく。

 しかしそれがど、れほどの衝撃をスズネに与えたか。

 視界は真っ暗になるかのようで、あまりの事実にスズネは自分が解らなくなっていた。

 未だに小さな希望にかけているけれど。そんなことはないと思っているけれど。それでも彼がカキョウの言う人物と違うと、どうすれば断言することができるだろうか。

 彼は一体誰なんだろう。

 彼とカキョウの言う男の人は、一体何がどう違う?

 必死になって、相違を見つけようとしていた。

 髪の長さが違う?

 それとも身長?

 けれどそう意識をして見たわけでもなく、霞がかった記憶ではどうしても曖昧になってしまう。

 ましてや身長なんて、荒野では比べる物もなく、髪の長さだって人それぞれの見方がある。

 そこでどうやって違いを見つければいい?

 ははっと乾いた笑いが、スズネの口から漏れた。

 笑おうと――平静を保とうとしているのに、それはどこかぎこちない。

 笑え。受け流せ。耐えろ、自分。

 そう言い聞かせて、でもなかなか上手くはいかなくて。

「へぇ……そうなんだ」

 目頭が、鼻の奥が熱くなる。

 だがそれえもどうにか動揺を隠そうとすると、スズネは酷くぎこちない笑みを口元だけに浮かべた。

 カキョウの表情が、音を立てるように青ざめていく。

「そうだったんだ」

 青い空の中を、鳥が一羽飛び去っていった。


 ぐちゃぐちゃになった思いは、どうすればいいのだろう。

 解らないものをは、どう解決したらいいのだろう。

 ぽろぽろと溢れるばかりの涙。

 それを熱いと思うのは、一体どうして?

 止まらない涙を、手の甲でごしごしと拭う。

 しかし拭っても拭っても手の甲は濡れるばかりで、ふとその手は止まってしまった。

 わたしはどうしたらいいの?

 今は何も解らなくて、整理さえできなくて。

 こんな涙なんて、枯れてなくなってしまえばいいと思った。

 そうすれば、もう泣かなくてすむから……。

 牢屋の中に、響く嗚咽。

 しかし空は、今も青いままだった。

 いつもと同じ、雲一つない様の。



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