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一章 繰り返しの起点(後半)

   *・*


 幸運か……。あんまり縁のない言葉だな。

 ベッドに寝転がりながら、スズネはそんなことを思った。

 幸運。いつその言葉を忘れてしまったんだろう。

 いつから訪れることはないと、諦めてしまったんだろう。

 普通なら『人生なんてまだまだこれから』そう思って疑わない年頃なのに。

 いつから生き続けることを諦めようとしてしまったんだろう。

 いつから生きていくことに辛さを感じるようになってしまったんだろう。

 ほんと、いつから――……

 外で砂の吹かれる音がした。

 砂は吹かれて、牢に当たっては砕けていく。

 スズネは思わず、その瞼を伏せた。

 神にも祈らなくなった。

 家族と再び暮らせることも諦めた。

 なによりも。そう、なによりも。

 人とまともに接することさえ、もう望まなくなった。

 それなのに、どうして?

 どうして今さらこんなに心が痛むんだろう。

 もう普通なんて望まない。

『誰かとまともに』そんな夢物語なんて諦めたのに。

 なんで、だろうね。

 疼く心。痛むのも、そう。

 もう人間になんて戻れないのに、スズネはきゅっと唇を噛み締めた。

 風は止め処なく吹き抜けていく。



 扉が開けられると、暗い牢内に大量の光が差し込んできた。

 突然現れた光は、暗闇に慣れてしまったその目にはあまりにも眩しすぎる。

 スズネは思わず目を細めながら振り返った。

 すると逆光の中、女性特有の細く柔らかなラインのシルエットが浮かんでいる。

 白いエプロンと胡桃色の髪が、風に靡く様子が見て取れた。

 ――カキョウ・エルビアが薄暗い牢に、入ってきたのだ。

 カキョウは軍部直属囚人管理人という役職についている。

 その職に就いた時から、カキョウはスズネの世話係をやっているのだった。

 とはいえ彼女もまだ十七歳。スズネとはたったの、二つ違いだ。

 しかしその性格と人の良さは、他の軍の者とは全然違う。

 カキョウこそスズネが唯一心を許している、いわば実の姉的な存在だったのだ。

「おはよ。スズネちゃん」

 カキョウが扉を閉めると重苦しい音と共に、牢内は再び暗くなる。

 砂埃が小さく、宙を舞った。

 寝転がったままのスズネはひたひたと歩み寄る音に耳を傾けている。

 その音は二人の距離感が縮まるにつれて、大きくより確かになっていって。

 目が合うとカキョウは、穏やかな微笑を向けてきた。

「ゴメンね。寝てた?」

「そんなことないよ。暇だったからつい」

「なるほどね」

 本当はどうしようもないことばかりを考えていたのだが、そんなことを言ってどうこうなるわけでもない。

 ぴょこんと起き上がると、スズネはワンピースの裾を一払いした。

 部屋のせいか、茶色い砂埃が少し舞った。

 さすがは最悪の牢獄と言われるだけある場所だ。嫌でもスズネは感心してしまう。

「スズネちゃん、髪をかすから座って」

 妙に納得している風のスズネを見て、カキョウはちょっとだけ苦笑した。

 その言葉に頷くと、スズネは寝癖のついた髪を一撫でする。

 そういえば今日はまだ、髪にくしを通していない。

「今日はどんな髪型がいい?」

「二つ縛り。下の方で」

 おんぼろベッドに腰掛けるスズネの隣に、カキョウも続いて腰を掛ける。ぼさぼさだねぇと、カキョウはスズネの頭を撫でながら言った。

「そういえばダイガ大佐、今日もすごい怒っていたけど、また揉めごとでもあったの?」

 櫛を取り出しながら、カキョウは訊ねる。

「別に。ちょっと喧嘩を売られたようだったから、ありがたくそれを買ってあげただけだよ?」

「そっか。買っちゃったんだね、喧嘩」

「せっかく売りに来てくれたんだもん。買ってあげなきゃひどい女だと思われちゃう」

「でも、負かしちゃったら同じだよ」

「弱いのが悪い」

「相変わらずだなー。スズネちゃんは」

 そう言って二人は声高々と笑った。

カキョウはスズネの髪を梳かし始めた。

「今度は手加減しなきゃダメだよ」

「それでも勝っちゃったらどうしよう」

「自信満々だね」

「勿論。だって負けたくないもん」

「うん。それでこそスズネちゃんだ」

 細くさらさらしたスズネの髪は、櫛を入れて下ろしても、途中で引っかかることはなかった。文句の付け所がない髪質だ。

 カキョウはその一連の作業を繰り返し繰り返し行うと、柄の部分を当てて、髪を左右に分ける。

 集中しているのだろう。カキョウが喋らなくなると同時、会話の中断された牢の中は急に静かになった。

 髪を梳かしてもらっているためじっと座っているほかないスズネは、虚空を見つめて先ほど会った少年のことをまた思い出していた。

 ちょっと怖がりで、そのくせ人の心配をするあの少年。

 突然現れたあの少年は、一体何者だったのだろうか。

 ……とはいえ、ここにいたということは、軍に何か用事がある人。もしくは軍に関連した人であることは確かだ。

 でなければ、こんなところへ一々現れる必要などない。

 しかし彼は道に迷っていたようだった。同じ軍部の者が敷地内で迷うなど聞いたことのない話だ。

 それにあの外見。

 スズネよりはあるが、けして高いとはいえない身長。耳にかかるほどの髪は綺麗な小麦色をしていた。

 大きな紫の瞳は輝きに満ちていたが、どうしてか左目に黒の眼帯に隠れている。それがやけに、少年らしさを欠こうとしていた。

 そして長旅を物語る、薄汚れた白いシャツに作業着のようなズボンという身なり。

 服装は別としても、あれはどう見ようと十代半ばから後半といったところ。二十代ということはまずありえないだろう。

 だとすれば後者の可能性は限りなくゼロに近くなる。

 こんな辺境の地に飛ばされる軍人は、最低でも准尉相当だ。あの歳頃でも軍人はいるが、いってもまだまだ兵長あたりが妥当だろう。

 それじゃあ、彼は一体何の目的で……?

「よしっ。もう終わったから動いてもいいよ」

 静かだった牢にカキョウの元気のいい声が響く。結ってもらったスズネの髪は綺麗に二つに分かれていて、気持ち動きやすさとスズネの活発さ加減が増した。

「うん。いい感じ。ありがとね、カキョウ」

「どう致しまして」

 嬉しそうな表情をその顔いっぱいに浮かべて、スズネが微笑む。するとカキョウもたまらなく嬉しくて、笑っていた。

 そして二人の会話は、再び始まる。

 それだけがスズネが少女へと戻れる、唯一の時であったから。

 牢屋の中に、少女たちの明るい声が響き渡った。


   *・*


 スズネに教えてもらったとおりの道を進むこと数分。ようやく司令部の建物が見えてきた。

 まるでコンクリの要塞ようさいのように荒れ果てた大地に構えている軍部は、その場に溶け込んでいるようで、しかしどこか浮いているような奇妙な光景だった。

 辿り着いたことによる安堵の表情を浮かべた少年は、一度大きく息を吸い込むと、たるんでしまった気を引き締める。

 これから司令部に行くのだ。気を新たにしなければ。

 そして少年は残り少ない荒れ果てた砂地を歩き始めた。



 正面玄関の両脇には一人ずつ軍人がいた。

 少年は丁寧に彼らに挨拶をし、中へと入っていく。

 入ってみればそこは、案外普通の建物だった。

 壁や廊下が冷たい印象を与えるコンクリなだけで、その他の造りは他の軍部と大した変わりはない。

 それにこうして見てみるとコンクリも、軍人らしい冷静さを示すかのようでなかなか雰囲気に合っている。

「フェネル・クリス様ですね。――こちらへどうぞ」

 受付の女性に通されながら、少年――フェネルは後をついていった。

 しばらく歩いた先、突き当りの応接間で待っていて下さいと言われたフェネルは、大人しくそこへと入っていく。

 応接間には木製の幅のある立派はテーブルと、その両脇にはこれまた立派なワインレッドのソファが置いてあった。

 フェネルは持ってきた鞄をソファの端に置くと、誰もいないにもかかわらず、長旅の疲れを感じさせないような姿勢でその時を待つ。

 入って間もなくして、あのダイガが現れた。

 ソファに座っていたフェネルはすぐさま立ち上がると、深々と頭を下げる。

「こんな辺境の地まで来るには、さぞ疲れたことだろう」

「いいえ。それほどでもありません」

 頭を下げたまま言うフェネルの口調は、先ほどよりも引き締まっていた。

 ダイガは無駄に蓄えた髭を指で摘んでは引っ張るという一連の動作を繰り返しながら、話を進める。

「そうか。私がこの司令部の担当者、リーズィ・ダイガだ」

「申し送れました。ミィーシェ司令部より派遣されたフェネル・クリスと申します。若造が故にご迷惑を多々おかけすることもあるでしょうが、全身全霊をかけて仕事に取り組む次第です」

「これは頼もしいな。それじゃあ早速頼むよ。クリス中尉」

 フェネルの前に右手が差し出された。

「はい」

 短い返事の後、フェネルはその手を握った。



「アンタが今日からこの部隊に所属されるって言う、ね」

「はい。フェネル・クリスです」

 フェネルが次に連れて行かれたのは、所属する部隊の部屋だった。

 そこには十ほどの机が並べられており、最奥さいおう中央にさらにもう一つ机がある。どこにでもある軍部内の光景だ。

 そしてフェネルは皆が出払っていると言うその部屋の中、一人の軍人と面会していた。

 見た目はまだ若い。すらりと伸びた背筋に加え、端正な顔立ちをしている。

 オレンジ色の大人しい髪も切れ長の目も、その出で立ちをさらに美しくしているかのようだった。

 だがこの身なりに立場、そして対応。それらがこの人も確かに軍人であるのだと示している。

 そのまっすぐな視線を向けられたフェネルは、唇を引き締めながら当たり前なことを感じていた。

 青年はそれから一度手元に持っていた書類を机の上に置くと、長い息を吐きながらフェネルに向かう。その視線やオーラには、どこか凛としたものが混じっていた。

「……そう。まあ、最初のうちは環境の違いに戸惑うこともあるだろうけど、その時はなんでも言ってくれ」

「はい。ありがとうございます」

 だがフェネルがお辞儀をした後に聞こえてきたのは、予想とは相違う。堅苦しい礼儀を無視しきった、吹き出すほどの笑い声だった。

「俺さぁ、いつまで堅苦しい軍人ごっこをしていりゃいいわけ?」

 何ごとだと頭を上げれば、先ほどの雰囲気とは打って変わり、笑いを堪えている青年の姿が目に映った。

 一体何があったのかも解らないフェネルは、ただ呆然と彼の姿を見つめ続ける。

 すると彼は、腹を抱えると余計に笑い出したのだ。

「んな堅っ苦しくなくてもいいって。いくら俺が班長だからって、ぶっちゃけ同じ中尉だしよ」

「は、はあ……」

 彼はフェネルを指差しながら、ひいひい笑っている。そんなにツボをついたのかと、フェネルは立ち尽くすばかりだ。

 しかしそんなことなど露知らず、彼はどんどん言葉を続けていく。

「それにここは、地位関係なしのアットホームな班だ。――あ。ダイガ大佐とか、お偉いさんが来た時は別だけどな。それ以外は友達感覚ってわけだ」

 へへっ。と顔を赤くしながら言うと、彼はすっと手を差し出してきた。

「俺はキョージ・シラクス。肩書きだけはここの班長ね」

 その笑顔はあまりにも無邪気すぎて、軍人と言うよりも本当に家族や友達のようだった。最初に感じた印象はあっさりと崩れ果て、けれどそれは自然と不快でなどなかった。

 フェネルはダイガの時とはまるで違う、温かい気持ちのままに手を握り返す。

 その手は気持ち同様、温かなものだった。

「で、フェネルは早速道に迷ったらしいな」

「……へ?」

 ニヤニヤと面白いものを見つけた子供のような眼をしながら、キョージはフェネルを突いてくる。

 なんていう情報網だ……と、フェネルは思わず苦笑した。最初からしてしまった失態は、もうバレバレだということなのだろう。けれどそこに一体誰かいただろうか。

 あまりに不可思議で、でもこれなら情報には困らなそうだと感じる。

 キョージは突いた手をフェネルの肩に回すと、その長身で寄りかかってきた。

「よく無事に来られたな。牢獄道で迷うと、囚人に悪戯されるもんだけどな」

 例えば食いかすとか投げられたり、罵倒されたりしてな。と言うキョージの言葉に、なるほど。そういうことかとフェネルは頷いた。

「いえ、色々と投げられたりしましたよ」

「おぉう、やっぱり!」

「けれど道を教えてもらえたので、なんとかたどり着くことができました」

 その言葉を聞くなりキョージは目を大きく見開き、へぇと感嘆した。

「そんな奴いたんだ。何お前? 幸運さん?」

「その子が優しかっただけですよ」

 最初は本当に怖かったけど。という言葉は、一応飲み下しておく。

 道を教えてくれた女の子に失礼だと思ったからだ。

「ふーん。あそこにいる奴はみんな軍人が嫌いな奴ばっかりだからな。珍しいこともあるもんだね」

 そう言いながら、キョージは手を放す。前のめりになりかけていたフェネルは、軽くなった背中を伸ばした。

「ま、嫌われて当然だろうけどね。だって囚人と軍人って、いわば敵みたいな関係じゃん?」

 それは当たり前のことだ。何かしらの悪事をしたからこそ囚人は囚人になる。

 そういう人には何かしら、心が荒れるような『何か』があるのだ。いじめや虐待や……気付かないところで感じている綻び。

 けれどそれを解ってもらえないで、軍人や自警団に捕まってしまう。そうなれば誰かて仲良くなろうとはしないだろう。

 軍人だって、そういう仕事をしているのだ。命が奪われるやも知れない場所で、のうのうと過ごすことなんてできるはずもない。

 必然的に敵視してしまうのは仕方のないことだろう。

 それを解った上で、キョージは寂しそうに微笑んでいる。フェネルはそうですねと、小さく答えることしかできなかった。

 けれど……。フェネルはそんなことを心中で呟く。

 だったらあの子は、どうしてあんな場所に監禁されているんだろうか。

 答えは何も、見つからない。

 窓から差し込む光に照らされながら、二人はただその場に立ち尽くした。

 どこかからか、さずかな軋みが聞こえてくる。

 キョージは悲しそうな微笑を浮かべる一方だった。


「ところでさ、フェネルを助けたのってどんな奴なわけ?」

 宿所に案内されている途中、ふと思い出したキョージがそんなことを聞いてきた。

 今の今まで事務的な話しかしていなかったから、その豹変っぷりにフェネルは正直にすごいと感じてしまう。

 初めて会った時もそうだったのだが、真剣から普段への表情の転換が達人技なのだ。

 呆気にとられていたフェネルは突然のことでしばし記憶を探ってから、ああと声を洩らした。

「女の子です。綺麗な金色の髪をしていました」

「女の子?」

 いぶかしげに眉をひそめたキョージに、フェネルは頷く。

「そうですけど……何か?」

「場所は?」

「へ?」

「だからそいつがいた場所は?」

 会ってから初めて見せるキョージの苦い顔に、フェネルは胸騒ぎに似たものを感じる。

「一番離れた、牢ですけど」

「スズネか」

 戸惑いつつも口を開くが、それは舌打つキョージは表情をますます曇らせていくことになった。

 だがどうしてこんなにも苦い表情をするのだろうか。目の前のキョージを見ながら、フェネルは自然、歩調を緩めてしまう。二人の間には嫌な空間ができてしまった。

 心臓に砂袋でも括られたかのように重苦しい沈黙が包み込んでくる。キョージは歩みを止めるとフェネルに顔を向けてきた。

「お前はあいつのこと、正直どう思った?」

 あまりに真剣な双眸。狼狽えそうになったフェネルはそれでも視線を逸らすことなく、その双眸を見つめ返す。

「知ってはいけないことでも、あるんですか」

 長い間悩んで、その末に咽が詰まる思いでフェネルはそう吐き出していた。

 フェネル本人も実際、混乱していたのだ。あそこにいるのは囚人ばかりだし、スズネも確かに『監禁されている』と告げていた。

 囚人なら誰しもあのような措置を取られるであろうことは、軍人ならずも重々承知していることだろう。暗黙の了承、定められた真実とでも言おうか。

 けれどそんなことにさえ、キョージは重々しい口調で聞いてきたのだ。

 まだ十代半ばほどの少女がいるというのはいささか物騒な話だが、けれどないとは言いきれるほどのことでもない。青少年の犯罪というのも、悲しいが十分にありうる話なのだ。

「いずれ知ることさ。むしろ知らなきゃいけないだろう」

 窓から入ってきた風が、不似合いなほど軽やかに過ぎ去っていく。

 それでもキョージは不安を煽るかのごとく変わらぬ口調で返してきた。

 覗く隻眼を凝視されたフェネルは、もう真実を知ることしかないのだと思い知る。

 こんな所に飛ばされたのが運の尽きだ。

 そう訴えるかのように眉根を寄せると、キョージは頭一つは小さいであろうフェネルの肩に手を置いてきた。

「知って後悔するなよ」

 その双眸に浮かんでいるのは、現実を突きつける色。

 もう戻れない。

 後に引くことなんて望めない。

 脅しにも見える暗い色を、キョージの瞳は浮かべていた。

 その瞳は酷く悲しくて、恐ろしかった。

 まるで孤独を言い表しているかのようで……。

 キョージの喉元がかすかに動く。

「スズネはあのアランフェスティーナだ」

 乾いた空気はフェネルの喉を焼いていった。

「……まさか、彼女が?」

「失望でもしたか? スズネの正体に」

 それでも必死になって言葉を紡ごうとするフェネルに、キョージは嘲笑とも付かない態度で言い放った。

「あいつは三歳の時に連れてこられたんだ。俺の親父もここに勤務していてさ、だから多分この軍の中で一番付き合いが長いんだろうな」

 キョージは骨ばった手をフェネルから放す。

「俺はあいつの正体を知らないで過ごした。まあ、スズネの正体を知っても大した衝撃はなかったし、前と変わらなかったけどな。……俺が軍人になるまでは」

 するとキョージはその手でぐっと拳をつくった。

 力を入れすぎてか、その手は小刻みに震えている。

「あいつ、軍人が嫌いだって知っていた。けど俺の一族はみんな軍人だったからさ、引けなかったんだよ。軍人になることを。友達悲しませるって解っていたけど、どうにもならないことだったんだ。避けられなかったんだ」

 痛々しいほど拳を握ったキョージは、虚ろな瞳でどこかを見ていた。

 何もできない。励ますことさえ叶うかどうか解らない。

 それでも近寄ろうとフェネルが自重移動するが、キョージはまるで制止でもするかのように顔を上げて笑顔を作った。

「だから、せめてもの償いってね。俺はずっと調べているんだ、アランフェスティーナのこと。もしかしたら吉報きっぽうでも掴めるかもしれないだろ? 本当は軍人だからさ、こういう差をつけちゃいけないって解っている。けど、さ……」

「いいんじゃないですか、それでも」

 放ってなどおけないほど苦しそうなキョージに、フェネルはそう言っていた。

「いいじゃないですか。軍人だって、所詮はただの人間です。友達を見捨てることなんて、できませんよ」

 って、軍人が言う台詞じゃないですね。慌てて付け足したフェネルに、キョージは驚き眼をすぅっと細めた。

「お前、相当変わっているよ。けど、……変わった奴でよかった」

「そうですか?」

「ああ。普通アランフェスティーナなんて聞いたら、引くだろ?」

 ましてやそいつを庇っている身だしさ。

 そんなひねくれたことを言うが、キョージの表情は明らかに生気を取り戻していた。

 本当に大事に思っている人だからこそ表せる表情だ。照れくさそうに笑うキョージを見て、フェネルはそう解釈する。

「誰が引きますか。それに僕なんか彼女に助けられた身ですよ」

「そうだったな、迷子くん」

「それは言わないで下さいよー」

「悪ぃ、悪ぃ」

 笑いあった。二人以外に誰もいない廊下で、壮大に笑いあった。

 狭い両壁の間で、窓から抜けきらなかった声が反響していく。

 楽しくもないこの堅苦しい場所で、それなのに二人は笑い続けていた。

 けれど……。

 フェネルは笑いながら、深い悲しみに暮れていた。

 あんなに優しい子が、どうしてアランフェスティーナなのだろう……。

 どうしようもないことは世の中に溢れすぎている。

 それなのにそのどうしようもないことに、フェネルは胸を痛め続けていた。

 二つの声は、蒼い空へと届こうとしていた。



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