始まり
――闇に、悲鳴が響く。
ある満月の夜に、木こりの一家が襲われた。
一家は無残に食い散らかされ、家族が寝ていたであろう床は血に染まり、肉片や着衣の一部しか残っていなかった。
その一家が住んでいる山の頂には、妖狐が住んでいるという。
山の麓から程近く、旅人が行き交う、この時代には珍しく整備の行き届いた村があった。
その山を越えれば、一気に都へと降りることができる。
そして、なぜかその山には山賊や、旅人を食らう妖怪などが出なかった。
――この時代の旅は命懸けである。山を通れば山賊、追い剥ぎに遭う。それらから逃げ切ったとて、腹を空かせた妖怪が待ち受けているのだ。――
故に都を目指す旅人は、比較的安全で都にも近いこの山を通る。その村で思い思いに足を休め、山越えの支度を整る。そして万全を期して山へと挑むのだ。
なればこそ、その村は経済的にも潤い、整備も行き届いたのである。
村人たちは信じていた。あの山に妖怪も山賊も追い剥ぎもでないのは―山の頂にある社に住んでいる、おキツネ様のおかげだと。
旅人は暖かく迎えてくれる村に感謝し、村人は村を潤してくれる旅人に感謝した。
そして、山に、おキツネ様に感謝していた。―あの事件が起きるまでは。
今まではおキツネ様に守られていると信じていた。それ程平和だったから。
しかしその平和は崩れ去った。木こりの一家が死んだあの日を境に。
その事件が起こった当初は、腹を空かせたクマにでもやられたのだろう――。
誰もがそう思っていた。しかし、近辺で一番凶暴なクマを射殺しても、犠牲は出続けた。
一人、また一人と、山に入ったもの、山の近くに住んでいたものから順に、食われていった。
村人や旅人、商人たちは恐れおののいた。――次の被害者は自分なのではないか、と。
そして、ある村人が、重苦しく呟いた。
曰く、妖狐の仕業なのではないか――と。
その事件が起こり始めてから1月程たった日、とある旅人が件の村へと立ち寄った。
以前は活気溢れる村だったはずだが――、もはやその面影は残っていなかった。
それほどまでに寂れていた。―妖狐に食われる村だ、という根も葉もない噂が流れたせいだろう。
その旅人が茶屋へと立ち寄った。寂れてはいるが、趣味のいい店だ。
さぞかし繁盛していたことだろう。茶屋の店主が、にこやかに話しかけてきた。――少し疲れが見て取れる。
「よう、旅のお方。珍しいな、この村に来るなんてよ」
言いながら、湯気の立つ――恐らく淹れたての――茶を差し出した。
「いやぁ……。前に立ち寄ったときに、良くしてもらったからね」
にこり、旅人が微笑みながら茶を受け取る。受け取った茶を飲みながら、あたりを見回し、店主へと視線を戻した。
「それにしても、ちょっとこない間に随分寂しくなったみたいだね……。なにかあったのかい?」
「……もし、今から山に入るつもりならやめときな。――食われっちまうからよ」
「『食われる』? 一体何に?」
「おいおい旅人さんよ、この村を通ったことがあるのに知らねえのかい? ……あの山の頂にはな、おキツネ様が住んでらっしゃるんだ。その――」
――バンッ!!
店主が言い終わる前に、店の奥に座っていた客―恐らく村人だろう―が壁を殴った。
そして呆気に取られている旅人と店主を尻目に、荒々しく喋りだした。
「なぁにがおキツネ様だよ! 人を喰うただの化け狐だろおが!!」
グイッ。手に持っていたお猪口を煽る。――どうやら酔っているようだ。
「っぷは……。よぅく聞きな、ハイカラな兄ちゃん。奴ら化け狐はなあ……、今まで先祖代々慕ってきた俺たち村人を食いやがったんだ!!」
グイッ。再び酒を煽り一息。
「ぃっく……。それだけじゃねえ。奴らは山に入ったやつは村人だろうが商人だろうが食っちまう。おかげで商売上がったりだぜ!」
言い終わる前に席を立ち、店を出て行く。―あの男の瞳に、悲しみが浮かんでいたように見えたのは、気のせいだろうか―。
バツが悪そうに、ポリポリと頭を掻きながら店主が話しだした。
「気を悪くしねえでくれ、旅人さん。……あいつは、こんなことになるまでは村一番の酒職人でな……。そりゃあ旨い酒を造ってたんだよ」
一旦言葉を切り、悲しげに俯く。湯気の立つせいろを見ながら、重い口を開いた。
「半月程前か……、あいつが足を痛めちまってな。酒の命でもある水が汲みに行けなくなっちまったんだ。何も近場の井戸でいいだろうに……譲らなくてな。酒が作れねえと喚くもんだから、見かねたやつの嫁が、汲みに行ってやったんだ」
「――! まさか……」
ハッとしたように呟く旅人。その呟きに、頷く店主。
「――食われちまったんだ。案の定な。……それからだよ、奴があんなふうになったのは。それまで誰に何を言われようと、おキツネ様のせいなんかじゃねえ! って、言い張ってたんだがな……」
渋い顔で茶を啜る旅人。――かける言葉を模索しているのだろうか。
「あ、いやー、なんだ。余計なこと言っちまったな! なんだろうな、旅人さん、不思議な雰囲気してるもんだから、話したくなっちまった」
照れくさそうに笑いながら、先程まで火にかけていたせいろを下ろす。
その中には、美味しそうなまんじゅうが詰まっていた。
「これはお詫びだ。よかったら食ってくれ。出来立てだからよ」
にこっ、笑いながら出来たてのまんじゅうを差し出す。
それを受け取り、嬉しそうに笑みながら、旅人は言った。
「――大丈夫、もうすぐ終わるよ。この事件も」
「……え?」
ぱくり、まんじゅうを口に含み、ひとしきり堪能したあと茶と一緒に飲み干す。
――がたん
席を立ち、出口へと向かう旅人。
「ごちそうさま、おやじさん、美味しかったよ」
「え、あ、ああ……。な、なあ、旅人さんよ、終わるってえのは、その、どういう意味だ?」
戸惑う店主を横目に、旅人はくすりと笑う。
そして右手を左の袖にいれると、何かを取り出す。
「そのままの意味さ。村人たちが、おキツネ様を信じているなら、すぐ終わる、よっ」
言い終わると同時に、取り出した何かを投げ渡す。
咄嗟に店主が受け取り、渡されたなにかへと視線を移す。
握られていたものは、一両。目を見開き慌てて旅人へと目線を戻す。
が――。
「あ、あれ?」
旅人は、まるで陽炎のように消えていた。
初投稿です。ここまで読んでいただきありがとうございます。
拙いながら、ゆったりと更新致しますので、ごゆるりとお待ちください。