前編
―――いったいなんだってこんな目に。
それが、今のオレの正直な気持ちだ。
食べているものから目を背けながら、オレは、途方に暮れてた。
けど、口の端からピンクがかった茶色いものがピルピルと揺れているのを見ちまって、オレはこみあげてくるものを堪えるのに必死になった。
ある朝目が覚めると毒虫――じゃない、ハリネズミになっちまってたなんてギャグもいいとこだ。けどな、ハリネズミのオレと、こうして考えてるオレとの間には、奇妙なズレみたいのがある。オレがこうしたいって思うとおりに、ハリネズミのオレは動かない。だから、オレの頭の中には、ヤな、認めたくないある考えがわいていた。もしかしてオレってば死んじまっててさ、それで、幽体だか霊体だかがこのハリネズミに憑いちまった――とか?
ハリネズミとは縁もゆかりもないっつーのに、それはあんまりだろうと思わないでもないけど、これまでのオレの人生っていうやつを総括して思い返してみれば、なんかありそうでさ。
正直、ドツボかも。
オレの人生は、ロクなもんじゃなかったからな。
いや、マジな話。
どこでどう間違っちまったんだか――――――って、オレが溜め息をついたときだった。
ハリネズミの全身が、ピクッて緊張した。痛いくらいに、全身の神経が張り詰める。ぴくぴく鼻が動く。さわさわって、ひげも動く。
なんか、見られてるみたいな気がするみたいだ。
周囲を見ると、いた! 一匹のハリネズミが、やっぱオレのことっつーか、このハリネズミを見てる。
逃げたほうがいいんだろうか。って、オレは考えて、そうしようって思ったのに。
ポトンって音をたてて、喰ってたものが地面に落ちて、数度痙攣してのたりと伸びる。
凄い勢いで突進してきたそいつに、オレは、威嚇すんだけど。
けど―――――――――
オイッ! 嘘だろ! 誰か、嘘だって言ってくれ………
オレってば、よりによって、メス? メスのハリネズミってか?
オスに後ろからのっかかられかけて、ゾッて、鳥肌立っちまった。いや、気分的に、だけどな。
毛を逆立てたメスは、このオスが好みじゃなかったんだろう。オレとふたり……いや、一匹とひとり分の火事場の馬鹿力ってやつで這う這うの態でどうにか逃げ出すことができたんだけど。オレは力尽きて、ぱたっとその場に倒れた。んで、次は、でっかい鳥に襲われて、ピーピー鳴いてた。丸まったり牙剥いたり。こっちも命がけだ。
そんなオレを助けてくれたのが、クンツだったんだ。
二十代後半くらいだろうか、苦みばしった顔つきの男だった。軽装ではあるんだけど縫製とかしっかりしてる生地は上等でさ、旅人ではないように見えた。オレを捕まえて持ち上げたごつごつした手には剣だこがあって、もしかしたら騎士とかそれより上の身分なのかもしれない。なぜって、腰に落とした剣の飾りが立派で、実用一辺倒ではないらしく見えるから。
けど、げっそりとやつれてて、こっちが大丈夫か? って、心配しちまうくらいな顔色だった。当然、それには相応の理由があったんだ。
クンツの想い人が、眠りの病にとっつかれちまって目覚めないんだそうだ。医者もまじない師も匙を投げて、国中が悲しみのどん底だ。
なぜ――――って。
クンツの想い人は、この国の女王さまなもんだからさ。
で、まぁ、クンツは、本当なら眠ってる女王さまの傍にいたかったらしいんだけど、ふと、女王さまとの約束を思い出したんだそうだ。女王さまは、ハリネズミを見たことがないというので、今度見せてさしあげます――って、請け負ったらしいんだな。それを思い出しちまうと、居ても立ってもいられなくなって、それで、探しに出かけたんだと。で、タイミングよく、オレは、助けられたってわけだ。
つややかな黒い髪に象牙色の肌の整った顔立ちの少女が、天蓋つきのベッドの中で静かに眠っている。
とりあえず、女王さまには悪いけど、オレにとっちゃラッキーだったかもなと、クンツの懐から顔だけ出して、オレは、女王さまを見下ろしてた。
「女王陛下――ソフィア………お約束のハリネズミです。見たいと、そう、仰られていたでしょう」
掻き口説くような低めの美声が、豪華な室内にポツリと落ちて消えてゆく。
オレはベッドの上で、女王さまの匂いをかいだり柔らかい頬を手で触ったりと、忙しない。あ、いっとっけど、まだ、オレは、野生のハリネズミから主導権を奪えてないので、これは、オレの意思じゃない。けど、オレは、あることに、気づいたんだ。
女王さまをとりまいている空気に、黒い魔法の気配があるってこと――に、だ。
この国のまじない師ってば、ヘボ? オレでもわかること気付かなかったってか? いや、オレが、そっちの方面にどっぷりひたってっからかなぁ………。ま、いいけどさ。それはともかくとして、この魔法の解きかたなら、オレにだってわかる。うん、あれだ。あれ! けど、クンツに教えようにも、悲しいかな、オレは、ハリネズミ。やっとのことで、本来のハリネズミから主導権を奪うことができたけど、キーキーと鳴きながら、ベッドの上で祈るように組んでいるクンツの手の甲を引っ掻くっきゃできないんだ。なんだかなぁ。やっぱ、オレってば、役立たずだ……………。
「ん? 腹でも減ったのか?」
と、青い顔を少し笑いに歪めて、ポケットから取り出したクッキーを、クンツはオレにくれた。
よかった。まともな食いもんだ。オレは、それを両手で握りしめて、食いついた。魔法の解きかたを教えないとって焦りは、食いもんの前に、どっかいっちまった。
「おまえ、ひとに飼われたことでもあるのか?」
不思議そうに見てくるけど、クッキーくれたのはあんただろ。顔に似合わず甘い物好きかなん? ま、ともあれいいじゃん。無駄になんなくてさ。
クッキー一枚で腹いっぱいになったオレは、たちまち眠くなった。そうして、夢を見た。あいつの夢を。