消えて行くのを、待つ世界
第三話
「消えて行くのを、待つ世界」
霊感。
十字がその言葉を初めて聞いたのは、小学3年の春だった。
クラス替え、新しい学年に、その少年はいた。
俺は霊感を持っているんだ。
しかし、霊感があるからといって、それを過剰に自慢することもなく、人を怖がらせるわけでもなかった。
学年をあげる度に、十字は霊感と言うものを理解していった。
霊感があると言う人は大抵、皆の気を引きたい性格の人が多い。本当に霊感がある人は少ない。
しかし、彼は違った。
肝試し呼ばれた時も、廃墟探索の時も、怪談大会の時も、自分の霊感をアピールすることはなく、他の人と同じように怖がり、怖がらせていた。 だから、十字は彼を信じることにした。
梅頭徳義という、霊感を持つ少年を。
普段は思い出せない過去の記憶が、膜を破いたように十字の心に流れてきた。
「徳義……」
頭が思うより早く、口がその青年を呼んでいた。
しばらくレンズを覗いていた青年はゆっくりと顔を上げた。その顔、表情。歳を経ていたが、それはまさしく、記憶にある徳義だった。
「久しぶりだな……」
妙に哀愁のある声。瞳は十字の眼を見てはいなかった。けれど十字は、懐かしいかつての友人と出会ったという嬉しさから、そのことには気づいていなかった。
「小学校以来、だな」
最後に人と、ちゃんと話したのはいつだろう。
記憶にないくらい遥か昔に発していた時の様に、十字も徳義に語りかけた。
徳義は眼を瞑り、その音を、心で聞くように頷いた。そしてその眼差しを、空に浮かぶ大三角に向けた。
煌々と輝くその星は、黒い空を僅かに照らしていた。
そんな光景を見つめていた十字は、違和感を感じた。昔の、中学から先の記憶が思い出せない。まるでそこから、記憶が無いような感覚に陥り、不愉快な気持ちになった。
その心情を感じ取ったのか、徳義は十字がいる辺りを見渡した。
そしてゆっくりと話始めた。
「十字、俺もお前に話したいことがあるんだ。でもそれは今じゃない。今お前に言うべきことは1つだ……」
頭を抱えていた十字は何かを切り出そうとしている徳義の眼を合わせようとしたが、合うことはなかった。
「もう、ニアラーテには乗るな……。それがお前の、親友だった俺からの願いだ」
唐突に告げられたその言葉に、十字はただ、呆然と立ち竦むしかなかった。
そんな十字に向かって、徳義はカメラのレンズを向けた。
再びシャッター音が響いた。撮れた写真を眺め、少し微笑むと、手を降りながら、霞む道の向こうへと去っていった。
「ニアラーテ……。なんで知っているんだ……」
どこからか転がってきた炭酸の空き缶が、不快な音を立てる。
十字は心が溶けていくのを感じた。
「わかったのか!」
今日は十字が徳義の忠告を受けた朝から4日経たった、雨が降りそうな曇天の日だった。勢い良く指令室に入ってきた大河原の目に、モニターの映像が写った。
糸鹿駅。ここが最後の基地か……。
「完成は明日あたりってとこらしいです……」
緊迫感におされながら、1人の事務員が送られてきた内容を読んだ。
「明日か、どうやら時間は無いらしいな……」
管理員が座っているモニターに向かい、パラダイスの戦力を見た大河原は、静かに指令席に座った。
「どうします?」
事務員はモニターから大河原へと目を動かして、焦るような口調で聞いた。
「悩んでいる暇は無い。今は一刻を争うんだ」
決意に満ちた表情の大河原が、部屋にいる作業員全員に告げた。
「今からパラダイスは、ニアラーテの完成を阻止するために、糸鹿駅へ進行する!」
威厳に満ちた声が、指令室に響いた。
それからまもなく、数台のスービィとイクサート、新しく開発された新型車両「アワイサーバ」が、ニアラーテ破壊の命を受け、赤城見台駅を目指して、走り出して行った。
糸鹿駅。北部代衣線の駅では唯一、地下鉄に繋がる線路が存在する、2つのプラットホーム、4つの通常線路、急行用特別線路を2つ持つ、高架化している大規模駅の1つ。
そしてこの駅こそが、代衣線最後のニアラーテである、ニアラーテ2号機の本体なのだ。
「あいつはまだ引き込もっているのか?」
従業員用の休憩室に入ってきた田中が、出入口の近くのベンチに座っている倉嶋に向かって、半ば呆れながら聞いた。
「ああ、今は敵が攻め込んで来ないからいいが、あいつ、大丈夫なのか?」
倉嶋は3人分のコーヒーを運んできている新島に向かって聞いた。
こうなることはある程度予想済みだ、と新島が言っていたからだ。
「大丈夫ですよ、2人とも。彼には伝えていない事実がありますから……」
「そういや、あいつの顔、見たこと無いな……」
コーヒーを貰って一口飲んだ田中が、思い出したように言った。
「そういやそうだな。新島、お前だけだぞ知ってんのは。だいたい、あいつは何者なんだ?」
「彼はとても悲しい人、知っているのはそれだけで十分ですよ」
新島は優しそうな笑みを見せた。しかしその笑顔には、鈍く、暗い闇が潜んでいた。
その時、部屋のスピーカーから耳障りなサイレンの音が聞こえてきた。敵襲であることは直ぐにわかった。それと同時に倉嶋の携帯がなる。
《大変だ!》
堀田の声だった。彼は十字の付き添いとして、神井戸駅にいるのだ。
「どうした堀田、何が起きた!」
《2隊クラスの攻撃車両が神井戸駅、1隊クラスの攻撃車両が糸鹿駅に攻撃を仕掛けたんです!連絡は行ってないんですか!?》
「来てたらこんなに慌てるか!」
1隊約18台位の戦力。なぜこんなにも多い敵戦力に気が付かなかったんだ?
倉嶋が携帯に怒鳴っている間に、新島は考えを巡らせていた。
そして、最後の結論に至った。
「まさか、あいつか……。おい倉嶋!!」
新島が叫んだと同時に、部屋が、駅全体が大きく揺れた。敵が現れたのだ。
「来たか、電話はどうした?」
「それが、突然大きな音がして……」
「とにかく、俺らも戦いに行くぞ!」
ドアを開けた田中が新島と倉嶋を読んだ。新島は堀田が気になってはいたが、やむを得ず田中たちと共に外へ向かった。
高架化した駅に、大量のミサイルが叩き込まれた。既に4本の電車と、2本のクリムゾンアローが線路にとまって迎撃をしていた。
「田中はここでニアラーテが完成するのを待つんだ!」
戦況の悪さに、新島は田中にそう告げた。
「倉嶋さんは代衣駅のニアラーテを起動後搭乗してください、俺は堀田さんの安全を確認したあと、戸斤駅のニアラーテを起動させます」
クリムゾンアローに倉嶋と新島は乗り込むと、それぞれの目的地に走り出した。それを見届けた田中は室内の武器庫に向かい人対車両用簡易ポットを2つ背負うと、傍にあった陽撃弾を掴んで紅葉台駅に延びる線路に降り立つと、背負っていたポットを地面に置いた。
ポットは四角い形をしていて、上部には有線のリモコンがついており、前部の蓋を手動で開けると中には菱形の発射口が7つあり、リモコンで発射を動かせる。一発の破壊力は大型バスを破壊できる程である。
田中がセットをしている間にも、クリムゾンアローやスービィが放った流れ弾が、あたりに墜ちる。それに気をとられないようにしっかりと地面に固定をすると、敵小隊の塊に向かって4発のミサイルを撃ち込んだ。
ほぼ無誘導弾のミサイルは、迎撃にあいながらも敵車両を貫いていった。
この調子ならいける……。
しかしそれはアワイサーバの出現により困難なものになっていた。
2弾喰らっても平然と高架に弾撃を放ってきた。その攻撃を受け震えた高架の支柱が崩れる。その向こうには本来無いような鉄の壁面が姿を表した。そこの一部に横転したイクサートのミサイルが命中した。
上部の線路上にも亀裂が走り、田中の持っていたポットを高架の下へと消し去った。
「くっそ、まだなのかァ!」
田中は手に持っている陽撃弾を撃ち放ったところで、下の方から赤い光が飛んできた光球に気が付いた。
ニアラーテ完成の合図だった。
「よし、破壊の開始だ!」
傍にあった作業用階段を駆け降りる。その向こうにあった扉に、田中は勢い良く飛び込んだ。
「おい!状況は!?」
電話が切れ、糸鹿駅の安否が分からず、この神井戸駅の情報を得るために指令室に入った堀田。
「良くないですね……、電車も1台足りませんのでニアラーテにもなれません……」
「そうか……。俺も外に向かう。情報は直ぐに伝えてくれ!!」
武器を持たなければ……!
堀田が武器庫に向かう道を走っていると、前から来た帽子を深く被った青年とすれ違った。堀田は気にせず角を曲がると、武器庫へと走っていった。
「何が起きているんだ?!」
揺れる室内を出た十字は基地内が騒がしいことに気付いた。まるで自分が見えていないような目線で走り抜けていく作業員たち。その通路の向こうから、1人の青年が、ゆっくりと歩いてきた。
それが誰なのか、十字にはすぐにわかった。
「まさか……、徳義……!」
手に持った袋を肩に担ぎながら笑顔を十字に向けた。そしてこの状況、向かない視線と今の視線の不自然さに、十字は気が付いた。
徳義も俺を見ていた。
言い様の無い恐怖が十字を襲う。踞った十字に、徳義はそっとカメラを向けてシャッターを押した。
周りには既に人はいなかった。ただこの場所に近付く誰かの足音の他に、音さえもなかった。
「気付いたか、やっぱり……」
帽子を脱ぎ、静かに呟いた徳義。そこに先程から聞こえていた足音の当人が現れた。
「やっぱり、お前は徳義……」
武器庫から武器をとっている最中に思い出したのだ。
青年が被っていた帽子を。そしてその人が誰なのかを。ここには存在しないはずの……。
「なんでお前がここにいる!何をしていた!」
ハンドガンを構え、震える声で聞いた。
「ほっち、いや堀田。お前も知らされてないのか?」 「な、何を……」
「俺が今、誰と話しているのかを……」
堀田の言葉を遮って、徳義は答えた。十字は無意識のうちに耳を塞いでいた。
「堀田は……、十字を見たことがあるか?」
「く、十字?ニアラーテのパイロットのことか……。なぜ貴様が知っている!」
徳義はゆっくり、十字の前から退いた。堀田は十字を気にかける様子もなく、徳義に銃を向けていた。
「おかしいと思わないのか?」
「な、なに!?」
銃に怯むことなく話し続ける徳義に、堀田は震えながら聞き返した。
「堀田、お前には見えないんだよ……お前だけじゃない、お前と一緒にいた3人も、ここの作業員も。俺も……」
徳義はポケットからカメラを取り出す。その画面を1つの写真で止めると、堀田に投げ渡した。
恐る恐る見た堀田の目に、現実ではないような景色が映った。
写真には中央に青い靄が写っていた。まるでそこに、この世のものではないものがいるかのように。
「なんだよ……、これ……」
「それが、お前が付き添っていた人の、……十字の正体だ」
そう告げた徳義は、ゆっくりと青い靄の方を向いた。そして、耳を塞いでいる十字に向かって、静かに言い放った。
「十字、お前はもう死んでいるんだよ。10年前の夏に、この神井戸駅でな……」
徳義の言葉が、十字の頭の中の靄を全て晴れ上がらせていった。しかし、晴れた先にはただ、白い世界が続いているだけだった。
消えて行くのを、待つ世界が……。