後編
「事件も何もないじゃないか」
話を聞き終えた林は、第一声に言った。
「そうかな」済まし顔で潤平が言う。
「事件性を求めるとすれば、剛志君の、『ずっと身に着けていた』という証言が正しくなければいけないだろう?」
「違うよ。珠美さんが前の日にオブジェクトを見たときは、何もなかったんだから。そう言ってたよ」
「とすると、その後に落としたんじゃ? 珠美さんみたいに、オブジェを観察していたとか」
「結果を言っちゃうと、実は夜にホテルに帰ってきたときに、タクシーの運転手と写真を撮ってたんだよ。その写真を確認したらしいんだけど、その時には、まだあったみたいなんだ」
その後、剛志は絵里から鍵を受け取って、真っ直ぐ部屋に向かっている。その後、他の五人が部屋の前に向かうまでに観察の時間があったとは思えない。
さらには、その時点で泰幸が扉に鍵がかかっていたのを確認している。朝にも珠美が施錠を確認している。
その後に、ネックレスがなくなっていたことが判明したのだ。
「とすれば、まさに密室での犯行か。この言葉、あまり使いたくないんだがな」
「どう? わかるかな?」
「……少し考えさせろ」
林は考えをめぐらす。あまりミステリー小説を読む方ではないが、全く読まないわけではない。全くの未知というわけではない。
しかし、今回はなかなか難儀だ。何とか密室にする方法があったとする。しかし、今回の場合、鍵をかける前に、鍵を開けて部屋に入らなければいけないのだ。
「ん? 犯人は、剛志君が寝ている空間で、堂々と盗んだのか?」
「そういうことになるね。そこも解決のヒントになるよね」
潤平はそう言うが、不可解なだけで、何の手がかりにもなっていないように思えた。
不可解といえば、犯人がネックレスを捨てたことも気になる。そのまま盗んでしまえば良かったものを。怖気づいたのだろうか。
「わかる?」
「急かすな。……まず、どうやって部屋に入ったか、だな。もしかして、剛志君自身が、犯人を部屋に入れたんじゃないか?」
「へえ、それで?」
「結局、剛志君は酔いつぶれて寝てしまった。それで、彼は何も覚えていない」
「どうやって、鍵をかけたの?」
「それは……。それも剛志君自身が……」
無理がある、と自分でもわかった。潤平はクスクス笑っている。
「いつ、ネックレスを盗ったのさ? 酔いつぶれた後なら鍵をかけられない。鍵をかけられるほど意識があったなら、ネックレスを盗ることが出来ない。しかも、その後に服を脱いだの? それに、普通、いくら相当に酔っ払っていても、記憶をなくすかどうかなんてわからないよ」
「むう。参ったな」
「お、降参?」
潤平が意地の悪そうな顔でこちらを見てくる。何とかギャフンと言わせてやりたいが……。
「待った。まだ降参…………するか。もうわからん」匙を投げてしまった。
「さあて、どこから説明するかな」背もたれに背中を預けていた潤平は、待ってました、とばかりに、身を乗り出す。「そうだね、鍵をかけた方からいこうか。酔っ払っていたとして、真っ暗な状態で、服を脱ぎ散らかすと思う?」彼は楽しそうに言う。
「何だ急に。そもそも酔っ払ったからといって、服を脱ぎ散らかすとは思えんが。……まあ、そういう人間もいるかもしれんな。しかし、真っ暗な状態でそうするとは、思えんな」
「でしょ? でも、剛志君はそれをしたことになってるんだよ。朝、服は床に脱ぎっぱなし、そして、鍵も服の近くに落ちていた」
「だな。だが、それが……」
「そのホテルの電灯の仕組み、覚えてる?」林の発言を遮り潤平が言う。
林は素直に従って、考えた。
「鍵のプレートを、って。ああ!」
「そう。あのホテルは鍵のプレートを所定の位置に差し込まないと、電気が点かないんだよ。酔っ払って服を脱ぎ散らかしたとしても、一度挿したプレートを引っこ抜いて床に放り投げるって、あんまりないんじゃないかな。だったら、プレートは一度も差し込まれていないか、別の誰かが抜いたか、どちらかだよね。この場合、誰かが抜いた、だよね。だって、真っ暗だったら服なんて脱げない、というか、脱がないでしょ。そもそもベッドまでたどり着けない」
「じゃあ、なぜ鍵を抜いたんだ?」
「いやいや。鍵をかけるために決まってるでしょ」本気で言っているの? とでも言いたげな目線を潤平は投げつけてきた。
「鍵は部屋の中にあったはずだが?」
「鍵はかかっていた。鍵は部屋の中にあった。密室事件において、この二つは背反なんだから、どちらかを疑うべきでしょ。夜には泰幸さんが確認してるし、朝は珠美さんが確認してる。二人が共犯ならわかるけど、だったら珠美さんは僕に相談しないよね。ここまでくれば後は簡単。鍵は部屋の中になかった。だったら、いつ部屋の床に落とされたのか。そりゃあ、みんなが部屋に入ってからだよね。犯人は普通に鍵をかけて、みんなが部屋に入ったどさくさに紛れて鍵を床に置いたのさ。すごく初歩的な、ミステリーでよくありそうなトリックだよね」
「初歩的かどうか、父さんは知らないぞ」
「ちなみに、さっきはまるで剛志さんが酔っ払って服を脱いだ、みたいに言ったけど、服を脱がせたのは犯人だよ。何もない床に、途中から鍵が出現したら、どう考えても気づくでしょ。だから、そのカモフラージュだよ。だからこそ、あの不自然な状況になったわけ」
「まあ、わかった。だが、どうやって入ったんだ?」
「そう、鍵をかけた方はすぐわかった。けど、僕も部屋に入った方は悩んだ。けど、盗むに至った状況を考えればわかるんだよ」
「どういうことだ?」
「まず、ネックレスが戻されていたよね。ということは、犯人は返す気があったか、怖気づいたか、のどちらかだよ。どちらにせよ、真面目に盗む気がなかったってこと」
真面目に盗む、というフレーズがどうにもおかしかった。
「そもそも、真面目に盗む気がなかったということは、おそらくは出来心ってやつさ。つまり、どこかで、思わず盗んでしまうという出来心が発生するイベントがあったわけだ。そこから考えると、彼の部屋に入ることが出来た。彼は酔っ払って熟睡していた。この二つのイベントが重なったが故に、思わずネックレスを盗んでしまったわけだよ」
「それはわかる。それはわかるが、そこからを今まで悩んでいたわけじゃないか」
「泰幸さんが施錠を確認していたから、鍵がかかっていたのは間違いない。そこから部屋の中に入るには外に鍵がなきゃいけない。外に鍵があるということは、剛志さんも外にいたということになる」
「おいおい。そんなはずないだろう。どこにいたって言うんだ?」
「106号室だよ」
「は?」思わず間抜けな声が出てしまう。
「彼は間違って渡された鍵を、酔っ払った頭では気づくことが出来なかったんだ。やっぱり相当酔っ払っていたんだね。何の疑いもなく、そのまま106号室に入って、寝てしまった。泰幸さんが確認したときは、そもそも、中には誰もいなかった。だから、鍵がかかっていた」
「どうやったらそんなことが起こるんだ……」
「渡した方も酔っ払っていたってことだよ。106と109、見間違えて渡してしまった」
「じゃあ、犯人は……」
「106号室の絵里さん。たぶん、自分の部屋に彼がいるのを発見した時点で、盗もうとしたんだろう。でなけりゃ、手伝いを呼ぶはずだもの。女の子一人が寝ている男一人を運ぶのは相当大変だからね。まあ、結構、引きずっただろうね。彼の部屋に運んだあとは、最初に言った通り、服を脱がせて、……まあ、これも大変だっただろうね。鍵を落とすカモフラージュをしたわけだ。途中で見つかっても、言い訳が聞くのがミソだよね」
「朝、起きるタイミングがずれていたら大変だっただろう」
剛志が起きる場に出くわさなければ、全てが水の泡になってしまう。
「そりゃあ、酔っ払った頭で考えた計画だからね。ボロだらけなのは当然でしょ。たぶん、鍵を間違ったのは、本当だと思うよ。わざとだったら、もっとマシな計画を考える」
「しかし、何でわざわざこんなことを……」
「さあ? それは聞いてみないとわからないけど、ちょっと痛い目見せてやろう、って感じだっただろうね。女子たちの最後の会話が全てを物語っているんじゃないの?」
「はあ、なるほどな」
林は、脱力してソファに身を任せた。
ムキになって潤平の挑戦をうけたはいいが、結局、完敗であった。悔しいが、同時に、先輩から話を聞いただけで解決してしまう潤平がやはり誇らしい。
しかし、当の潤平はあまり嬉しそうではない。
「先輩たちからもらった厄介事って、実はもうひとつあるんだ」
「まだ、あるのか?」
「いや、お話はこれで終わりなんだけど……」
潤平にしては歯切れが悪い。
「何で、直樹じゃなくて、僕のところに来たのかなあ……」
某猫型ロボットの偽者と思しき人形、アレな栓抜き、バリ島に行けば見られます。今回の肝となる、鍵を挿さないとつかない電気、これもほんとにあります。全てのホテルで見られるかはわかりませんが。
もう、ずいぶん前の話だなあ……。