七話 サラの正体
少しずつ本の謎が明らかに!
サラは押し切るのが得意。
寝起きはそれほど悪くはないと思っている。だが、今朝の微睡みは長い。夢と現実の間を行き来する。
ぼーっとした半覚醒状態のままミュンはまだ記憶に新しい夢を思い出そうとしていた。
夢をみた。それは覚えている。ただ、どんな内容だったのかが曖昧だ。とても懐かしい夢をみた気がする。懐かしい人に会った。もう会えるはずのない人に……。
身体中が痛い。カチカチに固まっている。
とりあえず起きなくてはと思い、上半身だけ起こす。意識はまだ微睡んでいる。
「目が覚めましたか?お早うございます。寒くありませんか?温かいものでもどうです?」
ミュンが身体を起こしたのに気付いたサラが声をかけてきた。
差し出された物を条件反射で受け取る。
「事後承諾で申し訳ありません。調理器具と食材を少々使わせていただきました」
すまなそうにサラが言う。
サラから受け取ったカップに口をつけて中身を啜る。温かい液体が口の中に流れ込む。
温かくて美味しい
「ありがとうございます」
干し肉の味がよく出ている。あれ?
――――この葉っぱは何?
「近くに食べられる植物が生えておりましたので一緒に煮込みました」
――――へぇ~
だんだん意識もはっきりしてきた頃、カップの中のスープが終わった。
「……へっ?……あっ!ごちそうさまでした!」
手の中の空のカップとサラを見比べ、完全に目が覚めたミュンは今自分がどこに居るかを思い出した。
昨日からジータの森に来ているのだ。そして訳の分からない事に巻き込まれている。
サラにカップを渡し、手櫛で髪を整える。少し長めのセミロングの髪はもともと癖の付きにくい髪質なのでそれほど手間も時間もかからない。
次に、急いで寝具をしまう。荷物をまとめ、サラに向き直り
「おはようございます」
深々と頭を下げてあいさつする。もちろんこの時ミュンは正座だ。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
先に後始末を終えたサラが苦笑しながら訊いた。
やっぱり美人だ。そんなくだらない事を考える。
洞穴の中が暖かいのはサラが火を熾してくれたからだろう。……ん?火を熾した?
「あわわわ!!サラ、火なんか熾して大丈夫なの!?見つかるかもしれないいから控えるって昨日言ってたはずじゃ……」
両手をバタバタさせて慌てるミュン。
「はい、大丈夫ではないので出来るだけはやくこの場から離れないといけません。昨日の続きは道々お話しましょう。よろしいですか?」
コクンコクンと何度も頷いて急いでリュックを背負う。 サラも火の始末をして立ち上がった。
洞穴の外に出ると辺りには真新しい雪が積もっている。ふわふわした雪は昨日ミュンがつけた足跡を消してくれている。これからまたこの白雪の上に足跡をつけることになるが、昨日の分が消えていれば見つかるまでの時間稼ぎにはなるかもしれない。
昨日同様サラの足取りは軽く、迷いがない。
「申し訳ないのですが、これからしばらくは常に移動していただきます」
「常に?」
「もちろん不眠不休というわけではありません」
どうして、と言いかけてミュンは言葉を呑み込んだ。
「昨日の……アレなの?」
「はい、そうです。昨日の襲撃で貴女が一人ではないと分かったはずです。次からは知能が高く、狡猾で狂暴な刺客を送ってくると予想されます。ですから、少しでも危険を回避するために特定の場所に長く留まることは避けたいのです」
「………うして…どうしてわたしなの?そもそも狙われているのはわたしなの?巻き込まれているだけじゃなくて?」
サラにはあの時助けてもらったし、感謝している。でも、そもそも狙われているのは自分なのか?サラと行動を共にしているからそう見えるだけではないのか?
そうだ。何で今まで気が付かなかったんだろう?あんなものに襲われる謂れなんてない。
何がどうなっているのか知りたくてサラについてきたが、もしかしたらこれ以上話を聞かなければ巻き込まれずに済むかもしれない。深入りしなければ、まだ引き返せるかもしれない。
「――――残念ですが、狙われているのは貴女です」
サラの一言がミュンの胸に突き刺さる。
(狙われているのは……わたし?)
〝なぜ?〟その言葉が頭に浮かぶ。
「どんな理由であれ、貴女が人気のない所に居てくれたのは幸いです。周りの人を巻き込まなくてすみます。その場所が森というのもこちらにとっては大いに好都合です。運命の女神ジュディエッタが私達に微笑んでくれたようですね」
気遣うようにサラが言う。
森、という単語にミュンが反応した。
分からないことだらけだ。分からないのは嫌だ。自分の身が危ないのならなおさら。
「それ……昨日話してくれるって……言ってた。森だと……なぜ良いの?」
木と木の間を器用に通り抜け、雪の上に頭を出した岩の上を滑らないように慎重に歩きながらミュンが訊いた。
ここでサラとはぐれたら森から出られないかもしれない。
「では、貴女が持っている本についてお話しましょう」
歩く速さをやや遅くし、サラが言った。
「森と本に何の関係があるの?第一、この本はたまたま持ってきちゃっただけだし」
今、その本はミュンのリュックの中に入っている。
「直接関係はありませんが、その本の中を見ましたか?」
「見たけど……何も書いてなかったし」
だから、わざわざアルダのところに持って行ったのだ。そして、その場の雰囲気に流され貰ってしまった。偶然に偶然が重なって今ミュンの手元にあるだけの本なのだ。
「本当に何もかいてありませんでしたか?」
念を押すようにもう一度サラが訊く。
「何も書いてなかった、よ?……待って、待って違う、その前にその本をダフで見つけた時は何か書いてあった……?」
だんだん尻すぼみになり、会話が独り言に、独り言が呟きになりその後は無言になる。
一番初めにおかしいと思ったのはその外観だ。ただ紙の束を外見だけはそう見えるように本のように装丁されただけで、著者名もタイトルも書かれていないそれを変に思ったのが始まりだ。それで、アルダに見せようと思って持ち出したのだ。確かあの時、開いたらまだ白紙ではなかった。ミュンには読めなかったが、文字がちゃんと書いてあった。それで変だと思い、アルダに見せようとしたらお祈りの最中だったため、翌日に延ばすことにして諦めて家に持ち帰ったのだ。そして、持ってく日の前の夜に自室で本を開いた時に白紙になっていたのだ。思い出した。
その間に何があったのか?他の本とすり換わった?それはない。ずっとミュンが持っていたし、すり換える意味が分からない。
それ等を考慮すれば普通の本ではないみたいだ。
「あの本を描いたのは、一人の女性ですがあの本に手を加えたのは魔術師です」
「魔術がかかってるの?だからあんな風に文字があったり、白紙になったりした?」
「その文字はルーン文字といって魔術を行う際に、魔術師が使う独自の文字です。きっと、貴女の存在を感知したのでしょう。一連の変化はそのためだと思いますよ」
そのおかげで私達も貴女のことが分かりましたし、と先を歩くサラが言う。要するに、ミュンに反応してのことらしい。……なぜミュンに反応したのだろうか?
依然彼女の足取りに乱れる気配はない。右を見ても、左を見ても同じような景色しか見られない。晴れ渡る空に、どこからともなく鳥のさえずりが聴こえる。長閑だ。枝に積もった雪が太陽の熱で溶けて雫が落ちる。日光は暖かく気持ちがいいが、時折吹く風は肌を刺すように冷たい。
「さて、そろそろこの辺りで一休みしましょうか?」
唐突にサラが言った。
「え?」
凍った地面は雪の上よりたちが悪い。たまたま足下を見ながら歩いてミュンは、顔を上げてサラを見た。それと同時に微かに水の流れる音が聴こえてきた。
「近くに水が流れています。そこで一休みしましょう。聴こえますか?」
サラに頷いて、気持ち足を速める。
かなり速度を落としてくれているとはいえ、雪の上を歩くのは体力を使う。
積雪が多い所は雪を掻き分けながら、少ない所はその上を、もしくは日光で溶かされて地面が緩くなった所を歩く。どちらにしても体力は使う。
体力はある方だと思っていたが、どうもミュンの思い違いみたいだ。サラなんか、まだ余裕と言わんばかりにサクサクと歩を進める。息も切れてない。
ミュンに合わせてゆっくり歩いているので、あまり疲労はたまらないのかもしれない。
(でも、話しながら歩くって疲れるよね?!)
あの華奢な身体のどこにそんなものがあるのか……これも謎の一つだ。
「この辺りでいいでしょう。お疲れ様です」
たどり着いたのは、ミュンの腕の長さほどの幅がある川、というより小川、が流れている場所だ。その川べりで休息をとることにした。まだ地面が濡れているので直に座ることは出来ない。
日の光を反射して水面がキラキラと輝いている。綺麗だ。
小川の水を飲もうとして、思い止まる。雪解け水は刺すように冷たい。小川の水を諦め、ミュンは土の上に盛り上がっている木の根を見つけ、そこに腰を下ろす。背負っていたリュックから革製の水筒を取り出し口をつける。洞穴の中が温かかったため凍ってはいないようだ。ぬるくもなく、少し冷たいくらいでちょうどいい。
水筒をバランスよく自分の隣に座らせ、続いてリュックからさっきから話に出ている例の本を取り出す。白い布に包まれた本を膝に乗せ、布を広げる。
「ん?」
布に包まれていた本は最後にミュンが見た時とは少し違っていた。
全体の濃い赤と、銀の縁取りはそのままで、そこに同じ銀色の文字で|『画集』と書いてある。こちらが表のようだ。裏っ側にひっくり返してみると、同じ色で今度は読めない文字が円を描くように書き込んである。きっとこれが、サラの言っていたルーン文字というやつなのだろう。
そう憶測をたて、本――画集を再び表に向けると、慎重にページを開く。
中の紙、一枚一枚が厚いのでミュンの人差し指三分の二ある本全体の厚さに比べてページ数は少ない。
白紙だったそのページには画集というだけあってちゃんと絵が描いてあった。色鮮やかで、褪せたところは一つもない。
これは人物画?……ではないようだ。
「人間じゃ……ない?」
ページを進めていくと、ミュンが見知った者をモデルにしたと思われる絵があった。
「あっ……これは……」
大きな大樹の枝に座って微かに微笑み、目を閉じている。白銀の髪は美しく、その一本一本までが細やかに描かれている。閉じている目はきっと、瞳孔が縦に割れた猫のような目だろう。
その女性を中心にして描かれているため、樹全体が見えるわけではないのにそれが大樹だと解る。
木漏れ日の射し込む枝、青々と茂った葉。幾千年も生きた森の光景がミュンにも見えるようだ。一瞬自分がそこに居るような錯覚に囚われる。
絵の下の左隅、ちょうど本の綴じ込みがある方に小さく黒い文字で何か書いてある。ここの絵のタイトルだろうか?
「エ……ル………フ……?」
エルフ?
ソレは水の中にいた。
先端だけを水上に出し、水面から陸の方を観察する。
底の深い皿を水面に伏せたようなものが水から生えていて、流れに逆らい根が生えたように動かない。
ソレに目はない。目のあると思われるところには丸く穿たれたような黒い穴が二つ。底の見えない闇を湛えて、凝視すれば吸い込まれてしまいそうだ。
他の部分も黒く、黒色の塗料を混ぜた水と言うよりも、純粋に黒い水といった感じだ。
深淵の眼の中間よりやや上の辺りに、人間でいう額に楕円形をした赤い石が埋め込まれている。
血を思わせるその石は、その一点だけが異様に目立ち禍々しい。
陸の方には動く物が二つ。気付かれないように身体の一部をそちらに伸ばす。細く、ロープのようなそれは座っている動く物の方へと伸びていく。静に、静に……。
エルフは森に属している、という設定です。
閲覧ありがとうございました。
次回、画集についてはサラがもう少し詳しく話してくれる…はずです。