三話 赤い羽根
【注】生き物が死にます。苦手な方はお戻りください。
セレナが活躍します。
盗賊見せかけた奇襲が六回。宿や食堂で食中毒に見せかけた毒殺が二四回。物乞いに見せかけた暗殺が一九回。等々・・・・・・他にも挙げればいくつかあるが半月という短い間でこれだけ命を狙われた。
運と機転でどうにか乗り切り無事でいるが、これからもそうだと保証はされない。
「なんだか数えるのが億劫になるわね」
「それでも律儀に数えているんですね」
セレナが指折り数えいてると、アーニャが呆れたように言った。
すでに旅程の半分以上を過ぎ、国境まであとわずかとなった。
ヴァン達とは国境に一番近い町で別れることになっている。彼らはアーニャの実家であり領主の屋敷に行く予定なのだが、セレナとリーアンのために実家を通り過ぎて町まで一緒に来てくれるのだ。
そして、迎えに来てくれる大おば様の家の者と合流して大おば様の元まで行くのだ。
「まさか馬鹿の一つ覚えのように何の捻りも無く殺しに来るとは思わなかったもの」
「そうですが・・・・・・。一応偶然を装ってますし、変装をしたりはしていますよ?」
今頃、アリウムの屋敷は管理を任された老夫婦以外は誰もいないはずだ。客の世話をしていた使用人はヨハンとイオンを除き、みな故郷へ帰った。
あの時残してきた皆は無事だろうか?できることならセレナも最後まで残り、全員が出て行くのを見送りたかった。
「国境を越えてまでは来ないでしょうね。国境を越えるまでが勝負ね」
国境を越えれば、すぐそこが大おば様の、クンシラン公爵家の領地になる。公爵家の領地内で事は起こさないだろう。ましてやそこは他国だ。間違いなく国際問題に発展する。
「明日の明朝には出発しましょう」
「わかりましたわ。では、宿の者にそう伝えておきましょう」
「セレナ様は先に寝ていた方がいい・・・・・・」
自分も行くと、立ち上がりかけたセレナをヴァンが制し言った。
「そうですわ。私とヴァンだけで言って参りますからセレナ様は先にお休みください」
「・・・・・・じゃあ、お願いするわ。ありがとう。おやすみなさい」
しばし迷って、セレナは二人の言葉に甘えることにした。
翌朝。まだ日も昇らぬ時間にセレナたち一行は宿を出た。
セレナたちが商う品物はあまり高価で無く、荷物にならない物だ。
前の町ではレースを仕入れ、この町ではレースを売ったお金で香辛料を仕入れた。セレナたちの場合、利益云々よりも無事に逃げ切ることが最優先なので怪しまれなければそれでいい。
「リーア、セーナ。ほら、朝焼けが綺麗よ」
「わぁー」
リーアンが感嘆の声を出す。
「本当。すごく綺麗ね、姉さん」
宿では素の口調に戻っていたアーニャも外ではちゃんと切り替えている。リーアンとセレナもちゃんと妹弟として扱っている。
次の町までは十日かかる。途中に小さな宿場町があるのでそこで一泊する予定だ。
パカパカと馬が蹄を鳴らす音だけが響く。身体に伝わる振動が眠りを誘う。
昨晩、ヴァンとアーニャに先に寝かせてもらったが、まだ寝たりないようだ。しかし馬上で寝てしまうのは危険すぎると頭を振って睡魔と闘う。
落ちて、打ち所が悪ければ死んでしまう可能性だってあるのだ。
命の狙われている時分に居眠りして落馬で死ぬなんて間抜けすぎる。絶対に嫌だ。情けなすぎて死んでも死に切れない。
追っ手はいつ来るかと気にかけながら過ごす日々は神経を磨り減らす。すれ違う人すべてが怪しく、常に警戒を強いられる。人間不信になりそうだ。
日が昇り、時間が経つと時折商隊や旅人とすれ違う。馬や徒歩ですれ違う場合はまだいいが、馬車や荷台を引いている場合は十二分に注意をしなければならない。すれ違う瞬間に襲い掛かられる可能性があるからだ。
「どうしたの?義兄さん」
「セーナ、後ろ」
殿を歩いていたヴァンが速度を上げて、セレナの横に馬を並べた。
言われた通り、さり気なく後方を見やれば荷台に干し草を山ほど積んだ荷車がいた。
セレナたちより幾分歩みは遅いが、リーアンに合わせて小まめに休憩をとるため追いつくのは時間の問題だろう。
「あの干し草の山はいかにも何かありますよって言っているみたいね」
「中に人が潜んでいるかも知れないものね。注意を怠らないようにしましょう」
アーニャの緊張が伝わってくる。その言葉に真剣に頷く。
「そうね。なんたって牛、だものね」
「牛、牛!」
「牛だ・・・・・・」
「シリアスな空気が台無しよ」
リーアンが楽しそうに言い、ヴァンがボソリと呟く。そして、最後にアーニャが真顔で突っ込んだ。
まあ、私の位置からじゃ顔は見えないのだけど。残念。
「何で牛なのかしら?」
「牛であることに何か意味があるのよ。きっと」
いっぱいの干し草が積まれている荷車を引く牛。御者台には眠たげな顔をした男が一人、手綱を引いている。気だるそうな仕草は演技なのか?
「あれが何であろうと、とても気になることにかわりはないわ」
セレナの言葉に確かに、と皆が頷く。
「閑話休題。そろそろ休憩にしましょう。何が起きてもすぐに対応できるようにね」
アーニャが言い、道を外れて馬を降りる。
それぞれ愛馬に水をやり、自分も喉を潤し一息つく。
後方を見やればゆっくりと、けれど確実に距離を詰めてくる牛。いや、荷車。
「準備だけはしておきましょう。何もなければそれにこしたことはないわ」
セレナは折りたたまれた布と小瓶や懐紙に包まれた粉末を取出し、すぐ使える位置に移動させる。
そっと耳元に手を伸ばして母の形見のピアスに触れ、息を吐く。
「セーナ姉、大丈夫だよ。セーナ姉はぼくが守るからね!」
「ありがとう」
その一言に幼い弟を頼もしく思う。けれど、セレナの中では彼は最優先に守るべき存在だ。
太陽が中天を過ぎ、やがて空が茜色に染まる。それより少し前のこと、それはおきた。
「そろそろ今晩の野営地を探さなくちゃね」
本日最後になる休憩をとりながらアーニャが言った。
昼の休憩からだいぶ経ち、野営の準備をするにはまだ早い時間だった。
「そうね、どこがいい所はないかしら」
道行く人がも減り、件の荷馬車はすぐそこだ。
「セーナ姉、セーナ姉。見て見て!」
目をキラキラさせてリーアンが何かを差し出してきた。
「あら、綺麗ね」
「真っ赤な羽根なんて珍しい。。何ていう種類なのかしら?」
赤い羽根をくるくると回しセレナとアーニャが首を傾げる。
「赤い鳥がいっぱい飛んでるんだよ。あそこ」
指さす方を見れば十以上の赤い羽をした鳥が飛び交っている。
中には喧嘩をしている鳥もいて抜けた羽根が舞い散り、そこ一帯は赤い世界だ。
「鳥・・・・・・羽根が散る・・・・・・赤・・・・・・」
ヴァンが一人難しい顔をして何やら考え込んでいる。
「綺麗ではあるけどなんだか気味が悪いわね」
アーニャが眉をひそめる。
「そうね。姉さん、なんだか胸騒ぎがするわ。先を急ぎましょ?」
何だろう?あの鳥はどこが違和感がある。
「アーニャ姉、セーナ姉、アレ何だろう?」
再度リーアンが赤い鳥の方を指さす。全員の視線が集まる先で土煙が上がっていた。
次いでドドド、と地が揺れる音とともにすごい勢いで大きなものが近づいてきた。
「リーアン様・・・・・・セレナ様!逃げて・・・・・・ください!」
鬼気迫った顔をしてヴァンがリーアンとセレナを近づく何かから守るように自分の背後へ押しやる。
「ヴァン!・・・・・・あれはっ」
ヴァンの肩越しについさっきまでゆったりと後方を歩いていたはずの牛が見えた。
「姉さま」
怯える弟をアーニャに預け、セレナは昼前にしまったばかりの布をポケットから取り出し、同時に別のポケットから小さく懐紙に包まれた粉末を取り出す。
素早く布を広げ書き込まれた魔法陣の上に粉末をかける。すると、身体から何かが抜けるような感覚がして魔法陣が発光した。直後。
ドンッ。
猛進してきた牛がセレナたちの目の前で見えない壁に激突した。
あと一瞬遅ければ牛のその巨体でセレナたちを跳ね飛ばしていただろう。背中を嫌な汗が流れる。
「どうして突然?」
リーアンを抱きしめたままアーニャが呟いた。
「羽根だ・・・・・・鳥の赤い羽根」
「ヴァン、それではあの鳥は・・・・・・きゃっ」
何度も何度も牛が激突を繰り返す。
セレナの魔術で張られた結界も長くはもたないだろう。
魔術に必要なのは術式が書き込まれた魔法陣と魔法薬、それと魔力だ。
セレナは魔力が少ない。魔術の知識はあるが、使える魔術は基本的なものだけ。魔術の才能で言えばリーアンの方が上だろう。
ピシリと結界にヒビが入った。本来なら一度の衝撃を耐えるのが精一杯なはずだが、セレナは結界の術式に耐久性をもたせるため、別の術式を組み込んである。
どちらも初歩の魔術だが、基本しか使えないセレナの知恵だ。
結界が破られる前に鞄から別の布を取り出す。もちろん、これにも違う魔法陣が書き込まれている。
先ほどと同じ粉末と小瓶の液体をふりかけると、また身体から何かが抜ける感覚がする。これが魔力を使うということだ。
暴れ牛は疲れを知らず、衝撃に耐えきれなくなった結界がついには砕け散った。
きっとあの牛に罪はないのだろう。
「それでも、やらないわけにはいかないのよ」
誰にともなく呟く。
次の瞬間、地面から生えた細長い棘が牛を貫き、血祭りに上げる。
興奮し、口から赤い色の混じった泡を吹く牛はそこから抜け出そうとしばらく暴れたが、もがけばもがくだけ深く、酷く、突き刺さる。
そして・・・・・・とうとう牛は動かなくなった。
再度、セレナが魔法陣に液体のみを振りかけると牛の表皮に霜がつき瞬く間に凍り、砕けて、散った。
「セレナ様」
前に倒れかけてヴァンが受け止めた。
はらはらと砕けた氷が宙を舞う。美しく散り逝くそれはついさっき、セレナが殺した一つの命だ。
身体に倦怠感を感じる。
たったの三回だ。たった三回魔術を使っただけでセレナの魔力は尽きてしまう。
「だ、大丈夫よ」
支えていたヴァンから離れ座りなおす。
「姉さま、水だよ。どうぞ」
「ありがとう、リーアン」
受けとって水を飲む。
「御者は?」
「逃げましたわ。どうやらあの者は利用されていただけのようですわ」
短い問いにアーニャが答える。
あれほどにけたたましく鳴いていた鳥も消えている。
「どんな手を使ってでも、ってことね」
あの牛は魔術で作られた鳥の赤に興奮し暴走したのだ。
「無法者の十人や二十人なら私が軽くあしらって差し上げますのに、残念ですわ」
魔術師の家系に生まれながら魔術が一切使えないアーニャはそれならばと武術を身につけた。今では立派な戦う侍女だ。格好いい。
「セレナ様、今日はもお休みください」
フラフラと夢と現を行き来し始めたセレナを見かねてアーニャが言う。
「えぇ、そうさせてもらうわ」
「姉さま」
心配そうにリーアンが呼ぶ。
「大丈夫よ、リーアン。眠れば元気になるわ」
微笑んで答え、ヴァンが馬から野営の仕度をしている横でセレナは眠りについた。
(結局こんな所で足止めをしてしまって皆に悪いことをしたわ)
今回の主人公は自分も魔術が使えます。少しですが。
閲覧ありがとうございます。
来週、更新できるかやや不安です。が、頑張ります。