十七話 好機であるなら
久しぶりに長いのいきます!
「ふ、ふぁぁ~」
毛布にくるまった状態で器用に伸びをする。 吐き出された呼気は白く、吸い込む空気は冷たい。
身体を起こして座るも、とろりとろりと瞼が下がってくる。これではダメだとブンブンと頭を振る。
辺りは暗いが、それが天気によるものなのか時間によるものなのは判断に困る。憶測するにその両方であると思われる。
「おはようございます。リーヌ様」
「おはよう、サラ」
差し出されたカップを自然に受け取りながら答える。
「熱っ」
「大丈夫ですか!?」
スープが思ったよりも熱かった。サラが慌てて水の入った水筒を渡す。
「らいひょーふ、おかへへめかはめは|(大丈夫、おかげで目が覚めた)」
冷たい水を飲み下してサラに水筒を戻す。ちゃんと伝わっただろうか?
「それならよかったです。もう一口飲みますか」
「ううん、ありがとう」
伝わったみたいだ。すごい。
これが最後の野外で食べる食事だ。残っていた食料をきれいに消費して、そのスペースに新しい荷物――清水の入った水筒とロッカの実を入れ直しリュックの中がかさばらないようにする。くるくると毛布を丸めて隅に差込み、画集はいざという時のために手で持っていく。
昨日の嵐のような襲撃から一夜明けて、今晩は新月だ。月は見えずともいつも必ず空にある。女神ジュディエッタの力が最も弱まる今日さえのり切れば……いや、今日で全てを終わらせさえすればそんなこと気にしなくてもよくなるのだ。
運命の瞬間は刻一刻と迫っている。
――――「ねえ、どうなってるの?」
ザクザクと雪を踏みしめながらミュンは進む。
「私にも分かりかねます」
ミュンの前を進むサラ。二人の顔に浮かぶのは揃って同じもの。遅疑、困惑、不安。
昨日の嵐のような襲撃が嘘のように、今日はひっそりと静まり返っている。朝も早い時間のため、森に住む動物達も眠っている。二人が雪を踏みしめるる音と、時折風に吹かれて木の枝同士が擦れ合う音が聴こえるのみだ。不気味なほどの静寂。
「まさか、諦めたってことはないよね」
サラに聞こえるくらの声音でミュンが言う。
「それは考え難いですね。可能性としては、単純に魔力が尽きた。もしくは
リーヌ様を待ち構えて何かしらを企んでいるか……後者の可能性がかなり高いと思いますけど」
「そうだね。魔力が尽きたっていうのはこっちの動きがわかってるんだから、
そんな馬鹿な真似はしないと思う」
「そうすると、やはり何か罠があると考えた方が賢明ですね。そう覚悟して
行くのとしないで行くのではずいぶんと違います」
おや?と思いミュンが訊く。
「サラ、止めないんだ?」
「止めても聞かないことは重々に承知しておりますので」
そっと目を伏せる。
「さすが、サラ」
付き合いが長いだけある。
「よろしいですか?リーヌ様。お覚悟をお決めなさいませ」
鋭利な眼差しはその先の未来をも打ち抜くようで、目が逸らせない。
「覚悟はできてる。あの夜、あの時に。大丈夫、何もかも上手くいくから」
確信のない断言。根拠のない言の葉。それでも、上手くいくと信じたい。
「お気張りください。もう少しで着きます」
ただ静寂だけがそこに横たわり、重苦しい空気が鎮座する。辺りはまだ暗く、歩みは遅い。しかし、確実に前へ進んでいる。
高まる緊張と速まる鼓動。落ち着け、落ち着けと胸中で何度も繰り返す。
訪れた未来は押し戻せず、過ぎた過去は戻らない。
体感時間で二時。実際は分からない。見覚えのある教会の鐘が木々の間から覗いている。小ぶりの鐘は教会の一番高い所に取り付けられている。
この道ですらない道を少しずれて進めば家に着く。突っ切れば教会だ。
「サラ」
森を抜けたところで名前を呼んで足を止める。
「はい」
身体ごと振り返って、向かい合う。
「道案内ありがと。ここまでありがとう」
ミュンとしてはもう会えないかもしれないから。
「貴女にならできます。迷ってはいけません。一瞬の迷いが命取りになります。リーヌ様…いえ、アミュージェエお嬢様、お気張りください」
ゆっくりと微笑み、画集に戻っていく。
「ありがとう」
ちゃんと言葉になったか分からない。
「ローラ、グレドイ作戦通りお願いね」
「承知していますわ」
「お任せください」
そう画集から声だけが聴こえる。
再び歩き出し、教会までの短い道をゆく。
教会に着くと、ミュンは迷わず大きい正門ではなく横にある小さい方の門を選んだ。正門が閉まっているから入れないかもと不安になったが杞憂だったようだ。アルダ牧師はもう起きているのだろうか?
そっと扉を開けて敷地内に入る。ほんの少し来なかっただけなのに、なんだか懐かしい。
探し人はどこにいるのだろう、と考えながらも足は自然と礼拝堂へ向く。
しばらくは教会にいると言っていたし、確か礼拝堂の隅に管理室があったと後から納得する。アルダが起きているのなら朝のお祈りの時間をしているは
ずだが、いくら耳をしましても何も聞こえない。
何度か深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、礼拝堂の美しい扉をそっ
と開ける。たぶん、ここに探し人がいる。
ミュンはあの夜のゼイス老との会話を思い起こす。
夜の闇は深くなり、糸のような月と時折瞬く星が夜の空を彩る。
雲が少し出てきたか。そのうち、はらりはらりと雪が舞う。舞い散る雪は音もなく地に落ち、層を作ってゆく。
パチパチと焚き火がはぜる音がけが洞穴に響く。
「ふむ。結論だけを言うのなら、可能ですな」
希望の光が射したように見えた。
「できるんですか?この悲しい連鎖を終わらせる事が」
ミュンがゼイスに訊きたかったことの一つがこれだ。
もうこれ以上繰り返さないために、自分の時で終わらせたい。
「そう慌てますな。結論だけのことですぞ」
「何を?……いえ、そうすればいいんですか?」
はやる気持ちを抑えて冷静であるよう自分に言い聞かせる。
「気が急いておりますな。その前にわしも一つお訊きしてもよろしいか?」
「はい、どうぞ」
「サラから聞いておるとは思うが、アレ等に共通してある核の事だがの。……何色をしとりましたか?」
「赤、でしたけど……何故ですか?」
何故そのことが知りたいんですか?
「では、最近それと同じ色の宝石を見ませんでしたかな?」
「同じ色の……宝石……」
意味の無い問いだとは思わない。 しかし、核と宝石の繋がりが解らない。
記憶を順に辿り赤い宝石を探す。
宝石なんてものはそう滅多に見られる物ではないからすぐに思い出した。
森にいるからずいぶん遠くの出来事に思えるが、見かけたのはつい最近、数日前の話だ。
「あ、見ました!最近です。旅の人がはめてた指輪ですけど、ちょっと色合いも違いますけど紅い宝石でした」
「旅の方ですか?その方は今どちらに?」
心なしか表情が固くなる。
「えーと、しばらくは教会にいるみたいなことを言ってたと思いますけど」
「教会とはジータの森のすぐ近くに建っているものですか?」
「はい、運命の女神ジュディエッタの奉られている教会です」
「核と宝石は共に同じ色……術者は近くにいる……」
小さい身体の腰くらいまである髭を撫でながら、何やら考え込んで呟いている。
ミュンにはよく聞こえないが、やはりさっきの問いには意味があるのだ。
「リーヌ様、よくお聞きなされよ?」
こくりと頷き姿勢を正す。
「よいですかな?その旅のお方がはめている指輪ですが、まず間違いなくそれが魔宝石です。魔宝石がどんな物かはご存知ですね?
……よろしい。紅玉の魔宝石とアレ等の核が同色だということはアレ等を生みだし、操っているのはその旅の方です。……従って、貴女を狙っている術者はその者です」
「うそ……」
信じられない。数言としか交わしていないが悪い印象は受けなかった。
「信じられなくともそれが真実です。わし等も何度かその魔宝石を目撃しとりますが、同じ物だと思われます」
「同じだと何かあるんですか?」
「大いにありますぞ。魔宝石とて万能ではない。使い続ければ、最後には必ず壊れます。それなのに、その術者は一度も魔宝石を換えたことがない。
騙し、騙し使ってきたのでしょうな。力も弱まっているはずです。加えて新月の日は魔力も弱まる」
「ようするに、やるなら今ということですか?」
ゼイスの言いたい事が分かってきた。
これは、過去にも未来にも二度とないであろう絶好の好機だと言うのだ。
「そういうことですな。もう一つ加えるならば、術者は不老不死の術を自分にかけとるはずです」
でなければあんなに永く生きとられるはずがない、と悲しげに言う。
「こちらの方も身体を換えて術をかけ直せば永久の魔術です。しかし、過去数回対面したなかで外見は一度も変わっとりません」
「もしかしたら、あちらも――カルズさんも早く終わらせたいと思っているのかも……」
もしかしたら、本心では違うことを考えていたのかもしれない。
急にやりきれない思いがこみ上げてきた。胸の奥に何か鈍い痛みを感じて両手で胸部を押さえる。
「その可能性は否定できませんな。ですが、だからといって気を抜いてはなりませんぞ」
「はい、それは十分に分かっています」
「よろしい。では、いいですかな?貴女の望みを叶えたくば、術者の指輪を壊すのです」
「指輪って魔宝石がはめてある指輪ですか?」
最悪の答えを予想していたので、正直ホッとした。殺せ、と言われたらどうしようと思っていたのだ。
「そうです。術の要である魔宝石を破壊すれば呪そのものが保てなくなり、リーヌ様にかけられた呪いも消えましょう」
「そんなに簡単に壊れる物なんですか?」
いくら使い古されたいようと魔力を宿した宝石にかわりはないのではないだろうか?
「ふむ、無理ですな」
「ええ!?」
あっさりと言い切った。
「そう、慌てますな」
慌てさせているのは先生です、と言いたかったが我慢した。
「魔宝石の破壊はグレドイにやらせればよいです。彼はドワーフですゆえ間違いないでしょう」
なるほど、ドワーフは鉱物に詳しい種族だ。だが……
「でも、先生。まだ明日森の中を移動しなくてはいけません。一日何もないなんて事は有り得ないです。新月の夜が間近に迫って画集の魔力回復も満足にできないのに」
力のある魔術師相手にどこまで通用するというのか?過去にも未来にも二度とないであろう好機だとはいっても勝算は限りなく低い。
「ふむ、諦めますかな?」
隠れているはずの老人の目がキラリと光った。
(諦めたく……ない)
決めたのだ、わたしで終わりにすると。誓ったのだ、自分に。
これが好機と言うのならば、逃したくない。
硬く手を拳を握り覚悟を決める。
(終わらせたいのはわたし。でも終わらせるのはわたしのためだけじゃない)
誰かのためと思えば強くなれる気がする。
不意にサラやローラの顔が浮かび、続いてキリシェやアザレア、ウィスタとリーヌのために画集に留まってくれている者達の顔が浮かぶ。
やれるだけやってみようと思った。
「諦めません。絶対に何とかします」
ミュンの瞳は揺るがない。
「その意気です」
そう言って好々爺はまたホッホッホと笑った。
ゼイス老と話し合っていたのはこのことでした。
閲覧ありがとうございました。
佳境に入りした。終わりも近いです。




