十二話 決意、新たに
警告!警告!再び敵襲です。
先頭をローラが、真ん中にミュンを挟み殿にサラがついて歩を進める。あれから、短い休憩を挟みつつ進んできた。
曇天だった天気は今、雲が小さくまばらになり太陽が覗いている。その太陽はそろそろ中天に差し掛かる。
前を歩くローラが雪を掻き分けて歩いてくれるので後を歩くミュンはその分楽だ。
道に迷う素振りを見せず、街道を歩くかのように雪に覆われた獣道を進むローラ。チラリと後ろを見やると、サラも軽やかな足取りで歩いている。別に、ちょっと羨ましいとかそんなことは思ってないけど。
「姫様、そろそろ問題の場所に着きますわ」
ローラが顔を少しこちらに向けて言った。
地面が大きく一段持ち上がったかのように高い崖ができている。たまに木の根が崖からはみ出している所がある。この根っこのおかげで崖崩れは免れているようだ。
所々に様々な形の岩がはまっており、岩の表面は苔が生えていて水が流れているのか濡れている。凍って氷柱になり岩から逆さまに生えているのもある。どこか近くから滲みだしているようだ。それらがミュンの背丈の約三倍もの高さに積み上がっている。
「ずいぶんと高いですね」
ずーっと上を見上げながらサラが言った。
「迂回すべきかな」
時間はかかるけどそれがいい気がする。
「直進した方が早いのですけど、これではわたくしはお手上げですわ。岩肌を濡らしているこの水が今辿っている枝分かれした水脈の一本ですわ。もうあと数メーテ行けば水脈の合流地点、そこからさらに数メーテで目的地ですわ」
手が濡れるのもかまわずに岩に手をあててローラが言う。
「もう少しですか……迂回の時間が惜しいですね」
「わたくし達だけならどうにかなりますけど……」
サラとローラだけなら身軽だから自力で登れるだろう。だが、人間のミュンはそういうわけにはいかない。
「あまり使いたくなかったけど画集使おうか」
「キリシェをお喚びになりますの?」
「うん、ひとっ飛びだからね」
「魔力の消費を少しでも抑えるために私達は私達で何とかしましょう」
サラに頷いて画集のページを開く。
「キリシェ、キリシェ。頼みがあるの、出てきて」
わざわざ長ったらしく畏まった喚びかたをする必要はない。
なら、なぜやるのかと訊かれれば強いて言えば、かっこよく見えるからだ。けっこうくだらなく、かなり無意味だ。まあ、画集の使い方に慣れるまではちゃんとした喚び方をしないと失敗する場合があるというちゃんとした理由もあるけど。喚ばれる方からしたらころころと喚びかたを変えられたら迷惑かもしれない。訊いたことは無いけどね。
ミュンの目の高さに小さな竜巻が現れた。それは一瞬で消えるとそこには手のひらほどしかない小さな少年が浮いていた。
金髪碧眼で、大きな眼は身体の大きさも相まって幼さを際立たせる。短い髪は微風に煽られているかのように毛先が小刻みに揺れている。背中には左右一対の羽が生えていて、身体全体が身に着けている衣服も含め透けている。うっすらとキリシェの背後にある景色が見える。
「お喚びですか?セリエーヌ様」
幼い子供が背伸びして大人のまねをしているまさにそれだった。
かわいいなあ、と思いながら頑張っている本人を前に必死に笑いを噛み殺す。
「うん、喚んだ。わたしをね、あそこまで運んでほしいの」
崖の上を指しながら言う。
シルフであるキリシェは風を操る。
「姫様、私達は先に行っていますね」
「キリシェ、姫様を任せますわね」
「はい!」
二人は岩の迫り出した所に上手に足をかけ、四回の跳躍で登りきった。
ローラが手を振っている。
キリシェが真剣な顔で集中し始める。ふわりとミュンの身体が五サンチほど浮いた。そして徐々に高度を増し、浮上する。
人間、地に足がついていないとこんなにも不安になるのかと顔に出さずに考えた。取り乱してキリシェの集中力を欠きたくなかった。硬い地面に足がついていない不安と空を飛んでいるということに対する好奇心とがない交ぜになっている。怖いけど下が見たい。とても複雑な心境だ。ミュンの身体は崖の半分まで来ている。
ゆっくりとサラとローラに近づいていく。熱に浮かされた時のあのほわほわした浮遊感を体験して崖の上に着いた。
「っと、キリシェお疲れ様。ありがとう」
「どういたしまして!」
巧くできたことで緊張が緩んだのか口調が年相応のものになる。
「姫様、また何かあったら喚んでね!」
「うん、その時はお願いね」
キリシェは手を振りながら画集に戻っていった。
当時キリシェは十二・三歳だったはずだ。城によく出入りしていた商人の息子で、たまに親の手伝いのためか城で見かけたのを覚えている。
あんなに幼い子まで巻き込んでしまったのかと今さらながらに悔やまれる。この呪われた連鎖をどうにか自分の代で終わらせたい。なんとしてでも終わらせる。ミュンは独り心に誓った。
ローラを先頭にまた目的地を目指す。
食事のために長い休憩を一度と短い休憩を数度挟み、空が赤く染まる頃ようやく着いた。
崖の上は下と同じく、まばらに生えた木に地面には雪が積もりまたこの冷たい所を歩くのかと思うと憂鬱になった。ローラが前を歩いてくれるからいいけど。
最後の休憩からそう歩かないうちに広く拓けた場所に出た。そこには水面に夕暮れの日の光を反射し、キラキラと光る湖があった。どれくらい大きいのだろう?対岸の木がかなり小さく見える。
「到着ですわ」
「わぁー、きれい」
「美しいですね」
絶景だ。散りばめられた宝石のようだと思った。偶然が造り出す自然の宝石箱だ。白銀の世界に忽然と現れた焔の海。夕暮れ時のこの時間は最高の瞬間だ。このまま時間が止まってしまえばいいのに。無理と分かりながらもそう思わずにはいられなかった。それは、サラもローラも同感のようでしばらく三人はその光景に見惚れていた。
ゆらゆらとたゆたう水面に二羽の鳥が泳いでいる。遠目からはあまりよく見えないが羽は白い色をしているようだ。……あれ?鳥が泳いでる?
「こんなに寒いのにこの湖凍ってない?」
湖に近づいて覗き込むと、風に吹かれて細波がたっているのが分かる。
「ここの水は全て湧き水なのですわ。水底から何ヶ所湧き出ていて湖の水は常に循環して動いているのですわ」
ですから凍りにくいのですね、といつの間にか近くまで来ていたローラが説明した。
「ジータの森にこんな所があったのですか。人間が入り込まない場所だけあって手つかずですね」
「姫様、この水で問題ないですか?」
「うん、十分。こんな所に湖があってなんて知らなかった。綺麗なとこだね」
「ええ、本当ですわ」
背負っていたリュックからもう一つの水筒を取り出して水を汲む。ミュンが使っている物より少し小ぶりだ。半分くらい入ったところで水中から水筒を持ち上げ口を閉じる。たくさんいる物でもないし荷物にもなるので、必要最低限の量だけ入れて終わりにする。
「これでよし。やっと一つ終わった。ローラ、ありがとう。あとはロッカの実だけ」
「どういたしまして、ですわ。日が暮れてきましたわね。今日はもう移動はできませんわ」
「ここで野営ということになりますね」
「こんな所で野営をしたら姫様が凍死してしまいますわ」
湖の周りを見回してローラが抗議した。さすがにローラでも地形までは読み取れない。
「かと言って丁度よく洞窟や木の虚があるわけでもないですし……どうしましょうか?」
しばらくサラとローラ、たまにミュンが入ってあーでもない、こーでもないと話し合った。
「……グレドイに頼んでみては?地面の雪を融かして座る場所だけでも確保しましょう」
「雪が降ってないだけまだいいよね。月が出るから真っ暗じゃないしね」
三人は湖から少し離れ、木が生えている所まで戻ると野営の準備を始めた。グレドイに頼んで地面の雪を融かしてもらい、火を熾して一息ついた時には空には月がかかり星が瞬き、あたりは暗くなっていた。
周囲を照らすのは月明かりと焚き火の火だけだ。
本日の夕食は薄切りにしたパンに炙ったチーズを挟んだものと、干した棗の二品。食料の残りも少なくなってきた。ちゃんと考えて食べてるから足りるとは思う。
「これで清水は手に入りましたわね。次はロッカの実ですわ」
「そうですね。あと二日でジータの森を出ないといけません。あちらこちら歩き回ってしまったので、現在の正確な位置を確認してから最短距離でいけるロッカの実を探しましょう」
同意を求めるようにサラが視線をミュンに向ける。
「うん、お願いします」
マントを下に敷いて服が濡れないように座っているが、冷気までは防いでくれない。お尻が冷たい……。
「サラ、貴女のことですからもう大体目星はついているんじゃないんですの?」
挑発的な笑みを浮かべるが、ローラがやると艶かしい蠱惑的な笑みになってしまう。
「と、言いますと?」
惚けたようにサラが返す。
「今いる大まかな位置と、ロッカの実のある場所?」
「ええ、両方ともですわ」
ミュンの言葉にローラが同意する。
「二人には敵いませんね。どちらも大方の位置は掴めていますが、ちゃんと確証がとれてから言おうと思ってたものですから」
苦笑しながらサラが言う。
「サラらしいと言えばらしいですわ」
「そだねー。そのあたりきっちりしてる。それで、今どの辺りに居るの?」
「現在の位置は……この辺りだと思われます」
焚き火に使う木の枝をペン代わりに地面に地図を描く。
まず、潰れたコッペパンのような形をしたものを描き――これがジータの森だろう――その隣に方位を書いて、簡易な地図を作る。
「姫様が森に入って来たのは教会の近くでよかったですか?」
「うん、そこから入った」
森の外に教会を描き込む。と、いっても○で印を付けただけだけど。
「ここが教会で……こちらが大樹の森、そして私達がいるのはおそらく……この辺りだと思われます。あくまでも私の憶測に過ぎませんが」
×印を付けて場所を示す。南の端にあるのが大樹の森だ。
ミュン達のいる所は教会からほぼ反対側の位置にある。放物線を描くように大樹の森を通り、湖まで来たようだ。
ここから直線距離で戻ったとして……ギリギリといったところだろうか?
「けっこう距離あるよね?間に合うかな?途中でロッカの実も手に入れなきゃいけないし遠くまで来すぎたかも」
「そうですわね、ロッカの実の事も考えると多少の強行は避けられませんわ」
「はい、私も迂闊でした。まさかこんなに遠くまで来てしまっていたなんて。この地図があまり頼りにならないにしても、時間を無駄にできないのは事実です。明日はいつもより早く発つことになるかもしれません」
申し訳ありませんと、項垂れる。
「気にしない、気にしない。わたし体力には自信あるから大丈夫だよ。っじゃあ、今日は早めに休むね」
「それがいいですわ。とにもかくにも、明日にならなければ何も進みませんわ。ですから、お休みなさいませ、姫様」
「お休みなさいませ、姫様」
「お休み。サラ、ローラ」
野営用の毛布にくるまり横になる。しかし、すぐには寝つけず何度か寝返りをうつ。
何度目かの寝返りをして、ゆらゆらと揺れる炎を意味も無く見つめていると、次第に周りの音が消え、ミュンは自分の世界に落ちていった。
赤々と燃えるこの炎よりもさらに赤い血のような赤を命の源として活動するもの達。アレ等を創りだし、操っている者がいる。その人物が幾度となく転生したセリエーヌを手にかけてきた者だ。そして、またその魔の手がセリエーヌの生まれ変わりであるミュンに延びてきている。
ミュンには今までに生きてきた、いわゆる前世という物の記憶がない。あるのはセリエーヌだった頃の記憶だけだ。
それでも、多分これだけは転生するたびに心に思うことだと確信している。
もう、この悲しい連鎖を繰り返したくない。自分の代で終わらせよう、と。
だが、今のミュンが在るということは誰もそれが成し遂げられなかったということだ。
サラやローラ、まだ幼いキリシェ達を気が遠くなるほどの永い時間こんなことのために縛っていたくない。彼女達の魂を画集に縛り付けてしまったことがセリエーヌにとっても予想外で不可抗力だったとしても、後悔せずにはいられない。だから、何としてでもミュンは自分が生きている時に終わらせたい。何か作戦はないだろうか?また悲しい連鎖を繰り返すのだろうか?ミュンにはその答えが分からない。
四日目の朝はカラリと晴れた気持ちのいい朝だった。鳥の囀りがあちらこちらで聴こえてくる。今朝はずいぶんと賑やかだ。冷たく澄んだ空気は眠気を一気に吹き飛ばしてくれる。
「……」
ミュンはもぞもぞと無言で起き上がると湖まで歩いていき、水面を覗き込む。やっぱり。前髪の一房が明後日の方向を向いている。寝癖だ。
凍るような冷たい水で手を濡らし跳ねた髪を真っ直ぐに修正し、もう一度水面を覗き込む。両側から垂れる髪が邪魔だ。前髪はまだ明後日の方向を向いている。また水で手を濡らし手櫛で梳きながら、真っ直ぐになるようにグーっと引っ張ってみる。そして、また水面を覗き込む。うーん、両側から垂れる髪が邪魔をする。
「おはようございます、姫様。どうかなさいましたの?」
水面に映るミュンの背後から生えるようにしてローラが映る。
「おはよう。前髪の寝癖が直らないの。それに、下を見ると横の髪が垂れてきて邪魔するからやり難くて」
「まあ、それなら私に言って下されはよろしかったのに。少々お待ちください」
水面に映るローラから背後に立つローラに視線を移す。
「?」
ローラはミュンの見ている前で水を片手でひとすくい掬うと何もない空中に向けて撒く。朝日を受けてキラキラと輝く飛び散った滴たちはしかし地に落ちることなく、それどころか一点に集中し始めた。
集まった滴は楕円の形を整形し、薄く広がり空中に留まりながらミュンの腰が映るくらいまでの大きさで止まった。厚さは一ミルくらいで、表面は研磨剤で磨いたように滑らかだ。
「特製の水鏡ですわ」
得意気にローラが言う。
この滑らかさはつい触りたくなる。誘惑に負けて指で水鏡の表面に触れた。
「わっ、すごい。ホントに水なんだ」
指が触れた所を中心に水鏡に波紋ができた。出来上がる過程を見ていたのにこれが水でできているなん信じられない。
「明度の高い水で造りましたから映りもいいですわ」
「うん、はっきりと……」
口元にヨダレの跡が残ってるのが見える。
「ちなみにこれ、反対側からは姫様の姿が見えるのですわ」
「なぬっ!?」
水鏡の向こう側にはローラがいる。
赤面して急いで口元を服の袖で拭う。恥ずかしい。
水鏡を使って寝癖を直す。うん、今度はちゃんと直ったみたい。
ミュンはさっきの出来事を無かった事にした。
「さらに、さらに厚さを増すと両面を水鏡にできるのですわ」
ローラがヒョコッと水鏡の横から顔を出して説明する。
「便利だね。……ところで、サラは?」
どこか遠くを見つめる表情を一瞬して、訊ねる。ミュンが起きた時にはもうローラしかいなかった。
「森の木々に正確な現在の位置とロッカの実の場所を訊きに行きましたわ」
半刻ほど前でしょうか、と顎に指を添えながら答える。
「なら、朝食を食べ終わる頃には戻ってくるかな?」
「ええ、戻ってくると思いますわ」
ミュンとローラは焚き火の所に戻ると朝食の準備を始めた。
食べるのはミュンだけだけど。
それから半刻でミュンの朝食が終わり、片付けまで終えてしまった。だが、まだサラは帰ってこない。
「けっこうかかるね」
「おかしいですわね。そんなに遠くには行かないと思いますけど……何かあったのでしょうか」
「サラのことだから大丈夫だとは思うけど、心配だね。アザレア、ウィスタ」
画集を開いて呼びかける。開いたページは『ピクシー』。
「はぁーい、なのだわ。お呼びですか?セリエーヌ様」
「…………」
ペコリ。
しゅぽんっ、という可愛らしい効果音の後に現れたのは手のひらよりやや小さめサイズの二人だ。
元気よく登場したのが姉のアザレアで、無言で小さくお辞儀をしたのが弟のウィスタだ。ウィスタは姉のアザレアより頭半個分背が低い。アザレアが身に着けているのは、鮮やかな赤紫色の丈の長いコートにふわふわした同色の帽子と茶色のブーツで、耳の下から垂れる二つ縛りの髪が可愛らしい。
ウィスタも同じ服装で色は淡い青紫をしている。少し眠たそうな表情が特徴的だ。
「情報収集に行ったサラが戻ってこないの。湖の周辺を回ってサラを探してきてほしいんだけど、頼める?」
「任せてください、なのだわ。絶対にサラを見けてきます、なのだわ」
「大丈夫……任せて…」
「あんまり遠くに行っちゃ駄目だよー」
駆け出した二人の背中に声をかける。アザレアが幼い弟の手を引きながら走る様子は傍から見ていてとても微笑ましい。
小さな二人の姿はすぐに見えなくなる。外見に似合わず、足が速いからそう時間はかからないと思う。
もし、サラと行き違いになってもそう間を空けずに戻ってくるだろう。多分。
「それにしても、サラは何をしているのかしら?心配と言うより不安になってきましたわ」
幼い二人を見送った後にローラがそう溢した。
「そうだね。何かあったのは間違いなさそうだね」
「ええ、サラがここを発ってからすでに一時以上は経っているはずですわ」
「待つだけっていうのはけっこう辛いね。わたしも探しに行ったら駄目かな?」
親の機嫌を窺う子供のように上目遣いでローラに訊ねる。
「いけません。彼女達は姫様を基点に動いているのですわ。もし、画集の力の及ばない所で魔力が尽きてしまったら彼女達がどうなるか知らない貴女ではないでしょう?」
「うぅ……」
子供を諭す親のように言うローラに返す言葉もなく項垂れるミュン。
画集の力が及ぶ距離には限りがある。それを越えた時に不慮の事故に巻き込まれたり、相手に襲撃を受けて魔力が尽きてしまうと画集の住人達は画集に戻れなくなる。戻れないまま魔力が尽きると住人達は消滅し、画集に描かれた彼女達の絵は本当にただの絵となりミュンと会話をすることはおろか、具現化もできない。技術的に優れただけの絵になってしまうのだ。だから、ミュンはただ無事を祈って待つことしかできない。本当はローラだって探しに行きたいはずなのにミュンの護衛があるからここを離れられない。
「あ……」
サラが向かった方を見ていたローラが小さく声を溢した。
「姫様、サラが戻ってきましたわ!」
「え!?どこ!」
ローラに習ってミュンもそちらに向く。しかし、ただの人間であるミュンの視力ではサラの姿は見えない。
「ほら、あそこですわ。今、二又に別れた木を横切りましたわ」
腕を伸ばして指で示しながら説明する。
「見えないよ……」
とゆうか、二又に別れた木ってどこ?
サラは蛇行して異動しているらしく、その証拠にサラを追っているローラの腕は右に左に方向を変えながら位置を示す。
「あっ!いた!」
木と木の間にサラの白銀の髪がチラリと見えた。
「あら、何か様子が変ですわ」
見失うことなくサラを目で追いながらローラが呟いた。
「え?」
どこがおかしいのだろう? 目を凝らしてミュンもサラを追う。
この時にはもうサラの姿が見えていた。
特にけがをしているわけでもなさそうだし、追われているわけでもなさそうだし。強いて言うなら、表情がかたいことくらいだけど……。
心なしかサラが焦っているように感じる。杞憂であってほしいと願うが、不安や焦燥は簡単に感染する。ローラに目をやると、彼女も感じ取ったらしく緊張した空気が伝わってくる。
「遅くなって申し訳ありません。単刀直入に言います。説明は道すがらいたしますので、今すぐにここを発ちます」
駆けて来た勢いのまま早口でサラが言った。
「準備はできてる。けど……」
口ごもるミュンに訝しげな視線を向け、次いでローラに理由を求めるように線で訴える。
「アザレアとウィスタの姉弟に貴女を探すよう湖周辺を回ってもらっているのですわ」
「まだ二人とも戻ってきてないの。呼び戻すにも連絡のとりようがないし」
「なんとも間の悪い」
髪に手を埋めて嘆くサラ。
「もう少し待てませんの?」
「簡単に状況を説明してくれる?」
ミュンとローラが揃って問う。
「分かりました。報告も兼ねて説明します。まず、現在地ですが昨日の憶測より少し東よりでしたが、ほぼあの位置で間違いないようです」
「そっか、少しは距離が縮んだかな?それで、説明って言うのは……」
「はい。ここからは確証があるわけではないのですが……森の木々たち曰く“何か黒くて嫌なもの”がうろついているらしいのです。アレだと確証があるわけではありませんが嫌な予感がします。早くこの場から離れるのが賢明かと思ったのですが」
「いや、ホントすいません」
サラと目が合わせられない。
「過ぎたことをどこう言っても仕方がないのですわ。とにかく、これらからどうするかを考えなくてはいけませんわ」
「申し訳ありません、姫様を責めているわけではありません。そうですね、考えなくてはいけないのはそれですね」
問題はアザレアとウィスタにどうやって今の状況を伝えるかだ。すぐにでも戻ってきてくれるといいのだが、生憎さっき出て行ったばかりだ。その可能性は低いだろう。ならば、こちらから探しに行くか?それだと、また行き違いになる可能性が高い。それに湖周辺と言っても狭くはない。見つけられない確率の方が大きい。じゃあ、どうすれば?
「ねぇ、キリシェに頼んでみたらどうかな?キリシェなら風を渡れるし、広範囲の探索に向いてるんじゃない?」
最初からこうすればよかったんだよ。
「いい考えですわ。時間がありませんわ、姫様。急ぎましょう」
パンッと手を叩いてローラが言った。
「うん、キリ……」
「姫様、お待ちください。ローラ何か聞こえませんか?」
沈黙を求めるように人差し指を形のいい唇にあて、言葉を遮ってサラが言った。そして、少しでも遠くの音を拾おうと耳を澄ます。
言われたローラも目を閉じ、同様に耳を澄ます。
一迅の風が吹く。木と木の間を唸るような音をたてながら風が吹きぬける。枝に残っていた雪が舞い、刹那の刻だけ吹雪となる。奇妙な沈黙がその場に降り、居心地の悪い静寂だけがそこに鎮座する。
じっと耳を澄ましていたサラが口を開いた。
「ローラ、聞こえますか?これは……声?」
目を閉じたままローラが答える。
「ええ、まだ何を言っているのか分かりませんが、確かに聞こえますわ」
ミュンには何も聞こえないが、サラとローラが言っているのだから間違いはないだろう。アザレアとウィスタは無事だろうか?
「……聞こえませんね」
「サラ。見えてきましたわよ」
豆粒代のものが跳ねている。
ノ、ノミ?いや、この距離からノミが見えるわけない。
「あれは……アザレアとウィスタ?どうしたのでしょう?」
文字通り、跳ねるようにして二人はこちらに近づいてくる。ミュンにももう姿が見えるくらいにまでなった。
「姫様、サラ、あれを」
ローラが指した先、姉弟の頭上数メーテを鳥が飛んでいる。黒い身体に気味の悪い赤い目。間違いない、来た。
「これはまた何と言うか……大きいですね」
「アザレアとウィスタが小さい分よけい大きく見えますわ」
「比較対照として不適当だよね、って呑気に観察してる場合じゃないよね!?」
ちょっ、何でみんなして現実逃避気味になってるの!?
混乱するミュンを置き去りに黒い鳥は鋭く尖った爪でウィスタを捕まえようと高度を下げた。
「アザレア、ウィスタ画集に!早く!」
最後に大きく一回跳躍して姉弟は吸い込まれるようにして画集の中へ、黒鳥の爪は虚しく宙を掴む。それとほぼ同時にミュン、サラ、ローラは示し合わせたかのような息の合った動作で走り出す。サラを先頭に森の中を駆ける。
「空を飛べるのは卑怯だと思いますわ」
「ですが、森の中で飛べても木が邪魔をしておもうように飛べませんし、むしろこちらにとっては好都合なのではないですか?」
「加えてあの巨体じゃね」
アザレア・ウィスタと比較するとずいぶん差があるように見えるが、大きさはサラやローラと同じくらいか少し大きいくらいだ。
サラは木が密集している所を選んで後ろの二人を導く。
黒鳥がもう一度襲いかかろうと高度を下げる。しかし、四方八方から伸びる木の枝に遮られてミュン達に近づくことすら叶わない。
苛立つ黒鳥は耳をつんざくような声で哭いた。大気が振動し、痺れる。
「んん……」
「う……」
「く……」
直接鼓膜に響くような声量に頭の中がぐわんぐわんと反響している。目眩がして視界がぶれ、ちゃんと歩けているのかも分からない。ミュンがこの状態なのだから、耳のいいサラとローラはもっと辛いだろう。
ザク。脚の力が抜けて雪の中に膝をつく。
「姫様!」
後ろにいたローラが駆け寄ってくる。
「リーヌ様!」
その気配に気づいたサラも振り返って駆け寄ってくる。
二人とも辛そうだ。あの巨体はこのための物なのかもしれない。
哭いているのは数秒間だけだが、それによっておきる頭痛と目眩はしばらく治らない。あの声をどうにかしなくちゃ歩くこともできない。アレの声を止めるか、核を探して壊すかの二者択一だ。
動けなくなったミュン達の頭上を旋回していた黒鳥は再度襲いかかろうと高度を下げる。今度は邪魔をする木の枝などその巨体でへし折って来る。先ほど近づけない素振りを見せたのは演技なのだろうか?急降下してくる黒鳥にミュンはなす術がない。折られた枝を撒き散らしながら黒鳥が迫る。距離にしてあと三メーテ弱。
活動報告の方で今週は更新できないかもしれないと書いたのですが、なんとか更新できました。一安心です。
文章の長さがまちまちですみません。いまさらですが…。
閲覧ありがとうございました。
今日もあと一息頑張ります。




