十一話 画集を描いた人物
今回の初登場は強面の人徳者です。
夢、夢、夢、と頭の中で連呼する。懐かしい、そんな言葉が頭に浮かんだ。そう、懐かしい人に会ったのだ。その人のことをとても大好きだった気がする。一滴、ミュンの頬を涙が伝う。
「お……ばあ………様」
囁くよりももっと小さな声でミュンの口から言葉が漏れた。
どうして忘れていたんだろう?あんなにも大好きだったのに。両親との記憶よりも祖母と記憶の方が印象的だ。それはきっと、幼い頃に亡くした両親よりも祖母と過ごした時間の方が長かったからだろう。
あぁ……覚えている。
サラの事も、ローラの事も。ローラがミュンのことを“姫様”と呼ぶのはミュンが今は無き小国の王女の生まれ変わりだから。画集を描いたのは他ならぬミュン、いや王女セリエーヌ自身。
サラは、セリエーヌ付きのメイド。ローラは優秀な仕立て師。セリエーヌのドレスのほとんどがローラの手によるものだ。
まだ、セピシアという国が在った頃。王族であるセリエーヌの家系はなぜか女児しか生まれず、代々女性が国を治めてきた。そのためか、女王には不思議な力が宿っていた。
一子相伝のその能力は彼女達が描く絵に命が宿り、意思を持ち自ら動き回るというもの。そう言われれば聞こえは良いが、それだけの説明では真実とは異なる。
彼女等の絵には魂が宿る。それは、生死を問わず、人も動物も関係ない。もし、描いた対象物が生きていた場合個々で時間差はあれど生身の身体が死に、その魂は彼女等が描いた絵に宿る。死んでいた場合はすでに身体は死んでいるので、魂は天に召されることなく絵に宿る。しかし、必ず全ての絵に魂が宿ることはなく、確実性はない。
その仕組みを悟った当時の女王は娘や孫、子孫達に生き物を描くことを禁じた。
しかし、玄人さえ唸らせるその画才は天からの授かりものであるとして風景や調度品など、多くの絵を遺している。そのため、そちらの方面で王女の名前は一画家として有名となっている。
それは、セリエーヌも例外ではない。数こそ少ないが、政務の合間に描いた絵は高値で取引されている。
若くして亡くなったため作品数が少ないことと、セピシア最後の女王ということが高値にさらに拍車をかけているらしい。
彼女達の能力は城の中でも一握りの者しか知らない最重要秘密だ。
小国で軍事力も少なく、女児しか産まれず、それでもセピシアが生き残れたのはひとえに彼女達のこの能力によるところが大きいかもしれない。
「セピシアの王女には不思議な力がある」と好き勝手に『不思議な力』を想像して変な考えを起こさないでくれたのだから……。
四つある国境のうち一つはジータの森に面し、残りは三国の大きな国に囲まれながらも平和な国として、今も史書に記されている。
セピシアの名が地図から消えて久しく、今ではセピシアの領土はツェーリスとフェルロン、アノラの領地と化している。
今は亡き小国セピシア。最後の女王セリエーヌ。ミュンはそのセリエーヌの生まれ変わりなのだ。何度転生しようとセリエーヌであった頃の記憶は薄れることなくちゃんと残っている。
そう、ちゃんと覚えている。
縦二・五メーテ、横二メーテほどの狭い部屋。部屋の中には寝起きするための簡素なベッドと物を書くための机と椅子が一組と水瓶があるだけでお世辞にも居心地が良いとは言えない。机の正面に位置する壁には大人の目線に合うように木枠が取り付けてあり、同じく木で出来た板を横にスライドさせると部屋の外から外が見られるように小窓が備え付けている。その小窓の一歩横にドアがあって、そこから出入りできるようになっている。
机には無造作に荷物が置かれ、椅子には脱いだ外套が乱雑にかけられている。
そんな狭い部屋の片隅にあるなみなみと水が張られた水瓶を食い入るように見る男がいる。
かれこれ一刻以上も男はその体勢のまま動かない。と、ピシャッと小さな音がして水瓶の水が跳ねた。男は反射的に目を瞑る。
「またか」
声には出さず、口だけを動かしてそう言った。
よく見ると、男の服には先ほど跳ねた水とは別に乾ききらない水の跡がまだ残っている。
ふう、腹の底から大きく息を吐きやおら立ち上がるとのっそりとした動作で簡素なベッドに倒れ込む。
ドサッ、ギシ。古いベッドはどうにか衝撃に耐え男を受け止める。
そのままもぞもぞと地を這うような動きで片腕で顔を隠すようにのせ、ベッドに仰向けに横になった。 そして、ふう、とまた大きく息を吐いた。ずいぶん疲労しているようだ。そのまま息は規則正いものになり、それに合わせて胸が上下に動く。
この部屋からは見えないが、外はまだ明るく眠るには些か早い時刻だった。
寒い。一番最初に頭に浮かんだのはその言葉だった。身体全体が凍ってしまったみたいだ。ゆっくりとほぐしながら動かしていく。
「おはようございます。姫様」
笑顔でそう言ったのはローラだ。相変わらず季節を無視した服装だ。見ているこっちが寒い。
「お、おは、よう」
顔の筋肉も凍ってしまったみたいだ。口の動きがぎこちなくて話しにくい。 手を使って顔をほぐす。効果があるかは分からないけど。
「申し訳ありませんわ。火を熾したいのですけど、ここの枝も地面も湿っていまして火が点かないのですわ」
ミュンとローラの間には枝と落ち葉が集められ、どうにか火を点けようと努力した跡が見られる。
「お身体は動きますか?火が点けば何か温かい物が作れますのに……」
残念そうにローラが言う。
「いや……いいよ。ありがと、ローラ」
さっきよりまともに話せた。意外と効果があるみたいだ。
「今、サラが偵察に行っていますわ。そろそろ戻る頃だと思うのですけど……」
「サラもう出てきてるの?大丈夫なの?」
分かってはいるけど不安になる。
画集の住人である彼女達はけがをしても、本体である画集が無事ならば軽いけがの場合魔力を消費するだけですむ。傷口も自然にふさがる。
しかし、昨日のサラのように気を失うほどのけがや衝撃を受けると身体の魔力バランスが崩れてしまう。魔力バランスが崩れてしまうと具現化が保てなくなり、強制的に画集に戻ってしまう。そうするとしばらくは具現化できなくなる。要するに、画集の外に出られなくなるのだ。
いくら優秀な魔術師が施した術式でも人間は全能ではない。完璧など無く、どこかに必ず穴があるのだ。
トン、トン、トンという軽やかな足音の後にサラが降ってきて、きれいに着地する。
「!?」
軽やかに樹の枝の上を移動しながら、ミュンとローラが居るところに文字通り降ってきたのだ。
「お帰りなさい。サラ、どうでしたの?」
まるで動じないローラ。
「一時ほど歩けばこの大樹の森を抜けられます。ジータの森に入って今日で三日目になります。そろそろ姫様の探し物を探さなくてはいけませんね」
突然のことに驚くミュンを置き去りにサラが報告する。
「探し物?何ですの?それは」
「近々春を迎えるお祭りがあるそうです。その時に神に捧げる供物を探していらっしゃるのです」
「この時期にお祭りですか」
何か思い当たることがあるのかローラが感慨深そうに言う。
「それで、何を探してますの?」
「澄んだ清水と後なりのロッカの実です」
ミュンが答えるまでもなく、すらすらとサラが答える。
「先の供物は私がご一緒した方がはやいと思いますわ」
「私もそう考えまして、ローラに道案内を頼もうかと思っていたんです」
「では、私もこのままお供させていただきますわ。よろしいですか?姫様」
「う、うん」
どんどん話が進んでいく。
「ロッカの実の方はどうしますの?」
「そちらは私がなんとか探して見ます。森の木々に訊けば見つかると思いますので」
ミュンもどこにあるかくらいはわかっているのだが、道に迷った時点でミュンのささやかな土地勘は役立たずだ。それに、ここでミュンが口を出すよりこの二人に任せておいた方が手っ取り早い気がする。そう思うのは怠慢だろうか?
「ところで、ローラ。ここから分かる範囲で清水がある所はありますか?」
「そうですわねぇ……うーん、樹が水を吸い上げてるのはよく分かるのですけど、昨日の小川くらいしかないようですわ。やはり、一旦ここを出たほうが良いかと存しますわ。樹がすごく存在を主張しますの」
「樹が?存在を?」
ローラが分かるのは水に関することだったはずだけど。
「ええ、樹が地面から水を吸い上げているのですわ。ここの樹は、一本一本が太いので吸い上げる水の量も多いのですわ」
なるほど。だから樹が存在を主張してるのか。他の水の存在が感知しずらいのだ。
それからしばらく、なぜか話が脱線していって他愛もない話に花が咲いた。何だかあの頃に戻ったようで懐かしかった。
「さあ、そろそろ行きましょうか?いつまでもここに居るわけにはいきません」
話が途切れたのを見計らってサラが言った。
「そうですわね」
「うん」
手をついて立ち上がろうと身体を動かす。
ストン。ミュンの膝に乗っていたが画集が落ちた。落とさないように抑えていた手がなくなり、ミュンが足を動かしたので滑り落ちてしまったようだ。
「あっ……」
ミュンの目がそちらに向く。拾おうとして手を伸ばしたままミュンは固まってしまった。
さっきまでの楽しい気持ちが退いていく。
ツーっと涙が一滴ミュンの頬を伝う。思い出したばかりの記憶が頭の中を駆け巡り、色々なものがミュンの胸中に膨れ上がる。それらの大半を占めるのは悲嘆と後悔だ。
「わたしが、わたしが……」
声が震える。寒さのせいではない。
「わたしがこんなものを描いたからっ……」
身体か動くままに、画集を拾って力任せに破ろうとする。それを制止するようにサラとローラがミュンの手に手を重ねて静かに言う。
「いいえ。いいえ、姫様。それは違いますわ」
「私達が自ら望んだことです。貴女に非はありません」
寒暖をあまり感じず、熱くも冷たくもない二人の手から優しさが伝わってくる。ミュンには彼女達の手が仄かに温かく感じた。
それから二人はミュンが落ち着くまでずっと手を握っていてくれた。
サラが言った通り、大樹の森を抜けるのに一刻ほどかかった。
木々がまばらになり、銀世界が戻ってきた。 昨晩は雪が降らなかったのか、地面は動物の足跡が残っている。
風は冷たく、空を仰げば雲がゆっくり歩く速さで流れていく。
大樹の森を抜けたところで休憩をとりがてらローラが清水の場所を探ることになった。
「見つかるかなぁ」
「見つかりますよ」
地面に手をつき、真剣な顔つきで目を瞑っているローラを遠目から眺めつつ温かいスープを飲んで寛いだミュンが言い、焚き火の調節をしながらサラが答えた。
スープは干し肉だけの寂しい内容だが、温かいスープが飲めるだけでありがたい。
どうせローラを待つまでやることないのならとサラが薪を集めてきてくれたのだ。
――――「リーヌ様、お寒いでしょ?火を熾しましょう」
ローラが水の探知のため離れていくとサラが言った。
「え?でも危なくないかな?見つからない?」
「そんなこと言ってたら、いつまでも暖をとれませんよ。ローラのほうが終わり次第移動しますのでそれほど心配しなくてもいいでしょう」
まあ、確かにサラの言うとおりだ。そんなことを言っていたらいつまでたっても火を使えない。それに、ローラが終わるまでなにもしないでただ待つだけというのも暇だ。
「そうだね。わたしも今朝から寒くて」
「では、決まりですね。薪を拾ってきます」
そう言って薪を集めに行ったサラはすぐに戻ってきた。ちゃんと薪も持っている。
「……はやいね」
「リーヌ様を長時間お一人にはできませんから」
火を点けるため火打石を探してリュックをさばくっていたミュンは嬉しさと呆れが入り混じった声を出した。
心配してくれるのは嬉しいが、ホントにサラは過保護だ。
サラが拾ってきた薪を燃えやすいように組み、ミュンがリュックから探し当てた火打石で火を点けようと薪に近づけた。
「お待ちください、リーヌ様。火打石では時間がかかります。もっと早くできる方法がありますよ?」
「え?何?」
顔だけをサラに向けて問う。
「画集をお使いください」
「画集?あー、なるほどね。火種のドワーフ」
専門家に頼めばはやいのだ。
だが、こんなことに画集を使っていいのだろうか?
「ふううー、寒い寒い。この寒さは年寄りにはキツいわい。腰にくる」
熱さも寒さも彼等にはあまり影響がない。もちろん年齢も。
ブワッと火傷しそうなくらいの熱気がミュン達を襲った後、そう言って現れたのは焦げ茶色のゴワゴワと硬そうな毛と口の周りに同じくゴワゴワと硬そうな髭を蓄えた男性だった。男性とは言っても身長はミュンの腰くらいまでしかなく、全体的にずんぐりむっくりといった感じだ。
金鎚のようなものを肩に担ぎ、ちょっと強面の顔がミュンのほうを向いた。無条件に緊張し、背筋が伸びる。
「お久しぶりですな、セリエーヌ様」
ニヤリと笑う。本人はにっこりと微笑んでいるつもりかもしれないが、ミュンにはニヤリと笑っているようにしか見えない。
「こんにちは。突然だけど、一つ頼んでいい?グレドイ」
「何でしょう」
昔からセリエーヌは彼の強面が苦手だった。根は悪くないのだが、むしろ子供好きで優しい性格をなのだがあの顔が全てを台無しにしている。可哀想な人だ。
あ、でもそこはかとなくミュンの父親のリジスに似ている気がしないでもないかも。リジスも口髭を蓄えているのだ。そう思えば、少しは平気かも?……うーん……。
「火を熾してほしいの」
組まれた薪をゆび指しながらグレドイに言った。
「お任せください」
肩に担いでいた金鎚のようなものを薪の近くに持って来るとグレドイは指でかるく二、三回それを弾いた。すると、それだけのことで火花が散り薪に燃え移った。息を吹きかけてやり薪をたして勢いを強める。
「ありがとう。はあー、温かい」
手を火にかざしながら気の抜けた声を出す。
「セリエーヌ様おけがはありませんか?」
「大丈夫。サラ達がいるから」
「そうですか。それなら一安心ですな」
ニヤリ……じゃなくてにっこり。
「サラ、今の状況はどうなっとる?」
「三度襲撃を受けました。どちらも赤い核を破壊して終わらせました」
「ローラが出とるところを見るとお前さん一人では対処しきれんかったか」
よく観察している。
「はい、ローラに助けられました」
「そうか。……老は何と?」
胡坐をかいて、髭のはえた顎を撫でながら思案気に問う。
「ふむ、とだけ」
そうか、と呟いて沈黙する。
そんな二人を横目にごそごそと野外用の片手鍋を出してスープを作り始める。
「あい、分かった。セリエーヌ様お会いできて嬉しく思います。何かあればすぐにお喚びください」
失礼、と言い会釈をしてグレドイは早々に画集に戻ってしまった。
画集の住人が外で活動するには魔力が必要になる。すでに二人が外にいて自分も外にいては魔力の消費が早くなるだろうと気を利かせたのだろう。
「ありがとう、グレドイ」
聞こえたかは分からないけど、画集に向かってお礼を言う。
彼は、城に居た鍛冶師で自衛団の剣や槍、調理場の包丁、庭園の剪定に使う枝挟みなどあらゆるものの製作を担当していた。弟子を何人も持ち、厳しいが腕がよく、教え方も上手くて優秀な職人を何人も育てた。外見のわりには人徳のある人物だった。
出来上がったスープをコップに注ぎ啜る。あー、温かいって素晴らしい。じんわりと身体に熱が染みわたる。身体の内側から温かくなる。
「見つかるかなぁ」
「見つかりますよ」
寛いだミュンにサラが返す。
ほどなくして、ローラが戻ってきた。
「すぐ近くにはないみたいですわ。ここからだと時間がかかりますが見つけました。それでも参りますか?」
「お疲れ様。どれくらいかかるの?」
「そうですわねぇー……半日といったとことでしょうか。今から出発して、着いたところですぐに野営の場所を探さなくてはいけませんし、今日一日使ってしまうことになりますわ」
三人で焚き火を囲むように座る。
「そんなに遠いのですか?」
「いえ、距離的にはそんなことはないのですわ」
「どういう意味?」
「どうもそこに行くまでに障害があるようなのです」
「障害ですか」
「ええ、そこから地下水脈の一本がこの近くを通っているのですけど、辿ってみたところ崖のようなものがあるみたいなのですわ。場合によっては迂回しなくてはいけないかもしれません」
「崖かぁー……うーん。でもそこしが一番近いんだよね?」
「ええ、そこを含めて二ヶ所見つけたのですけど、もう一つは……二日の距離でしょうか?」
ふ、二日。時間が足りない。まだロッカの実すら見つけてないのに。そこは論外だ。
「とりあえず、行くだけ行ってみましょうか?」
「んー、そうだね」
他に選択肢がないならそこに行くしかない。
「案内は任せてください」
ローラが軽く手を振る。ジュッ、と音がして焚き火の火が消えた。空気中の水分を使って消したようだ。
「任せましたよ」
「お願いね」
「承知しましたわ」
そして、三人は膳は急げと言わんばかりにすぐに出発した。
はい、また名前だけだった方が出ました。
謎の人物も出ましたし…サクサクいきたいです。
閲覧ありがとうございました。
更新に少し日にちが空くやもしれません。
それでは、次回またお会いしましょう。