第3話 新たな道
温もりある陽光が蒼海の天蓋を照らし、瑞々しい青が自分たちを包んだ。
海の生き物たちが遊泳し、数多の珊瑚礁が海中を色鮮やかに染め上げる。その壮観は見慣れているものだと思っていたが、あの暗闇を経験してからは改めてその美しさを実感する。
ぺルレが故郷の美景に見蕩れているなか、ヴァイゼは美しい歌声を紡いだ。すると、一匹の雄々しいサメが現れて彼女の傍に留まった。
メロウは音の魔力を持ち、魅惑の歌声によって海の魔物や一般生物を使役することができる。力が強ければ強いほど強力な個体を従えることが可能で、ヴァイゼが呼び寄せた赤いサメは血に関する魔力を持つブルートハイだった。
血を摂取することで対象者の居場所や記憶、言動などのすべてを掌握できる。詰まるところ、ブルートハイによる血の誓約によって常に監視されているも同然ということだ。
「血を」
ヴァイゼの催促にぺルレは頷き、親指を噛んで己が血をブルートハイに捧げた。
「メロウにまつわるすべてを他言しないことを誓います」
ブルートハイは海中を漂う鮮血を呑みこみ、ヴァイゼに頷きかける。
「これでそなたの言動はブルートハイに筒抜けだ。もしものことがあれば、すぐ私に伝達するようになっている」
「はい。心にとどめておきます」
「これから陸へ向かうのか?」
ヴァイゼの問いかけに、ぺルレは首肯した。
「父に会うことが、わたしの生きる意義ですから」
「そうか。私が言える立場ではないが、気をつけるんだぞ」
まるで子を見送る母のような柔らかな声色と表情に、ぺルレは母の面影を重ねた。
またもや目頭が熱くなったが、流れ落ちそうになったものをぐっと堪えてぺルレは深く頭を下げた。そのままヴァイゼに背を向け、蒼海を突き進む。
遊泳しながら歌声を紡ぐと、右方から青紫色の体躯をした一頭のイルカがこちらへ向かってきた。
『ぺルレ』
精神感応で語りかけてきたのは、精神に関する魔力を操るヴィオレットデルフィン。ぺルレが使役している唯一の魔物にして友のような存在だった。
「バンデ」
『どこへ行くんだ?』
バンデと名付けた従魔は主の隣に並び、ともに尾ひれを動かす。
「陸へ行くの」
『懲りないな。あれほど厳しい折檻を受けたというのに。次バレたら折檻どころじゃ済まされないぞ』
「そうね。現に集落を追い出されちゃったから」
『は? 今なんて……』
ぺルレは苦笑を零し、これまでの経緯を説明した。
『マジかよ……。じゃあお前、これからどうするんだよ。陸で人間になれるのも一日が限界だ。すぐに海に戻らないと今の姿に戻っちまう』
「うん」
混血であるぺルレだけの特性として、人間の姿になることもできる。だが、一日経てば強烈な喉の渇きと海水に触れたいという衝動が身を蝕み、やがて人魚の姿に戻ってしまう。海水を摂取し続けなければ、そのうち干からびて死んでしまうだろう。
「だから、海を拠点にしつつ、ときどき陸に上がってお父様を探そうと思って」
「何でまたそんな面倒くさいことを……。そんなに父親に会いたいのか?」
「会いたいわ」
即答するぺルレに、バンデは目を丸くした。
「たった一人のお父様だもの。どんな人なのかこの目で確かめるまで、わたしは陸に上がることを諦めない」
「まあ、お前の気持ちもわからなくはないけど」
それから主従で会話を繰り広げている間に、オセアーン南部の砂浜に辿り着いた。
付近の岩場に隠していた人間用の衣服を手に取り、ぺルレは上陸する。すると、瞬く間に尾ひれが人間の足へと変わり、鱗も剥がれ落ちるようにしてはらはらと散っては消えていった。
衣服をまとい、見目麗しい可憐な少女になったところでバンデを振り返る。
『気を付けろよ。おれはひとまず新しい住処を探しといてやる』
「さすがバンデ。ありがとう」
『じゃあな。何かあったら呼べよ』
「ええ」
バンデと別れたところで、ぺルレは陸土のほうを向く。
ようやく手に入れた自由。だが、その道は過酷で未知なるものへの恐怖を少なからず孕んでいる。
「お父様」
必ずあなたに会う。
たとえ己の命が危険に晒されようとも、自身の決意に後悔はない。
不安と期待が綯交ぜになった心とともに、ぺルレは駆けだした。




