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第1話 望みの代償

 

 夜半のさざ波に紛れて響くのは蠱惑的な歌声。

 月光に照らされて光り輝くのは繊美の魔物。


 かの魔物の容姿を目に収め、かつ歌声を耳にしたものは例外なく心を失い、やがて海の底に引きずりこまれてしまうという。


 人々はその美しくも悍ましい海の魔物を、メロウと呼んだ。




    *****




「ぺルレ! また陸に上がったな!」


 叔父が己の頬を打擲(ちょうちゃく)し、ぺルレは海底に倒れこんだ。


 大陸北西にある海洋国家、オセアーン。かの国を取り囲んでいるシェーン海の海底に、人魚の魔物――メロウの集落があった。

 じんじんと痛む頬を押さえながら、ぺルレは怒髪天を衝いた叔父を仰ぎ見る。


「ごめんなさい、叔父様」

「何度言わせば気が済むんだ! お前は私たちメロウを滅ぼすつもりか⁉」

「そんなつもりは……!」

「ヴァイゼ様の情けでここにおいてやっているというのに、その恩を仇で返そうとするとは! そんなに陸が恋しいか? やはり汚らわしい人間の血は争えん」


 侮蔑の眼差しでこちらを見下ろす叔父に、ぺルレは言い返すことさえできずに俯いた。


 ぺルレは父が人間、母がメロウの混血(ハーフ)だった。

 異種族間の契りはメロウにとって禁忌。人間との関係が一族に知られてしまった際、母のリーベは一族中から批難を浴び、死刑を強いられた。だが、その時にはすでにリーベはぺルレを身ごもっていた。


 族長のヴァイゼは慈悲深く、子に罪はないと彼女の生を赦した。そしてリーベを死刑ではなく、愛する人間の男と二度と会えないように海底監獄に軟禁した。当然、我が子を抱くこともできず、彼女は徐々に衰弱していき、ぺルレが七歳の時に息を引き取った。


「リーベもリーベだ。なぜ人間にあれほど執着し、あまつさえ契りを結んだのか……! 一族の恥以外の何者でもない!」


 実の妹を突き放し、怨嗟を吐く叔父の面様はあまりにも酷薄で。ぺルレの存在そのものを赦さないという確固たる意志がありありと見てとれ、胸が締めつけられた。


 ――わたしはただ、お父様に会いたいだけ……。


 かつて、珊瑚でできた堅牢な柵越しから聞いた痩せ細った母の言葉を思い出す。


『お父さん――トロイはあなたと同じ美しい水色の髪をしていて、海のように青々とした碧瞳だった……。あなたはお父さんによく似ている……。彼はすごく優しくて、私がメロウであることを知ったうえで恋人になってほしいと、傍にいてほしいと言ってくれた……。ああ、こんなにも愛しい人はもうこの先一生現れないだろうと思った。だから私は彼の想いを受け入れたの』


 そして、一生の宝物を得ることができた。


 そう言って、リーベは珊瑚柵から手を伸ばし、幼い愛娘の頬を撫でた。


『ごめんね、ぺルレ。辛く、寂しい思いをさせてしまって……。でも、忘れないで。私はいつもあなたのことを想っている。あなたのことを愛しているわ』



 どうか、生きることを諦めないで。

 この世界に生まれてよかったと思える時が、必ず来るから。



 切なる願いが込められたその言葉が母の肉声の最後だった。


 母の想いに応えるべく、リーベは叔父たちからの冷酷な仕打ちに耐え続けてきた。

 ヴァイゼの計らいでぺルレは海底監獄には囚われず、叔父のもとで生活することになった。彼は常に厭悪の姿勢を崩さなかったが、折檻と称した暴力はあれどその命を奪うことはなかった。いくら彼とて族長からの命令に背くことはできなかったのだろう。


 おかげで十七年間、何とか生き抜くことができた。だが――


「これ以上は看過できん。ヴァイゼ様に頼んで、お前を監獄送りにする」

「っ……!」


 一度監獄に投獄されれば最後、釈放されることはないと言われている。

 光が一切通らない暗黒の檻のなかでじっくりと精神と体力を蝕まれ、やがて死に至る。母と同じ凄絶な最期を突きつけられようとしている。

 ぺルレは青ざめ、言葉を失った。


「来い!」

「あっ!」


 首根っこを無理やり掴まれ、ぺルレはヴァイゼのもとへと連れていかれた。


「ヴァイゼ様」


 叔父の呼声に、側近の者と話していた族長が振り返る。


「どうした。ボースハフト」


 緋色の美しい髪が特徴的な女性で、見た目の年齢は三十路あたりに見える。だが、メロウは老化という概念があまりなく、年齢に対して若く見えるので、実年齢は六十代から七十代といったところだろう。


「ぺルレがまた陸に上がりました。これ以上、こいつを野放しにするわけにはいきません。海底監獄に投獄する許可を」


 ヴァイゼの赤瞳が眇められ、ぺルレに厳格な視線が注がれる。


「ぺルレ。ボースハフトが言っていることは本当か?」

「……はい」


 ぺルレの首肯に、ヴァイゼは小さく嘆息した。


「ヴァイゼ様、もしまたこいつが陸に上がり、人間と接触しようものなら……それこそ我らメロウの窮地です。こいつがメロウの血を引いていることを人間たちが知ったら、奴らは我々の居場所を突き止めようとするでしょう。いや、こいつがこの場所を人間に吹聴する可能性だってある」

「そんなことは絶対にしません!」

「黙れ! お前がここを居心地よく思っているはずがない。母親を奪われ、さぞかし我々を憎んでいることだろう。だから陸に逃げようとする!」

「それは――」

「そこまでだ」


 ヴァイゼの一声に、両者は口を噤んだ。


「ぺルレ。そなたが陸に上がることでどれほどの危険が迫るのか、以前にも伝えたはずだ。それを忘れたとは言わせぬ」

「はい……」

「もはやこれはそなただけの問題ではないのだ。種族の境界線を越えれば最後、戦に発展しかねない」


 ヴァイゼは侍っていた側近に目配せした。

 男性のメロウは頷き、ボースハフトに代わってぺルレを拘束した。


「ヴァイゼ様! お願いです! もう二度と陸には近づきません! ずっとここに留まることをお約束します。だからっ、どうか監獄だけは!」

「連れていけ」

「は」


 有無を言わさずにヴァイゼは側近に監獄に赴くよう命じる。

 涙ながらに慈悲を乞うぺルレを、叔父のボースハフトはざまあないとでも言うかのような面差しで見届けた。

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