そこには何があった
船は北の大陸の小さな港に到着した。港といっても、ほとんど廃墟のような場所だった。木造の桟橋は朽ち果て、建物の多くは雪に埋もれている。人の気配はほとんどなく、吹き付ける冷たい風だけが、この地の過酷さを物語っていた。
「ここで降りるのか?」
老船長が、心配そうにジークを見た。
「ああ」
「……無理はするなよ。この先は、人間が生きていける場所じゃない」
「分かっている」
ジークは船を降り、凍てついた大地に足を踏み入れた。雪が膝まで積もっており、一歩進むのにも苦労する。気温は氷点下をはるかに下回り、吐く息が白く凍りつきそうだった。
「ジーク、この寒さ――大丈夫か?」
「問題ない」
ジークは黒いジャケットの襟を立て、前へと進み始めた。しかし、数時間も歩かないうちに――吹雪が激しくなってきた。視界がほとんど効かず、方向感覚も失われていく。
「このままでは、凍死するぞ」
「……分かっている」
ジークは周囲を見渡した。吹雪の中、わずかに見えたのは――岩壁だった。おそらく、洞窟があるかもしれない。
ジークは岩壁に向かって進んだ。果たして、そこには洞窟の入口があった。中は暗いが、少なくとも風は防げる。
「とりあえず、ここで休む」
ジークは洞窟に入り、奥へと進んだ。洞窟は意外と広く、奥行きも十分にあった。ジークは荷物を下ろし、火を起こす準備を始めた。
しかし――その時だった。
洞窟の奥から、何かの気配を感じた。
ジークは極刀に手をかけ、警戒する。暗闇の中から、ゆっくりと何かが近づいてくる。
やがて、その姿が見えた。
それは――人間だった。
いや、人間のような何かだった。全身が白い毛で覆われ、顔は獣のように歪んでいる。氷点下でも生きられるように進化した、雪原の住人――アイスバーバリアンだ。
「――グルル……」
低い唸り声を上げながら、アイスバーバリアンはジークに近づいてくる。その手には、骨で作られた槍が握られていた。
「……邪魔をするな」
ジークの声は、冷たかった。しかし、アイスバーバリアンは攻撃の手を緩めない。彼らにとって、洞窟は縄張りであり、侵入者は排除すべき存在なのだ。
アイスバーバリアンが槍を構え、突進してきた。その動きは素早く、獣のような敏捷性を持っている。
しかし――。
ジークは極刀を抜いた。一閃。
アイスバーバリアンの体が、真っ二つに割れた。極刀の刃は、毛皮も、筋肉も、骨も――全てを一瞬で両断した。
倒れる体。流れ出る血が、凍てついた地面を赤く染める。
「……」
ジークは極刀を鞘に収めると、再び火を起こす作業に戻った。まるで、何事もなかったかのように。
火が起こされ、洞窟内が暖かくなっていく。ジークは火のそばに座り、目を閉じた。
「ジーク、休むのか」
「少しだけだ。体力を回復させる」
「……そうか」
ヨルの声が、少し心配そうに響いた。
「ジーク、無理をするな。お前は人間だ。いくら強くても、限界はある」
「分かっている」
ジークは短く答えたが、その声には疲労が滲んでいた。確かに、ここ数日の移動は過酷だった。休息なしで歩き続け、魔物と戦い、そして嵐の海を越えてきた。
しかし――休んでいる暇はない。
黒龍は、十日後に龍墓地に現れる。それまでに、そこへ辿り着かなければならない。
「……少し、眠る」
ジークは火のそばで横になった。体を丸め、わずかな温もりを求める。やがて、彼は浅い眠りに落ちた。
※
目を覚ますと、外はまだ吹雪いていた。しかし、先ほどよりは幾分弱まっているようだった。ジークは体を起こし、外を見た。
空は灰色に曇り、雪が絶え間なく降り続いている。この地では、晴れる日などほとんどないのだろう。
「行くぞ」
ジークは荷物をまとめ、洞窟を出た。吹雪の中を、ひたすら北へと進む。
歩くこと数時間。ジークは、雪原の中に何かを見つけた。
それは――建物だった。
小さな木造の建物で、半分ほど雪に埋もれている。しかし、煙突からは煙が上がっており、中に人がいることが分かった。
ジークは建物に近づき、扉を叩いた。
しばらくすると、扉が開いた。中から現れたのは、老人だった。白い髭を蓄え、分厚い毛皮のコートを着た、小柄な老人だ。
「……旅人か?」
「ああ。少し休ませてもらえないか」
「……入れ」
老人は、ジークを中へ招き入れた。建物の中は暖かく、暖炉の火が部屋全体を照らしている。質素な家具が置かれ、壁には獣の毛皮が飾られていた。
「座れ」
老人が椅子を勧める。ジークは礼を言って座った。
「茶を出そう」
老人は温かい茶を淹れ、ジークに差し出した。ジークはそれを受け取り、一口飲む。体が芯から温まっていく。
「……ありがとう」
「礼には及ばん」
老人は自分も椅子に座り、ジークを見つめた。
「旅人よ、お前は何のためにこの地に来た?」
「……龍墓地を探している」
ジークの言葉に、老人の目が鋭くなった。
「龍墓地、だと?」
「ああ。知っているか」
「……知っている。だが、なぜそんな場所へ?」
「用がある」
ジークは、それ以上は語らなかった。しかし、老人は何かを悟ったようだった。
「……復讐か」
「……」
ジークの沈黙が、肯定を意味していた。
老人は深く溜息をついた。
「龍墓地へ向かう者は、皆同じだ。復讐に燃え、死を恐れぬ者たちだ。だが――その全員が、帰ってこなかった」
「俺は帰ってくる」
「……根拠のない自信だな」
「俺には、極刀がある」
ジークは腰の刀を示した。老人はそれを見て、目を見開いた。
「極刀……!まさか、お前が……」
「知っているのか」
「ああ。極刀の噂は、こんな辺境にも届いている。世界に五本しかない、伝説の刀――」
老人は、ジークをじっと見つめた。
「だが、極刀を持っていても――龍を相手に勝てる保証はない」
「それでも、俺は行く」
ジークの決意は揺るがなかった。老人は、もう何も言わなかった。
「……龍墓地への道を教えよう」
老人は立ち上がり、壁に掛けられた古びた地図を取り出した。
「ここから北へ二日。雪原を抜けると、巨大な氷壁が見える。その氷壁を登り、頂上を越えれば――龍墓地に辿り着く」
「氷壁を登る、か」
「ああ。だが、その氷壁には――氷の魔物が棲んでいる。お前ほどの実力者でも、油断すれば命はない」
「分かった」
ジークは地図を受け取り、頭を下げた。
「世話になった」
「……生きて帰れよ、若者」
老人の言葉を背に、ジークは再び雪原へと踏み出した。
※
二日間、ジークはひたすら歩き続けた。途中、何度も魔物に襲われたが、全て極刀で斬り伏せた。フロストウルフ、アイスゴーレム、スノートロール――どれも強力な魔物だったが、極刀の前では無力だった。
そして――三日目の朝、ジークは巨大な氷壁を目の当たりにした。
高さは百メートル以上ある、垂直に切り立った氷の壁。その表面は滑らかで、登るのは困難に見えた。
「……これを登るのか」
「ああ。他に道はない」
ジークは氷壁の麓に立ち、上を見上げた。頂上は雲に隠れており、どれほどの高さがあるのか分からない。
「登り始めるぞ」
ジークは極刀を使い、氷壁に穴を開けながら登り始めた。刀身を氷に突き刺し、それを足場にして体を引き上げる。一歩一歩、慎重に登っていく。
しかし――十メートルほど登ったところで、異変が起きた。
氷壁が、動いた。
いや、動いたのではない。氷壁の中から、何かが出現したのだ。
それは――氷の巨人だった。
全身が氷で構成され、体長は五メートルほどある。顔には目も口もなく、ただ巨大な腕を振り上げている。
フロストタイタン――氷壁を守護する、伝説の魔物だ。
「ジーク、来るぞ!」
ヨルの警告とともに、フロストタイタンの拳が振り下ろされた。ジークは咄嗟に横へ跳び、攻撃を回避する。拳が氷壁に激突し、氷の破片が飛び散った。
「……厄介だな」
ジークは氷壁にしがみつきながら、極刀を抜いた。しかし、足場が不安定で、思うように動けない。
フロストタイタンは、再び拳を振り上げた。今度は、ジークを押し潰そうとしている。
ジークは――極刀を氷壁に深く突き刺し、体を固定した。そして、フロストタイタンの拳が迫る瞬間――極刀を横に一閃した。
刃が、フロストタイタンの腕を斬り裂いた。
氷で構成された腕が、根元から斬り落とされる。極刀の刃は、どんなに硬い氷でも、まるでバターを切るように両断する。
腕を失ったフロストタイタンは、バランスを崩して氷壁から剥がれ落ちた。地面に激突し、砕け散る。
「……」
ジークは極刀を鞘に収め、再び登り始めた。しかし――氷壁には、フロストタイタンが何体もいた。
一体倒すたびに、新たな巨人が出現する。ジークは、その全てを斬り倒しながら、ひたすら登り続けた。
極刀が、何度も振るわれる。
氷の巨人が、次々と斬り落とされる。
その光景は、まるで神話の英雄が巨人を退治する物語のようだった。
しかし、ジークの表情には、疲労の色が濃くなっていた。いくら極刀を持っていても、休みなく戦い続ければ、体力は消耗する。
「ジーク、無理をするな!一度降りて、休息を――」
「いや、このまま登る」
ジークの声は、頑なだった。
「ここで止まれば、また時間を無駄にする。俺には――時間がないんだ」
「……」
ヨルは、それ以上何も言えなかった。
ジークは、さらに登り続けた。数時間後――ついに、氷壁の頂上に辿り着いた。
そこから見える景色は――圧巻だった。
眼下には、雪に覆われた広大な平原が広がっている。そして、その中央には――巨大な谷が口を開けていた。
深さは測り知れず、底は暗闇に包まれている。
これが――龍墓地だった。
「……ついに、着いた」
ジークの声が、風に消えていく。
「ああ。ここが、龍墓地だ」
ヨルの声も、どこか厳粛な響きを持っていた。
「ジーク、ここから先は――本当に、引き返せなくなる」
「分かっている」
ジークは谷の縁に立ち、下を見下ろした。暗闇の中に、何かが動いているような気がした。
「行くぞ」
ジークは、谷へと降り始めた。岩壁を伝い、慎重に下へと進んでいく。
やがて――谷の底に辿り着いた。
そこは、まさに死の世界だった。
地面には、無数の骨が散乱していた。龍の骨だ。巨大な頭蓋骨、長い脊椎、鋭い爪――全てが、かつて生きていた龍たちの残骸だった。
「……これが、龍墓地」
ジークは骨の海を歩いた。足元で、骨が軋む音を立てる。この場所には、何百、何千という龍が眠っているのだろう。
「ジーク、気をつけろ。この場所には――生きている龍もいるかもしれない」
「分かっている」
ジークは警戒しながら、奥へと進んでいった。
しかし――その時だった。
突然、地面が揺れた。
いや、揺れたのではない。何かが、地中から這い出てきたのだ。
それは――骨だった。
龍の骨が、動き出したのだ。
骨が組み合わさり、巨大な骸骨龍の姿を形成する。空洞の眼窩が、青白い光を放ち、ジークを見つめていた。
アンデッドドラゴン――死してなお、この地を守り続ける龍の亡霊だ。
「……また、面倒なことに」
ジークは極刀を抜いた。骸骨龍が、大きく口を開ける。そこから――冷気が放たれた。
凍てつく息が、ジークに襲いかかる。触れたものを全て凍らせる、死の息吹だ。
しかし――。
ジークは極刀を振るった。刃が、冷気を真っ二つに斬り裂いた。極刀の魔力が、龍の息吹すらも無効化する。
冷気は霧散し、ジークには届かなかった。
「骨だろうが、龍は龍だ」
ジークが踏み込む。その速度は、骸骨龍が反応できないほど速い。
一閃。
極刀が、骸骨龍の首を斬り裂いた。骨が砕け、頭部が地面に転がる。
しかし――骸骨龍は止まらなかった。頭部がなくても、体は動き続ける。巨大な爪が、ジークを掴もうとした。
「……しつこい」
ジークは、さらに何度も極刀を振るった。骸骨龍の体が、次々と斬り刻まれていく。脊椎が断ち切られ、肋骨が砕かれ、脚が切断される。
やがて――骸骨龍は、完全に崩壊した。
骨の山が、地面に崩れ落ちる。青白い光が消え、静寂が戻った。
「……」
ジークは極刀を鞘に収め、深く息をついた。体力の消耗が、激しい。
「ジーク、限界が近いぞ。少し休め」
「……ああ」
ジークは近くの岩に寄りかかり、座り込んだ。全身から、汗が噴き出している。
「ここまで来て――まだ、ヴォルガノスには会えないのか」
「ザルゴンの情報では、十日後にここへ来る、と言っていた。まだ、八日目だ」
「……なら、待つしかない」
ジークは目を閉じた。体を休め、力を蓄える。
黒龍が現れるまで――あと二日。
その時のために、万全の状態で臨まなければならない。
※
しかし――運命は、ジークを待ってはくれなかった。
休息を取っていたジークの前に――突然、人影が現れた。
ジークは目を開け、警戒する。しかし、その人影は――人間だった。
いや、人間のような姿をしているが――その雰囲気は、明らかに異質だった。
全身を白い外套で覆い、顔は仮面で隠されている。その仮面には、龍の紋様が刻まれていた。
「……誰だ」
「初めまして、極刀の使い手よ」
仮面の男が、静かに語りかけてきた。
「私の名は――エルドリッジ。龍信奉者の一人だ」
「龍信奉者?」
「ああ。私たちは、龍を神と崇める者たちだ。そして――龍墓地を守る、守護者でもある」
エルドリッジは、ゆっくりとジークに近づいてきた。
「この地に、武器を持って侵入する者は――排除する。それが、我らの務めだ」
「……邪魔をするな」
「邪魔ではない。務めを果たすだけだ」
エルドリッジが、外套の下から剣を抜いた。それは、普通の剣ではなかった。刀身が青白く光り、龍の鱗のような模様が浮かび上がっている。
龍剣――龍の力を宿した、特別な剣だ。
「さあ、極刀の使い手よ。私と戦ってもらおう」
エルドリッジの殺気が、辺りを満たした。ジークは、疲労した体を引きずりながら、立ち上がった。
「……面倒だな」
極刀を抜く。
二人の剣士が、龍墓地で対峙した。
戦いの幕が、再び上がろうとしていた。
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